93話 リーフェンスの夢
ルーナ帝国――数十年前から栄える、孤立した一国だ。孤立とは言えど、他の国との貿易等はしっかりと行っていて、世界に向けての武器輸出などで貿易黒字をしっかりと叩き出している。
そんな帝国を治めていたイヴァン・ルーナが邪精霊に飲み込まれ、彼の一人息子であるレヴィ・ルーナの従者、アリシア・スパークスによって彼が討ち取られたことは、屋敷の者以外は誰も知らない。
そして、彼の後継者であるレヴィもまた、先の第三次“unknown”征伐戦で命を落とした。
だが、その後屋敷に現れたトオル、カオル兄妹によって、自体は目まぐるしく発展。レヴィだけでなく、他の屋敷関係者をも生き返らせ、ついでと言わんばかりに「ガヴェイン」のリルムとリーフェンスさえも仲間にした。
そんな中だった。天界でのおとぎ話だと思われていたアズリエル――否、アズリサイアの夫であったヴェリュルスが、レヴィの体を借りて顕現したのは。
「天界に……行く?」
「あぁ、天界だ。つっても、最初は驚くだろうがな」
ヴェリュルスの決断に、真っ先に反応したのはリリィだった。アリスを救うことが出来る。その言葉に引き寄せられ、思わず口を開いたのだ。
「天界にって……どうやって……見たこともないのに」
その存在はほぼ「嘘」とされていて、見たことがあると言った人はごくひと握り。そのひと握りの目撃者でさえ、また「嘘」をついている可能性が高いと言われている。
「その点に関しては大丈夫……なはずだ」
「はず……? 絶対でなくては困ります」
噛み付くリリィに、ヴェリュルスはふっと息を漏らし、しかし苛立ったように言い返す。
「じゃあ絶対だ。艇があるだろ。あれで行くんだよ」
「艇……って、そんなの帝国にはないですし、まず空を飛ぶ艇があったとしても、うまく作動するか……操縦士なんていないわけですし……まず、天界なんてどこに……」
国の産業が武器生産や輸出、研究に頼りきっている所為もあり、生憎艇の生産は行っていない帝国。艇があるとするならば、隣国のノーズアか、海を挟んで遠く、未だ緊張状態が続くユアルレプスか。
ノーズアならば多額の金。ユアルレプスならばこちらの敗北を認めること。どちらにせよ、それ相応の結果は付いてこようとも、代償が大きすぎる。
艇の為にそこまでしようとは、ここにいる誰もが思わない。だが、アリスの為ならば――。
「ごちゃごちゃ言うな。俺がヴェール出身なんだって言ってんだから大丈夫だ。心配すんな」
そう言って胸を張るヴェリュルスは余裕の笑み。
誰もがその笑顔に緊張感を持つ中、ひとりそれが緩んだ少女が手を挙げ、声を上げた。
「しつも〜ん!」
「お、なんだチビ?」
のほほんとした声色と共に椅子から飛び上がったのは、柔らかい赤色の髪を持った、年端もいかない少女だ。
レヴィが死んですぐは、心の強張り故かその特徴的な喋り方は封印されていた。しかし、レヴィが生き返ってからはその逆。その出来事がトリガーになったのか、彼女の独特な雰囲気は戻ってきた。
「チビか〜。ん〜やっぱりレー様じゃない〜」
「いいから早く言えよ」
レヴィじゃないと確信するルルと、苛立ってはいないがそう聞こえてしまう声を発するヴェリュルス。
彼の特性だろうか、そうやって他人に警戒させてしまうのは。
「肝心の〜ヴェールはどこにあるんですかぁ〜?」
「あぁ、沼地の真上だ。だからか、誰も見たことがないのは」
沼地――レヴィだけが聞いたことがある、アリスの出身地だ。否、アリスが天界から落とされたとするならば、落下した場所か。
何にせよ、今、沼地に人はほぼ住んでいない。数年前の仰望師団の襲撃から、住民は年々減ってきている。
恐らく、住民が少ないことだけがヴェールを見つけられなかった理由ではない。
