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10 フォーロマン領にて 3

「お兄様、待って! ねぇ、お待ちになって!!」


私は今、山登りをしている。

好んで、では当然なく、先を行く兄を追ってのものだ。

昨晩、結局のらりくらりと父と兄には躱されてしまい、話を続けることができなかった。今朝も逃げるように家を出ていったので、慌ててこうして追いかけてきた。

屋敷の裏手にある山は、木々を縫うようにいくつかの道があるものの、あまり手入れはされていない。狩猟目当ての人もすぐ近くに一部が切り開かれいろいろと整えられている森があるため、ここは本当に人気ひとけがない。

こちらに来ればおそらく私がすぐに諦めると思ったのだろう。

だが、あの日前世を思い出してから、私は行事以外は身軽さ重視でコルセットの着用をやめ、靴もハイヒールからローヒールに変えている。運動も始めた。動けるのだ。

かくして、私と兄の鬼ごっこが始まっていた。

とは言え、兄の足は速い。

そもそもコンパスの長さが違うし、私の靴も運動用ではない。何度か落ち葉を踏んで滑ってしまい、その度に兄が立ち止まってくれないかと期待したが無駄だった。

基本誰にでも親切な兄にしては珍しい。

それだけ本気で私とは話をしたくないのだろう。距離がどんどん開いていく。ちなみに山に入って早々についてきていた侍女は脱落している。

もう今日はあきらめたほうがいいのではないか。こんなに嫌がっているのなら、放っておくのが優しさではないのか。

そんな考えが頭をよぎる。じくじくと痛む足にめげそうになる。

その度に、昨日の兄の、こんなことは慣れていると、怒りも悲しみも捨てた諦めに近いその微笑みが思い出されて奮起する。


「お兄様、話をさせて! でなければ、明日も明後日もずっと追いかけるわよ!!」


何度目かの叫びの末に兄がやっと立ち止まってくれた。


「話をすれば、諦めると?」


「それは約束できないわ。でもお願い、話をさせてちょうだい」


「昨日しただろう。義父との間でも話はついている」


兄がいら立ったように声を上げる。


「だいたい、話をしたとして君は何がしたいんだ」


「お断りするよう、お父様にお願いするわ」


「そうして今度は面倒になったときに放り出せと頼むのか?」


「そんなことしないわ!」


だめだ。全く信用されておらず、話が通じない。日ごろからもっと交流を持っておくべきだった。

とりあえず、今のうちにと兄に近づく。逃げられはしなかったが、その顔は険しい。


「君は私が嫌いだろう。いい機会じゃないか。次はもっと好みのお兄様を頼むといい」


「わたくしはフリードお兄様がいいわ」


一層眉間の皺が深くなる。理解できないと言った顔だ。


「どういう風の吹き回しだ。ああ、もしかしてそ……」


兄の言葉が途中で止まる。

追った視線の先にいたのは鹿に似た獣。ただし、その目は赤い。魔獣だ。

狩られたのだろう。体に何本もの矢を受け、深手を負っている。

本来ならばそうそう人に向かってくることはない魔物のはずだが、手負いの獣ほどやっかいなものはない。

状況を把握している暇もなかった。

突然、馬のいななきのような叫びと共に角からいかづちがこちらに向って放たれる。

だが、角が途中で折れていたからだろう、まっすぐに放たれるはずの光は蛇行して私たちの少し前の木で弾けた。

とは言っても安心はできない。

雷が不発だったからか、今度はばっさばっさと土を前足で大きく掻き、鼻息荒くこちらを威嚇してくる。興奮で血走った眼はそれだけで恐怖だった。

あれに体当たりされたら内臓破裂で確実に死ぬ。さきほどの雷だって当たらずとも何発も打たれたら、その内枯れ枝や落ち葉に引火して山火事の危険性がある。

どうしよう。どうしたらいいの。

魔獣は兄を見据えている。おそらく、私のへっぽこを見抜き、とるに足らぬと判断しているのだろう。


「逃げるんだ」


それを見越して、兄が私に促した。


「お兄様はどうしますの」


「後から行く」


「お兄様もすぐに来てくださいますか」


「ああ」


確かに、知力も魔力も体力も何もかもが足りない私は足手まといにしかならないだろう。


「走れ!」


兄の合図で駆けだした。視界の隅で彼がなにか魔法を放っているのが見えた。

痛みでうまく走れない。靴を脱ぐべきかと一瞬迷う。

