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ポテチから愛を込めて

作者: 蝉土竜

 全部片っ端から消えてしまえばいいと心の底から思った。


 海は裂け、空は黒く染まり、地上に存在するありとあらゆる生物が隕石とか天変地異で絶滅してしまえば良かった。今日は最悪の日だ。生まれてこの方、これほどまでに屈辱的な想いをした日は一度だってなかった。


 悔しい、ああ悔しい。


 五月九日、今日は私の誕生日。


 一ヵ月前から約束していた彼氏は、会社の上司との付き合いでまだ宴会の途中。かくいう私は予約していた三ツ星レストランのキャンセルを泣く泣く行い、帰りに酒とつまみを買ってから狂ったように飲み続けている。何故、こんなことになった。




「あー死にたいー」




 机に散乱したビール缶は既に十は超えている。視界は涙でぼやけ、天井は揺らぎ、お隣さんから愛の営みが漏れ聞こえる。下の階の売れないバンドマンは夜中だというのに流行りの歌を熱唱してるし、また別の部屋からは夫婦喧嘩の罵声が飛び交う。


 地獄か、このアパートは。


 違うな、この世界が地獄なんだ。地獄どころか煉獄だ、みんな死ね、死んでしまえ。




「うぅ、ううぅ……トウヤのバカ」




 べろんべろんの体で真剣に考える。


 私は彼と別れるべきなんだろうか。


 吸血鬼は恋愛してはいけないのだろうか。


 人の世界で生きていくことは許されないのだろうか。




「………………」




 故郷のイギリスを離れてから五年、日本での生活も大分と慣れてきた。この国の人間は礼節と人情を重んじる、思いやりに溢れた人たちだ。異国の地からやって来た私を、誰もが手助けしてくれた。


 もちろん、赤い目と病的なまでに白い体──口元から覗く鋭い牙を指差して笑われることもあった。でもそれはあくまでも極々少数の僅かなものであって、気にもならない粗末なレベルでのこと。幻滅するほどのことではない。




 だが、今回のは効いた。




 今の私は、彼と別れることばかり考えている。


 この地に来てから、右も左もわからない私を五年間支え続けてくれた彼。


 吸血鬼だと。


 人外だと。


 人の血を啜る、夜に生きる怪物だと告白しても受け入れてくれた彼との別れを真剣に検討している。


 本当は嫌だ、別れたくない。


 私は彼を愛している。


 けれど、もう無理だろう。関係を継続するには、お互い色々と知りすぎてしまった。彼には彼の世界があり、私には私の世界がある。


 彼は日の当たる道。


 私は月明りが照らす漆黒の道。


 どうにかこうにか彼に合わせて、日中の生活に慣れるよう努力を重ねたつもりだ。日中に外出するときは全身日焼け止めクリームを塗り、サングラスをかけ、UVカットの洋服を着て、日よけのまじないがかかった帽子をかぶり、日当たりの強い場所は極力避けるようにしてきた。


 昼の仕事はダメだから、夜の仕事──バーテンダーとして懸命に働いてきたつもりだ。


 彼もそんな私の努力を認めてくれて、浮気することもなく一途に愛してくれたように思う。




 だっていうのに、どうして。


 こんなに大事な日に仕事なの。




「……明日、ちゃんと言いましょう」




 決意を込めて自慢のバロンチェアに腰掛けると、アンティーク調の机に向かい手紙をしたためる。


 こういうことは電話とか、メールとか、ラインではなく、文章の方が効くのだ。自分への戒めにもなる。退路を無くす、という意味で。




「よお、姉ちゃん」




 表面に墨ペンで『遺書』と乱雑に書き殴ったところで背後から声がした。


 私は思わず振り返る。




「美人に涙は似合わねえぜ。ほらっ、これで涙拭きなぁ」





 振り返った先には、ポテチに人の手足をはやした見るもおぞましい手の平サイズの化物がいた。きちんと目と鼻がついているせいで余計に気持ち悪い。





「ぎゃあああああああぁぁぁぁぁーーーー!! いやああああぁぁぁぁーーーー!!!」




「おいおい、そんな驚くんじゃねぇよい。近所迷惑だぜ」




 全力で叫んだ結果、お隣さんから壁ドンされた。




「あ、あなたっ、誰!? どこから入ったのです!?」




「最初からいたぜ、お前の傍にな」




「あああぁぁぁぁぁぁ!! ポテチが喋ったぁぁ!!」




 ああ、そっか。これは夢か。


 アルコールが回ってるせいで幻覚が見えているんだ。そっかそっか、どうりでおかしいと思ったんだ。早いこと遺書を書き上げて眠りにつかないと。そして目が覚めたときは四重にしているカーテンを思いっきり開け放って、窓を全開にして爽やかな朝の空気を吸いながらほのかな日差しの中で壮大な自殺と洒落こもう。


