92話 私を忘れて。
いつしかレヴィは、涙を流していた。
ヴェリュルスもまた、彼の涙に誘われて泣いていて――。
「辛……かったね」
「……覚えてねぇかもしれねえが、お前も昔はこうだった」
懐かしい。とでも言うように、遠い目で白い箱の壁を眺めるヴェリュルス。彼の開いた手は、心做しか少し震えているようにも見える。
「……どういう……意味?」
「言ってなかったか? 俺とお前はずっと転がり続けてここにいる。所謂輪廻だ。俺らはいつも、ほぼ一心同体だ。……俺の記憶では、お前が打首になることもあれば、俺が老衰で死ぬこともあった。人生ってのは気まぐれ、ただの運ゲーだ。……けど、決まって俺たちはいつも成せないことがあった」
長々と話すヴェリュルスの、その一言一言を聞き逃さない。難しい話などではないし、それを聞くと全ての記憶が蘇るような感覚さえ覚えたからだ。
ヴェリュルスは続ける。
「いつも……アイラを守れない」
アイラ――蘇った記憶の中で、アズリサイアと名乗った少女のあだ名だ。
ここに来てやっと、アイラ=アズリサイアということを再確認できた。
これまでの会話の中で幾度となく出てきはしたが、それが一体誰なのかは分からないままだった。
「アイラ……」
「お前はもう、勘づいてるかもしれねぇが、アリシアはアイラだ」
軽い衝撃。だが、それは「驚く」という域には達せず、ただ憶測の端っこにあったものにたまたま当たったという感覚だった。
アイラ=アズリサイア=アリシアという現実離れした関係性に、唾を呑み込む。
「アリシアはもう死んだ。けど、これも記憶の済にあっただろうが……あいつは俺らが生み出したものだ。だから――」
「――」
分かっては、いた。
魔法など使っていないのに、毎日どことなく倦怠感がある。これは魔法使い及び魔女の魔力が枯渇した時に出る症状であって、風邪をひいているわけでも怠惰に身を堕としているわけでもない。となれば、アリスはレヴィとヴェリュルスが作り出したもので、人間でない彼女が魔力を使うため、普通に生活を送るためにレヴィが魔力を譲渡していると考えれば、全ては当てはまるのだ。
そしてその予想は当たっていた。
「俺たちがもう一度あいつを作り出せば……」
「……」
暫しの沈黙が流れ、ヴェリュルスが口を開く。
「あいつは戻ってくる」
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「――ぉい! ……ィ!」
喧騒の中で目を開ける。
煩くて目が覚めたと言うよりかは、目が覚めると煩かった、というのが正確だろう。
視界には、自分を心配しているであろうリリィや他の人たち。声だけは靄がかかったようにはっきりと聞き取れない。
「起き……」
「…………」
声にかかった靄が晴れ、リリィの声が耳に入る。そして、彼女の周りの皆が息を呑む沈黙の音も。
リリィもまた、声を発してすぐは微動だにせずレヴィを見つめていたが、数秒後――。
「もう! ……何回心配させれば気が済むんですか!」
「……」
リリィがレヴィに飛び付く。
声が出せないわけでもなく、目の前にいる人たちの顔を認識出来ないわけでもないが、何故か言葉が出ない。
というか、半開きのまま口が動かない。
相当、事実を知ったことへの衝撃が大きかったのか、それとも白い箱からの帰還の途中、少し体が麻痺したのか。
「レヴィ、あんま心配かけんな。びっくりすんのは俺らなんだからな」
「ほんとですよ〜。心臓止まりかけたんですから」
虚ろになっていた視界が狭窄から放たれ、それと同時に口から息がふっと漏れる。それが口から言葉を出すことが出来ることの合図であり、それと同時にこの世界に戻ってきたと実感出来る確信のひとつだ。
「僕……何を……」
正直、白い箱へと行く直前の記憶がほぼ無い。
段々と頭の中で明白になっていくその過程の中で、彼は唸り叫んでいた。
「レヴィくん、いきなり叫んだかと思ったらいきなり後に倒れて……後頭部打って……」
「後頭部……? あ痛……」
後頭部に手を当て、その痛みを確認する。
相も変わらず怪我の耐えない体だ。体質だろうか。昔からこれだけは変わらない。
「そりゃあ痛ぇよな。すげぇ音したもん」
「あとで手当てしてあげるから。……立てる?」
「はい……立てます」
差し出された手を握るが、肝心なことを忘れていたよう。
リリィがまだ抱きついたままなのだ。
立てない――立たないことはどうでもいいとしても、やはりヴェリュルスと一緒に見たあの記憶は酷く凄惨なものだった。
溢れる仲間の血と、自らが焼かれる時の視界。業火に身を焼かれ、痛いなどという言葉では表せないほど。
そして、それはやはりヴェリュルスの思惑通り封印すべき記憶だったのかもしれない。
