四、 これから
どうも、第四話です。
次回がエピローグとなります。
……伊四〇〇に乗る前の、ある晩。
私は神崎中尉の後席ではなく、自分が『瑞雲』を操縦して夜間偵察に出ていた。
しかし電探を積んだ米軍夜戦の群に鉢合わせしてしまい、後部座席に乗っていた後輩が死んだ。
雲に逃げ込んだ私は道に迷い、しばらく暗雲の中を1人で飛ぶ。
そしてそれを抜けたとき、下方には空襲で炎に包まれていく街が見えた。
燃料が無くなっていたので、しかたなく機体を捨てて脱出。
落下傘でふわりと宙に浮かび、墜ちていく愛機と、その棺桶の中に残されている後輩の亡骸に、心の中で敬礼をした。
町外れの林の中に降り立った私は、すぐさま落下傘を捨てて、近くの基地に向かおうとしたが、その時周りに、竹槍や棒などを持った人間が集まってきていることに気づいた。
いずれも女子供、年寄りで、若い男はいない……即ち民間人だ。
そして盛んに、「米兵だ ! 鬼畜米英だ ! 」と叫んでいる。
「違う ! 俺は日本兵だ ! 日本兵だ ! 」
私が必死で叫ぶと、なんとか声が届いたようで、彼らは武器を降ろし、近づいて私の顔を確認した。
その中に、10際くらいの子供がいた。
子供は私の顔をまじまじと見つめ、そして……。
「この……嘘つき軍人 ! ! 」
叫ぶと同時に、私の顔面を棍棒で思い切り殴った。
その痛みで沈んでいく意識の中で、私は知った。
自分たちは、英雄ではないのだ、と。
鬼畜米英から日本を守るために戦うはずが、戦を長引かせ国民を苦しめていたのだ。
基地に運ばれて手当を受けたが、その後私を殴った子供は見つからなかったのは、正直安堵した。
子供といえど、この時世に軍人を殴っては、無事では済まないだろうから。
艦魂が見えるようになったのは、この出来事が原因だったのかもしれない。
…………
誰もいなくなった格納庫。
その隅に毛布が敷かれ、絹海は寝かされていた。
「気分はどうだ ? 」
「あっ、鏑木少尉」
絹海が起き上がる。
まだ顔色は悪く、肩を貸してやらないと歩けない。
だがそんな状態でも、絹海は笑っていた。
「寝て無くていいのか ? 」
「はい、大丈夫です。小島少尉たちの方はどうですか ? 」
「軽傷だったからな。後は本人達次第だ」
絹海が命を削ってまで助けたのだ。
また死に急ぐようなことはさせない。
「また、あやとりでもやるか ? 」
「はい ! 」
絹海は嬉しそうに、赤いあやとりを取り出した。
これから内地に帰るまでの間、少しでも絹海には、楽しい思い出を残してやりたい。
俺達に今できるのは、そのくらいだった。
……そして、8月29日。
横浜の港まであと僅かというところで、伊四〇〇は米軍の駆逐艦に発見された。
魚雷も既に全部投棄され、それ以前に戦う権利すら残っていない。
そのことを、神崎中尉が知らせに来た。
「少尉、中尉……」
絹海が体を起こす。
「絹海、無理するな ! 」
俺は言った。
彼女が、戦おうとしているのかと思ったからだ。
「肩を……貸してください。相手の艦魂に、会わなければならないから……」
俺達を安心させるためか、絹海は笑った。
俺は右から、中尉が左から、彼女の体を支える。
そしてそのまま、甲板へと出た。
そこではすでに何人かの同僚が、乗り移ってきた米兵に銃を向けられていた。
そんな中に、俺は1人の少女の姿を見た。
米兵の服装をして、手に一振りのサーベルを握った、青い目の少女。
伊四〇〇に横付けしている、米駆逐艦の艦魂だろう。
彼女は同じ艦魂の気配を感じたのか、剣を構えつつこちらを振り向いた。
しかし、絹海の様子を見ると、少し目を見開き、数秒後に剣を鞘に納めた。
「……アメリカ海軍駆逐艦『ブルー』……これより貴艦を拿捕する。指示に従いなさい」
