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38 過去の遺恨 1

開いた口が塞がらない。

窓からは柔らかな光が降り注ぎ、金泥で装飾された天井や大理石の床、柱を照らしている。壁には年代物の絵画と装飾品が飾られ、飴色に磨かれた家具もまた反射した光に照り輝いていた。

あまりの眩さにソファに倒れれば、土の女神が優しく大地へとその力を注いでいる天井画が目に入る。


「わざわざ私と同じ加護の部屋にしてくれたのね……」


ということは、このすごい客室があと11はあるということだ。

そして壁に掲げられているあの絵、見間違いでなければデサインのサインが入ってる。国宝レベルの絵画が、箱に入っているのでも、盗難防止策が施されているのでもなく、ただポツンと飾られているところがまた恐ろしい。

左右に別れ、大勢の人間が倒れ伏すその頂点、ある者はこぶしから光を放ち、ある者は雷をまとう槍を掲げている絵。神が猛威を振るっているように見えるが、あれは人間だそうだ。


「シニリウムの戦い……だったかしら」


歴史で習った。

かつてこの国に侵攻してきた騎兵を、魔法を操る数名の領主と彼らが率いる中隊が打ち負かした歴史的大勝利。

魔法の凄さと大切さを説くのに必ず挙げられる。そして、貴族の特権を語る際にも。


「……そういえば学院の図書館は公爵の寄贈だったわ」


納得の内装だった。

ここは公爵のタウンホーム。ナイトスター邸の一室。そして、しばらくの間、私の私室となる。


「フォ-ロマンの本宅より豪華かもしれない……」


今、兄はいったん屋敷に戻り、荷物をまとめる侍女たちを指揮している。

私も連れて行ってほしかったのに、こちらの方が安全だからと承諾してもらえなかった。

そもそも放課後、なぜか一緒に帰ろうとセルジュ様に声をかけられ、辞退したのに女生徒の悲鳴の中を手を引かれて乗った馬車には兄がいた。

そこで、父が近日中に領の騎士団を連れて王都にやってくること、それまでの間、ナイトスター公爵に保護をお願いしたことを聞かされた。

なぜ保護が必要なのかは兄も教えてもらえなかったそうだ。念のためとしか言われなかったと。

そんな説明をうけ、あれよあれよという間に公爵邸に連れてこられての状況だった。

全くもって理解できない。

ただ、一つだけもしかしてと思うことがあった。 

先日送られてきた、あのナイフ。

あれについて父に手紙を出した矢先のことだった。エリーシアさん宛てと言わずに出したのがまずかったのかもしれない。父は私が脅されていると考えたのだろうか。だが、それにしては騎士団も連れてくるというのは仰々しすぎる。

そういえば、あのナイフは普段祖父の部屋に置かれている。祖父に関係するものなのだろうか。

亡き祖父を語るとき、いつも父は誇らしげだった。どれ程優れた人物か、どれほど慕われていたか。ただし、それ以外は祖父について教えてもらえなかった。かつてアスター卿の屋敷でリィンからきいた話を問えば、ただの噂だと笑顔で一蹴され、以降、口にすることも許されていない。


「……おじいさまとあのナイフ、どういう関係なのかしら。どうしてお父様は何も教えてくださらないの……」


そして、それが今の私の状況とどう重なるのか。

ノックの音で現実に引き戻される。

奥様のご準備が整いました、とメイドの方に案内され向かったのは夫人の部屋。

そこにはセルジュ様も揃っていた。ソファーにゆったりと腰掛ける女性を守るように後方に控えている。

セルジュ様と同じ銀色の髪の美しい夫人。ルイザ様には見られないセルジュ様の容貌は、全てこの方から受け継いだのだと一目でわかる。

だが、伺っていた通り病的に細く、ずっとベッドの上なのだろうか、かなり筋力が衰えているのが服の上からでも見て取れた。それに、獣人と教わったはずだけれど……いえ、これ以上じろじろ見るのは失礼すぎるわ。