 そうだ、それがいい。


 で、遺書にはこう書いておくんだ。


『私が死ぬのはトウヤさんのせいです。死後もあなたにつきまとって隙あらば血を吸い上げてやるので覚悟してください。あと他の女に目移りしたら殺す』


 なんて書いてやればあの鈍感朴念仁も私を忘れられないだろう。




「…………あなたが何者かなんてどうでもいいことでした。ええ、そうです。だって私は明日死ぬんですから。これから遺書を書くので邪魔をしないで頂けますか」




 やたらと眉毛が濃いポテチの精霊、略してポチとでもしよう。


 ポチは腕組みして口をへの字に曲げてこちらを見据えていたが、構わず机に向き直った。


 再びペンを手に取ったタイミングで後頭部に鈍い痛みが走る。




「ばっきゃろい!!!!」




 あまりの痛みに後頭部を抱えて地面に蹲る。


 おのれ、ポチ。あくまでも私の邪魔をするつもりなのですね。




「なっ、なにをするのです!」




「生命を粗末にするんじゃねえ!」




「放っておいてください! 私は……もう疲れたんです!」




 先ほどとは別の意味で涙目になりながら、横たわった体勢でポチを睨みつける。




「だからどうしたってんでい! 一つや二つ振られたぐらいでめそめそすんじゃねえやい!」




「くっ、失敬な! 別に振られてなどいません! 大事な約束をすっぽかされただけです!」




 感情に任せて叫ぶが、酔っ払っているせいか舌が回らない。


 全力で発声したのもあり、心なしかちょっと気持ち悪くなってきました。




「わーってんだよぉ、そんなこと。俺はおめぇから生まれた精霊だぜ。おめぇさんが考えていることはぁ、今日の朝飯からキスの回数までなんでもお見通しよぅ」




 さらっととんでもないことを口にされました。




「なっ……!? そもそもあなたはなんなのです!? 人でないことぐらいはわかりますが、私から生まれたとは聞き捨てなりません!」




「簡単なことだろうがぁ。お前ぇさんが毎日毎日買ってきてはカロリーも気にせず夜中にバリバリ貪り食ってるんが俺なのよぉ」




「そ、それは……」




 言葉に詰まり、言い淀む。


 美容の大敵とはいえ、ポテチは実に美味ですから。お腹が空いたらついつい食べてしまいたくなるのは世の常なのです。




「吸血鬼にとっては夜が日中みたいなものですので」




 鼻で大きく呼吸をするポチ。


 見れば見るほど濃い顔つきをしています。




「あーそうだったなぁ。気のきかねえこと言っちまった。しかしよぉ、俺はお前ぇさんが死んじまったらこの世から消えなきゃならねぇ。だから、自殺なんてバカな真似されちゃ困るんだぁ」




「なっ、なるほど……」




 理解できたらいけない気がしますが、言ってることはわかりました。


 このやたらと親父臭い精霊を生み出したのが私だと納得することはできませんが、話を聞いてもらえるなら、この際人外相手でも良いことにしましょう。




「……あなたに私のなにがわかるのですか。彼と付き合ってから今に至るまで、どれだけ苦労してきたと思います? 吸血鬼が人の世で生きるのは並大抵のことではないのですよ」




「あぁ、そうだなぁ。とりあえずこれでも食って落ち着け」




 ポチは自分の体──頭の部分を僅かに割って、こちらに差し出してきた。


 普段なら受け取りさえしないけれど、今は酔った勢いで素直に受け取り、そのまま口に放り込んだ。


 塩の味が涙と混じってしょっぱ美味しかった。




「どうだぁ、ちったぁ落ち着いたかい?」




「……はい。ありがとうございます」




「いいってことよぉ。つらいときは美味いもん食って、しこたま酒を飲んで、涙枯れるまで泣いて泣き喚いてぇ、死んだみてぇに眠りゃあいい。目を覚ましたときには悩みなんかどこ吹く風よぉ」




