外伝26 作戦前 1
お2人のおかげで何の支障もなく、ようやく私は王都の家に帰り着いた。
学校はまだ始まったばかりでさほど進んではいないけれど、私は他の人より学ばなければいけないものが多い。授業の予習復習に追われ、それが一通り落ち着いたのもつかの間、私は王城に呼び出された。
門前でわざわざ殿下が出迎えて下さる。今日は最上の格式で装いだ。
金の髪に眩しいほどに白がさえわたっている。
「教会の使節団と伺っていますが」
「教皇自らお出ましだ。本来なら俺を呼び寄せるところをわざわざ来たとなると、何らかの交渉だろうな。しかも、お前を同席させろと言うのだから、いい話ではないだろう」
「あの、わたくしが戻れるよう殿下が相当の圧力を教国にかけてくださったと耳にしました。もしやその件で……」
「それはお前の気にするところではない。俺個人としても、王となるものとしても当然のことをやったまでだ」
入口衛兵が長靴を鳴らし、扉を開ける。
議場にはすべての人がそろっていた。
王国における軍務や財務など各機関の長、そして教会からは教皇を頂点とした枢機卿団、及び補佐の人たち。それらの視線が私に一斉に集中する。
父は中央政治には関与していないから、この場にはいない。ここで異色なのは私一人だ。
美しい一人の男性が進み出る。
殿下と形式的な挨拶を交わし、私に向き直る。
「ご令嬢、その後お変わりはございませんか」
凜としながらも切れ長の目に影を落とすまつ毛は長く、肌は雪のように白く、こぼれる長い髪も同く白い。すっと通った鼻筋に、控えめだけれど艶やかな唇、目だけが澄んだ水の色に似て、上位の聖職は男性しかなれないと知っていなければ間違いなく長身の女性と思っただろう。
本当に美しい人だった。
そしてそれは俗的なものではなく、教会に厳かにたたずむ女神像のような汚れのない、ただただ畏敬の念を抱かせる美しさだった。
生まれついてすぐに能力の高さから聖人として聖別され、以降教会の奥で大切に育てられてきたという。
20代前半という若さで今の地位に就けたのも、その能力が認められているからだろう。
「……<解放者たち>をご存じですか?」
皆が着席したのを見計らって、猊下が声を発する。
「あの魔術を信奉している?」
「ええ、そうです。この大陸でもっとも古い邪教集団と言っても皆様異論はないかと思います。身分差を生む魔力を憎み、世界を人の手に取り戻すことを掲げ、長年にわたり念入りに隠匿され運営されてきた組織。その脅威は皆さま、特にこの国の安寧に携わる者ならばご存じのはず。血の魔術に、この国の人間も大勢犠牲になってきた。違いますか? それを阻止すべく長い間我々も調べてまいりましたが、やはりその中枢にまで立ち入ることは難しく、膠着状態が続いていました。そのような折、私たちのもとに情報が入りました。教団がある令嬢を使った計画をたてている、と」
「ある令嬢」という言葉で私に王国側の視線が集まる。
「彼女を用い、教団はこの王国を掌握するために壮大な計画を企てているようです。その儀式は我々でもつかめていない本部の奥深くで密やかにたくらまれているとか。もし万が一、ご令嬢が贄として捕まれば、そこまで運ばれることになるでしょう」
淡々と話しを進める猊下をのぞいて、私を見る教会側の目は一様に冷たい。
「人買いをつぶしたところで、次の人買いが生まれるだけです。買い取る側をたたかなければ、いつまでも終わらない。そう思われませんか?」
「教国に反する者を捕まえるために、我々の兵を使い、フォーロマン侯爵令嬢には囮になれと? 秩序と平和を謳う教会の言葉とは思えないが」
殿下の言葉に濁りを知らない目が、細まる。
「そのような物言いは少々語弊がありますね。我々は管理のために許可を出し、王国は麗しき花を取り戻すために立ち入るだけのこと。ご令嬢は王家に仇為す者のために、その身を犠牲に協力なさったと伺っております。そのように献身的な女性であれば、教会にも力をお貸しいただけるのではないかと思い、こうして参った次第です。ああ、確か王家に協力なさった際はご本人には内密であったとか。だとするならば、事情を打ち明けた我々の方が誠実とも言えるのではないでしょうか」
殿下が苦々しい顔をする。
枢機卿たちの冷ややかな視線でようやく理解できた。
――結局、教会は私の能力を偽物と認定したと言うことだ。
偽証と断定できる材料はないが、見えないものが時に大きな権力へとつながる世界でありえない能力に答えが出ないのなら、教会としては否定するしかないのだろう。教国に下らないのなら特に。
しかし、利用方法は思いついた。
魔法・加護の悪用は大罪だ。異端審問に掛ける代わりに、教会の役に立てと言ってきている。
何もかもを話さなかったことを迷ったこともあったが、こうなるとやはり黙っていてよかったと思う。バカみたいな話を打ち明けていれば、私の立場はもっと悪いものになっていたはず。
「ですが、お聞き届け願えないのであれば、こちらといたしましては聖戦の発令も辞さぬ覚悟でございます」
議場がざわつく。
私だけでなく、王国まで脅しにかかるだなんて。
教国は大陸中に支部となる教会を設立する代わりに、他国に押し入ることはもちろんそもそも戦力となるものを持てない。許されるのは最低限の自衛のみだ。それですら細かい制限がかけられている。
ただ、その為に教国にだけ与えられている権利がある。
それが「聖戦」の宣言。
神の使徒として神の御意志を履行するために、大陸中にいる信徒たちを強制的に招聘することができる。
大陸に存在する宗教は12神教ただひとつであり、国を問わず生まれたものは全て望むと望まざるとにかかわらず信徒と見なされる。