沼地の上にかかった厚く灰色の雲。それが、空から差し込む光おろか、ヴェールさえも隠してしまっているのだ。
「……レヴィく……ヴェリュルスくん、ちょっと質問があるわ」
「なんだ? 次から次に」
リルムが手を挙げ、ヴェリュルスに相対する。
「辛辣ね。……艇が出来上がるまで約3ヶ月か、もっとか……とりあえず、それくらいはかかるはず。今すぐ天界に行くの?」
リルムが本気を出せば――というよりも、彼女の傍にいるリーフェンス。彼女の力、「物を想像し、創造する力」があれば、艇は簡単に作れるのだ。だが、この力はガヴェインだけの秘密。未だレヴィにすら話していない。
そんな解決策を持ったリルムの問いに、ヴェリュルスの答えは。
「あぁ、いや、ゆっくりでいい。焦っても何も変わらねぇし、どんだけゆっくり行っても一緒だ」
「そう……」
善は急げ、という。
それとも、果報は寝て待て、か。
どちらに転んでも、失敗ということはないのだろう。もし緊急事態が起きるならば、リーフェンスの力でどうにかなるはずだし。
「……まぁ、そういうこった。心の隅にでも覚えといてくれ。以上、解散――――……っていうのが、僕らからの話」
「……レヴィ様だ」
突然温和な雰囲気を纏ったレヴィの体。それは紛れもなくレヴィ本人であり、それは近くで見ていたレイラから見ても、誰から見ても一目瞭然だった。
「とりあえず、艇を作り終えるまで僕らはほぼ待機。艇の交渉はまた、僕がしておくから。皆、部屋に戻っていいよ」
艇の交渉、といっても、そう簡単に済む話ではない。製造方法から工場の貸切、更にはレヴィも時々訪問しなければいけないし、これは勿論のこと、多額の金がいる。
修羅場をいくつか潜ってきたレヴィなら容易くこなすだろう、というのが全員の考えだが、レヴィはその信頼をプレッシャーとして受け取る。
だが、それは悟られぬように温和な笑顔で――。
「……まだご飯中〜」
「あ……」
艇、ヴェリュルス、以前に今が食事中であることすら忘れていたレヴィ。自身が倒れていた所為もあっただろう。
皆が座るテーブルの上には、皆変わらず冷めたご飯が残っているのだった。
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暫くの暇が出来たという、予想外の事態だ。まぁ別に悪い状況ではないから良いのだが、「さぁ今から何をしても自由」と言われても何もすることがない。
することがあるとすれば、自分がこの世から消えていた間の仕事。だが、これはなかなかやる気にはなれない。――誰かに押し付けるわけにもいかないのだが。
「誰かぁ……手伝ってぇ」
「それでは私が」
そう言って自室の扉を開け、中へと体を滑り込ませたのは、淡い青髪で体の起伏が乏しい少女。リーフェンスだ。
「……今、失礼なことを考えて……?」
「あぁいや! そんなことは……ないです。はい」
切れ長で凛々しい目付きのリーフェンスだが、いつもリルムの隣にいる時と違い、彼女の表情はどこか柔和だ。
甘えてくる子猫を撫でている時のような、そんな感情が垣間見える。
「それならよかったですが」
ふっと笑みを零し、レヴィを見つめる。
こうして女性に見つめられるというのは、なかなかどうして恥ずかしいものだ。
だが、こうした感覚はいつにもなく懐かしい。そう、アリスの時だ。
三ヶ月も猶予がある。裏を返せば、三ヶ月も待たなくてはならない。その事実に頭を抱えたい気持ちだ。
「体調が優れない様子ですが、大丈夫ですか?」
「ん? いや、アリスのことを考えてたらなんかね……」
彼女が生きていた時は、彼女のことを思い浮かべると身体中が火照ったものだ。熱くて熱くて、もう裸になってしまいたいほどに。
だが、彼女が故人となってしまってからは、どこか物悲しい感情と共に、体の震えが始まる。
