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外伝5 出会いと始まり 5

「ええと『経済原理と発展』、『法律と貿易』、それから『市場予測と分析における国家論』と『位相空間論からの経済理論』……最後のは読める気がしないわ。……あとは……あ、あの本、をっ……」


「――こちらで宜しいでしょうか、レディ?」


影が差し、つま先立ちで伸ばした指の先の本があっさり抜き取られる。

私の手に目当てのものが置かれ、すかさずもう片方に抱えていた分厚い数冊が彼の手に収まった。

余りにも自然な動作で感嘆しかない。


「ありがとうございます、アーサー様。届かなくて困っておりましたの」


「こちらこそ、お力になれたのでしたら幸いです」


目を細める彼の耳元で何かが光った。

髪と同じ瑠璃色のごく小さなピアスだ。洒落者の彼らしい。

アーサー様はそのまま貸出カウンターまで付き添ってくれる。本はあとで家に届けられる仕組みだ。


「随分と難しい本をお読みなのですね」


「シシー……友人の推薦です。読んでおくべきだと」


シシー様をご存じなのだろう。ああ、成程、と呟くのが聞こえた。


「知識はどのような人生においても武器になります。いち教師としても向学心のある生徒は誇りです」


趣味の本を聞いたとき、わたくしのお薦めですの、と語尾にハートマークでも付いていそうな雰囲気で渡されたメモにあったのが上述のタイトルだった。

目を疑ったが、彼女にとってはこれらの本が娯楽小説に等しいのだろう。

せっかく教えてもらったのだ。理解はできなくともせめて目を通しておこうと思ってのことだった。

手続きが終わるのを見計らい、彼が私に向き直る。


「こちらの不手際で、先日頂きました書類に1か所ご署名をいただくのを忘れておりました。お手間をおかけして申し訳ございませんが、ご記入いただければと」


「まぁ、失礼いたしました」


アーサー様は不手際と言ったけれど、どう考えても私のミスだ。

忙しいため無理かもしれないと思いつつもリィンに今年も祝祭の警備を手伝ってもらえたらと申請した書類、去年も提出したものだったから最後のチェックを怠ってしまった。


「――確認いたしました。ありがとうございます」


逆ハー本の続きを読むために予約していた休憩室で再度見直しをし、承認を貰う。と同時に、ちょうど注文した品が運ばれてきた。

アーサー様は甘いものは好まないのか、頼んだのはブラックの珈琲だった。

ふと、最近仲良くなった友人が好んでいたのを思い出した。


「あの、アーサー様はお知り合いに獣の加護の方はいらっしゃいますか?」


「……何かございましたか?」


「先日、辺境伯のご子息とお友達になりましたの。お父様が獣の加護をお持ちだったそうで、大きな鳥になられるそうですわ。わたくし、獣の加護のお話を伺うの初めてでしたの。獣の加護と言うとやはりシリウス様ですから、<狼の門>ならと――わたくし、失礼なことをお聞きしてしまいましたかしら?」


シリウス――建国に寄与した英雄の名前であり、リィンが将来所属する王立騎士団王族直属第一部隊、別名<黒い狼>を指す。

初代国王の親友であり騎士であった剣聖シリウス様は獣の加護をもち、平民でありながらその剣と爪と牙で王家に多大な貢献をした。

彼の持つもう1つの姿は黒い狼に似て、以降第1騎士団は彼に敬意を払い、制服には彼の被毛と同じ黒を、紋章には狼を採用している。飾緒の石筆の狼が示すのももちろん彼だ。

彼自身は高齢になり引退したのち、身寄りのない子供たちを集め、息を引き取る最期の瞬間まで剣や生きる術を教え育てたという。

やがて、その志を引き継いだ者たちによって学校が建てられ、それが今の<狼の門>となった。<狼の門>の制服が黒いのも第1騎士団と同じ理由だ。


「ああ、そうでしたか。大変失礼いたしました。いえ、あいつが獣属性でしたので、何かしでかしたのかと」


「あいつ?」


「グエンダイクのことです。腐れ縁でして」


そういえば、アーサー様が教師としてではなく誰かを呼び捨てにするのは初めてだった気がする。親しいのだろうか。

アーサー様のご実家は子爵家でブロッサム家は公爵家で繋がりがあるとは思えないけれど。

とはいえ、これ以上の追及は拒むような雰囲気に感じる。


「レディ、恐れ入りますが、私からもよろしいでしょうか」


「ええ、どうぞ」


「恐れながら、なぜ獣人を友に? 先ほどお名前が挙がりましたように辺境伯のご子息など、レディにはご身分に相応しい方々がいらっしゃるかと存じます」


いつか訊ねられるかもと思っていたけれど、とうとうきたわ。

確かに獣人と侯爵令嬢とでは身分差がありすぎる。いくら学校が表面上は平等を謳っているとしても、普通の組み合わせではない。なにかよからぬことをと思うのは当然のことだ。

出来るだけ不審を抱かせないよう、誤解が解けるよう、精いっぱいの笑みを私は浮かべる。


「獣人だからではなく、リィンだからですわ。彼の常に他人を尊重する姿勢、優しさ、誠実さ、努力を怠らぬ勤勉さは彼の美点であり、わたくしが尊敬とするところです。彼のそういった部分に今までわたくしがどれほど助けられたことか。たとえどのような姿かたちであろうと、リィンがリィンである限り、やはりわたくしはお友達になりたいと願うでしょう」


「……さようでしたか。要らぬことを伺い、大変失礼をいたしました」


「いいえ」


不快になるどころか、むしろ安堵した。

リィンのことをちゃんと気遣ってくれているのだ。


「どうぞご安心くださいませ。王立学園でも、リィンにはファンがおりますのよ? 彼は優しいですから、女生徒にも人気ですわ」


「安堵いたしました。そういえば先日も、彼に落としたお小遣いを一緒に探してもらったと、彼を慕う幼い少女がお礼を述べるため待っていたことがありました」


「まぁ、リィンらしいですわ」


リィン、癒される……! 

リィンの話をしているだけだというのに、そのエピソードが平和過ぎて思わず聞いているこちらが笑顔になってしまう。

まるで孫を自慢し合うかのように、私たちは微笑ましいエピソードを披露しあう。

アーサー様はリィン以外にも普段の<狼の門>の様子、女神の資金提供により学校がどれほど良くなったか――とくに食堂メニューの改善は生徒と職員、全員から泣いて喜ばれたらしい――など、たくさんのお話を聞かせてくださった。

そのお話を聞いて思ったのが、想像していた以上に彼が生徒のことをよく見ているということだった。

理事長の立場ながら、ひとりひとりにとてもよく目を配っている。生徒を大切にしている気持ちが伝わってくる。

このような方が代表者なのだから、<狼の門>は本当に素晴らしい学校なのだろう。そのような学校に少しでも寄与することができて、私も本当に嬉しかった。

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