疑問を飲み込んで、


「ナイトスター公爵夫人、わたくし、オールドローズ・フォーロマンと申します。突然のこのようなお願い、御迷惑にも関わらずお受けいただきましたこと、あらためて感謝申し上げます」


顔を上げる。

夫人はにこにことこちらを向いたままだった。返事はいつまで経ってもない。なにか心証を害するようなことを口にしてしまったのだろうか。

私の不安にセルジュ様が、


「母は尾と耳を落としている。故にまっすぐ歩くこと叶わず、また音を捉えることも叶わぬ。だが、ゆっくり話せば、唇の動きを読んで会話ができる」


さらりと衝撃的なことを言われた。


「……それがこの家に入る条件だったのだ。当代の領主からの」


悔しそうに目を伏せる。

当時の領主というと、セルジュ様の祖父母になる。もう亡くなられているはずだが、母親の血を半分ひく彼もまた、さまざまな軋轢があったのだと窺えた。

何も言えないでいる私を察して、夫人が明るい声を出す。


「ふふっ、ちょっと耳が遠くて、ごめんなさいね。私はむしろ、夜会などに出なくて済んで助かっているくらいなのだけれど、フォーロマン様にもご迷惑をおかけするわ」


「迷惑などございません」


顔を見て、はっきりと告げた。

勧められたソファーに腰を沈めると、夫人がそっと顔を覗き込んでくる。少しだけ不安そうに。


「私が、お嫌ではないかしら?」


「そのようなことは決して。わたくしの言動こそ、さぞ今までご不快だったでしょうに、こうしてご助力いただき感謝のしようもございません」


申し訳なくて、泣きそうだ。

きっと、かつての私は先代の公爵と同類だった。改めて過去のローズの罪深さを突き付けられた思いがする。


「息子から聞いている通りの、素敵なお嬢さんね。自分の家だと思って、ゆっくりしてちょうだい。ほしいものがあれば遠慮なくね? そうそう、今日の晩餐は張り切ってもらっているのよ。期待していてね」


ローズちゃんと呼んでいいかしら、との夫人の提案に、よろこんで、と答える。

落ち込んでばかりいては逆に夫人に失礼だ。気持ちを切り替え、しばらくの間3人でお茶を楽しんだ。


「ローズ嬢、少し時間をいただきたい」


晩餐まで少し夫人を休ませようと部屋に戻る途中、そう言ってセルジュ様に案内されたのは歴代の公爵たちの部屋だった。

壁一面に飾られた肖像画は、一人で描かれているもの、家族で微笑みあっているもの、時代時代の公爵の人となりが窺えるものばかりだ。ただ、その全てが同じ髪色同じ目の色、同じような顔立ちという異質さを除けば。

ナイトスターの一族は皆美しい。

その言葉の意味をはき違えていたと、ここにきて私は理解した。

セルジュ様は、その中の一枚、厳しい顔つきの紳士と神経質そうな女性、そして真面目な顔で並んで立っている少年の絵の前に立った。


「……なにから話せばいいのか――私の父が母に初めて会ったのは、まだ学院に行く前だったと聞いている。一目見て夢中になり、母もまた父を愛しく思ったそうだ。だが、当然ながら貴族と獣人の交際には反対しかなかった。何年もかかって、周囲の協力もあり何とか両親を説き伏せ、ようやく辿り着いた結婚の際に出された条件が、獣人であることを捨てるというものだった。父は拒否した。だが、次に父が会いに行った時、すでに母は覚悟を決めた後だった」


セルジュ様が辛そうに目を伏せる。

大切な人が、自分の身内のせいで一生の傷を負うことになれば、その胸の痛みは計り知れない。先代の公爵夫妻は、夫人にだけでなく公爵の、そしてその子どもたちの心にも、消えない傷を残した。


