13 夜会
遠く、馬車の中からでもわかる程に煌々と会場はきらめいていた。
フロアに一歩足を踏み入れれば、シャンデリアに灯されているのはすべて本物の蝋燭。
街灯のように叩くと光る安物の鉱石などではない。垂れ下がる明かり1つだけでも庶民の生涯賃金に匹敵するだろう。
それだけではなかった。緞帳、絨毯、花器、音楽、会場を彩るどれもが最上級の1品だった。
「……こんなに豪勢だとは思いませんでしたわ。お兄様、わたくし場違いでは……」
季節は秋へと進み、茜色の空が群青へと塗り替わる時刻、私と兄はティアット公爵、つまり殿下の婚約者シシー・ティアット様の御両親の招待を受けて夜会に来ていた。
本来なら季節の節目やパーティーの度に休みをつぶしてドレスや装身具を新調しているのだが、その労力を学業に全振りしたツケが回ってきた。手元にあるのはローズの趣味嗜好で集められたド派手なものばかり。比較的マシなものを選んできたつもりだったが、やはりちぐはぐ感は否めない。
一方の兄は正統派な装いで黒の揃いに黒の革靴。ウエストコートも一見黒だが、目を凝らせばワイン色のストライプが入っているとわかる。タイも同色だ。父と言い兄と言いアル中を疑うレベルのワイン好きだった。
「ローズ、心配の必要はない。一輪の薔薇の美しさは百の玉石にも勝る。もし周りの目が気になるのなら、俺だけを見ていればいい」
顔を覗き込まれ、囁かれる。ちょっとドキっとしました。
兄はあの事件以来、時々「俺」という言葉を使う。
レオ様の一人称がそうだった。おそらく、こちらのほうが素に近いのだろう。やはりずっとフォーロマン家では無理をしていたのだ。それなのに妹からは嫌われ、勘違いだったとはいえ本来そっちが欲しいと言ってきたのに一方的な都合で用済みだとばかりにぽいされたとなれば……やさぐれるのも当然です。
会場を巡っていると公爵夫妻と出会うことができた。
挨拶を交わしたところで、紹介したい人がいると誘われ、兄が前に出る。私は再度礼をして一歩下がり、そのまま見送って壁まで後退した。
社交場は男性の舞台。妻でもない女に役はない。とくに勉学を優先し、こういう上級貴族の集まりに滅多に顔を出さなかった兄にとっては、この挨拶回りが侯爵家後継ぎとしての大事な繋ぎとなる。
本来なら現領主がフォローするものだが、広大な領地と安定した経営による地位をもつ父は私の母以外とは縁を結ばなかった。それゆえ後妻の座を狙う女性が後を絶たず、こういった夜会は基本的に欠席としている。
「それにしても驚いたわ……」
シシー様の御両親、ゲームでの登場はないながらも慎ましく穏やかな彼女からご両親も自然と想像できるものと思っていたが、実際のところ似ても似つかなかった。
夫妻ともにでっぷりと肥え太り、装身具のほとんどはあふれる肉の隙間からわずかに顔をのぞかせるばかり。金糸銀糸で縁どられた衣装は、脂肪を抑え込めず今にもボタンがはじけ飛びそうで、豪奢な会場と相まって、視界に入るすべてが目に痛かった。
余りの極彩色ぶりに離れたここからでも居場所がはっきりと分かる。
隣には紹介された男性と歓談している兄。そして、兄に沿う見知らぬ招待客の女性。まぁ、あの外見で恋人のいない次期侯爵ともなれば女性から熱い視線を向けられるのも無理はない。
適当なところで兄に声をかけるとして、さてどうしよう。
実は体がちゃんと覚えていた為、意外にもダンスは完璧に踊れることが判明しているのだが、相手がいない。そして、女性から誘うのは大変な恥とされている。
時間をつぶす方法を思案していたところへ、
「ほう、このようなところで会うとは珍しいこともあるものだ」
……顔を見ずとも誰だかわかる。
この方は私に何か申さなければ一日を終えられないらしい。
「ナイトスター様、学園の外でもお会いできるだなんて光栄ですわ」
ため息を隠し、顔を上げて息をのんだ。
長い手足を包むのはダークブルーの上下。淡く銀刺繍の入ったウエストコートは瞳と同じ鮮烈な青で、緩く編んで垂らした髪を結ぶリボンもまた同色だった。細い蝶リボンのタイと磨かれた革靴は黒。
