49 聖夜の事件 2
「いつまで気を失っているつもりだ! 目を覚ませ!」
冷たい水を浴びせられ、一気に意識が戻った。
水と分かったのは、目を覚まして自分がびしょ濡れになっていたからだ。後ろ手に縛られ、床に転がされている。身動きがとれない。
「ようやくお目覚めね、お嬢さん」
「王妃様……」
数名の衛兵を従えた王妃が、そこに立っていた。
見たこともない場所、応接間のような広い部屋の一角に私はいる。戸口や壁際にも数名の兵士が立っており、一様に私を見る目は冷たい。
「沢山の男を侍らせているそうじゃない。好きに遊びなさいな。でも地位も求めるのは、ちょっとやりすぎね」
「あの、おっしゃっている意味が……王妃様、ここはどこでしょうか。どうしてわたくしは縛られているのですか」
「ユールも欲しかったの? でも、残念ね。そなたのような薄汚い女狐、あの子は歯牙にもかけないわ。自分でもわかっているでしょう? だから、シャーロットに乗り換えたのよね?」
会話が成り立っていない。彼女が何を言いたいのかまったく理解できない。
「あたくしの最後の慈悲よ。あの法案を撤回なさい!」
「法案……?」
「まだ白を切るというの? これじゃあ、そなたでフォーロマン家も終わりね」
「フォーロマン家は兄が継ぐのです、わたくしは――」
「ええ、よく考えたわね。そなたが義兄を引き留めたと噂よ。だから、あたくしも騙された。そなたにたどり着くのに時間がかかったわ」
「ですから――」
王妃の合図に兵の一人が足を掲げる。それが私の体の上に振り下ろされた。
自分の体から信じられない音がした。
衝撃で息が詰まる。想像を絶する痛みに悲鳴も出なかった。
頭の中でごうごうと血が巡る音がし、息をするのすら苦痛を伴う。踏まれた個所はひどく熱く、その一方で体は震えるほどに寒い。
「最後と言ったはずよ。命と引き換えにしては意味がないでしょうに」
そう言うと、彼女はテーブルの上の何かを手に取る。それは、あのナイフだった。祖父を殺した、あの凶器。最後の1本。
「腐ってもわたくしは侯爵令嬢ですっ……侯爵の娘を手にかけたとなれば……王妃様もただですむとは思いませんがっ」
殿下にも影響するだろ、とにおわせたのだが、彼女は一向に気にした様子を見せない。
「このナイフで、そなたの祖父も亡くなったそうね。犯人も見つかっていない。同じ人物に殺されてしまうなんて、可哀そうなお嬢さん。獣人は本当に汚らわしいわね」
病と公布したこともあり白骨のことは公にできていない。それが仇になった。
罪をかぶせるつもりだ。しかもその口ぶり。これを契機に、獣人を一掃しようとしているのが窺えた。
「これは運命なのよ。そなたは死んで、あたくしのユールへの愛がこの世のすべてに打ち勝つの」
違う。
運命とは、リィンが結び付けたような、人と人が思いやる絆。
沢山の人の運命を歪めてきた私が言えた義理ではないかもしれない。でも少なくとも、こんな自分の欲望のために他者を踏みにじる運命の勝利など決してあってはならない。
殿下の最後の言葉が蘇る。
あいにく魔力はからきしだめだし、手も縛られている。
でも足がある。
以前の侯爵令嬢ならただ震えているだけだったかもしれない。
でも今のローズは違う。
あの事件の所為でたくさんの人が振り回され、たくさんの人が悲しい目に遭った。
今、ここで終わらせなければ!!
顔を伏せて打ちひしがれている私に彼女が近づく。
3歩、2歩、あと1歩――……今だ!
屈みこんだ王妃の顔に渾身の膝蹴りを入れる。
ごりゅ、と嫌な音がした。痛みに手放したナイフを力いっぱい踏みつける。手入れされていなかったからか、簡単に根元から折れ、刃がいくつかに割れた。
これでもう、リィンに、獣人に、罪をかぶせることはできない。
「……ごめんあそばせ。わたくし、ただの令嬢ではございませんの」
転生してますから根性だけはあるんです、と心の中で付け加え、恐怖を隠して精いっぱい笑って見せる。
まさかそんなことをするとは誰もが思っていなかったのだろう。呆気に取られている兵士に彼女の金切り声が降る。
「そいつを殺して!!」
刹那、空気が動いた。
キィン、と澄んだ音がしたと思うと入口の扉が凍り、砕け散った。同時に、部屋に飛び込んできた黒い影が、付近の兵士たちに覆いかぶさり、あっという間に倒してしまう。
リィンだった。
兵を抑え込んでいる彼に別の兵たちが襲い掛かる。だが、ある者は足を凍らされ、ある者は風に押され壁まで吹き飛んだ。一瞬の出来事だった。残っているのは私の周りにいる人たちだけ。その彼らも、突入してきた近衛たちに制圧される。
「この女よ! この女がいなければ!!」
部屋に王妃の狂気の叫びが響く。
血をまき散らしながらわめいている。取り押さえられても、なお抵抗するのをやめない形相は悪鬼に近い。兵士たちも彼女の雰囲気に気圧されていた。
その一瞬の怯みをついて、床に組み伏せられていた王妃が私に駆け寄る。彼女の手にはあのナイフの破片が握られていた。