例えるならば、アリスは鎮静剤のようなものなのかもしれない。彼女がいたから、レヴィは正気を保っていられて、レヴィがいるからアリスは生き長らえることが出来た。
所謂、共生だ。
「そんな人がいなくなったら……もぬけの殻みたいになっちゃうよなぁ……」
「……アリシア様、ですか。彼女は戻ってくるのでしょう? ならば心配など必要ありません。……私で代用ください」
そう言ってレヴィの横に立つリーフェンス。
「……え?」
「え?」
ふたりのはてなが重なり、暫しの沈黙が流れる。リーフェンスは本当にレヴィの「え?」が分からない様子で、呆気に取られた顔だ。
「代用?」
「あ、はい。私を従者代わりに使っていただければと……」
リーフェンスの真意が、そのベールを脱いで表れる。しかし、ひとつ謎があるのだ。
あそこまで他人に厳しく、自分にも厳しいリーフェンスが。
「……どうしてそんなに僕に拘るの?」
「こ!? こ、拘ってなど!! ただ……」
そう、レヴィに拘り、彼に優しくする理由など皆無のはず。そのはずが、リーフェンスは現にレヴィに対して凄く好意的だし、むしろ――自惚れかもしれないが、「好き」といった感情さえ感じられる。
「ただ……」
「リーフェンスはレヴィくんのこと大好きだものねぇ〜」
「なっ!?」
そうからかいながら扉の向こうから入ってきたのは、金髪が麗しく、リーフェンスとは違って背が高く、更に大人びた体つきのリルムだ。
大人びたとは言えど、彼女はれっきとした大人。今年で二十二歳だ。
「大好き?」
「ち、違うのですレヴィ様! これはリルムが!」
必死で弁明しようとするリーフェンスだが、顔が赤らんでいては説得力がない。
むしろ、肯定しているようなものだ。
可愛らしく変わってしまったその紅潮した頬が、リルムへの怒りと共に引いていく。
――いつも通りの鋭い眼光。それをリルムに向けると、徐にその口を開いた。
「リルム……どういうつもり?」
「いやぁ、可愛らしい反応が見れると思ってつい、ね」
てへっと頭に手を当てるリルムに、リーフェンスは怒りが最高潮。違う意味で赤くした顔を、彼女へと向ける。
いつもは抑えきっている感情を表に出してしまうリーフェンスと、本当にピンチの時以外は素の感情を出さないリルム。比べてみると、やはりどちらが大人かよく分かるというものだ。
「か、可愛くない! 私はレヴィ様の恋人――……従者になりたいだけであって……」
「……今なんて?」
「うわぁぁぁぁぁぁぁあん! リルムぅ!」
子供らしく泣きつくリーフェンスを抱き締めるリルム。大人らしい落ち着いた表情を浮かべると、レヴィの方を向いて言った。
「そういうことなの。この子はあなたのこいび――」
「それ以上言ったらころす!!!!!!」
どうしたものだろう。若干レヴィと同い年くらいに思えていた彼女が、一気に幼く見えてきたのは。この一面だけ見ると、まるでレイラと同い年のような。
「はいはい。ちゃんと経緯を説明しなさい」
「あうぅ……」
「経緯?」
そう聞き返すと、リーフェンスは落ち着きを無くした様子で狼狽える。
「あ、あの……」
「はぁ……」
動揺に体を蝕まれたのか、もごもごと言葉を濁すリーフェンスに、愛想を尽かしたリルムが溜息をつき、経緯の説明を始める。
「この子はね、代々レヴィ家に仕えてきた家系の末裔なのよ。それと、この子は一途な人が好きなの」
「一途な人?」
そう言ってとぼけるレヴィだが、本当は分かっている。誰の目から見ても一目瞭然だ。
ずっと、アリスのことを想っている。もはやそれはこの屋敷において当たり前のことであり、これを知らないものはいないといったもの。
唯一心に触れられる人間がいるとするならば、リリィとレイラくらいであろうか。
「一途……なのかな。僕、今までも色々間違ってきたけど」
