26 王宮の茶会
「ローズ、このおかしおいしいよ!」
「ありがとうございます、シャーロット様」
屈託のない笑顔に自然とこちらも頬が緩む。
今日はシシー様と共に、姫殿下・シャーロット様のお相手として王宮に呼ばれている。
学院のお茶会で使ったお菓子と同じものをシシー様が姫様に献上して、それがいたくお気に召したらしい。お茶会ばかりなのは、今が社交シーズンだから仕方ない。
母親が異なるからだろう、殿下とは違う髪色で黄色い大きなリボンがシャーロット様にとてもよく似合っていた。目は同じ柔らかな翠玉の瞳。
ほのぼのとした雰囲気の中、突然シシー様がすっと立ち上がって、渡り廊下に向かいカーテシーを取る。慌てて私も倣った。
いらしたのは第2王妃、殿下の母親で姫殿下の義母。
ゲームでも2度ほど殿下ルートで顔を見せる。
最初は殿下のお茶会に招かれた時、通りすがりに下界の臭いにおいがするとしかめ面をされるのだ。2回目は、聖女として認定された時。今度は手のひらを返したように王子に相応しい女性だと絶賛される。どちらにしろいい印象はない。
その彼女はこちらを一瞥しただけで、通り過ぎていった。
シャーロット様はおびえたように私たちの後ろに隠れている。
「シャル、ここにいたのか」
掛けられた声に私もおびえた。
振り向かなくても分かる。殿下だ。まさかこんなに早く再会するとは。
普段、殿下はこの庭園には顔を出さないときいていたから、承諾したのに!
再びお辞儀をする私とシシー様の前を通り過ぎ、殿下がシャーロット様を抱き上げる。
「先生が来ている。もう勉強の時間だろう?」
「べんきょ、すきじゃない」
遊びの時間を邪魔されてすねる王女に、殿下が優しく笑いかける。
「終わったら、遊んであげよう。昨日の人形遊びの続きをしよう」
「ほんと?! シャル、がんばってくる!」
「では、お部屋までわたくしが付き添います。さぁ、参りましょう、シャル様」
えっ?
シシー様がシャーロット様の手を取り、宮殿奥へとあっという間に姿を消す。後には、私と殿下だけが残され――よし、私も帰ろう。
暇を述べようとした瞬間、腕を引かれた。
「で、殿下? いかがなさいましたか?」
彼は無言でこちらを見つめている。
怒っていると思われる。そして私にはその心当たりがある。
以前、学院のお茶会で殿下と同席したとき、私は彼を「王太子殿下」と呼んだ。実は、彼を見送った後、シシー様に言われたのだ。殿下はまだ後継者としての指名を受けていない、と。
通例なら、成人した際にその宣言がなされるはずなのだが、なぜか今年の成人の儀で殿下は何も言われなかったらしい。会場が騒然としたのを覚えておりますわ、そうシシー様は語っていた。
そんなこと、知らなかったの!
ゲームだと「王太子殿下」の設定だったし、近づきたくなかったから成人の儀も観に行かなかったし!
つまり私は図らずも「やーい、後継者(仮)」と煽ったという訳だ。
今すぐ謝るべきかしら?
でも謝ることで再度傷をえぐるような事態になったら?
「平民落ち」という言葉がぐるぐると頭を回る。
「あ、あの……手をお放しください」
「君、最近僕に話しかけなくなったね」
にっこりと人好きのする笑みを浮かべて、殿下が言い放つ。私の言葉は無視である。
「そ、そうでしたでしょうか……」
「どうして?」
「殿下にはシシー様という立派な婚約者様がいらっしゃいます。それなのに、わたくしがシシー様を差し置いて殿下と友好を深めようなど不敬なことであると、やっと理解いたしました!」
こういう時のために以前から考えておいた口上を一気に伝える。
「友好なら、別にかまわないんじゃないかな」
「いえ、男女の仲など口さがない者から見ればなんと噂を立てられるか」
「君は、異性の友情は成立しないと思っている?」
「……そんなことはございません」
はい、とは言えなかった。言えば一緒に過ごしてくれるリィンやセルジュ様に迷惑が掛かってしまう。
「そうだね。それなら、僕と友達になるのはいいのではないかな。ねぇ、ローズ、今の君は、とても魅力的だよ」
遊んでいた私の髪を指に巻き取ると、そっと口づけを落とした。
想像もしていなかった展開に固まってしまう。
しかし、次の瞬間我に返った。
……呆れた。
この男、良くも悪くも為政者だわ。人の使い方を分かっている。
こういうことを言えば、ローズが王子のために動くとわかってのこの態度だ。なぜなら、確かにかつての私の部分が少しうずいたのも事実だから。
だが、見くびらないでほしい。もう私は昔の私ではないのだから。
「お放しください、殿下」
髪に触れる手を振り払った。
珍しく殿下が言葉もなくあっけにとられている。私に拒絶されるなどとは一切考えていなかった顔だ。
「お許しくださいませ。かつてのわたくしへの態度とはあまりの違いように、少々驚いてしまいましたの」
「そう……だったかな」
「ええ、わたくしなぞ群がる有象無象の一つに過ぎなかったでしょうに、殿下こそいかがなされたのです?」
彼に焦りが見える。
「いや、オールドローズ嬢、君は誤解をしているよ。僕は決して君をないがしろにしたつもりはない。ただ、一部の貴族に肩入れすることは王族として許されない。だから――」
「ええ、そうでしょうね。殿下が公平で皆にその愛を惜しみなく注がれるよき方だと、わたくしは十分存じております。ですので、今後二度とこのようなことはなさらないで下さい。わたくしたち臣下は、国に、そして民を導く王家に仕えるために存在しております。決してあなたの都合の良いお人形ではございません」
ローズは確かに愚かな娘だった。相手の迷惑も顧みず、周囲のすべてを邪魔者とみなし、自分の想いのままに行動していた。殿下もさぞ煩わしかったろう。
だとしても、今、その心を利用していいわけがない。
もう話すことはないと立ち上がる。
「ああ、最後に申し伝え忘れておりました。申し訳ございません。わたくし、もう貴方に恋などしておりませんの。ではごきげんよう、殿下」
今度こそ振り返ることなく、まっすぐに帰った。