Extra Track 07 まどろむ午後の金色
――黄金の午後。
ひとびとがかくのごとく呼ぶエスペリアの夏は短く、されどそれゆえいとおしい。若葉翠の萌ゆる樹の下で卵を割るクレープ売りから木苺ジャムとバターのクレープを買い、あたしはそのひとつを食みながら、ベンチであたしの気性の荒い娘をあやしている教え子の娘を見やった。
ブランカ。
あたしの教え子であり姪、さらにもうすぐ義妹になるであろう娘は、夏らしい木綿のワンピースに檸檬色のカーディガンを重ね、アッシュグレイの髪で緩い三つ編みをつくっている。十九歳になったかつての教え子は今、王都の雑貨屋で手伝いをしつつセント・トワレ病院での面接にのぞんでいると聞く。すっかり大人びてしまうわけだわ、とあたしは息をつき、「はい、あんたの」とクレープのうちひとつを渡した。
「ありがとうございます。せんせい」
「フィアでいいわよ。もうあんたの先生じゃないでしょ」
「でも、せんせいはせんせいだもの」
妙なところで頑固な気のある元教え子はふるりと首を振り、三つ編みの毛先をしゃぶるあたしの娘に、たべちゃだめよ、と苦笑した。
「ちょっと。あんた何食べてんのよ」
眉をひそめて娘の頭を小突けば、娘がわあんと声を上げた。ブランカが困った風に背をさすってあやす。これではどちらが母親かわかったものじゃない。
「せんせい。サザってどんな意味なんですか」
「東洋で、獅子って意味」
サザ、は娘の名だ。ままならぬ気性の荒い我が子にはそっぽを向いて答える。せんせいらしい、とブランカは翠の眸を細めて微笑った。あたしが抱くと泣いて嫌がる娘は、この砂糖菓子でできたような教え子に抱かれているときは毛先をしゃぶるだけでおとなしくしている。
王妃となったあともあたしは娘を連れてしばしばお忍びで街に下り、そのたびこの教え子を呼びつけ、気に入りのクレープを買って陽が傾くまでおしゃべりに昂じた。教え子があたしのもとを旅立ち、四年になるがそれは変わっていない。
「そういえば、せんせい。わたし、セント・トワレ病院に決まりました」
木苺とバターのクレープを食んでいたブランカはふと思いついた風に言った。え、と訊き返したあたしに、「来月から勤務できるみたいです」と続ける。
「勤務ってつまり、面接が通ったってこと?」
「……最初は補欠だったんですけど、連絡が来て」
「やったじゃないブランカ!」
思わず教え子の華奢な肩をつかむと、異変を感じたサザが目をこする。
「そっかぁ、あんた受かったのねぇよかった! シンシアやフローリアにも報告しなきゃ、ああもう話しちゃった? とにかくよかったわよ。よかった。もうすごくうれしくなってきちゃったじゃない!」
興奮のあまり早口でまくし立てれば、ブランカは翠の眸を瞬かせてから、少しはにかんだ風に微笑む。それから、リユンと親友をのぞいたら、せんせいとサザちゃんがお話しするのはじめてです、と耳打ちした。
「そうなの?」
「はい」
まったく可愛いことを言ってくれるものである。くしゃくしゃと両手でアッシュグレイの柔らかな髪をかき回すと、一緒に楽しくなったらしいサザが珍しく笑った。
「そういや、あんた、あいつとは最近どうなのよ」
休日であるので、公園にはたくさんの露天が出ている。その中のひとつの店で、熟れたヒメリンゴを手に取る教え子を見やり、あたしは思いついて尋ねた。え、とブランカは中途で声を失し、みるみる頬を赤らめる。
「なんにも……。なんにもないですよ」
「ふぅん? じゃあキスはした?」
「きっ」
いっぱいに見開かれた眸に動揺が走る。ヒメリンゴのごとくに眦を染め、ふるふるとせわしなく首を振った少女になまぬるい視線を投げ、あのおとこ、とあたしは手にしたヒメリンゴを齧った。あたしの花に悪さするなんて、上等じゃない。
*
「あたしの花に悪さするなんて、上等じゃない」
「え?」
「――って殴られた。キミの元教師に、グーで」
久方ぶりの休日だった。昼前に私用で銀獅子王夫妻のもとを訪ねていたリユンが帰ってきたのは、ちょうどケトルに火をかけて午後のお茶の準備をしている頃だった。帰ってきたリユンの頬が赤く腫れているのに気付いて、わたしは目を瞠る。へいき?、と触れようとしたわたしに、へいきへいき、とやんわり手を振って、リユンは道すがら買ったらしい氷を手巾で包んで頬にあてた。
「何かあったの?」
「さぁ、僕にもちっともわからないよ。ただ、どうやら姉さんとサザは、僕の姉と姪から恋敵に転身したみたいだ」
「こい……?」
「負けないけどね。見てよブランカ、この噛み痕、サザのやつがやったんだよ。あの子、今からこれなら、たいそうな女傑になるな」
赤い噛み痕のついた腕をおかしそうに振って、リユンはケトルを見ているわたしの隣に並んだ。殴られたり齧られたりしているのに、口ぶりはどこか楽しげだ。「何のお茶?」と尋ねてきた彼に、「カモミールをミルクで煮出して、蜂蜜を加えるの」とわたしはポルコさんに教わったばかりのレシピを教える。そう、と眸を細めて、彼はわたしの三つ編みの先にとめられたキャンディー・ビーズに触れた。
バルテローの地で一度短くしたわたしの灰かぶり色の髪は、今は肩甲骨にかかるくらいの長さになっており、短い三つ編みの先にはキャンディー・ビーズの髪留めが少し不釣合いな重さで揺れている。今年の誕生日にニナがハイネスから贈ってくれたものだ。リンゴ色と青リンゴ色の大粒ビーズに、よった銀糸を通して作った髪留め。手作りのプレゼントがうれしくて、わたしは家にいるときはたいてい緩いお下げを編んで、髪留めを毛先に結んでいる。
その飴玉と見まごう艶やかな表面を爪で弾いて、リユンは毛先をやわく引いた。まるで悪戯をするかのような手つき。なぁに、とわたしが呆れ混じりに尋ねれば、彼はふふ、と楽しそうに三つ編みに指を絡めた。
「キミの満身創痍の恋人は何を考えているんでしょう。あててごらん」
ビーズをいじっていた指先がわたしの頬へ滑る。わからないよ、と途方に暮れた声を出せば、彼は少しわらった。ほんとうに?、と尋ね、頤をすくう。
しんぞうが、ふるえた。彼にはじめて口付けを受けたのは冬のハイネスで、わたしはもう何も知らない少女ではないはずなのに、そのときはいつも緊張して、必要以上にきつく目を瞑ってしまう。睫毛を震わせると、彼は吐息が触れ合うくらいに近くで、甘くいとおしむ眼差しをした。羞恥がせりあがってきて、わたしは目を伏せる。あつい、と苦し紛れに呟くと、わたしの養父から恋人になったひとは頬に触れ、りんごみたいだ、と嘯いてまたキスを降らせた。