バリバリと木が裂ける大きな音が後方でする。


「……っ!!」


兄のうめき声が聞こえた。

振り返ると、雷撃を避け損ねたのだろう、苦しそうにうずくまっている。

追撃をかけようと、魔物が頭を低くする。


「お兄様!!」


考えるよりも先に体が動いた。足の痛みも忘れ必死に走り、兄に覆いかぶさる。

蹄の音が迫ってくる。

兄の焦った声が聞こえ、引きはがそうと腕を引っ張られた。

でも今退けば、兄が確実にやられてしまう。もとより放逐され路上で潰えるかもしれないこの命。覚悟を決め、目をつむる。痛みに備えて歯を食いしばった。

刹那、衝撃の代わりに轟音が耳を襲う。

目を開ければ、魔獣が浮いていた。

風だ。私の足元から、いや、私を守るように突き出された兄の手から、周囲の木々を巻き込み突風が吹き荒れている。

魔獣の体はその風に巻き上げられ、かなりの高さから今度は地面にたたきつけられる。衝撃で刺さっていた矢がさらに深く食い込んだのだろう。甲高い鳴き声を上げて、やがて絶命した。

嘘のように静けさが戻ってくる。


「……お兄様、無事、ですの?」


「あ、ああ」


「よかった……」


「よくないだろう!」


ほっとしたのに怒られた。


「どうして私なんかかばったんだ! 何とか魔法が間に合ったからよかったものの、死んでいたかもしれないんだぞ!」


兄の怒鳴り声を初めて聞いた気がする。


「言いましたでしょう、お兄様が大切ですって……」


安心したら、涙が出てきたわ。よく見たら、私、震えてる。

魔獣なんて本でしか今までその姿を見たことがなかった。魔物独特のあの赤い目がとても怖かった。

ゲームが始まるよりも前にここでバッドエンドを迎えていたかもしれないと、今更ながら実感がわいてきた。


「ごめ、なさっ……でもお兄様が死んじゃうって思ったら体が動いてっ……お兄様が生きててよかったっ……」


兄はただひたすらに泣く私におろおろして、それから、おそるおそる私の頭をなでた。


「……すまなかった。助けてくれてありがとう」


「お兄様ー!!」


ここぞとばかりに抱き着いた。

ハグよ。今こそ仲を深めるのよ。喧嘩をしてもごめんなさいと抱きつけば姉は許してくれた。このまま押せばきっと兄も考えを変えてくれるはず。

均整の取れた体は私がしがみついた程度ではびくともしない。甘えるようにその胸に頭をぐりぐり押し付けていると、


「いたぞー!」


そんな声とともに突如として5人の男性が現れた。

軽装だが皆、腰と肩にナイフや猟銃を提げている。その内4人は、登場するや否や私たちに見向きもせず、いそいそと兄が倒した魔獣の足に縄を括り付け始めた。


「狩場で仕留め損ねたのが、どこ行ったかと思ったらこんなところまできてたんだな。いやー、すまんかった。倒してくれたの、あんたらか? 手間が省けて助かったよ、ありがとな」


代表らしき人物が話しかけてくる。こちらは命の危機に瀕したというのに、あまりにも軽すぎる言い方に開いた口が塞がらない。


「領主様にみつかる前でよかった。あんたらも、領主様の山ん中で乳くり合ってたのは黙っててやるから、まぁお互いさまってことで」


「ち、ちちくり……」


突然のパワーワードに兄も私も目が点になる。

いや私たちは、と我に返った兄が訂正しようとするのを制して、


「邪魔して悪かったな。じゃ、俺たちは引き上げるから、精々励めよ!」


言うが早いか、獲物を担いでさっさと行ってしまった。

もしかしなくても、人目を忍んで逢引きしていたと間違えられた? たしかに若い男女がこんなところで抱き合っていたらそう思ってしまうのも理解できるけれど、とんでもない思い違いをしてくれたものだわ。しかも最後の露骨な応援よ……。

兄をちらりと見遣ると、


「……今はこちらを見ないでくれ」


顔が真っ赤だった。

わかります。私もすごく恥ずかしい。前世も清い身だったから余計に。

兄といえども異性に抱き着くなんて、よく考えればレディにあるまじき行動でした。しかもこんな美形に。いえ、私も結構美女だった。そうじゃなくて。

さっきまでの空気も一変して、お互いボロボロだしとりあえずまずは家に帰ろうということになった。

帰る道すがら、養子の件をもう一度考え直してほしいとお願いすると、意外なほどあっさりと兄は笑って了承してくれた。

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