19 アスター男爵邸での出来事 5
これで日常に戻れると思った矢先、セルジュ様から手紙が届いた。
アスター卿が快復したらしい。奥様や息子さんによい報告がしたいということで、改めて領地の改革や立て直しなどいろいろとナイトスター公爵が力を貸すことにしたそうだ。
その詳しい報告と、男爵からお礼の品を預かっているとのことで会って話がしたいとの内容だった。
「公爵家にはこの度の件、いろいろとお力をお貸しいただき、誠にありがとうございました。感謝しておりますわ」
「いや、頭を下げる必要はない。友を助けるのは当然という貴女の言葉を借りるなら、私もまた貴女という友を助けたに過ぎないのだから」
「まぁ……」
いつのまに友達になったのだろう。このままグッバイする予定なのに。
「それに、獣人の領主が増えるのはナイトスターにとっても悪いことではなかったのだ」
「どういうことですの?」
あとから考えれば、私はここで訊くべきではなかった。
そのまま、そうでしたので終わらせればよかったのだ。
なのに、尋ねてしまった。
「一部の人間しか知らないが、私は、半獣だからな」
「まぁ、そうですか、半じゅ……なんですって?」
とっさにセルジュ様の頭とお尻を交互に見つめてしまった。
何もないように見えるけれど、隠しているのだろうか。だとしたらなんて上手なのかしら。
「そんなところを見つめないでくれ。見た目は人間だが、貴族の父と獣人の母、それぞれの能力を受け継いでいる」
そんな裏設定があるのか、と驚くと同時に、だからか、とひどく納得もした。
この氷の貴公子、一見優男で華麗に魔法を操ると思いきや、両手持ちの大剣を片手で軽々と扱える程の力ももっている。
不思議だなとは思っていたが、結局ゲームでは明かされることがなかった。
半獣だからなのね。あぁ、謎が解けてすっきり……というわけにはいかないことに気が付いた。ゲームで知り得なかった情報、つまりヒロインにも打ち明けていない秘密をなぜ私に話す?!
「ローズ嬢」
「ひぃっ」
距離を詰めてきたセルジュ様にとっさに悲鳴が出た。
だが、彼はそれを気にした様子も見せず、
「自分からこのことを話したのは、貴女だけだ。どうか、これを私の信頼の証としてみてほしい」
さらさらとこぼれる白銀の髪から静かな、だがどこか熱をはらんだ目を向けられる。
それよりも、顔が、ちかい。
髪と同じ色の長いまつ毛に縁どられた切れ長の青い瞳、すっと通った鼻筋、私よりも白くきめ細やかな肌に品の良い唇。美術品と例えられるその意味がよくわかる。
ナイトスターの一族は皆美男美女で有名だが、その中でも彼の美しさは頭一つ抜いているそうだ。
一応自分も負けず劣らずの美女のはずなのに、こんな美形に長いこと見つめられたことなど、前世も含めてない。
顔が熱い。真っ赤になっているのが自分でもわかる。
おかしい。
以前は、それこそローズと会うたびに眉をひそめ、ゴミを見るような目で見ていたというのに。
あの貴方はどこに行ったの?
今のこれは何。
夢を見ているのかしら、私?
混乱している私の手は、いつの間にかセルジュ様によって彼の頭に添えられていた。
頭頂部から耳に至る途中、かすかにこぶのようなものがあるのに気が付いた。丁寧に触れなければわからないほどの小さな隆起物。
「耳の名残だ」
「まぁ、これが……」
顕性と潜性の遺伝子が逆転していれば、彼のこのあたりに耳が生えていたということか。このきれいな顔にぴょこんとたった獣耳を想像して思わず笑ってしまった。
絹のように細い髪の毛がくすぐったく、また軟骨のようなこりこりとした触感が面白くてさっきまでのことも忘れひたすらその感覚を楽しんでいると、
「んっ」
妙に艶めいた声がセルジュ様から漏れた。
思わず手が止まる。
「す、すまない。その……思いのほか、鋭敏な場所のようだ。他人に触れさせたのが初めてだったので気が付かなかったな」
よく見れば、彼の顔が赤い。目もうるんでいる。
「い、いえ、私のほうこそ失礼いたしました」
よもやこんなところが性感帯とは思わず、ごりごり触りました。お恥ずかしい。
「……あ、ああー、もう帰る時間でしたわ! 門限!」
結局、変になってしまった空気をどうすることもできず、逃げるように屋敷を飛び出す。
その帰路の最中、馬車に揺られつつふと思い至ったことがある。
ゲームにおいて、あれ程までにセルジュ様がローズを嫌っていたのは、その性格以上にローズが獣人差別主義者だったからではないのか、と。彼女の獣人への暴言を耳にするたびに、セルジュ様は己のことをひいてはナイトスター家のことを言われているように感じていたに違いない。
公爵家の長子として、勉学に武芸に何ら恥じることのないよう邁進してきた彼にとって、獣人の血というそれだけで彼の努力どころか人格すら否定するローズの言動は、耐え難かっただろう。本当に申し訳ないことをした。
だが、もう以前の私ではない。
正直、生き残りの眼目である危険人物に近づかないというのはまたしても守り切れなかったけれど、少なくとも悪い方向にはいかなかったはず。今後、殿下はもとより彼にかかわらなければ、殿下ルートの結末は回避できる気がする。
「よし、心を入れ替えて、また明日から生き残り原則を厳守するわ!」
こぶしを突き上げ、私はそうかたく心に誓った。