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39 過去の遺恨 2

公爵邸で迎える初めての休日。

寝坊したつもりはなかったのだけれど、兄とセルジュ様はすでにどこかへ出かけた後だった。

朝食を部屋でとってから通されたティーサロンには、先客がいた。夫人ともう一人、白髪が交じった栗毛に青の瞳の穏やかそうな紳士、ナイトスター公爵だった。


「やぁ、屋敷の居心地はいかがかな、オールドローズ嬢」


「か、閣下がいらっしゃるとは知らず、ご挨拶が遅れましたことをお詫び申し上げます!!」


「そうかしこまらなくていい。自分の家だと思って、ゆっくりしてくれ。いずれ本当に君の家になるだろうし、ね」


固まる私に、緊張をほぐすようにウィンクをし、冗談で場を和ませてくれる。

……冗談よね?


「ローズと呼んでも?」


「光栄です、閣下」


「ありがとう、ローズ。さぁ、こちらへ」


サンルームには温かな日差しが降り注ぎ、淹れたての紅茶のいい香りが漂っていた。ガラスの向こうには、かつてセルジュ様に案内していただいたバラ園が見える。


「春に、ここから君の姿を見たよ。いやー、あの時の君を案内する息子の姿、笑えたね! 君を射止めようと必死すぎて! 娘からきいてはいたが、あそこまでとは!」


公爵が思い出したように笑う。

ひぃっ。

失礼な態度をとっていなかったかと今更ながら不安になってくる。帰りたい、と念じつづけた記憶しかない。誰に何を見られているか分からないものだ。いついかなる時も淑女たれ、とはまさにこのことか。


「あの時は、ルイザも強引ですまなかったね」


「そのようなことはございません。大変朗らかな方でこちらも気分が高揚いたしました」


「そう言ってもらえると助かるよ。確かに、騒々しいのは困りものだが、あの子のおかげで家の中はいつも明るかった。口が達者で、私の父を言い負かしたこともあるくらいだ」


どのような意味なのか、一瞬閣下が遠い目をする。

公爵夫妻とはあまり性格が似ていないとは思っていたが、ルイザ様はきっと、家族を守ろうと、強くあろうとしての結果なのだと思う。


「本当に、素敵な方でしたわ」


「そうか。気に入ってもらえたなら何よりだ。少し、心配していた」


なんだかんだ言って自慢の娘なのだろう。とても嬉しそうだった。

そのような会話から学院の生活や学んでいる科目の内容へと話は移り、公爵からはアスター卿の近況など、夫人をまじえてのんびりと楽しいおしゃべりの時間が続いた。やがて、誰ともなく口をつぐみ、静寂しじまが訪れる。

しばらくの沈黙の後、公爵がぽつりとつぶやいた。


「……クォーターは元気だろうか?」


クォーターとは私の父のことだ。

おかしい。

父と公爵との話し合いで、私がここに来ることが決まったはず。いぶかしむ私に、公爵は少しだけ困ったように笑って、


「先代のフォーロマン侯爵について、きみはどのくらい知っているのかな?」


「……立派な人だったと。今でも父はとても祖父を尊敬しております。それから……」


話していいものか一瞬迷う。


「父には病で亡くなったときかされておりますが――……害されたという噂も耳にしました」


夫人を前にして、獣人にとは言えなかった。

そんな私を見て目を細め、


「僕とクォーターはとても仲が良かった。先代の侯爵にも良く面倒を見てもらってね、あの方を尊敬していた。むしろ、僕にとってもあの方こそが父親だったと言ってもいいくらいに。――事件が起こったのは、僕が12歳、彼が10歳の時だ。侯爵が亡くなられたとの連絡を受け、僕は彼のところへ駆け付けた。屋敷はひっそりと静まり返って、あそこまで憔悴したクォーターをみたのは初めてだった。侯爵は隣の領主との話し合いの席で襲われ、犯人は逃げたと。近衛や同じく負傷した領主から犯人は獣人だとの証言を得て、大規模な捜索が開始された」


公爵はためらうことなく「獣人」と口にした。夫人がうなだれる。


「だが誰も捕まらなかった。事件当日は大雨で、痕跡は全て洗い流されてしまっていたんだ。残っているのは領主の証言と、切り落とされた犯人の片足、それだけだった。侯爵は人望があり、支持していた貴族も多かった。やがて、貴族による獣人の弾圧が始まった」


リィンから聞いたとおりだ。

犯人探しという名の獣人狩りが行われたと、彼も言っていた。


「報復は報復を呼ぶ。さらなる混乱を恐れて開かれた諸侯会議の(のち)、発表があった。侯爵の死は流布されているものではなく「病」だったと。以後、この件に関して一切の詮索を禁ずる、と」


「……どういうことですか」


「わからない。僕はまだ領主ではなかったから、会議には出席していないんだ。ただ、クォーターは当事者として領主として参加していた。だから彼も交えての結論だったのだろう」


その会議で何があったというのか。

父の背中を思い出す。

ほんの10歳。小さな小さな体で、差別と混乱を沈めるための議場で、何を思ったのだろう。


「諸侯会議の決定は絶対だ。覆せるのは陛下のみ。だから僕は、ひそかに犯人を捜し続けた。休みの度に集落を訪ね歩き、そうしてある日妻に出会った。一目で恋に落ちた」


公爵が夫人を引き寄せる。


「僕が彼女のことを告げた時、クォーターは笑顔で祝福してくれたよ。だが今思えば、内心はショックだったと思う。親友で痛みを分かち合う同士だと思っていた奴が、仇ともいえる獣人と通じた。彼にとってはこれ以上ない裏切り行為だったろう」


悲しそうな笑顔だった。


「そこからクォーターとは少しずつ疎遠になっていった。当時、僕も自分のことで精いっぱいだったんだ。僕の両親は純血主義者だったから」


純血主義者。

耳にしたことがある。

たしか、同族の血をもっとも尊いものとし、他家の血を入れず、いわゆる近親婚を繰り返す者たちのことだ。

魔力は血によって受け継がれ、貴族の婚姻は魔力を持つ者同士で行われる。

それを究極に突き詰めた人たち。

そのほとんどは途絶えたが、今でもいくつかの血筋が残り、血統を守っているときく。


「今回、娘の避難先を探していると聞いて、真っ先に手を挙げたよ。ブロッサム公の屋敷も候補に挙がっていたみたいだが、あちらは王都の端だから通学に不便だろうと言ってね。これをきっかけに話ができればと思ったんだが……」


顔が翳る。

おそらく手紙か、補佐が間に入ったかして会えなかった。


「クォーターは君のことを本当に心から大切にしている。そうでなければ、今更僕の手を借りようなどと思うはずがない。君にこんなことを頼むのは間違っているとわかっている。それでも、どうか、お願いだ。クォーターを支えてあげてほしい。彼は独りだ――ずっと、独りなんだ」


私の手を強く握る公爵の声は、震えていた。彼にとって、父は今もまだ大切な親友なのだろう。

父を想う。

祭りの時、リィンを紹介した私を父はどう思っただろう。また、裏切られたと思ったのだろうか。

夕刻になり、兄とセルジュ様が帰ってきた。

力なく出迎える私を兄は何も言わずそっと抱きしめてくれる。私もそれに甘えた。

過去に何があったのか、父が何に苦しんでいるのか、私は知るべきだ。

行動するなら早い方がいい。父が王都にやってくる前に。

当時を知る人で今も現役の方と言ったら一人しかいない。その方に会いに行こう。

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