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34 祝祭に向けて 2

フォーロマン領。

おもな輸出品は農作物であり、その取扱い量は王国最大を誇る。

領民も農業に携わる者が最も多く、一番栄えている領都ですら一歩街を離れれば、麦やアブラナ、ブドウ畑の豊かな田園がどこまでも広がっている。

よく言えば牧歌的、悪く言えば田舎という、この長閑な雰囲気こそが、残念なことにローズは嫌だったらしい。

現在、そのフォーロマンでは豊かな成長と実りを神に願う祭りが開催されている。布、宝石、鉱石、様々な特産品、普段は見られないような珍しいものが、祭りの間だけは領都に集まるのだ。

今日は一日、兄と街を視察することになっていた。


「お兄様、ご覧になって、このフルーツ! 見たことがないわ!」


私が指さした果物、親指と同等くらいのサイズで形は楕円、色は真っ赤だ。一粒一粒はとても小さいのに、辺りには熟した独特の甘い香りが漂っている。


「こちらは、ずっと南の小さな王国にしか実らない果物なんです。甘くておいしいですよ」


「どうやって食べる?」


「先端に切れ目を入れて押し出すんです。するっと剥けて、一口で食べられます」


「なら、一つもらおう。剥いてくれ」


兄は、食べられるよう削ってもらった果物を受け取ると、にっこり笑って、


「ほら、ローズ、口を開けてごらん」


え? あーんしろってこと? いやぁ、それはさすがに……。


「早く食べてくれないと、兄さまの手が汚れてしまうよ」


確かに汁気の多そうな果肉は切れ目から水分をのぞかせており、今にも兄の指を伝って零れ落ちそうだった。そして兄は笑顔でこちらにそれを差し出したままで、動きそうにない。

ええい、ままよ。

目を閉じて、言われた通り口を大きく開けた。

甘い香りと共に、舌の上にフルーツが載せられる。

兄の指が、かすかに唇に触れた。

果汁を多分に含む果肉は、噛むたびに南国の果物らしい濃厚な甘みが口の中いっぱいに広がっていく。兄の手には剥いたフルーツの赤い皮だけが残されている。


「とっても甘くておいしいわ!」


何個かお土産に買って帰ろうかと迷う。

ふいに、ローズ、と声をかけられ、口元をぬぐわれる。果汁がついていたらしい。そして兄はぬぐった指をためらうことなくぺろりと舐めた。


「……確かに、甘いな。兄さまはこの一口で十分だ。さぁ、次に行こう」


……王道よね。ええ、王道よ。さすが攻略対象。ただ、悪役令嬢にするものではないと言うのが大きなポイントよね。

そして、見る分にはいいものだけれど自分がされたら死ぬほど恥ずかしくて、ときめくとかそういう問題ではないということも知ったわ。

私の胸の内など知らない兄が、楽しそうに次の屋台を指さす。手はずっとつながれたままだ。そして、まだ日は上ったばかり。

免疫のない私の心臓は早鐘のようになっている。


「わたくしの心臓もつかしら……?」




陽は沈みかけている。夜ももちろん祭りは続くが、私たちは屋敷へと戻った。

どうにか1日を生き延びられたらしい。

もう今日はいろいろとあれだった。何というか、あれだった……。

夕食を終え、することのない私がうろうろしていると、街で仕入れた情報を父に報告し終えた兄が、2階のバルコニーに居るのを見つけた。

そこは街を一望できる場所だ。


「おいで、街の明かりが良く見える」


私に気づいた兄の手招きに応じて隣に並ぶ。

もう遅い時間だと言うのに、石畳の上をたくさんの人が行きかっている。豊穣祈念と収穫祭、この2つの間だけはこの街は眠らない。路上を行く人々の顔はおしなべて明るかった。


「去年、もうこの景色は二度と見ることがないのだろうと思っていた」


懐かしむように彼は言う。


「まさかもう一度、いや、これからも見られるだなんて、今でも信じられないときがある」


ローズのおかげだ、と頭を優しくなでてくれる。


「お兄様が頑張ってらっしゃったからですわ」


世辞ではなく、本当にその通りだと思う。

私がやった事といえば、兄をかばって乳繰りと勘違いされたことくらいだもの。

賑やかな声がかすかに風に乗って流れてくる。街の明かりはここまでは届かない。今私たちを照らしているのは月の光だ。

しばらく私たちはその声に耳を澄ます。幸せそうな笑い声に溢れた街を見守る兄の顔は、とても穏やかだった。諦めることでしか生きられなかった、かつての彼はもうそこにはいない。


「ローズ……」


顔を上げた兄が私の名を呼び、言い淀む。いつもの通り言葉を重ねようとして、迷っているかのようだった。

やがて彼はこちらに手を伸ばす。前髪をかき分け、私の額にゆっくりと顔を近づけて、口づけをひとつ落とす。

それは普段の彼からは想像できない程ひどくぎこちなくて、だからこそ、そこに彼の心が見えた気がした。壊れ物を扱うかの如く優しくかき抱かれる。

声が降ってくる。

その最後の言葉は吐息のように密やかで、虫の声のしない夜だからこそ辛うじて聞き取ることができた。


「本当にありがとう――……大好きだよ」

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