「いつもならそれでいいでしょう……でも今回ばかりは、そんなにあっさりと切り替えられるとは思えないのです」




「だったらできるまで繰り返しゃあいい。弱音ばっか吐いてねえで、まずはできることからやりな」




 そう口にして、ポチは私のスマートフォンを放り投げてきた。




「一番難しいことからやるんだ。彼氏さんにテレフォンしな、そいで会いたいってはっきり言うんだよぉ。お前ぇさんが真剣に想いをぶつけりゃあ、どんなに鈍い野郎だって応えてくれる」




 手にした携帯をじっと見つめ、ポチの言葉を反芻する。


 頭ががんがんするし、息は荒い。


 気分は悪いし吐き気はするし、目の奥がじんじんと熱い。


 目を閉じて思い浮かべる。トウヤの笑ってる顔、喜んでる顔、泣いてる顔、怒ってる顔。謎の精霊を幻視していたって、はっきりと浮かんでくる彼との思い出。


 そうだ。この程度のことで全てを捨てるのは、あまりにも惜しい。


 震える指先で、連絡リストから彼の名を探し出す。


 通話ボタンを──指でそっと、押した。


 


 ワンコール、ツウコール。


 スリーコール。




「もしもし、どうしたんだ。まだお客さんの接待中だぞ」




「あ、あの! お仕事中にすいません! ただどうしても聞いてほしいことがあって……ちょっとだけ時間いいですか」




「……そんな改まらなくたっていい。聞くから、話してみなよ。もちろん手短に」




 深呼吸して、荒れた息を整える。


 目の前のポチは神妙な面持ちで見つめてくる。


 


「今日、なんの日か覚えていますよね?」




「リーシャの誕生日だろう。宴会前に謝ったじゃないか」




「はい……あのときはそれでいいと思ったんです。あなたの仕事を妨げて重荷になりたくなかったから」




「………………」




「でも正直に言います。私、あなたに会いたいです。会って、一緒にいたい。ワガママなのはわかっています。それでもあなたと誕生日を過ごしたい。だって私はあなたのことを────」




 愛しているんですから、と言おうとした。


 その先は言葉にならなかった。


 何故なら、込み上げてきたものが限界に達そうとしていたから。




「おっ、ううっ……ちょっ、ちょっとタイム。お、おえええええぇぇーーーー」




「リーシャ、おい! 大丈夫か! 君、まさか吐いてるのか!? おいおい勘弁してくれ」




「ごめっ、おうぅーー。待っでぇ、ぐだざい、まだ……伝えてない、ことが……」




「もういい。すぐそっちに行くから、横になって待ってろ。いいな」




 朦朧とした意識の中で、通話の切れる音を聞いた。


 視界が明滅する。シャッターを切るようにパチパチと眩しい。


 目の前には深く頷くポチ。


 


 自分が吐いたゲロの海に顔をつけ、私は静かに瞳を閉じた。










 最初に目に入ったのは、散乱したビール缶とおつまみの山。


 その中にはポテトチップスのカスも混ざっている。




「……ポチ。そうだ、ポチ。どこにいったのですか、ポチ」




 ゲロの海から顔を離し、タオルで汚れを拭うことも忘れ部屋中を探し回る。


 けれど、あの濃い顔をしたポテトチップスの精霊はどこにも見当たらない。


 まもなくして、部屋のチャイムが鳴った。


 トウヤは上司に頭を下げ、キャリア組からの離脱も覚悟の上で駆けつけてくれた。そのことが嬉しくて、服や顔がゲロまみれなのに平気で彼の胸に飛び込んだ。


 するとトウヤはスーツを着たまま苦笑いして抱きしめてくれたが、目からは大粒の涙が溢れていた。私の耳元でクリーニング代、クリーニング代と連呼していたが聞こえない振りをした。




 部屋を片付けて、シャワーを浴び、一緒に誕生日祝いのケーキを食べようとしたところで台所にどかした、食べかけのポテトチップスの袋が目に入った。


 手に取り、中を見てみる。


 そこには最後の一枚だけが残っていた。




「………………ポチ」




 小声で呼びかけるも反応はない。


 当たり前だ。あれは泥酔したせいで見えた幻覚。


 心の良心だったんだ。




「………………」




 最後の一枚を指でつまんでしげしげと眺める。


 これがあんな野太い声で語りかけてきていたなんて、未だに信じられません。




「よくやったな」




 ふとどこからか声が聞こえる。


 あたりを見渡すも、テーブルで私の帰りを待つトウヤがいるだけ。


 空耳だと決めつけて、指でつまんでいた一枚を口に入れる。


 いつもは一瞬で咀嚼してしまうそれを、何故だかしっかりと味わう。


 


 今度はどれだけ噛み締めても涙の味はしなかった。

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