逝去しました。
初投稿です。ゆっくり投稿していこうかなと思います。どうぞよしなに。
「貴方はご逝去なされました。お疲れ様でした」
そう声をかけられて、ハッと顔を上げる。
白い空間だった。上下左右前後どの方向も隔たりが無くて、何もない空間に、気づけば立っていた。声の方向に視線を向けると、空間に溶け込みそうなほど真っ白なローブを着ている人影が、人2人分ぐらいの間隔を開けて、ぽつんと立っていた。
「……死んだ……?」
「はい」
「……どうして」
「覚えていらっしゃらないのですか」
呆けたままそう呟けば、相手は淡々とそう返してきた。その言葉に、ゆっくりと頭が回り始めるのが分かる。
……そうだ、“僕”は。
「……殺されたんだっけ」
ぽつりと呟いて、思わずお腹を擦る。着ている服に破けどころかほつれすら無く、五体満足の体の感触がちゃんと返ってくる。しかし目の前のローブの人間がそう言うなら、この感覚すら幻なのかぁ、なんて鈍い頭のままそう思った。そしてそれが可笑しくなって、くすりと笑みをこぼす。可笑しいなぁ、“僕”はこんなぼんやりしてるような性格ではなかった筈なんだけどなぁ、とクスクス次から次へと笑いがこぼれる様を、ローブの人間は何も言わずに眺めている。それにすら笑いがこぼれた。
そうだ、“僕”はもっと切れ者の部類に入る人間で、才色兼備、何をやらせてもできる、そんな評価を受ける人間だった。言ってしまえばヒエラルキーの最上位に立つような人間で、実際そういう場所を渡ってきた人間だった。とはいえスペックの高さも必要に駆られて手に入れたものだし、立ち回りも周囲の人間と軋轢を生まないようにする為に身につけたものだ。どこに出しても恥ずかしくない、そんな人間になれるよう親にずっと言われてきたし、実際“僕”自身もスペックが高くて困る事はないだろうとそれに従ってきた。そうして周囲がより良くなるように、聖人君子かと揶揄られる程の生活をしてきたのに、殺された理由としては。
「……逆恨み、されてもなぁ」
ぼそりと呟く。段々詳しく思い出してきた、死に際に耳朶を打った単語を思い出してどう考えてもそうだよねぇ、と嘯いた。そうして、もう一度刺された場所を無意識に擦る。
思えば思い切った事をしたものだ、あの人殺しの男も! 白昼堂々、仕事で別の場所へ向かう所だった“僕”とすれ違うように思わせて、すれ違う一瞬で見事に“僕”のお腹を掻っ捌いたのだ。そして周囲が反応するより前に引き抜いた武器――サバイバルナイフを“僕”の心臓へと突き立ててみせた。もはや見事すぎてよくできたなぁ、なんて憤りよりも感嘆が浮かぶ程だ。ボディガードも居たのになぁ、上役として行動する内必要かと思って雇うようになった彼ら役に立たなかったなぁ、なんてその事実にも笑いがこみ上げくふくふと笑みを零す。もしかしたら買収されてたかもね、彼らお金に釣られて雇われてたようなものだし、と追加でそんな事も思い出したが些事だろう。
殺される直前、相手が叫んでいたのは「お前さえ居なければ、あの子は俺に振り向いてくれたのに!」だった。あの子って誰なの、とか“僕”が居なかったとしても振り向いてくれたかどうかは分からないだろうに、とか色々浮かぶけど、まぁ何となく想定はつく。人当たりの良い性格で容姿も良かったから、当然告白とかもされる訳で。でも“僕”が自身に課してた目標地点が高すぎる上に相手にそれを強要する気はなかったが故に、相手に確認はとったものの尽くお断りさせて頂いていたのだ。それでも無理したりズルをしてでも“僕”のお眼鏡に叶おうとする女性も幾人か居たので、その中の誰かさんが好きだった人なんだろう。俗に言う痴情の縺れとやらだ、はた迷惑な話である。
しかし実際の所”僕“は男の望み通り死んでいるし、今更どうこう言えたものではないだろう。もはやここまであっさり殺されると何も言う気がなくなるというものだ。まぁ完全になれる人間なんて居ないから人間なんだよね、と思考を締めくくったあたりで笑いが漸くおさまってくる。そうして、完全に放置してしまっていたローブの人の存在を思い出してそちらに向き直った。
「ふふ……っと、すみません。笑いがおさまらなくて」
「いえ。死んだ事を自覚した際の人間の行動としては、まだマシな範囲内ですので」
大抵の方は死んだ事を嘆くか戻してくれと発狂するか受け入れられなくて呆然とするかですから、と続けられた言葉に首を傾げる。それは笑うという反応がかなり珍しいという事ではないのかな、と思ったが口に出す程じゃないだろうと心の中に留めておいた。それほど気になる事でもなし、それよりも気にすべきはこちらだろうなぁ、と別の言の葉を口に乗せる。
「それで、“僕”はどうするべきなのですか。ここに居るこの“僕”がこうして自我を保っているという事は、何かすべき事でもあるのかとは思いますが」
