外伝4 出会いと始まり 4
「ユーリウス王太子殿下、ますますのご盛栄のことお慶び申し上げます」
響く大きな声に思わず足を止めた。
ただでさえ、王城は高い天井に音が反響する。それを差し引いてもなお大きく、まるで周囲に聞かせるかのようだった。
柱の陰からそっと盗み見て、殿下と相対している人物にシシー様に教わった勢力図と肖像を重ねる。
白いあごひげで髪は大分と後退し、目元にも額にも年齢が刻まれ始めている。中年を過ぎた貴族に多いずんぐりとした体形を上等な服の中に何とか収めた男性は、保守派の中央貴族だと思い出せた。
「殿下におかれましては、日頃の民への過分なご配慮、深く感謝いたします。古より王家を支えてまいりました我々も、血も生まれも問わず、卑しきも貴きも等しくあるべしとのお考えに、気持ちを新たにした次第でございます」
「この国をより良いものにしてゆきたいという気持ちは皆同じということだね」
「おっしゃる通りでございます。しかして――」
「懐かしいよ。こうやって議会の後はよくダヌ公爵と議論したものだ。そういえば、最近公爵は姿を見せないようだけれど、仲の良い伯爵なら何か聞いているのではないだろうか? 彼がどうしているのか気になってね。なにせ第2王妃の生家であり、第2王妃は今、塔にお住まいだけれど、ダヌ家との繋がりが切れたわけではないのだから」
一瞬、貴族がひるんだように見えた。
「……いえ、それほどダヌ閣下とはお付き合いがございませんもので」
「そう……どうも彼は友人が少ないようだね。ティアット女公爵にも同じことを言われたよ」
「女公爵が……さようでございますか。シシー様はまだ引継ぎをなさって日が浅い。しかし、これから貴族の何たるかを学ばれることでしょう。ご成長が楽しみです」
「確かに、己が立場を理解し、相応の振舞いを身に着ける。それこそが最も貴族に必要なことでありながら、わきまえもせず上の者に口を挟む愚か者の多いことよ。伯爵もそう思うだろう? ――ああ、オールドローズ嬢、すまない。待たせてしまったね」
隠れていたのに目が合ってしまった。
「これは……フォーロマン侯爵のご令嬢でしたか。ご令嬢のお邪魔をするわけにはまいりません。殿下、わたくしはこれで」
そそくさと去っていく伯爵を見送った殿下は、よくやった、と私を案内していた衛兵に声をかけて下がらせる。
「シャルに会いに来たのだろう? ああ、偶然だが今ちょうど俺の部屋にいるはずだ」
笑顔で有無を言わせず彼の私室へと先導される。
「改めて城や王宮に来るのは怖くないか?」
拉致されたときのことがトラウマになっていないか気にしているのだろう。
はい、と頷く私の顔を探るように眺め、
「そうか。それならいい。第2王妃は塔に幽閉されている。一生出ることは叶わない。ダヌ家も今後は政治に口を挟むこともなくなるだろう。お友達もいないそうだ、寂しいやつだな」
誰もいないからか、綺麗な顔で意地悪そうに声をあげて笑う。
「先ほどの、お話の最中によろしかったのですか?」
「かまわない。いつものことだ。いや、お前のお陰で随分とマシになったほうだ」
暗に含めたその言葉に彼の苦労が垣間見えて何とも言えない気持ちになった。
「ローズ、待ってたの!」
姫様が殿下の部屋から飛び出してくる。
クマのぬいぐるみ――以前震えながら私が殿下に渡したもの――と一緒にお菓子を我慢して待っていてくださったらしい。
可愛らしいシャーロット様に、当然のようにユーリウス様も一緒に、時間を過ごす。おままごとをしたり、絵本を読んだりとのどかな交流が続き、やがてシャーロット様は疲れてしまったのか、ぬいぐるみを握りしめたまま殿下に頭を預けて寝入ってしまった。
「シャーロット様は寝顔も愛らしいですね」
「ああ、そうだな」
「殿下は、とてもシャーロット様を大切に思ってらっしゃるのですね。シャーロット様も殿下のことがとてもお好きなようですし」
私の言葉に当たり前のように頷くかと思っていたが、彼は静かにカップを置くと皮肉な笑いを乗せ、おもむろに口を開いた。
「――知っているか? 正妃がなかなか子をなすことができず、何度も流したのは第二王妃が毒を盛っていたからだと言う噂もある」
突然の言葉に、すぐに返事ができなかった。
噂でしかないのですよね、と尋ね返す私に、
「ああ、証拠があるわけではない。あったとしても、もう昔のことだ。だが、大事なのはそこではない。その噂が耳に入った時、誰もがこう思ったはずだ。あの女ならありうる、と。そういう人間だということだ、俺の母親は」
膝で眠るあどけない少女の髪をそっとなでる。
その優しい手つきと話す内容の温度差に耳を疑うしかなかった。
「正妃がこの世を去った時、こんなに悲しいことはないと涙をぬぐうもう片方の手で、母は祝杯を挙げた。そのときに悟った。音楽が鳴り響き、花々が飾られ、血脈と古い伝統とが根付くこの場所から、逃げることは許されないのだと。俺はシャルを守らなくてはならない。生まれてくるはずだった、本来王位を継ぐはずだった、俺の兄弟姉妹たちのためにも」
「殿下の所為ではございません!」
語気を強めてしまい、思わずシャーロット様の寝顔を確認する。
大丈夫。起きてはいないようだった。
「……ローズ、俺の所為ではなくとも、俺が背負うべきものにはかわりない」
殿下は妹から視線を外さず、そう言った。
少女を見つめる澄んだ彼の目は、今ではなく遠い過去を見ているように思えた。決して忘れてはならないと、閉じかけた傷口を自ら開くかのように。
陽の名残りが漂う夕刻、門をくぐった私は馬車に乗る前にもう一度王城を振り返る。
許されない、と呟いた彼の表情。
貴族ですら、願えば、爵位を返上して市井に下ることができる。それが許されないのは、王族だけだ。
いくつもの白い尖塔が聳え立つ城はとても美しく、ここから見るとまるでおとぎ話の中にいるようだ。
この場所に生まれ、この場所にとらわれ続ける――その中に、挑むように佇む小さな少年の背中が見えた気がした。




