46 不穏な気配 5
「……長から返事がきました――これはかつて使っていた儀礼用のナイフであり、倉から出されるのは神事でのみ。祭礼が終わるとまた元の場所に戻し、厳重に管理しております。流出することはまずありません。ですが、昔、一度だけ、この祭礼具が盗まれたことがあります。そしてその際に……」
リィンが言い淀む。
「倉の見回りが1名消えました。祭礼具と一緒に……」
つまり、その人物が持ち逃げして伯爵に雇われていた可能性があると言うことか。
リィンの顔が見ていて可哀そうな程に青ざめている。
「ローズ様、僕……」
「リィン、しっかりなさい! まだそうと決まったわけではないわ。盗人を追いかけて、怪我を負って戻れなくなった可能性だってあるでしょう?」
「ですが……!」
そんな会話をしたのが数日前の事だった。あれ以来、リィンは憔悴しきっていた。
できるだけ早めに解決しなければ、彼の精神がもたないだろう。
だが、何をどうすべきなのか分からない。
こんなことなら、いっそ答えなど見つからない方が良かったのではないかとすら思えてくる。
ナイフを送ってきた人物も見つからず、徒に時間だけが過ぎる日々に、焦りが募っていく。
「――……痛っ?!」
歯痒さについつい爪を噛んでしまっていたらしい。血がにじんでいた。
ハンカチを取り出そうして、ふと気が付いた。
おかしい。さっきまでは月明りで本が読めるほどだったのに、まるで新月の晩のように今は部屋が闇に包まれ、涼しげな香りがどこからか流れてきている。
カーテンを開けて外を窺えば、月は雲にほとんど覆われていた。
「さっきまで、雲なんてなかったわよね……?」
先に明かりをつけようと振り返って、部屋に一筋の光が差し込んでいることに気が付く。
机の上の積み上げた本、その1冊に光が注いでいる。
「……この国の地図?」
取り上げれば、わずかに光が動く。雲が風に流れただけのはずだが、まるで指さしたように感じられた。
光は、フォーロマン領の近くを指し示している。
さらにページをめくり、もっと詳細な地図の項を開く。
集めた月の光が流れ落ちるように動いて、吸い込まれていく。不思議な光景だった。
その光の指し示す先は、あの場所だった。
祖父と伯爵の因縁の土地、今はティアット領になった場所。
その一角に光は零れ続けていた。
確かなものなど何もないと言うのに、シシー様は私の説明にすぐに該当の場所に騎士の派遣を決めてくださった。
彼らが辺りを探し始めて数日。上がってくる報告は全て、「何もなし」だった。
だが、相変わらず夜になる度に月は一点を指し示し続けている。
私は思い切って、自分で行くことに決めた。もしこれで何もなければ、その時はあきらめようと。
相談すると、私の護衛にリィンとセルジュ様、兄ももちろん同行を承諾してくれ、さらに一番魔力が強くまた自領ということで、なんとシシー様自らが名乗り出てくださった。護衛として数名の騎士もいる。我が領地からも派遣した。
「――この辺りですわ」
シシー様が地図を片手に、案内してくださったのは坑道だった。
炭鉱の跡だろうか、坑内は複雑に入り組んでいた。ただし、兵が何度か出入りしたため、光石が設置され、道も整備され、迷わないようにあちこちに印がついている。
いくつもの角を曲がり、もはや自分の居場所が分からなくなってきた頃、
「あの、こちらは……?」
私が指し示した方角を見て、みなが首をかしげる。
「そちらの壁がどうかなさいましたの?」
壁? 私には奥へと続く道が見えるのだが。
リィンが何かに気づいたように私のところにやってきて、足元の辺りを探り始めた。やがて、
「……ありました。巧妙に陣が隠されています。……魔石も設置されています」
「魔術か」
セルジュ様が納得したようにつぶやく。
「でしたら、わたくしにおまかせを」
シシー様が懐から短刀を取り出し、魔力を込める。刀身が力を得て光り輝き、それを通路入り口に向かって力いっぱい振り下ろした。
キン、と澄んだ音の次に、ガラスが割れるような音が響いた。
「壁が消えたな」
……壁というものが私には見えないので、何が何だかさっぱりわからない。