「……話が早くて助かります。本来、その生を全うされた方はそのまま輪廻の渦に進むのですが、貴方の場合は別の選択肢があります。それを選択していただきたいのです」
「へぇ……。……死後は強制的に“僕”という自我が無くなると思っていたのになぁ、選ぶ自由なんてあるんだ」
思わず、ポツリとそう呟く。無神論者で天国地獄を信じておらず強いて言うなら輪廻転生かなとは生前思っていたけれど、実際はこうなっていたんだなぁ、なんて新しく知れた知識に笑みを零した。このローブの人間はもしかしたら神様に類する存在なのかな、なんて考えながら続きを促すと、相手が微妙に困惑しているかのように黙り込んで首を傾げた。先程問いかけた時も微妙に返答に間があったし、何か想定とは違う事をしたのだろうか? と思いつつ、口を開いた相手の声に耳を傾ける。
「この空間は、簡単に言えば『転生の間』と呼ぶような場所です。機械的に輪廻の渦へ入れる訳にいかない魂の方と話し合い、その行く末を決める為の場だと思っていただければ。貴方の場合は生前積まれた善行が多かった為に、輪廻転生させて肉体の小さな生物に生まれ変わってしまうと即座に死亡してしまう可能性があるからですね」
「……魂、と言うのは自我が宿る拠り所、と思えば良いのですか? そして、肉体に入る事で世界に生まれ出て、肉体を通して、世界に干渉できるようになるけれど、その対価として肉体の寿命が来れば『死亡』する……という認識で?」
「はい。魂は基本的に始めて生まれた時は、どれもこれも同じ大きさなのです。その魂が入った肉体を用いて『生きている』間にどんな事をしたか、それによって僅かに肥大したり、縮小したりします。……貴方の場合は、元々もはや人の肉体しか魂の大きさに耐えられなくなっていた状態で、更に善行を積んだ為……貴方が生前生きていた地球に存在していた生命体では、寸法が足りなくなってしまっています」
「……それで、どうにか『質の良い』肉体を選ぶ為に、“僕”が呼ばれた……と?」
「それもあります。ですが、どちらかと言うと……報酬を選んでもらう、その為にお呼びしました」
「報酬……?」
事務的だが要点のみで簡潔な相手の言葉に、ここで首を傾げた。話を聞いていると魂は善行を積めばどんどん増大していくもので、その結果“僕”は生半可な転生先では生まれてすぐ死んでしまうから、特注で選ぶ必要がある、という事のように聞こえる。しかしそれで報酬が貰えるというのは、些か筋違いではないのだろうか。“僕”の困惑に、ローブの相手は一拍を置いてその事について説明してくれた。
「そもそも、今の『貴方』の人生のみで積んだ善行だけで見れば、それほど多くはないのです。まともな常識があり、性根の真っ直ぐな方であれば、同じくらいの善行を積む事ができます」
「……ああ、なるほど。“僕”の場合は……」
「はい。魂が生まれ出てからずっと、延々と積み上げ続けた善行の結果が、今の貴方の状態なのです」
既に人間に生まれるのも、『貴方』の時点で5人目ですから、と続けられた言葉に苦笑する。そう言われても、“僕”は“僕”としての記憶しか持っていないのだから実感が薄いのだ。相手もそれが分かっているようで、「とはいえ、貴方としては実感が無いでしょうが」と続けた。
「これだけ増大する魂は滅多にありません。……簡単に言ってしまえば、こうして報酬を渡す事で所謂『印をつけて』おきたいのですよ。どちらにせよ、肉体を選ぶ時に対面自体はしますので、でしたらここまで善行を積んだ報酬として、次の肉体について少しぐらい口出しできる権利を差し上げます、という事です」
「……なるほど。ですが、急に言われても思いつかないのですが……」
「それは、そうでしょう。先に、貴方の次の肉体と転生する世界について、説明させていただきます」
こちらをどうぞ、と差し出されるのは地図だ。地球とはかなり形状の違う大陸を眺めながら、耳に滑り込んでくる言葉を拾う。
「まず、魂に耐えられる肉体となると、地球のように秩序だった世界では用意できません。ですので、そちらの世界――《コーパス》のように、魔力のある世界への転生となります」
「……あの、魔力って……」
「『摩訶不思議な事を起こせる力』、略して魔力です。まぁ、十分な量があり、上手く変換できればどんな事でも起こせる力の元、とお考えください。この世界なら、貴方の次の肉体に魔力を付与して丈夫にする事ができるのです。弊害もありますが」
「弊害ですか」
「はい。何分魂に合わせたものになりますので……耐えられるように肉体自体を大きくするか、かなりの高性能になってしまいます」
「すみませんそれでしたら普通に転生させてください」
