11 フォーロマン領にて 4
「二人とも、なにがあった?!」
泥だらけで屋敷に戻った私たちを見て、侍女の報告により捜索をかけようとしていた父が驚く。あちこち擦りむいてるし、私に至ってはさっきまで大泣きしたせいで目が真っ赤だ。
「お父様、話がありますの」
「いや、話よりも先に手当てを……」
「大事な話なのです。養子の件、お断りしてください」
私たち2人の雰囲気に父は何かを察したようだった。
「――わかった。2人ともそこに座りなさい。その前にフリード、いいかい、もう一度聞くよ? 今度こそちゃんと答えるんだ」
「はい」
何の話だろう。いつになく真剣な父に兄もまた同じような顔で答えている。
「お前に似た人物が、王都の娼館に入り浸っているという噂がある。あれはお前のことなのか?」
「いいえ。そんな場所には行っておりません」
「去年の夜会でご令嬢複数名と部屋へ消えたというのは?」
「酔ったグラス辺境伯のご令嬢をメイドに預けただけです。すぐに去りました」
「では、お前の子を宿しているという平民の娘の言葉は?」
「彼女には会ったことすらありません」
そのあともいくつか似たような男女の醜聞を父が訊ね、兄はそのすべてを否定した。
そんな噂があること、全然知らなかった。だって、私、教えてくれるような友達いないから……。
「なぜ、最初に尋ねた時にそう答えなかった?」
「養子の話が進んでいるのを耳にして、何を言っても無駄だろうと……」
父が盛大にため息をつく。
「し、仕方ないじゃない、お兄様だって傷ついていたのよ。それにお父様だって、お兄様がそのような人じゃないことくらいご存じでしょう?」
まだそんなに交流はないが、兄がとても真面目な人だということは私にも分かる。大体、猟師の言葉で赤面するような人間がそんな不健全な生活を送っているわけがない。
「もちろん。私だって噂を本気にしたわけじゃない。だがね、貴族である以上、足の引っ張り合いなど日常茶飯事なのだよ。そんな世界で戦いもしないような者に、この家と領地を守る役目を継がせるわけにはいかない。とくにこの地は恵まれているからね。気を抜けば、あっという間に奪われてしまう」
幼い頃、祖父から土地をめぐって争っていた話を聞かされていたのだろう。
父が一瞬何かを思い出すように目をつむる。
お父様、意外に考えていたのですね……。
「男爵家ならそんな抗争に巻き込まれることもあまりないだろうと思って、進めていたんだ。ちょうどあちらが一人息子を亡くし、後継ぎを探していてね。もともと病弱だったそうで長い闘病生活の末に、しかも夫人も後を追うように流行り病で……」
「まぁ、お辛いでしょうね」
「もう隠居したいらしく、とりあえず領地を代わりに管理してくれればいいと。自分が亡くなった後は国に返してもいいとまで言っていてね。そのくらいのほうが、フリードには合っているかもしれないと考えたんだが……」
お父様、重ね重ね意外に考えていたのですね。驚きました。
ただの親ばかな人だとばかり思っていたが、やはり領主なのだ。
侯爵地だけではない。付随爵位も含めて広大なそのすべてを管理し、維持し続けているその手腕は伊達ではないということか。この親なら放逐されることもないのではないか、と甘い考えももっていたが、多分この人ならどちらか選ばなければならなくなったら娘を切り捨てるのだろう。たとえ私が死ぬとわかっていても。
「お父様、申し訳ないのですけれど、お相手の方にはどうか」
「そうだね。まぁ、アスター男爵には事情を話してお断りしておくよ」
「ありがとうございます。せめてお花でも――え?」
今、よく知った名前が出たような気が。
「待って、お父様。亡くなられた方のお名前、もう一度おっしゃって」
「アスター家のご子息、レオナード・アスター殿だよ、知り合いかい?」
知ってるも何も攻略対象者の一人!
ど、どういうこと? 亡くなったって本当に?
よりにもよってメインの攻略キャラクターがゲーム開始前に退場するなんてことありうるのだろうか。
そもそも、生まれつき体が弱かったなんて設定、ゲームにはなかったはずだ。
もしかして、今まで「恋キン」の世界だと私が思っていただけで、関係なかったの? いや、前世の知識と思っていたのが実は夢だったら? そうなると今のこれは現実でよいの? 私は本当にオールドローズなの?
頭が混乱する。息が浅くなる。信じていたことが根底から覆されて、足元がぐらつくような恐怖。
「ローズ?」
突然黙り込んでしまった私を兄が心配そうに覗き込む。その拍子に、流していた髪がぱさりとひとふさ額に落ちた。
――その顔に見覚えがあった。
「……違う、お兄様だわ!!」
ゲームのレオナード・アスター、それはつまり、今、目の前にいるフリード・フォーロマンのことだ。
髪型も名前も性格も全然違うから気が付けなかった。というより、考えつかなかった。
よくよく思い返せば、兄に対する違和感はこのことを指していたのだろう。
今でこそ髪を後ろに撫でつけて外見も貴族然としているが、ゲームでは胸くらいまでのばしてラフに前髪もおろしていた。名前に関しても、おそらくアスター家に入った時点で、決別の意味も込めてフリードの名を捨てたのだろう。もしかしたら、名前を継ぐことが養子の条件だったのかもしれないけれど、私としては前者ではないかと思う。
つねに気だるげで歯の浮くようなセリフとその見目であまたの女性を魅了し、数々の浮名を流すという男爵。だがルートに入れば、人嫌いで傷つきやすく、簡単には心を開かないタイプであり、流れているゴシップのほとんどが眉唾ものだとわかる。
いや、事実無根の噂なら現時点でも流れている。そもそもタラシのレオならともかく、なぜ兄にそんな話がもち上がっていたのか不思議だったが、レオにつながるフラグだったわけだ。
なんということでしょう。ゲームのレオナード、あれは、たらいまわしにされてやさぐれた兄の最終形態だったのです。
「……ビフォーアフターが違いすぎるわ」
兄がレオナードでいやレオナードが兄で、攻略対象には近づかないと決めていたのに自ら交流を深めていただなんて、と数々の衝撃についていけず呆然とする私を再度、レオもといフリードお兄様が心配そうに覗き込む。
「ローズ、なにか心配事があるなら言うんだよ。君は私の、その、妹なのだから」
兄が少し恥ずかしそうに、妹という言葉を初めて使う。その顔を見て、考えるのをやめた。
もうやってしまったことなので仕方あるまい。兄妹が仲良しなのはいいことだ。これでいいのだ。
お兄様はフリードであってそれ以外の何者でもないのだから、もうあのルートの破滅フラグは大丈夫でしょう。きっと。
もしものときは平民になって一人で頑張ればいいのだから。
お兄様の笑顔が一番です。