つまり、教会が宣言の名の下に命じれば、他国の強力な兵士が教団をつぶすために武装して王国内を闊歩することも可能というわけだ。
余りにも強い権限であるため、数百年、それこそ暗黒の大戦争時代にさかのぼるまで使われたことはなかった。
ぎりっ、と歯を食いしばる音が殿下から聞こえる。
代々の王が、辺境伯たちが守ってきものが、今、壊されようとしている――否、させてはならないのだ、絶対に。
「そのような脅しをなさらずとも、わたくしはもとより異存はございません」
「ローズ!!」
殿下が私をかばうように立ち上がる。
その姿を見て思う。
この方は強い。王として決断し、行動を起こせる人だ。
そのための苦しみと痛みを負う覚悟もできている人。だからこそ、この方に決めさせてはいけない。
この方に背負わせてはいけない。
これは、私の荷物だ。
「脅しとは……そのようにご令嬢がお感じになられたのであれば、謝罪いたします」
胸に手を当て、いかにも悲しいというそぶりを見せる。
「かようなうら若き女性に一方的にご負担をおかけするというのも心苦しく、また我々の誠意といたしまして、お嬢様が望むものを1つ代わりに叶えて差し上げるというのはいかがでしょう。これは、王国と中央教国との取り決めではなく、わたしとご令嬢との神の名においての約束でございます」
「お願い事?」
教皇は無垢に見える笑顔で私に語り掛ける。
「はい。わたしにできることである限り。もちろん、代々の教皇がもつ魔石の採掘権の譲渡でも構いません」
「猊下!!」
想定外のやり取りなのだろう。声を荒げた枢機卿たちを笑顔一つで黙らせる。
胡散臭い。
採掘権など受け取ったが最後、管理を名目に堂々とこの国に立ち入って隅々まで監視する腹積もりだろう。一時のお金のために国も自由も売るつもりはない。
「……今は思いつきませんわ。いつか、お願いごとが決まりましたらそのときにでもよろしいでしょうか」
「ええ、もちろんです」
このような不利になるもの一生使うことはないけれど、断れば何か他のことで関わろうとするはず。ならば選択権がこちらにあるもので手を打っておくべきだ。
それよりも、問題はこれからだ。
詳しい話はまた改めてということになり、一旦私は帰宅を許された。
馬車から降りれば、父の怒鳴り声が屋敷に入る前から聞こえてきた。
ブロッサム公爵に一足先に説得に向かってもらっていたのだが、あまり意味がなかったようだ。
「お父様!!」
今にも閣下につかみかからんとする父を執事たちと一緒に慌ててとめる。
「貴族ってのは、国と力を持たねえ民の為に存在している。貴族に生まれ落ちたその時から、てめえの命はてめえのもんじゃねえ! 俺たちが飢えることも寒さに凍える思いもしたことねえのは、重い義務を背負ってるからだ! いざとなったら、まず誰よりも先に死ぬために!!」
「娘に死ねとおっしゃるおつもりか?!」
「<解放者たち>は、先代の死にかかわっていた可能性が高い! お前は、父親の敵討ちがしたいとは思わねえのか!!」
「もう私の中では終わった話です! 今更、誰が黒幕であったかなど興味もない。ましてや、それが娘に関わろうとするならなおさらです!!」
勢いでテーブルがひっくり返り、グラスが次々に割れる。
父がここまで声を荒げるのを初めて見た。
「お待ちください! どうか、わたくしの――」
先に父は畳みかける。
「断る! 絶対にダメだ! 私は許可しない!!」
「お父様……」
「出て行ってもらおう! 教会が娘を奪おうというのなら、私は神を敵に回すことも厭わない!!」
「お父様っ?!」
さすがに今の発言には誰もが凍り付いた。
同時に、どれほど私が父に愛されているのかを実感して涙が零れそうになる。
「ローズ、お前は大切な娘だ。お前が望むことならどんなことでも叶えてやろう。だが、これだけはだめだ。子どもが傷つくことを望む親がどこにいるというのだ? 頼むからやめておくれ。私の為にも……」
父は私を強く抱きしめる。誰にも奪われまいとするかのように。
ゲームを乗り越えた私の人生――時々、考えることがある。
ゲーム内において追放されたオールドローズは、本当に終わりだったのかと。
もしかして、ローズの愚かな姿を見た父は、己の呪縛から娘を解き放つために遠ざけたのではないだろうか。
巷には追放と偽り、彼女はどこかで静かに暮らしていたのではないだろうか。
今の父を見ていると、そう思えてならない。
愛する家族がいて、大切な友人がいる、素敵な世界。
前世を思い出した当初は現実だと理解する一方で、何処か自分とはかけ離れたように、生きた人間ではなく物語の登場人物のように感じていたこともあったけれど今は違う。
知識も足りず能力も低い自分に何ができるだろう。ずっと考えていた。はっきりと答えが出たわけではない。
ただ、確かに言えることは、私もみんなが好きで、大切な人たちを守りたいということ。
「お父様、ありがとうございます。わたくしもお父様が大切ですわ。お父様が望むものは全て叶えて差し上げたい……ですが、このことだけは譲れません。わたくしもまた貴族です。全うしなければならぬ責務があるのです」
「ローズ!」
「以前、お父様がわたくしではなくお兄様のそばにいらしたのを覚えておられますか?」
父がうろたえるのをとどめて告げる。
「責めているわけではないのです。むしろ、嬉しかったのです。お父様が本当に大変な時にお兄様を支えてくださったのが。わたくしも同じですわ。酷なことを申しているのは理解しております。それでもどうか、わたくしに、わたくしの心にも寄り添ってください。偉大なるお祖父さまの孫として、なにより、クォーター・フォーロマンの娘として、わたくしも戦ってまいります」