いっそのこと、アイラとの記憶だけを解放して、凄惨な記憶のみを封印出来れば――なんて思うが、それは無理だ。
自分たちの最後にこそ、これまでの。これからの行動についての鍵になってくるのだから。
「? どうしたんだ? 元気ないぞ?」
そんな場違いなことを考えていると、アブセルトがこちらを心配するようにして覗き込む。
整った顔立ちと、長く赤い前髪が、とても美しい。
「……皆は、天界恋歌について細かく聞きましたか?」
聞いているのなら、話は簡単に進むはずだ。勿論、ヴェリュルスの正体、そして彼がレヴィと共に過ごしていることさえも話して大丈夫な範疇に持っていけるのだ。
だが――。
「あほか。それどころじゃねぇだろうが。一番聞かなきゃいけない奴が急に倒れたんだ。……ちょっと考えたらわかんだろ?」
「お兄ちゃん! レヴィくんに失礼な事言わない! 仮にも王様だよ!?」
辛辣な言葉。それもその通りだと頷こうとするレヴィを庇い、カオルが兄トオルに物申す。トオルにとってカオルはやはり絶対的存在であり、口答えなどそうそう出来ない関係らしい。今の状況が、それを物語っている。
「仮に……ね」
だが、庇ってくれたカオルの言葉にも少し棘があったようで、レヴィはゆっくりと目を閉じて、その言葉を心の中で消化する。
彼が次に目を開いたのは、「同志」であるリルムが声を発した時だった。
「レヴィくん。早速約束、守れなかったみたいなんだけど……ごめんなさいね」
何も怪我をしていない――わけではないが、これくらいの怪我は何度も経験している。それに、防いでも防がなくてもどうでもいいような怪我だ。
これが女の子なら別だろうが。
「あぁいや、僕が勝手に倒れただけだし……というか、リリィ? もう離れて?」
「……むぅ……」
押し付けられた胸の感触が、妙に心地よい。変態的な意味ではなく、何か、安心する何かを、それが持っているような感覚に近い。
「むぅじゃないよ。ずっと胸が当たってる」
「いいです」
「いいの!?」
盛大なツッコミを入れた後、リリィは大人しく彼から離れた。
その表情、まさに充電満タンといった雰囲気だろうか。まぁ何にせよ、満足した表情でよかった。
「……ここまでツッコミが綺麗に出来れば、もう話しても大丈夫だろ」
思えば些細なことだが、トオルがやけに冷たい言葉を投げかけるのは何故だろうか。
「ごめんね。席に着くよ……っと、その前に」
言葉の最後に付け加えられたそれに、皆が頭にはてなを浮かべる。目に見えるように変わった皆の表情と、自分の表情が正反対のものだと、言葉にされなくても分かってしまう。
「言わなくちゃならないことがあるんだ」
その言葉を機に、皆が席に着き、レヴィだけが立っている状況に。
準備は整ったと言わんばかりの光景を前に、レヴィの脳内に自身の声が響き渡る。
『本気か?』
『うん、もう話す。いいだろ?』
少し焦ったような、言うならば幼稚園や学舎で劇を発表する時のような、そんな感情が声色から読み取れる。
『いいけどよ……ちょっと小っ恥ずかしいな』
『いいから』
それを最後に、ヴェリュルスとの交信は途絶えた。それはつまり、レヴィにそれを話すことを許した合図で、そして彼が自ら――。
「僕………………いや、俺はヴェリュルス。天界で謀反を起こし、己の父に焼かれた者だ」
話を進める覚悟が出来たということだ。
「――――何を?」
「はぁ?」
落ち着きを取り戻したヴェリュルスは、久しぶりに目にする銀髪の少女に声を荒らげて聞き返す。
だが、そんな態度の変わってしまった彼も、見た目はレヴィ。リリィは全く臆することなく続ける。
「何を……言ってるんですか?」
「何って、そのままじゃねぇか。俺はヴェリュルス。レヴィの体を借りてるだけだ」
本当のことを言っただけ。なのに、リリィはテーブルに置いてあった水をがぶがぶと口に含むと、ゴクリと音が鳴るほど大きく飲んだ。
それで少しは気が紛れたのか、再びヴェリュルスに向き合う。
「レヴィ様の……? そんなことが……?」
「レヴィがこんな真似すると思うか? 真面目で、人をからかうことなんてしないあのレヴィが」
「いえ……そんなことはしないと思いますけど……それは……」
いかにも信じられないといった感情が見え隠れするリリィ。
信じようにも信じられるわけがない。ヴェリュルスがレヴィの体を借りて顕現したのは、彼女の前では一度だけだ。
逆に、その一度限りの出現で、「レヴィがヴェリュルスに乗り移られている」ことを見抜けたなら、彼女は名探偵にでも転職した方が良いのだろう。
「まぁだ信じられねぇのか? じゃあお前、お前だよ。リルムつったっけ? 俺と模擬戦だ」