“僕”の言葉に、相手がきょとんとしたように動きを止めた。そうして“僕”の言葉を咀嚼したのか、コテンと首を傾げた。
「……それでは『貴方』という自我は残りませんし、殆どの確率で早死しますが……?」
「ああ、この世界への転生だと“僕”という自我は残るんですね。……ではなく。“僕”は、今の“僕”にとっては、それはつまりハイスペックでのスタート、と言う事になります。……“僕”はもう、ハイスペックで周囲から頼られ続ける事も、それによる厄介事も、できれば遠慮したいんです。記憶が残るというのなら、なおさら。それに、本来死んだら、どんな存在であれ何もかも初期化され、また生まれ出でるのでしょう? それでしたら、“僕”もそれで構いません。……今思えば、ハイスペックだった所為で巻き込まれた事もありま……いえ、大半がそうでしたから」
浮かべた笑みには疲労が混じった。死んだ今思えば、“僕”は随分と生きづらい人生を歩んできたと思う。周囲にそう要求され、また自分でもそれを了承し励んできたけれど、結果として得られたのは人生の大半を費やした仕事の腕と、使う事もあまりないまま残してきてしまった財産のみ。趣味が無かった、というより趣味のようなものを作る時間すらなかった人生は、振り返ってみればとてもつまらないものではなかったか。そう思えば、また“僕”として生きるのに、ハイスペックな体はむしろ邪魔ではなかろうか。それならば、いっそ何もかも無くなってしまえばいい。実際ここに居る“僕”は本来無くなっているのが道理であるし。
そう告げれば、相手は左手を顎に当てて考え込み始めた。当然ローブの隙間から手が出ているわけだが、その腕は一見して陶器のように滑らかに見えた。……ただし、ひび割れのような入れ墨の走った腕だったが。てっきり神様とかそこらへんと思っていたけれどそのセンスはどうなのかなぁ、と思っていれば、思考が終わったらしい相手の口がフードの隙間から動くのが見える。
「……では、それが報酬、というのはどうでしょうか」
「……どういう意味でしょう?」
「私としては、貴方のような魂が無残な状態になるのはあまり見たくありません。貴方はハイスペックな体は要らないと仰る。ならば、『何があっても平凡なまま』という状態になる、そんな祝福を差し上げましょう。周りで何が起こっても、貴方の周りは静かで、平穏なまま。そんな祝福があればどうでしょうか? 具体的には、肉体スペックは高い基準にせざるを得ませんが、それが表面上に出てこないような理……それを貴方に差し上げます。どうでしょうか」
ふむ、と考え込む。確かにそれであれば転生したとしても、“僕”の周囲は穏やかなままだろう。そうすれば、静かにゆっくりと過ごす事ができるかもしれない。それならば――また、1から生きてみるのも、面白いかもしれない。
「……それでしたら、お願いします。ああは言いましたが、生前の終わりが唐突すぎて、色々とやってみたい事はありますし、“僕”のままで居られるのなら……それはとても嬉しいですので」
「分かりました。周囲の――貴方の両親などは、高い肉体スペックを生み出せる程の遺伝子を持つ存在で無いといけませんので、些か平凡とは言い切れないかもしれませんが。しかし肉体スペックが高くとも、それが発揮できないのであれば、貴方の言うように平凡で居られることでしょう。……こういう祝福の与え方はした事がありませんので、もしかしたら不具合が出るかもしれません。力で押さえ込むことになりますから。その為、転生した後、貴方が年を重ねる日の夜に、またこの場所に来るようにしても構いませんか?」
「それぐらいでしたらいくらでも」
「ありがとうございます。……簡単に、《コーパス》の世界についてや言語についても、転生時に自動的に分かるようにしておきますので――」
「ああ、待ってください。どうせなら、1から何もかも学んでみたいのです。要りません」
「……宜しいのですか?」
「はい」
今度はちゃんと笑えた筈だ。“僕”の顔を見て頷いた相手が、何かを呟くのが聞こえた。そして、後ろを振り返り、何もない場所に手を伸ばす。
ヴン。
文字に起こすとしてはそんな音だろうか。直後、ローブの人物の伸ばした手に沿うように、扉が出現して吃驚する。おお、と声を漏らす“僕”に、相手はニコリと笑みを浮かべた。
「この世界に、他の世界の魂が入る事は、滅多にありません。……貴方の次なる人生に、幸大からん事を。またお会いしましょう、■■■■」
フードの下の口が生前の名前を紡ぐ。それに一礼して、“僕”はそれに手をかけた。
(……ふふ。まさか、あんなことを言われるとは)
1人に戻ったあの空間で、ローブの人物は――まさしく神は、微笑んだ。
(本当に……貴方の人生に、幸多からん事を)
そう笑う神様は、やがてその空間から姿を消した。