「それでも、心の根底にはいつもアリシアちゃんがいる。それは間違いないのよ」
そう言われ、頷くことしか出来ない。
自分の気持ちには嘘は付けない。
「……で、なんでリーフェンスさんは一途な人が?」
「……この子、性悪なのよ。いつか自分に振り向いてくれるんじゃないかって。それに、人が病んでる時に心に寄り添ったりするのよ。弱みに漬け込むってことね」
リーフェンスの行いは悪いことなのか。
人が弱っているところを見つけて、それを励まそうとしているのがそう見えてしまっただけでは、なんて思ってしまう。
もしそれが彼女の本当にやりたかったことならば、リルムの意見は宛にならない。
「それは……違うと思います」
「違う?」
リルムが、まさか反論するなんて。といった表情で瞠目する。
「リーフェンスさん、人の助けになりたいだけでしょ?」
「……そりゃあ、誰だって……」
違う。誰もがそんな素晴らしい感情を持ち合わせているわけじゃない。この国にも極悪人はいるし、逆にリーフェンスのように素晴らしい人もいる。
結局は性格なのだ。
「……まぁいいや。リーフェンスさんは従者になりたいの?」
「はい!」
張り切った声できっぱりと答えるリーフェンス。その声色、目に迷いの色はない。
彼女のここまで真剣な眼差しは、幾度と見たことがない。まぁ出会って日は浅いが。
レヴィは考えた。従者として彼女を隣に置けば、身の安全。それと同時に屋敷の皆の安全は約束されたようなものだ。
だがデメリットがひとつある。忽然と現れた従者候補に、リリィやレイラが怒りを覚えること。
可能性でしかない話だが、これはあまり問題視するではないのだろう。
「……従者っていう言い方が好きじゃないんだけど。傍にいたいならいいよ」
「ほ、本当ですか! 有り難き幸せ!」
胸に拳をあてがい、幸せいっぱいを体で表現しようとしたリーフェンス。
後ろでは呆れたリルムが溜息をつき、欠伸をして――心底つまらなさそうな雰囲気だ。
「そういう畏まった喋り方もしなくていいよ。なんなら敬語もなしで」
元々、レヴィは部下を部下と思いたくない性格なのだ。つまりは、全ての人間と対等にいたいと、そういう心底の願いが滲み出ている。
リーフェンスはその言葉に少し呆気を取られ、細い体を棒立ちに。
だがそれもつかの間、直ちにレヴィに向き直ると、姿勢を正して言った。
「そ、それは流石に……従者の名が廃り――」
「命令だよ」
言ってるそばから。心の底からそう思う。
何が対等に接したい、だ。思いっきり上から目線。職権乱用だ。
――時と場合によるんだ。
リーフェンスは暫くもじもじと体を捩らせて、そして覚悟を決めた。目の色が変わり、口を開く。
こうやって、思い切りが良く、すぐに意識を切り替えられることもまた、彼女の良い所だ。
「――わ、わかっ……無理ですぅっ!」
「どわっ!」
涙目になりながらレヴィに飛びつく少女。
その衝撃で後ろに大きく飛ばされたレヴィは、椅子からひっくり返り、後頭部を強打。
ほぼそれと同時、リーフェンスの勢い余った行動がもたらした、唇の接触。
それはあまりにも突然で、予想だにしなかった衝撃だった。
「――っ!!!!」
「――」
キスをしてしまった衝撃と、レヴィが頭をぶつけた衝撃。恐らく後者の方で、部屋に大きな音が鳴り響く。
目を瞑ったレヴィは、安らかな顔で――。
「わわわわわたし……ききききす……」
「レヴィくんが気絶してるわよ」
その一言に、顔色が変わったリーフェンス。リルムは呆れのあまり、部屋から出て行き、リーフェンスはレヴィの胸の中で泣く。
――こんなことをしている場合じゃない! 早くじ、人工呼吸しないと!
「レヴィさまぁ!!!」
たった十四歳の少女が、一日に何度もキスを体験した日だった。