そう言って、リルムを指差す。
もうこの時点で、行動ひとつひとつが粗雑。あまりにもレヴィとはかけ離れたもの故に、ここで気付く人間がいてもおかしくはないはずだが――。
「私? 前は勝ったのだけれど……そういうことね。ここで私に勝てば……」
「俺はヴェリュルスと立証される……はずだ。他の奴らに異存が無ければな」
誰も気が付かない。その事実に、「意識の裏」で視界を共有していたレヴィは、白い箱で落胆する。
――誰も、自分のことなど見ていなかったのだ、と。
ヴェリュルスの提案。それもまた、適当で、あまり信ぴょう性に長けたものでも無いと思える。
この間の模擬戦から日にちが経っていないとはいえ、彼女の行動を目に焼き付けていたレヴィがこうして戦いを挑んだというのならば、彼女に勝てる可能性はゼロではないはずだ。
だが、それにも誰も気が付かない。
これこそ、ヴェリュルスの手腕――というわけでもない。ただの運だ。
「そうね……レイラちゃん、あなたはどう思うの?」
「え、ボク? えぇと……そりゃあ、その通りだと思うけど……」
「違うわ。この子がレヴィくんでなく、ヴェリュルスだと思う?」
リルムの質問に、レイラは目を細める。
彼はどう見てもレヴィ。しかし魂だけが違う人格など、この世界においてそんなことがあっていいものなのか。
あるとすれば、邪精霊。彼らならば、身体は変えずに意識を乗っ取ることが出来るかもしれないが。
「そりゃあ……態度とかは正反対だけど……あ、抱きしめたら分かるかも」
「なんでぇ!?」
「だって分かるんだもん」
トオルが叫び、哮る。
これもレヴィの思惑だと感じたのか、トオルはレイラを押し退け、ブチ切れといった様子でヴェリュルスの胸ぐらを掴み、耳元で囁く。
「またレヴィお前……そうやって幼女にまで手をかけて――」
「それ以上言ったら私が容赦しない」
言葉を遮り、鳩尾に膝蹴りを入れたのはアブセルトだ。実妹であるレイラを貶されたことと、仮にもレヴィのものである体をこのように扱ったことに怒りを覚えた様子だ。
怒りのボルテージはマックスに達しているようで、全く武術に長けていない(というか柔道すらやったことない)トオルを黙らせるには、その感情ひとつで十分だったようだ。
「スミマセン」
トオルが片言で謝るが、アブセルトは「許すまじ」と、腰を抜かしたトオルの顎を思いっきり蹴り上げた。
「ぎゃふん」と言って気絶するトオルに、カオルが泣きつくが、アブセルトはそれすらも気に召さない様子だ。
レイラがヴェリュルスのもとに駆け寄ると、レイラは有無をも言わさずぎゅっと抱き着いた。
「ぎゅ〜〜〜」
――懐かしいな……こうやって、撫でてたっけ……。
「……なんで撫でたの?」
「なんかな、懐かしくて」
ヴェリュルス自身も、天界での記憶が百パーセント戻っているわけではない。
何やら懐かしい感情を覚え、自然と手が伸びてしまった。柔らかい銀髪と、子供らしい愛らしい表情。
記憶の淵に引っかかるが、それは思い出せず終い。
「ふーん」
感傷に浸るヴェリュルスを他所に、レイラはそそくさと彼から離れ、リルムのもとへ。
「で、どうなの? レイラちゃん」
「違う。この人、レヴィ様じゃない」
大人数から求められているのはヴェリュルス。だが、あの少女が求めているのはレヴィ。色々とややこしい感情が芽生える前に、声を発したのはリルムだ。
「って言ってるわよ。戦う?」
「この子の言葉で皆が信用してくれないなら」
その言葉に、一同が黙る。
だが、それは一瞬。彼をレヴィとは認めないとしたのか、口々に「信用する」「信用します」と口を開いた。
「じゃあ決まりだな」
「えぇ。で、あなたが出てきた理由は何かしら?」
肝心の本題だ。
長い時間を彼の身分調査に使ってしまっていたが、こちらは一瞬でカタがつきそうだ。
なぜなら、「彼女」のことは、ここにいる全員が――。
「あぁ、アリシアのことだ」
「――」
リリィが息を呑み、手をわなわなと震えさせる。小さな声で何かを呟いているが、それはやがて大きな感動となり、涙となり、彼女の頬を伝った。
「あいつは俺が作り出した。だからもう一度作り直せば……って思ってたんだが、生憎身に覚えがない」
「? どういう意味だ? 身に覚えがないのにお前が作り出したってか?」
衝撃の事実――だったはずだが、ここの全員はそれを難なく受け流し、それよりもヴェリュルスの言葉に興味を持った。
「あぁ。だが、確証はある。その確証を確かめるためにも、アリシアを取り戻すためにも――」
一同が息を呑み、次の言葉を待った。
だが次の瞬間――。
「俺たちは天界へ、行く」
誰もが予想だにしない言葉が放たれ、全員が驚きのあまり、動きを一切止めるのだった。




