外伝22 中央教国 2
「疲れたわ……」
大聖堂で、あろうことか猊下に拝謁することになり、今、それがようやく終わった。
教皇様はとても柔和な方で終始にこにことお話をされていたけれど、枢機卿を含め周りの方々は完全に詐欺師を見る目だった。
気持ちは分からなくもない。知らぬ存ぜぬで通したのだから。
「何日くらいで解放してもらえるのかしら……まさか、一生教国内に留められるなんてことはないわよね……」
呟いて慌てて周りを確認する。
通りすがりの神官様にきかれなかっただろうか。
「……あら、ここはどこかしら?!」
教えられたとおりに用意された部屋へ歩いていたはずなのに、気が付けば見知らぬ階に迷い込んでいた。
試しに目の前の角を曲がってみる。
まぶしいほどの白い壁と白い扉が続いている。曲がる前も曲がった後も全く同じ景色だ。特に案内図なども見当たらず、小さな窓からは飛梁しか見えない。
確か、説明されたままに客室棟に入り階を上がり、角を曲がった。それから……だめだわ。疲労もあって覚えておらず正しい道を来たと断言できない。
「とりあえず、一旦階段を見つけて降りたほうがいいわね……」
どこかに上ってきた階段があるはずだとやってきた道を戻ろうとすると、
「……部屋に戻っていないと思ったら、俺のところに来ているとはな」
廊下の反対側から殿下が笑顔で歩いてくる。
「殿下、道を見失いました。こちらはどちらでしょう」
「……そんなことだろうとは思ったが……」
あからさまなため息をつかれて室内に避難用の案内図があると、中に招き入れられる。
どうやら殿下に割り当てられた部屋の前で迷子になっていたようだ。
「いいか、ここがこの部屋だ。エリーシア嬢とシシーは大回廊を挟んだ先、こちらの棟のこの角を取っていると聞いている」
「ありがとうございます、殿下! では、あとはごゆるりと……」
出て行こうとした私の目の前で扉が閉められる。
一瞬のことだった。
すぐそばに殿下が立っている。
しまった。開いたままだったから油断したわ……。
私の行方をさえぎるように壁に手をつき、距離を取ろうとするのをもう片方の腕でふさがれてしまう。
退路も断たれ身動きが取れない。鼻先が触れ合うほどに顔が近い。
さらさらと零れる黄金の髪に、端正な顔立ち。改めて言うまでもなく、本当に完璧な王子様だ。
その性格を除いて。
陽の輝きを透かして届く美しい新緑の目が私を正面からのぞき込む。
「2つの加護を持つ唯一無二の女性、王国の妃としてふさわしいと思わないか?」
「お、思いません」
「そうか。意見が合わなくて残念だ。だが、そういうところも可愛いぞ」
満面の笑みで猫を相手にするように顎をくすぐられる。
だめだわ、この方。本当に神殿内でも通常運転だわ。
もっと他に訊くことがあるのではないだろうか。
呆れる私に殿下の表情は変わらず、けれど声音だけは真面目なものへと変わる。
「真剣に考えろ。一介の令嬢ではなく未来の王妃ともなれば、王国がしてやれることも変わる」
「……やはり、教国が何か言って――」
すぐ横のドアがドンドンドンドンと激しく叩かれると同時に、承諾もなしに勝手に開いた。
飛び込んできた兄が私たちを見て青ざめ、殿下の腕を押し上げて私を救出する。「それではノックの意味がないだろう」と真面目なことを言いながらセルジュ様も兄に続いてやってきた。
「殿下、可愛い俺のローズはまだ未婚の淑女です。不穏な噂につながるような言動は慎んでいただかなければ」
「すまないね。思いが募ってしまったみたいだ。でも、可愛い君の妹だろう? 言葉は正しく使わないと、不穏な噂がたってしまうよ?」
私を背に庇い、兄と殿下がにらみ合う。
「遅くなりました!!」
「すみません、洗礼に手間取ってしまって……」
愛らしい声とともに、エリーさんとリィンが駆け込んでくる。
乙女を表す花飾りに清廉を示す真っ白のローブ、そして彼女に合わせた薄いピンク色のケープ。ゲームでみたとおりの姿がそこにあった。
着替えることもなくこちらにやってきたらしい。
それにしても、洗礼ということは聖女の認定が無事終わったということだ。
見学できなかったのは残念だけれど、もう一つのメインイベントは滞りなかったようで、少し安心した。
「ローズ様ったら戻ってらっしゃらないと思えば、こちらにいらしたのね」
いつもの通り、シシー様が最後に登場する。
「結局こうなるか……まぁ、いい。全員集まったところで少し話がある」
殿下に促され、全員が室内に入り思い思いの場所に座る。
皆が落ち着いたのを見計らって、
「……教国側から、ローズを置いて帰るよう通達があった。しばらくの間、彼女の身柄は教会預かりとなるようだ」
やはり。
覚悟はしていたものの、こうして改めて聞かされるとショックだ。
「わたくしは教国の人間になるのですか?」
「そこまではまだ聞かされていない。ただ、そういう要請があったとしても渡すつもりはないから安心しろ。妃を売り渡す王がどこにいる」
「お妃様じゃないですよっ」
誰よりも早く、かぶさるようにして敢然とエリーさんが否定する。
なかなかに気合の入った聖女様で頼もしい。
「それにしても驚きですわ。植物を操るだなんて稀有な能力とは思っておりましたけれど、加護が2つとはさすがに予想もできませんでしたわ。昔は空の加護なども認定されておりましたから、てっきり統合された古の能力だとばかり……」
「空の加護、ですか?」
「ええ、空を自由に操るとか。研究の結果、時代を経て月の加護に統合されたと伺っておりますわ」
シシー様の博識ぶりには本当に恐れ入る。
神学研究史は王妃教育の範囲ではないはずなのに。
それにしても、運命と空がどうつながるのかは分からないけれど、空を操るだなんて何ともかっこいい。どうせならその能力が欲しかった。
「……そういえば、皆さま、本当にわたくしが2つの加護を持っているとお思いに?」
全ての情報が集まる教会ですら疑ってかかっているのだ。リィンはともかく、実際に確かめることのできないみんながそのように簡単に信じるのが不思議でしょうがない。
「だって、ローズ様ですから」
エリーさんがニコニコの笑顔で答え、皆が同様に相槌を打つ。
具体的にどういう意味なのかいまいちわからないが、みんなが私を信じてくれているのが伝わってくる。嬉しかった。
教会の審査を終えて、ちゃんと王国に帰って見せる。
改めて私はそう心に誓った。