選ばなかった科目に確か魔術があったはずだが、どうやら適性がないようで、その選択は間違っていなかったらしい。
「すごいですわね、ローズ様! お気づきになるなんて!」
「え、あ、ありがとうございます……?」
発見した通路は狭く、人がすれ違うのがやっとというほど。
だが、しばらく歩くと少し開けた場所にたどり着いた。行き止まりのようだ。
そして、
「……人の骨?」
奥まって、わずかにくぼんだ壁の部分に寄りかかるように人の骨が横たわっている。離れた場所には、長い年月を得て朽ちた布や箱。その中からはいまだ輝きを失わぬ金銀の装飾品が見えた。
途端、がしゃんと音が響く。
人が死んでいるという事実に耐えられなかったのだろう。シシー様が倒れてしまった。
慌ててセルジュ様が抱き起す。
「気を失っているだけのようだ。誰か、彼女を外に! 丁重に扱え!」
騎士たちによって丁寧に運ばれていく彼女を見送り、
「大丈夫でしょうか?」
「外の空気を吸えば、すぐに目を覚ますだろう。ローズも無理はしないように」
「ありがとうございます。平気ですわ」
なんとしてでも手掛かりを得たいという思いが強かったからだろうか。遺骸を見たのは初めてだが、彼女ほどの拒否感はなかった。
それよりもこの人骨、よく見れば左足、その膝から下がない。
「……お兄様、おじい様を襲った賊は近衛に足を切り落とされたと伺っております」
「ああ、俺もきいている。おそらく、その犯人だろう」
「……違う」
人骨の検分をしていたリィンが呟いた。
「リィン……?」
「ローズ様、……この人、獣人じゃありません……」
リィンの言葉にセルジュ様も屈んで確かめる。
「――確かに耳も尾の痕跡もないな。完全に人間だ。この人間が犯人なら、おそらく侯爵を襲ったときに獣人を装っていたのだろう」
「よかった。僕の一族じゃなかった……」
リィンは放心したように座り込む。
「僕、もし僕の一族が犯人だったら、侯爵様にこの首を差し出す覚悟でした……」
「リィン?!」
「うむ、まぁ妥当なところであろう」
非難の声を上げる私に対して、セルジュ様も兄も当たり前だと言わんばかりにうなづいている。この世界の常識に慣れてきたとはいえ、やはりこういう時に感覚の違いを痛感する。
立場の弱い獣人を装った犯行は許せないが、それでも今は、リィンが何の関係もないとわかってただほっとした。
「フリード様、オールドローズ様!」
宝物の方を検査していた騎士が報告に戻ってくる。
「いくつか調べましたところ、スノーダッドの紋章を見つけました。おそらく、伯爵家からもちだされたものかと」
「やはり伯爵が関係していたということか。侯爵一人の命の対価としては安すぎるくらいだが」
兄がチッと舌打ちする。
「ここに隠し、ほとぼりが冷めた頃に運び出すつもりだったのかもしれないな。まあ、足を切られて川に落ちたのであれば、まず助からない。ここにたどり着いただけでも奇跡だろう」
「それから、こちらも一緒に発見しました」
錆びたものも含めていくつかの刀剣類。それぞれに特徴的な刃や文様が示されている。
「全て異民族のものか。罪を擦り付けるために盗んだか、盗品を買い付けたか。犯人が死んでいる以上、真実は闇の中だな――父上に連絡しろ。それから伯爵にも念のため確認を取れ」
「はっ!」
敬礼をして数人が出ていく。
数日後、スノーダッド伯爵が目録を確認して、やはりあの品々は先代の頃に蔵にあった物だったと判明した。
シシー様はスノーダッド領に返還を申し出、伯爵は父に同額を献上しようとした。父はもう過ぎたことだとそれを拒否し、代わりにお酒でも飲もうと誘いをかけていた。祖父の出来事は父の中でちゃんと区切りがつけられたらしいその様子に、私は安心した。
その後もあちこちを調べたものの、結局、私にナイフを送り付けたのが、誰で、何の目的だったのかは分からなかった。盗まれた数と残っていた数を比べて、あと1本、どこかに持ち出されているはずだった。
だが以降、特に私の周囲に不審な出来事は起こらず、穏やかな日々を過ごすことができた。
聖夜のあの日までは。