前髪を上げているおかげで、彫刻のような美貌は惜しげもなくさらされ、蝋燭のゆらめきに落とされる影が一層彼を神秘的に見せている。ここが学園だったなら、女生徒の悲鳴が響き渡っていたに違いない。
目鼻口と構成は同じはずなのに、なぜこれほどまでに違うのだろうか。
「殿下はこういった催しには参加なさらない。知らなかったのか? あぁ、それともようやく分をわきまえ、相応の相手を見つけることにしたのか?」
「本日は兄のお供で参りましたの。わたくしは添え物ですわ。どうぞお気になさらず。それよりも、わたくしなぞとお話しなさっていてよろしいのかしら。他のお嬢様方が列をなしてお待ちになっているのではなくて?」
「はっ、くだらない」
しっかりと一人なのを確認しての嫌味だったのに、鼻で笑われた。
「失礼いたしました。確かに、ナイトスター様のお眼鏡にかなう女性などそうそういらっしゃいませんわね」
「なに、そう難しいものではない。心優しく、誠実であり、他者を尊び、与えられた価値観ではなく己の信念で行動できる本物の淑女――ああ、貴女とは正反対だな」
最後の言葉、わざわざ区切ってこちらを見、目を細めて言い放ってきた。
そういうところだぞ、と突っ込みたいのをぐっとこらえる。
現に今、婚約者のいない容姿端麗な公爵家長子という空前絶後の有望株だというのに、地位では一歩下がる兄の方が余程女性に囲まれているこの状況。
だがまぁ、先ほどの言葉。言い換えれば、ヒロインそのものだ。ゲーム内でそういう描写はなかったが、殿下ルートではまた彼も彼女に心惹かれていたのかもしれない。だとするなら、報われない恋に身を焦がす可哀そうな人ともいえるのだろう。
黙っている私になおも言いつのろうとしたその時、
「セルジュ君、よくきてくれた!」
ティアット公爵夫妻がやってきた。彼から小馬鹿にした笑みが消える。
「お招きにあずかりまして光栄でございます、閣下。生憎父は多忙故、私が代わりに参上いたしました」
「ナイトスター公は相変わらず忙しいのか。ならば奥方だけでもいらしてくれればよいものを」
「申し訳ございません。母は体調がすぐれませぬゆえ、今だご挨拶叶わぬ不敬をどうかお許しいただきたい」
少しだけ、ほんの少しだけセルジュ様の返答に棘が混ざった気がする。
それにしても彼のお母様がご病気だとは知らなかった。今の言葉の通り、社交の場には一度も顔を見せていないのだとしたら、相当具合が良くないのだろう。
「責めているわけではない。ただ公爵が一目ぼれして結婚したと聞いているがゆえ、その美しさを他者に奪われることを恐れて外に出さないなどと下卑た噂がある程だ。閉じこもってばかりなのも体に良くあるまい。悪い噂を払しょくするためにも、ぜひとも次こそは招待に応じていただきたいものだ」
「申し訳ございません。私からは如何とも……」
「あなた、無理強いはよくありませんわ」
夫人がたしなめる。
「どうぞご自愛くださいとお伝えください。ですが、わたくしたち交易をおこなっておりますでしょう? きっと夫人のお体にきくお薬も見つかると思いますの。わたくしたち必ず貴方たちのお役に立てますから、次の機会にはお目にかかりたいですわ」
「ご配慮、感謝いたします」
なぜだろう。夫人の体を心配しての言葉だというのに、何か別の意図が隠されているような気がしてならない。そうでなければ、これほどまでにセルジュ様の返答が固くなるはずがない。
去っていく二人を見送るセルジュ様の目は冷たい。
私の存在など忘れたかのようだった。
その向こうで、大勢の女性にたかられた、もとい囲まれた兄が見える。こちらに視線をよこすその様子から、どうやら私の出番だと察した。
「ナイトスター様、失礼いたします」
返答も聞かず立ち去る。
彼や彼のご家族に何かあるのだとしてもできることはない。関わっている暇はない。
この世界での私は、破滅へのカウントダウンが始まっている悪役令嬢なのだから。