外伝 After the “End:セルジュ”
はぁ。
と、わたしはあからさまにため息をつく。
私の辟易した態度に臆することなく、目の前の青年は朗々と自分の意見をこちらに浴びせ続けている。
2人で参加した夜会。
セルジュ様が殿方の交流会から戻ってくるのを待っていた私に話しかけてきたのは、件の嫌味を浴びせてきた紳士だった。
最初は醜聞にならない程度に応酬していたのだけれど、微妙に会話がかみ合わず要点がずれていき、最後には私とも公爵家とも全く関係のない言いがかりを続けようとしたため、話をするだけ無駄だと適当にあしらってテラスに避難したつもりだったのに、なんとそこまで追いかけて来たのだ。
こうなるとこちらに来たのは逆に悪手だった。
もちろん会場から丸見えのため、大っぴらに何かを仕掛けてくることはないだろうが、余程の大声でなければ会話を聞き取られることもない。
今は今で、花はあるがままにさせておくべきだとか何とか、品種改良の審査や登録を請け負っているフォーロマンの農業協会をあてこすることで私に喧嘩を売ってきている。
「何をしている」
人によってはひどく冷たい、でも私には待ち望んだ声がした。
セルジュ様は登場するや否や、すぐに私と彼の間に割って入ってくれる。
「彼女に用があるのなら、まず私が請け合おう」
「これはこれは……お2人はまだ婚約を交わしただけのはず。それをすでに自分のもの扱いとは、さすがですな。ああ、確か獣にはマーキングという習性があるとか。純粋な「人」である私には理解もできず、申し訳ない」
「私のことなら何と言われようとかまわないが、両親と彼女への侮辱は許しがたい。公爵家に物申したいのなら、正式な手続きを踏んでいただこう」
「家名を持ち出さねば、ここには立てませんか。半人前ならば仕方ありませんな。ご令嬢も、このようなところへわざわざ嫁入りせずとも、今のうちに考え直した方が良いのではないのですか」
今すぐ飛び掛かって殴ってやりたい!!
実家だけでなくフォーロマン家への風評も考慮してあくまでセルジュ様は冷静に紳士的に対応している。
このような方に礼儀など必要ございませんわ、そう言ってやろうとしてふと気が付いた。
何かおかしい気がする。
セルジュ様と言い合いをしているものの、相手方はやたらとこちらを注視してくる。そのわりに、目が合うとそらすのだ。
試しに微笑みかけてみる。できるだけ愛想よく。
なぜか、顔を真っ赤にして明後日の方を向いた。
「……もしかして?」
自分で言うのも何だけれど、頭の悪さと性格故に敬遠されていたものの、それが緩和されればオールドローズは十分世間に通用するレベルである。
見た目はお世辞抜きに美人だし、病弱だったせいで膨らみのある女性の部位に対してほっそりと華奢な肢体をもち、線も柔らかい。ドロテア様にさもありなんと疑われたほどには魅力をもっている。
もちろん、最初は不思議だった。
何といっても貴族の中でもトップクラス。ナイトスター公爵家とフォーロマン侯爵家という組み合わせの最強カードにあからさまに喧嘩を売るなど身を滅ぼしかねない。
それなのにということはきっと余程の信念であり、まさかそれ以外に、ごく単純な理由があろうなどとは思いもよらなかった。
「保守的な思想から絡んでいたのではなく、わたくしが本命だったのね……」
「貴方みたいな人がどうしてセルジュ様と!!」と言われるのは覚悟していたけれど、その逆は想定外だ。
とは言ってもセルジュ様以外を選ぶつもりなど毛頭ないし、ストーカーじみた態度に公爵家への誹謗、見過ごすわけにはいかない。
それに何より、彼のせいで私は将来の義理のご両親から将来の夫との別れをほのめかされたのだ。
他人が入り込む余地など無いのだと、どのようにわからせてくれよう。
「――お話の最中失礼いたします。セルジュ様、お髪がほどけていますわ。こちらにいらして?」
