天日のケェイム
天日のケェイム
「――この国は急に変わっちまった。お嬢さん、悪いこと言わないから、早くお逃げ」
路地裏の石畳で、痩せこけた老婆が言うと、“お嬢さん”と呼ばれた本人は、市場で買った白ブドウの房をひとつ頬張り、ただただ目を瞬かせていた。
「その、“お嬢さん”って、あたしのこと?」
今度は老婆が目を瞬く番だった。少女は一度、他に誰も居ないのを確認すると、そっかあ、と言って乱暴に頭をかいた。尾のように結い上げた赤髪が、左右に揺れる。そのたびに太陽を模した金の耳飾りがきらきらと輝いた。
「おばあさん、心配しないで。あたし、すっごく強いから」
自信ありげに片目を瞑る少女の瞳は青。雄大な海を思わせる色であった。
小柄な少女は、片手に抱えた白ブドウの房をひとつ老婆に渡すと、再び歩き出した。
禿鷲の月六日――。
アイトリアは温暖な気候と、豊かな土壌の国だ。
地図の南に位置したアイトリアの主な貿易品が、西の同盟国ヨクスに届かなくなってから、早三ヶ月が過ぎようとしていた。
この年は珍しく長雨で、商隊が足をやられているのだろうと、元来根明な気性のヨクスの民は考えていた。
ところが、待てど暮らせどアイトリアからの商隊が来ない。王がアイトリアに書状を出したのが二ヶ月前。その後、アイトリアの危機を知らせに“首の無い書状”が城下に届いたのが半月前だった。
噂は瞬く間に広がり、これが赤髪の少女、ケェイムの耳に入ったのが、今から二週間前の事だった。
仕事がないと、酒場でだらしなく酒をあおるローフとリョクを引き連れて、ケェイムは行商人の荷の間に尻を滑り込ませた。
道中の護衛は任せろと、しっかり“給料”も出してもらえる手はずも欠かさない。
白銀の毛並み、狼人であるローフは、その巨体を荷台の中に押し込めて、何やらひくひくと鼻先を動かしながら、天幕を仰いでいる。その隅で、深緑に染めた外套を着て、横になっているのがリョク。
一見だらしなく見えるが、戦闘におけるローフは、生まれ持っての牙や爪の一撃は強力だし、リョクの小柄で痩躯から繰り出される軽業や東国のカラクリ仕掛けは、暗部と呼ばれる裏稼業を営んでいた過去があるから。並みの“ケモノ”や夜盗では到底太刀打ち出来ない。
そんな二人をうかがい見て、ケェイムはアイトリアとヨクスの国交正常化に一役買ったあかつきにもらえる褒美に思いをはせながら、ひとりほくそ笑んでいた。
アイトリアの国に暗雲が垂れ込めたのは、今から三ヶ月前。燕の月の中程だった。
その頃アイトリアではシヌス王太子の婚約の報せに、国を挙げての祝いが行われている最中だったが、一週間もしないうちに城下へと開かれていた門扉が閉ざされ、街の人々の様子が一変した。若い娘が次々と街から消えているという。それも決まって、満月の夜に。
行商人たちもこの気味の悪い噂には参っており、その多くはヨクスに、空の荷を運ぶ羽目になったという。
「ねえ、ローフ、リョク。城に忍び込んでみない?」
老婆と別れ、酒場で食事にありついたケェイムが声を落として言うと、二人はさして驚いたふうでもなく、肩を竦めた。
「そりゃまたとんでもない事を考えるね、ケェイム」
リョクは面白がるような口ぶりだ。言ってなさいよ、とケェイムが口をすぼめると、ローフが鼻をひくつかせた。
「“ケモノ”と“ヒト”の……“魔物”のニオイがする」
運ばれてきたイノシシのラグーと野菜のスープをいち早く取り分けながら、ローフの“嫌な予感”に、ケェイムはふん、と鼻を鳴らした。
++++
その夜、ケェイムたちは早々に城へと忍び込んだ。
暗部出身のリョクが闇に乗じて城内へと潜り込み、いとも容易くケェイムとローフを引き入れる。
ローフの鼻で魔物の気配を辿ってみれば、城の奥へとそれは続いていて、ローフが嗅がずとも、魔物の瘴気が立ちこめてきた。
床に散らばる何者かも分からない無数の骨を避けて、ケェイムがその部屋に近づくと、蛇の威嚇音に似た何かの息づかいが廊下にまで聞こえてくる。
「もっと女を寄越せ!」
ぜろぜろと、しわがれた男の声に、なにがしかの獣の唸り声が混じる。
