31 不穏な気配 2
右、安全ね。
左、怪しい人はいないわ。
「あ、あのオールドローズ様?」
「えっと、エリーさん、ごめんなさいね。先日から周りをうろうろしてしまって……」
「いえ、私はオールドローズ様とご一緒できて、とても嬉しいです」
エリーさんがはにかむ。じ~んときた。
なんというか、こういう時に自分でも驚くほど感動に打ち震えてしまうのは、ローズの性なのだと思う。
シシー様とのことだって、よく考えれば殿下に出会う切っ掛けが増えてしまうという事実に気づけてもよかったのに、「お友達」という言葉に喜んで即承諾してしまった。
ローズも実は心のどこかでずっと寂しかったのだろう。
そんなことを考えていると、一人、おかしな動きをしている男子生徒に気が付いた。場所は空いているのに、明らかにエリーさん寄りに歩いてきている。
容疑者発見だわ!
念のため彼女と生徒との間に体を割り込ませようとした時、突然彼が向きを変え、こちらに近づいてきた。予想もしていなかった行動に咄嗟に対応できず、
「オールドローズ様?!」
気が付けば、私の体は宙を舞っていた。エリーさんの悲鳴が聞こえる。
危機的状況には脳が驚異的な働きを見せるとは聞いていたが、こういう時本当にスローモーションになるのだと知った。
遠ざかる最上階、必死に手を伸ばすエリーさん、天窓から差し込む光。
今日ってこんなにいい天気だったのね。
助かるだろうか。医療がまだ発達していないこの世界で大怪我を負えば、命を失うことにつながる。
本来このイベントで、エリーさんの代わりに怪我をしてしまった殿下を彼女は魔法を使って治そうとする。その際、彼女の殿下への純粋な想いが魔法に上乗せされ、治癒から修復へと能力が昇華されるのだ。
傷を治すだけでなく、千切れた腕なども再生させてしまうほどの力。彼女が光の聖女と呼ばれることになるきっかけのイベント。
私が殿下と同じような怪我をしたとしても、エリーさんが目覚めることはない。そのままこの世界からドロップアウトだろう。
衝撃が体を襲う。思ったよりも痛くなかった。
どうせならこのまま安らかに――、
「……怪我は?」
少しだけハスキーで落ち着いた声が降ってくる。日本人の性だろうか、こういう時ですら「大丈夫です」と答えようとして、
「――って、ででっでっでっでっ、殿下?!」
余りの動揺に下手なラップのように呼び掛けてしまう。
私は殿下に抱き留められていた。当然怪我など負っていない。
「も、申し訳ございませんっ」
慌てて降りようとするものの、
「暴れるな。フロアまで行くからおとなしくしていろ」
しっかり運ばれてしまった。
下り口でやっと降ろされた私に涙目のエリーさんが駆け寄ってくる。
「お怪我は?」
「平気よ。あの、ユーリウス殿下、お助けいただき真にありがとうございました」
学院に居るなら言ってほしかった。そうしたらこんな体を張るようなことしなくて済んだのに。
情けないが八つ当たりとしか言えない思いがこみ上げてくる。本当に怖かったのだ。
そして、殿下がここにいると言うことは、もしかしなくとも彼女のイベントを私がぶち壊しにしてしまったということだ。
これは困った。私は自分の将来を守りたいだけで、彼女の恋を阻止したいわけではないというのに。
「オールドローズ嬢」
「は、はい」
「今後は……周囲に警戒するといい」
いきなり降ってくるんじゃないってことね。ええ、わかっております。私だって、自らの意思でアイキャンフライしたわけではないのだ。睨まないでほしい。
「はい。胸に刻んでおきます……あの、殿下」
去ろうとした彼を呼び止め、
「あの、エリーシアさんの周りにあまりよろしくない影が。どうかお心に留めていただけないでしょうか」
彼女に聞こえないように声を潜める。
「……わかった。気に掛けておく」
「ありがとうございます!」
今度こそ去っていく殿下を見送る。
これでエリーさんは大丈夫だろうし、私が要らぬおせっかいで彼女の邪魔をすることもない。安心だ。