2つ同時に魔法は操れない。兵を拘束していた魔法が解かれ、私の足元に盾を作ろうと風と氷が集まりだす。
けれど、間に合わない。振り上げられた刃は月のように光ってみえた。
走馬灯がはしる。まるで、すべてが始まった時のように。
見えるのはなにかの記憶ではない。全てが、私と、わたくしの記憶。
大好きな人たちと泣いて、笑って、共に過ごした日々、たくさんの人々と紡いだ大切な時間――その全てのおかげで今の私がある。大好きな家族の、大切な友人の、そしてみんなの顔が浮かんでは消える。
ごめんなさい。今度こそ長生きして、孝行しようと誓ったのに。
「……本当に、ごめんなさい」
覚悟を決めて目をつむった瞬間、
「させるか!!」
リィンの叫びと同時に、今まさに私の体に振り下ろされようとしていた王妃の手が震え、糸に引っ張られるように数歩後ずさる。彼女の手から血が滴った。
次の瞬間、足元から沸き上がった炎の壁が私と王妃を隔てる。彼女が炎の勢いに恐れをなし、さらに数歩後ずさる。
もし、一瞬でも彼女がひるまなければ、この炎に嘗められ、焼け死んでいただろう。
揺らめきの間から欠けた刃が円を描き、突き出したリィンの掌に収まっていくのが見えた。
瞬時に、兄とセルジュ様の魔法が私の盾から王妃への拘束へとその形を変える。
「あぁぁっぁぁ!」
言葉にならない叫び声をあげて王妃はもがいている。
けれど、塩の柱のように足元から凍り付き、わずかでも動けば今度はかまいたちのように皮膚が切れる。伸びる炎もヘビのように王妃に狙いを定めている。
一方、火の壁は私には一切傷をつけない。呪文の詠唱なしに、ここまで完璧に火の魔法を編み上げられる人はこの国に一人しかいない。だが、たかだか侯爵令嬢一人を助けるために、王妃を、実の母親を、害すような魔法を放つだろうか。
「みな、よくやった」
「オールドローズ様!!」
もはや形を成していない部屋の入口から殿下とエリーさんが入ってくる。
エリーさんは悲鳴に近い声で私に駆け寄ると、すぐに癒しの呪文を唱え始める。
「あぁ、ユール、あたくしの可愛いユール、あたくしが必ず王にしてあげるから……!」
「見くびらないでいただきたい。貴方などいなくても、俺は王になれる」
王妃を見つめる殿下の目は、氷のように冷たい。
「連れていけ、陛下の許可はいただいている」
殿下の合図で魔法が解かれ、王妃が近衛に抱えて連れていかれる。
「そんな、血が……っ……」
私を診るエリーさんの声が震えている。
おそらく治癒では治りきらないのだろう。エリーさんのおかげで痛みこそ落ち着いたものの、膝を入れるときに無理やり体をひねったせいでもはや感覚はなく、自分の腕がどうなっているか見たくもない。
彼女は泣きながら、何度も何度もずっと私に治癒をかけ続けてくれている。
「エリーさん、もういいのよ……疲れるでしょう……」
「嫌ですっ! 私、お役に立ちたくて、でもこんな時に何もできないなんてっ……!」
エリーさんが大粒の涙をこぼす。
ゲームの中ですら、ローズにどんないじめを受けても彼女は一度も涙を流さなかった。なのに泣かせてしまうなんて、やはり私は悪役令嬢の役から逃れられないらしい。
泣いている彼女の掌から突如光が零れる。一瞬にしてそれは部屋を覆いつくした。
精霊の光だ。
視界を奪うほどの眩い光とは裏腹に、私の体を暖かな加護の力が包み込む。
光が収まる頃には、私の体中の痛みはすべて消えていた。ドレスこそ血だらけでボロボロだが、違和感もなく両腕とも動かせる。
「聖女の力……?」
呟いた声は殿下だろうか。よかった。
かなり異なりはしたが、これでエリーさんのフラグも回収できた。
これほどの能力なら、王家にも有用となる。殿下もさらに彼女を見直すだろう。
最近は殿下だけではない、兄や、リィンともエリーさんがよく話しているのを見かける。
私のせいで整合性がつかなくなっているとしても、最後は彼女の下に帰結するのだろう。
ここは『恋と魔法のKingdom』の世界。
綴られるのは、エリーシアの物語なのだから。
「どうですか? 他に痛いところはございませんか? お花が途中で消えていたので辿り着くのが遅くなってしまって、ごめんなさい……」
「そういえばエリーさん、どうしてこちらに……? 舞踏会は……?」
「オールドローズ様が連れ去られているのに、参加するわけがありません!」
そう。そうよね。
お兄様もリィンも、それに殿下までこちらに来てしまったら、踊る相手がいなくなってしまうものね。
「ごめんなさいね、わたくしのせいで……舞踏会がダメになってしまったわ……せっかくのイベントだったのに……」
「……オールドローズ様?」
緊張の糸が切れたのだろうか。怪我は治ったというのに、視界がかすんできた。自分が何を言っているかも正直分からない。
視界の隅に兄とセルジュ様、リィンや殿下が見える。みんな泣きそうだ。
「……オールドローズ様、ゆっくりお休みください。もう大丈夫ですから」
エリーさんのその言葉を最後に、私は意識を手放した。




