41 過去の遺恨 4
「お父様!!」
屋敷の前で今か今かと待っていた私は、馬車から降りてきた父に抱き着いた。
父は子供のように飛びついた私をしっかりと受け止めてくれる。心なしか、痩せた気がする。
「お久しぶりです、父上」
「フリード、ローズのお守り、ご苦労だったね」
「もう、お父様!」
家族の会話をしながら、私たちは屋敷に入る。
夕食時も、学校のことや流行りのスイーツなど全く関係のない話ばかりする。
切り出したのは、食事も終わってサロンでのんびりしていた時だ。
「お父様も、明日、ナイトスター様のところへご挨拶に行きましょう!」
私の誘いに父はにこにこと笑顔を崩さず、
「そうだねぇ、確かに行きたいのはやまやまなんだが、仕事が溜まっていてね。二人で行ってきなさい」
全く顔色が変わらなかった。
言葉にも一切のゆらぎが見られない。筋金入りだ。
だから私は強く父の腕をゆする。いやいやとただのわがまま娘を演じる。
「そんなことをおっしゃらないで。ローズのお願いよ、きいてくださるでしょう? 一緒に行きましょう。一緒に行って、お世話になったお礼を言って――」
顔を覗き込む。わずかな変化も見逃さないために。
「――お前なんか大嫌いだって言ってしまえばいいのですわ」
父が表情をこわばらせる。
初めて、動揺を見せた。
「ローズ、な、にを……」
「みんな大嫌い!! そう、おっしゃればよかったのに……」
本当は分かる。
飲み込むしかなかったのだ。ある日突然、大切な人を奪われ、同時にたくさんのものを背負わされ、悲しむ時間も与えられず。
10歳が立ち上がるには、すべてに蓋をするしかなかった。
祖父は立派だった。そんな祖父を父は尊敬していた。
だから、踏み外すわけにはいかなかった。大好きな人が守ってきたものを、譲り受けたものを、溢すわけにはいかなかった。
そのために、自分が壊れることになったとしても。
「お父様、わたくしをご覧になって?」
殿下にも見せたことがない、これ以上ない程に丁寧なカーテシーをとる。
「こんなに立派になりましたのよ? もちろん今でも足らないところはいろいろございますけど、でも、お父様を支えるくらいへっちゃらですわ」
「ローズ……」
「お父様の側にはわたくしたちがおります。わたくしとお兄様が。だから、もう一人で全てを背負う必要はございませんのよ。もっとわがままをおっしゃってください」
「…………っ」
「お父様は、ご立派ですわ。でも、わたくしたちの前でまで、立派な領主である必要はありませんわ」
不思議だった。
祖父に似て公明正大と謳われた父。その娘がなぜここまで歪んだ思想の持ち主になったのだろうと。病弱で甘やかされて育ったにしても、度を越している。
繰り返し囁かれ、澱のようにローズの中に残った獣人への憎しみ。最低限のマナーと教養で放り出された社交界。
おそらく父は、私を通して復讐していたのだ。
祖父の提言を受け入れず、結果亡くなる原因を作った王宮に、ただ責任を擦り付け合うだけの貴族社会に、祖父を殺した獣人たちに。
そして、そんな世界に傍若無人な振る舞いを続ける私だけが、父にとって唯一の味方だったのだろう。だから、ローズのお願いはどんなものでも聞き入れられた。
高慢で、尊大で、無教養で無礼で自己中心的なろくでもない悪役令嬢。
でも、壊れかけたこの人を繋ぎとめていたのは、間違いなくそのローズだった。
「お父様の苦しみに気づけなくて、ごめんなさい」
兄もやってきて、そっと父を抱きしめる。
嗚咽がきこえる。
ここにいるのは偉大な領主。
幼いころから有能で、広大な領地をその手腕で治め、発展させ、そして、そのために自分を殺してきた人――大切な私の、わたくしの父。
「……お父様、今、ポッカリをお皿の陰に隠したでしょう?」
ポッカリとは前の世界でいうピーマンのような野菜だ。苦味が強くて、好き嫌いが分かれる。
「い、いや、ローズの気のせいじゃないか」
「嘘おっしゃい。その見えている緑はなんですの? コックが栄養を考えて作ってますのよ。ちゃんと全部食べてください」
「き、嫌いなんだ」
「子供みたいなこと言わないで、食べてください! お兄様を見倣って!」
兄は子供の頃にひもじい思いをしたことが度々あったらしく、その経験から腐っていない限り出されたものは全部食べる主義だそうだ。
「ローズがわがまま言っていいって言った!」
「それとこれとは話が別です! お兄様、笑ってないで何とか言ってやって!」
騒ぐ私と父、それを見ておなかを抱えて笑う兄。マナーも何もあったものではない。
結局、あれから特に父は何も言わず日々淡々と仕事をこなしている。ただ、数日前にふらっと半日ほど家を空け、夕方、少しよれよれになって帰ってきた。
そして次の日、メッセージのないきれいな薔薇の花束が公爵家から家に届けられた。
みんな何も言わないが、それが答えなのだろう。