その言葉に、絹海が頷く。
続いて、神崎中尉が口を開いた。
「この娘は、体を悪くしている。格納庫で休ませておいてほしいが」
「……わかった。案内して。見張らなければならないから」
俺達は絹海の体を支えながら、再び格納庫まで戻る。
『ブルー』の艦魂は着いてきた。
どういうわけか、日本兵も米兵も、誰も俺達に気づかなかった。
艦魂の力だろうか。
「ほら、絹海」
「ありがとうございます」
毛布の上に、絹海を寝かせる。
俺と中尉はその側に胡座をかいて座った。
「いてもいいだろ ? 」
「問題ない」
『ブルー』は中尉にそう答えた。
絹海は彼女の青い瞳を、じっと見ていた。
「……どうした ? 」
『ブルー』がそれに気づき、尋ねる。
「……綺麗な目だなぁ、って……」
「綺麗…… ? 」
絹海の答えに、『ブルー』は面食らったような顔をした。
「……私は、貴女の敵だ」
「あ、はい……そうですね」
絹海が苦笑する。
『ブルー』は調子を狂わされたらしく、目を逸らした。
奇襲に成功したような気分になって、何故か俺も嬉しくなる。
「青い目、か……」
神崎中尉が言う。
「ほら、小学校に置いてあったアレを、想い出すねぇ」
「ああ、青い目の人形」
「何ですか、それ ? 」
絹海が尋ねる。
「昔、アメリカの宣教師が親善のため、1万体以上のアメリカの人形を日本各地の学校に送ったんだ。日本も返礼に、市松人形をアメリカに送った」
「……そんなことが……あったのですか……」
対米戦が始まってから生まれた絹海にとっては、信じられない話だったのだろう。
『ブルー』は無表情で、俺達を見ていた。
「戦が始まったとき、燃やされちゃったらしいけどね」
と、神崎中尉。
「えっ……どうして ? 」
「『この人形は米軍の間者だ』って、偉い人が言ったんだとさ」
「……人形がスパイ…… ? 」
『ブルー』が眉を潜めた。
「……日本人は、全員馬鹿なの ? 」
「だろうな」
神崎中尉は笑って言った。
「でさ、ちょっと気になったんだが……あんた、何語で話してるんだい ? 最初はあんたが日本語を使ってるのかと思ったけど、よく見ると口と言葉が合ってない」
そう言えば、確かにそうだ。
今まで絹海のことに気を配っていたため、気づかなかった。
この観察力も、ベテランの証というものだろう。
やはり、俺はまだまだ中尉に及ばない。
「私が話しているのは英語。けれど言葉の意味を、脳みそに直接伝えられる」
「ほほう、便利だねぇ」
俺も神崎中尉も、素直に感心した。
「私も、できるということは知っていたけど……実際に使うことになるとは、思いませんでした」
絹海が言う。
『ブルー』はしばらく、絹海の顔をじっと見ていた。
「……1つ、訊きたい」
そして、口を開く。
「カミカゼや、人間魚雷……あのような物を使ってまで、貴方たちは勝ちたかったの ? 」
……神風、か。
俺達がウルシーに向かって海中を旅している間も、本土に残った戦友たちの多くが、神風として散ったのだろうな。
彼らの魂は靖国へ行ったのか。それとも、家族の元へ帰ったのか……。
「偉い人たちは、勝ちたかったんじゃないか ? なあ、鏑木」
神崎中尉が、話を振ってくる。
「そしてその偉い人達はきっと、何の責任も取らずに生き延びることでしょう」
一億総特攻だの玉砕だのと言って、兵士を死地に送ってきた上層部。
だが、責任を取って自ら腹を切るのは、利用されていた奴らだけだろう。
「……貴女は、どうなの ? 」
今度は絹海に尋ねた。
「勝ちたかった ? それ以前に、勝てると思っていたの ? 」
「誓ったんです。為せる全てを為す、って……」
絹海は起き上がって答えた。
「……無駄だと分かっていても ? 」