「で、ですが王子……」
進言しようとした兵士の胴が、刹那、斜めに刈り取られた。最早人ではない肉塊は、支えを失ってくずおれる。
その時、垂れ込めた雲間から月夜に照り返された異形の姿が浮かび上がる。漆黒の毛に覆われた獅子頭が、“ヒトのコトバ”で叫んだ。
「何者だ!」
それまで扉の向こうで気配を隠していたケェイムが歩み出る。
「あらあら、この国はこんなのが王子様なの? もっといい男想像してたのに。期待して損した」
ケェイムは腰に当てていた手の片方で、結った赤髪をかき上げた。
獅子頭の毛が逆立つ。短剣を抜くケェイムの両隣に、ローフとリョクが躍り出た。
獅子頭の首から下は人の身体。しかし、それが無数の大蛇に覆われていた。それぞれが意思を持つ生物であり、指の先の、鎌のような爪がぬらりと光る。瞬間、ケェイムが横っ飛びに退くと、振り下ろされた爪によって、彼女の赤い髪が幾筋かが骨の群れの合間に落ちる。獅子頭が人の何倍もある体躯に似つかわしくない攻撃を仕掛け、部屋の一角にあった柱に、その爪を食い込ませていた。
ケェイムは口の端を僅かに舐めて短剣を構え直すと、身構えるローフとリョクに合図を送る。
リョクが跳んだ。獅子頭の攻撃は、深緑の外套に阻まれて届かない。高い位置から速射の小型弓が獅子頭の腕や身体の蛇を次々に射貫く。
「こしゃくな!」
獅子頭は跳び回るリョクを追い、躍起に腕を振り回す。そのたびに身体の蛇がうねった。
ローフが唸る。獅子頭の咆哮に怯むことなくその腕につかみかかり、蛇の群れである肩口へと深々と牙を突き立てた。
「ぐっ……!」
肩口を押さえよろめく獅子頭に、ケェイムは一歩近づく。
「観念しなさい。人を食ってしまったら、あんたはもう、人には戻れない」
獅子頭は瘴気を含んだ息を吐き、残りの蛇が首をもたげ、それぞれの目が爛々と敵意をあらわにしていた。
「今更人に未練など。たかが小娘が!」
「……あら、そう」
――その瞬間。獅子頭が最期に見たものは、太陽を模した耳飾りが月光を照り返した残光だった。
++++
それからアイトリアがどうなったかって?
そりゃあもう大変だった。王位簒奪者が“シヌス王太子”を亡き者にしたんだろうってね。
でも、それからというもの、アイトリアでの拐かしはナリを潜めたし、ヨクスにはまた交易品が届くようになった。
英雄ってのは人知れず世界を救うような奴のことを言うが、彼女は違う。
こうしてちゃっかり俺たちワタリに名を売ったし、王家からもしこたまお礼も受け取ったみたいだぜ。
だから俺たちは晴れやかな彼女のことをこう呼ぶのさ。ぴったりだろう?
――“天日のケェイム”。
初めましてのかた、初めまして。
再びお目にかかれた方、大変ご無沙汰しております。
Twitter企画「#イラストを投げたら文字書きが引用RTでSSを勝手に添える」というハッシュタグに添えたショートショートです。
ハイファンタジーSSを書くのが本当に久しぶりの事で楽しんで書かせて頂きました。
キャラクター原案のアワラギ様本当にありがとうございます。
また、このような機会でお目にかかれるのを楽しみにしています。
この作品はフィクションです。作中で描写される人物、出来事、土地と、その名前は架空のものであり、土地、名前、人物、または過去の人物、商品、法人とのいかなる類似あるいは一致も、全くの偶然であり意図しないものです。
This is a work of fiction. The characters, incidents and locations portrayed and the names herein are fictitious and any similarity to or identification with the location, name, character or history of any person, product or entity is entirely coincidental and unintentional.
「天日のケェイム」
キャラクター原案・アワラギ