三、 俺達の8月15日
第三話です。
ウルシー環礁攻撃を前に、戦争は終わります。
8月15日。
俺は愕然とした。
「無条件……降伏…… ! ? 」
日本政府が、ポツダム宣言を受諾したという知らせ。
小島兄弟は、俺の隣で号泣した。
神崎中尉は笑ってはいないが、全くの無表情だ。
確かにこれ以上戦争を続けても、何の意味も無いだろう。
しかし本土空襲が始まったとき……否、真珠湾攻撃のときから、既に敗北は決まっていたのかもしれない。
今は亡き山本五十六長官は、最後まで対米開戦反対だった。
そして戦争が始まってしまうと、せめて「短期決戦・早期和平」という作戦計画を実行しようとしていた。
今になって無条件降伏……では、一体何のための戦だったのか ?
……いや、止めよう
フィリピンにいたとき、神崎中尉から生き残るコツを教わった。
常に冷静でいること。
飯はしっかり食うこと。
そして、考えるだけ無駄だということを知れ。
今は、国に帰れること、これ以上戦友を失わないで済むことを喜ぼう。
そうするしかない。
だが、そう思えない者がいるのを想い出した。
「……中尉」
「ああ」
中尉は俺の肩に手を置いた。
「絹海の所に、行った方がいい」
……俺達が、初めて絹海と会った通路。
そこで、彼女は泣いていた。
中尉は一緒に来なかった。
「……絹海、戦争は終わった」
「………聞きました」
絹海は顔を上げる。
「……私、死ぬのは怖くないです。けど……」
敗戦国の兵器は、戦利品として接収されるか、処分される。
絹海もまた、同じ運命を辿ることになるだろう。
だが彼女の涙は、それに対するものではない。
「まだ……まだ何も……成し遂げてないのに…… ! 」
「……なあ、絹海」
俺は絹海の手を取った。
色白の、小さな手だ。
「俺もな、お前と同じくらい残念だ。けれど少し、ホッとしている」
「…… ? 」
絹海は、訳が分からないという表情で、俺の顔を見た。
「お前が、血に染まらなくて……よかったな、って」
「……私は、戦うために造られた存在です」
「それでもだ。それに、お前は俺の側で、笑っていてくれた。俺には……それだけで十分だよ」
「………本当に ? 」
尋ねる彼女に、俺は頷いた。
「ああ、本当だ。だから絹海……悲しまないでくれ。頼むよ」
俺がそう言うと、絹海は突然俺に抱きついた。
そして、俺の胸に顔を埋める。
「絹海……」
「しばらく……しばらく、このままで……」
……俺は彼女の頭を、軽く撫でた。
絹海が泣きやむまで、俺はずっとそうしていた。
…………
伊四〇〇は浮上した。
格納庫のハッチが開き、『晴嵐』が姿を現す。
本当に、美しい機体だった。
だがそれを見るのも、これが最後だ。
「2機を投棄した後、小島兄弟が飛ぶみたいだ」
『晴嵐』を海に射出、投棄することが決定されたとき、小島兄弟は泣きながら艦長に、最後にもう一度だけでいいから、『晴嵐』で空を飛ばせてくれと訴えたそうだ。
「まあ、艦長にもあいつらの気持ちが、分かったのかもな」
「神崎中尉は、飛ばなくてもよかったんですか ? 」
俺の問いに、中尉は笑って答えた。
「飛び立ったら、帰るのが嫌になっちゃうかもしれないだろ」
……神崎中尉は、『晴嵐』の操縦席に、自分のマフラーを入れ、風防を閉じた。
整備兵がエンジンを回し、翼を折りたたんだままで、晴嵐は射出される。
そして、大海原へと消えていく。
俺と中尉は、その後姿に敬礼を送った。
2機目も射出され、小島兄弟の機体が発進することとなった。
折りたたまれていた翼を展開、フロートを装着し、小島景太少尉が操縦席、正次少尉が後部座席に、軍刀を携えて乗り込んだ。
エンジンが回り、勢いよく射出される。
俺は何か、嫌な予感がした。
そして次の瞬間、『晴嵐』は数回旋回したかと思うと、双フロートを切り離した。
『晴嵐』のフロートが取り外し可能なのは、潜水艦に積むためだけではない。
攻撃時にはフロートを増槽のように投棄して身軽になり、攻撃後は潜水艦の近くに着水、或いは落下傘で脱出して乗員のみを回収する予定だったのだ。
しかし、小島兄弟にはフロートを切り離さず、艦の周囲を短時間飛ぶことだけが許可されていたはずだ。
それなのに2人はフロートを捨て、どんどん高度を上げていく。
「あいつら、死ぬ気だ ! 」
2人は軍刀を持っていた。
飛びながら、自決するつもりだろう。
周りの奴らが騒ぎ始めた。
神崎中尉は舌打ちし、遠ざかっていく『晴嵐』を目で追っている。
俺達の乗機は既に射出してしまったし、為す術は無い。
(馬鹿野郎……ここで死者が出たら、絹海がまた泣くじゃないか ! )
……その時。
大気の流れが、変化したように見えた。
柔らかな、不思議なエネルギーが艦から立ち上り、空高く上がっていく。
まるで、月明かりに照らされて輝く、絹糸のような……
「 ! 」
『晴嵐』が180度横転し、背面になるのが見えた。
そしてその操縦席から、2つの小さな影が落下する。
パラシュートが開き、それが小島兄弟であるとわかった。
「落下傘だ ! 脱出したぞ ! 」
「救助の準備、急げ ! 」
整備員や救護班が、慌てて用意を始める。
晴嵐は背面のまま雲間へと飛んでいき、見えなくなった。
「………鏑木少尉……神崎中尉……」
ハッと振り返ると、格納庫の壁に寄りかかるようにして、絹海が近くまで来ていた。
顔色が青白い。
「絹海 ! 」
俺は慌てふためく周りを余所に、絹海に駆け寄る。
神崎中尉も来た。
「絹海……今のは、お前が…… ? 」
「はい……」
絹海は、疲れ切った表情で言った。
「本当なら、飛び立った艦載機に……艦魂が力を及ぼすことは、禁じられているんです……。それを行うためには……私の命と魂を……削らなければならなかった……」
「なっ…… ! ! 」
彼女の手は、水のように冷たくなっていた。
生気が失われているようだ。
「そこまでして……お前は…… ! ! 」
「為せる全てを……そう誓いました……から……」
絹海は、美しい笑みを浮かべる。
俺はいつの間にか、絹海を抱きしめていた。
頬を涙が伝うのが、わかった。
「少尉……」
「君はもう、ただの兵器じゃない」
かける言葉が出てこない俺の気持ちを、中尉が代弁してくれた。
「人を殺すんじゃなくて、人の命を助けた。殺すより助ける方が、ずっと難しい」
中尉もまた、泣いていた。
俺は絹海の体を強く抱きしめ、ようやく声を出した。
「その通りだ……お前は……最高の、艦魂だ……」
「……ありがとう」
絹海は、目を閉ざした。
「絹海…… ! ? 」
「大丈夫……少し、寝るだけです……」
……数秒後、絹海は気持ち良さそうに寝息を立てていた。
これが俺達の、8月15日だった。
…
さて、これで戦争は集結しましたが、この物語はあと一話ほど残っています。
どうか次回も、お楽しみに。
ちなみに史実では、『晴嵐』は3機とも投棄され、本文の事件は無論架空のものです。