「? あ、ああ。――申し訳ない。少し、失礼する」
突然の私の乱入に戸惑いながらも、ご丁寧に断りを入れてから、触れやすいように彼はこちらにやってきて首を傾ける。
私は自分の頭に挿してあった紫の宝石のピンを1本抜いて、彼のこぼれた髪をまとわせ目立つ箇所に留めた。
本来女性用のものなのだが、さすが歩く芸術品ともいうべき見目、まったく違和感がない。
何なら、私より似合っていると言えよう。
「リボンも直しますわね」
絹糸のようにさらさらしているセルジュ様の髪を束ねているリボンは彼の瞳と同じ鮮やかな青。私の手首に巻かれているものとも同じだ。
それを結び直して、改めて彼を眺める。
完璧だ。つま先から髪の毛の一本にいたるまで彼のすべてが完璧だった。
そして、公爵家の総力を挙げて磨き上げられた私もまた完璧のはずだ。
今日私が着ているのは、ふわりと広がるアイボリーの絹地の上からふんだんにダイヤと刺繍が施された同色のチュールを幾重にも重ね、中央に青を差す立体刺繍の花弁を連ねたドレス。
髪にも同じ花が飾られている。
腰を締める帯は銀糸のリバーレースに色とりどりの輝く宝石を縫い付けたもの。銀糸はもちろん彼をイメージしている。
対して、彼の首元を彩るタイはワインレッド。言うまでもなく私の髪の色である。さらに先ほど彼の髪に挿したピンは私の目と同じ。
そして何よりも、左手に光る揃いのデザインの婚約指輪。
私は彼のものであり、そしてこの目の前の美しい男性は間違いなく私のものという証。
「ああ~少し人に酔ってしまいましたわ」
やや大げさに声を上げ、彼の胸にくたりと体を預ける。
彼は慌てて私の腰に手を回し、倒れないよう強く引き寄せた。
「ここのところ式の準備で忙しかった為、疲労がたまっているのかもしれないな」
本気で心配をする様に若干の良心の咎めを感じながら、彼の首に腕を回してその頭を抱え込む。
「口づけをいただけるのでしたら、わたくし、もう少し頑張れる気がいたしますわ」
言ってから後悔した。
真面目な彼のことだ。ノッてくることなく「人前ではしたない」とただ窘められて終わるかもしれない。
「私の想いよ、通じて頂戴」との念を込めて、一心に見つめる。
セルジュ様は一瞬眼を見開いて動揺を見せたものの、伏し目がちに少し照れながら優しく微笑み、
「無論、それで少しでも貴女の力になれるのならやぶさかではない。私たちは愛し合う者同士なのだから、何の問題もないだろう」
以心伝心流石です、セルジュ様。
やっぱり賢い人は違うわ。
「まぁ、嬉しい――あら、まだいらっしゃいましたの?」
私の言葉に、腕の中にいる男性とぼーっとこちらを呆けてみている男性2人が我に返る。
「す、すまない! そちらの存在を忘れていた。ええと、話題は何だったか……?」
セルジュ様がごまかすように咳払いをして、向き直る。
その言葉に男性は泣きそうな顔をして彼を見、私を見、そして今度こそ振り向きもせず走って逃げていった。
「とどめを刺したのは間違いなくセルジュ様ですわね」
「何の話だ」
「こちらのお話ですわ。――さぁ、ご挨拶回りがまだ残っておりましたわね。まいりましょうか」
「その前に……その、これで貴女に元気が戻るとよいのだが……」
会場へと向かう私を引き留め、彫刻のように整った顔が私に重なる。
触れて、すぐに離れていった。
会場から一瞬ざわっと聞こえたのは、見られたのだろう。
「どうだろうか?」
私を気遣う顔は本心からに見える。
つまり、先ほどのは演技でも何でもないということ。
にやけそうになるのを何とか押しとどめた。
綺麗なのに可愛くて、賢しいのに不器用で、強いのに傷つきやすくて、愛しい人。
つま先立ちになって、催促する。
まだまだ戦う相手は多い。エネルギーが必要だ。
「セルジュ様、愛する者同士が交わすには短すぎるのではないかしら?」