「……貴女が私の立場だったら、何もできないからって、何もしませんでしたか ? 」
「…… ! 」
その言葉に、『ブルー』は再び沈黙した。
「何もしないで終わるなんて、嫌だから……みんな、必死だったんです」
「………」
勝った奴には、負けた奴の気持ちは分からない。
落ちこぼれのひがみなどではなく、それは当然の真理だ。
だからこそ、絹海の言葉は『ブルー』の心に強く響いたのだろう。
絹海は、あやとりを取り出した。
「……貴女も、やりませんか ? 」
輪になった赤い紐を、『ブルー』は怪訝そうに見つめていたが、絹海がそれではしごの形を作ると、納得したような顔をする。
もしかしたら米国にも、似たような遊びはあるのかもしれない。
「ねっ、面白いですよ」
「……私、不器用だけど……」
躊躇いながら、『ブルー』は自分の手にもあやとりを出した。
「簡単ですよ。名人・鏑木少尉が教えてくれますから」
「これこれ、おだてても何も出ないぞ」
……本当に、彼女たちは純粋な存在だ。
人殺しの兵器……物言わぬ鉄の棺桶に宿った魂。
それはあまりにも美しく、可憐な少女たちだった。
「……皮肉なもんだねぇ」
中尉が言う。
「ええ、全くもって……」
私はそう答えた。
「何の話ですか ? 」
「なんでもないよ。さて、はしごの作り方だが……」
………その後、しばらく2人の艦魂と、1人の上官にあやとりを教えた。
このとき俺は、日本と米国が、いつかまた人形を送り合うような、仲の良い国になれるのではないかという、ささやかな希望を抱いた。
そして翌日。
我々は、横須賀港に到着した。
俺は中尉に促されて絹海を抱きかかえ、『ブルー』を伴い甲板に出る。
米兵に見張られつつ、他の乗組員達も降り始めた。
懐かしい日本の匂いが、風に運ばれてくる。
両親の顔、恐らくもう帰ってこないであろう兄たちの顔、生きていないかもしれない戦友達の顔が、次々と頭に浮かんだ。
「帰って……きたのですね」
絹海が、静かに言う。
彼女の未来については、もう考えるまでもない。
しかし彼女は、美しい微笑みを浮かべていた。
「『ブルー』さん、優しくしてくれて、ありがとうございます」
「……禁に背いてまで戦った者を、更に追い打ちするような趣味はない……それだけのこと」
絹海が何をやったのか、同じ艦魂には分かっていたようだ。
『ブルー』は俺達に背を向ける。
「……国に帰ってからも、練習する」
「え ? 」
「あやとり」
その言葉を最後に、『ブルー』は自分の本体である駆逐艦へと跳躍した。
蝶のような、優美な動きで着地し、そのまま米兵達の中へ姿を消す。
無口で素っ気ない女だったが、それは俺達が敵国だからだろうか。
それとも、母国でもそうなのか。
何にしろ、俺は彼女の今後の多幸を祈った。
そして……
「……絹海……今までよく、頑張った」
俺は絹海の頭を撫でた。
「戦争は……本当に終わったのでしょうか ? 」
「終わっちゃいないだろうな」
と、神崎中尉。
「そうだろ、鏑木」
「ええ」
俺は即答する。
「これからです。この国を立て直さなければ」
蹂躙され、焼け野原と化した日本。
この国を、美しく平和な国として復興させるまで、俺達の終戦は成り立たない。
それが俺達の、責任というものだ。
戦争を起こすのが人間なら、終わらせるのも人間だ。
「……残念です。私はもう、一緒に行けない……」
「……」
「けれど……」
絹海は、俺の頬をそっと撫でる。
「鏑木さんや神崎さんが、私のことを覚えていてくれる限り……私はいつまでも、貴方たちの側にいます」
「……ありがとう」
……久しぶりに見た日本の空は、前よりも広く感じられた。
…
エピローグの方は、明日か明後日に投稿します。
とりあえず、今日はこの辺で。