「無情な条件を呑んだにもかかわらず、屋敷に入ってからも母への風当たりは強かった。風向きが変わったのは、姉が生まれた時だ。彼女はナイトスターの力をその場にいた誰よりも強く受け継いでいた。髪の色も瞳も魔力も。女であることだけが唯一の問題であり、だからこそ、次が期待された。やがて、待望の男子が生まれた」


彼は乾いた笑いを漏らす。


「だが、皮肉なことに公爵家を継ぐはずのその者は、父と母、両方の能力を半分ずつ受け継いだ半獣だった。祖父母は失望し、ますます母につらく当たるようになったそうだ」


嘲るように「半獣」と言う。それが聞いていてとても辛かった。


「ローズ嬢、すまない。私は祖父母が嫌いだった。憎んでさえいた。そんな祖父母から母を守ることができない無力な己にも怒りを覚えた。そして、その恨みを愚かなことに貴女にぶつけていた。私の貴女への悪意の根底には、そのような思いが潜んでいたのだ。本当に、すまなかった……」


小姑のようにいびってきたことを言っているのだろう。

とっくの昔に忘れていたし、ゲームでローズがヒロインにしたことを思えば大したことではないと言うのに。


「気にしておりませんわ。どうぞ、お忘れください」


「そういう訳にはいかない」


私が気にしないと言ってるのだから、流してくれればいいものを。

彼の真っ直ぐなところは美点と言えるが、こういう融通の利かないところは難点とも言える。


「……セルジュ様、かがんでくださる?」


突然の言葉に首を傾げながらも、彼は素直に従う。

その頭をがしっと掴んだ。


「くふっ?!」


セルジュ様が変な声を出す。

それはそうだろう。私は例のウィークポイントに触れているのだから。


「す、すまない、ローズ嬢。できれば、そこには触れないでいただきたい」


セルジュ様はぷるぷる震えて耐えている。

黙れとばかりに力を込める。くぅ、と再び彼がうめいた。


「よいですか、たとえわたくしにどんな理由があったとしても、わたくしの行動は責められて然るべきものです。そして、いかなる事情があろうとも、幼い貴方も含めて、貴方が謝るべき事由は一切ございません」


確かに謝罪は受けておらず、なぜ今になってと疑問をもたないでもないが、きっと彼の中で全てを話すには消化しきれていなかったのだろう。あるいは、夫人と話している私を見て、彼なりに思うところがあったのかもしれない。

ティアット公爵に招かれた夜会での彼の姿を思い出す。

私は彼が一人でいるのはその性格のせいだと思っていた。けれど、違うのだ。長い間受け継がれていたものとは異なる容姿、夫人が姿を現さずとも――いや、現わさないからこそ、貴族たちは察したはずだ。

どんな思いで、彼は一人、あの場に立っていたのだろう。

そして、どうして私はあの時嫌味を言ってしまったのだろう。今となっては後悔しかない。

彼は祖父母を憎んでいたと言っていたけれど、多分本当に憎んでいたのは自分自身だったのではないだろうか。

だとするなら、彼はもう許すべきだ。

自分の行ったことを、そして何より、半獣という自分自身の存在を。

さすがに堪えきれなくなったのか、私の手を掴む。だが、紳士な彼はそれ以上の無体なことはしなかった。


「返事は「はい」で結構です」


「…………はい」


私を掴んだまま、消え入りそうな声でセルジュ様が言葉を口にする。

彼の手は震えていた。


「ふふっ、よろしい」


子供みたいな返事に思わず笑ってしまう。

突然、彼の腕の中に引き寄せられる。


「ローズ嬢、どうか、今しばらくこのままで……」


息が詰まるような強い力。

けれどそれは、抱きしめると言うよりは縋るようで。だから、


「……お気のすむまでこちらにおりますから」


私は目を閉じて、何も聞こえないふりをする。

どうか、彼の傷が少しでも癒されますように。そう、願いながら。

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