21 春
春の暖かい風が花を巻き込んで舞い上がる。ふわりと私の髪も踊った。
町並みこそヨーロッパ調だが、日本のゲームだけあって、この時期は街のいたるところで桜に似た花が咲く。
新学期を明日に控えた日のこと、リィンから話したいことがあると連絡をもらっていた。
春休みのため今は人の姿が見えない学院前のこの通りも、明日には大勢の生徒で溢れかえる。そして、その中にはヒロインの姿も。
この9か月、自分なりに頑張ってきたつもりだった。
虐めは一切行っていないし、お兄様はレオにならず、リィンは魔法学院のまま、セルジュ様の誤解(一部事実だけれど)もとけ、殿下とは一切の接触がない。
ゲームの設定とは大分と異なる私のスタート。
これが今後どう影響していくのかは分からない。
それでも良い方に向かっていると信じたい。
「花がとてもきれいですね」
リィンの声で我に返った。
もう約束の時間だったらしい。振り返れば彼が立っていた。
「リィン、……貴方、その恰好……」
声が震える。
穏やかに微笑みこちらを見つめるリィンの姿。ゲームで何度も見た、あの姿。
希望を打ち砕くように、私と彼の間を風が吹き抜ける。息が止まりそうだった。
黒い詰襟の上衣に揃いの下衣。袖章にある二本のラインは確か爪と牙を表す。マント、手袋、剣帯、佩用している剣の鞘もなにもかもが黒で統一され、唯一、両袖にぐるりと刺繍された、正義と公正を謳う神を称える紋様だけが金色。
「……それ……「狼の門」の……?」
私の言葉にリィンがほほ笑む。
「はい。入学が決まりました。オールドローズ様に一番にご報告したくて」
くらり、とめまいがしたのを必死にこらえた。
映画や小説で、タイムスリップした主人公が悲惨な過去を改変するものの、のちにそれが打ち消され、行きつく先は結局同じというのを見たことがある。たしか、歴史の修正力といっていた。それが今、ここにも働こうとしているのではないだろうか。
リィンだけではない。お兄様だってそう。レオ様ではないのにまるで彼のように、最近は顔を合わせるたび歯の浮くようなセリフを囁く。まぁ、そういうセリフならセルジュ様も口にするけれど、彼は攻略対象ではないのでノーカンとする。
「……で、では、学院をお辞めに?」
「いえ、正確には、科目履修生です。学籍は魔法学院に置いておき、一部の科目のみ向こうの授業と振り替えで受ける予定です」
単位互換協定、とリィンは口にした。
「今まで利用した者はいなかったそうですが、許可がおりました」
そんなものがあるのすら知らなかったが、実績者がいないのは、そもそも「狼の門」に入ることが相当難しいからだろう。魔力さえあれば受け入れる魔法学院とは異なり、あちらは完全実力主義だ。
「今後は週の大半は「狼の門」で残りはこちらで学ぶことになります。両立が難しいのは重々承知していますが、騎士になろうと思います」
「騎士に……?」
「はい」
リィンの決意に同調するように一層強い風が吹く。舞い散る花びらが視界を奪う。
花吹雪の間から見える彼は、ただ真っすぐにこちらを見つめている。少し前までは穏やかな表情が多かったのに、最近は凜とした顔を見せることが増えた。
「アスター卿のご厚意を断っておきながらおこがましいのですが、やはり自分の力で手に入れなければその資格はないと思っていますので」
なにかは分からないが、その目指すもののために騎士を志すということだろうか。騎士すら手段でしかないのだとしたら、リィンが得ようとしているのは相当のものなのだろう。
ゲーム展開に不安がないと言えば嘘になるけれど、人生の中で虐げられることのほうが多かった彼が未来を見据え、前に踏み出そうとしているのだ。
その背に唾を吐きかけるわけにはいかない。
「応援しているわ。頑張ってね、リィン」
「はい、ありがとうございます」
彼の笑顔のようにあたたかな花風が吹き、制服のマントが翻る。
まるで本物の騎士のように。
リィンは私の前までやってくると片ひざをつき、恭しく私の手を取った。
2人の間に、花びらの間に、言葉が紡がれる。
それは、「狼の門」で最初に教わる言葉。
そして、ゲームで最後にヒロインに誓う言葉。
生涯にたった一度だけ捧げることができるという、「騎士の誓い」。
愛や友情よりももっと原初の、魂への賛美からなる文言。
リィンの髪に、私の肩に花びらが降り注ぐ。
宣誓が終わるとともにそっと手の甲に口づけが落とされた。
「オールドローズ様、僕には僕の運命が見えません。ですから――今はただ、僕の運命が貴女へとつながっていることを願っています」
――いよいよ明日、ゲームが開始する
第1部 完
2部完結
[Side]ののち、第2部に続きます。数日空けたのち、予定しております。
ユーリウス、シシー、ヒロインは第2部で登場