17 アスター男爵邸での出来事 3
寒さで澄んだ空気に、白く吐いた息が溶けて消える。かつて手入れされていた頃は花々が美しく咲き誇っていたであろう庭園も枯れ果て、今や見る影もない。
響くリィンの言葉に、微かに密やかにささやく声が混じり始める。
と同時に、辺りに光の玉が浮かび上がった。精霊の光だ。
強い魔法を使うと、加護の力に惹かれて精霊が集まってくるのだ。
その光をかき分けるようにして、二つの影が近づいてくる。
一人はアスター卿と同じ年齢らしき女性、もう一人は線の細い妙齢の男性。
男性の目元はアスター卿に、口元は女性に似ている。とても優しそうな方だ。
この方が本当のレオナード様なのね……。
2人がアスター卿の前までやってくる。
アスター家に生まれたことを誇りに思っている、少しノイズ交じりのそんな言葉が、風に乗って聞こえてきた。
「アスター家の子でよかった。誇りだった」
聞き取りにくいからだろう。リィンが通訳してくれる。
「叶うならば、再び……」
リィンが詰まる。今の言葉は訛りが入っていた。大陸共通語が話せると言っても、この国の人でなければ分かりづらいかもしれない。
「――もう一度生まれ変わるとしても、貴方のもとに」
だから、私が引き継いだ。
兄とセルジュ様が勢いよく振り返る。
「聞こえるのか?!」
聞こえるって何が?
「……フォーロマン様には、お二人の姿も見えてらっしゃるのではないですか?」
リィンの言葉に初めて、ゲームのイベントでヒロインには両親の声も姿も届いていなかったことを思い出した。
「こちらのお二人、皆様にも見えてらっしゃるのでは……」
「いや、精霊の光がみえるのみだ」
私も、と兄が続く。
残念ながら私もです、とはアスター卿。
「ただ、妻と息子だというのは分かります。とても懐かしい……」
アスター卿が涙をこぼす。
「過ごした時間は短くとも、貴方からいただいたものは全てかけがえのないものでした。全てが私たちの宝です。いつか会えるそのときにはたくさんのお話を聞かせてほしい。心から愛しています」
「わかった。約束しよう。それまでもう少しの間、待ってておくれ」
少しずつ、2人の姿が溶けていく。泣き崩れるアスター卿の周りを蛍のように光が舞う。
痛いほどの静寂の中、やがて精霊は暗緑の大地から藍の空へと星のように尾を引いて駆け上る。そうして1つまた1つと夜空に溶けていった。
この世界では、人は亡くなればその魂は鳥になり、いずれ風になり、やがて精霊によって神の下へと運ばれるという。
誰一人口を開く者はいない。
「……終わりました」
静かなリィンの声で緊張がとかれる。そして振り返ったリィンは、
「貴方、目が……」
髪と同じ色のはずの目が、赤く光っている。まるで磨かれた宝石のようだ。
「やはり、見えるのですね。力を使ったからです。すぐ元に戻ります」
言葉通り、徐々に瞳は濁りを帯びていつもの見慣れた色へと変化していった。
……違う。黒ではない。
今、こうしてまじまじと見て初めて知った。
リィンの目はどこまでも赤を塗り重ねた色で、遠目に黒く見えていただけだったのだ。髪も、光に良くよく透かしてみれば、わずかに赤みを帯びているのが分かる。最後まで残っていた、弓の弦のように縦に細長い瞳孔が溶けるように元に戻る。
「……僕が気味悪くはないですか?」
耳は横に伏せられ、尻尾が不安げにゆらゆらと揺れている。言いたいことは分かる。
この国で赤い目を持つ生き物は、魔物だけだ。そしてあの瞳孔も決して人のものではない。自然と肌が粟立ったのは、この国に住む人ならば当然の感覚なのだろう。
彼の一族は一所に留まっていられないという。
彼の、どこか人と距離を置きたがる態度も含めて、その理由が分かった気がした。
「いいえ。ルビーの中に月が隠れているなんて素敵な瞳ね」
だから、この世界の常識ではなく、私の気持ちで言葉を告げた。
途端、リィンが目を見開き、そして今度は顔が真っ赤になった。驚かせてしまったのだろうか、尻尾が急にぴーんとたった。
「化け物だと言われたことはありましたが、そんな表現をされるとは……」
「だって、素敵だと思ったもの。それが、貴方の本当の姿なのね。見せてくれてありがとう」
再びリィンの顔が真っ赤になる。一度落ち着いた尻尾がまたぴーんとなっているのがなんだかとても可愛くて、私は笑ってしまった。