91話 天界のおとぎ話
それはあまりにも端的で、盲目的で、衝撃的で、それでありながらとても希望に満ちた答えだった。
「あはは……そう……アリスが……」
ドルフから聞いた、あの言葉。どうしても、胸から離れないでいるそれは、いつしかリリィの心を蝕み、仲間の為に猛威を振るうかもしれない。だが、そうはさせまいと、リリィは必死で自身の正義を鎮めるのだった。
「あはははは……」
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暫くの間、リルムやトオル、リーフェンスと長話をしていたために、自室へと戻るのが遅くなってしまったレヴィ。
いつもとは違い、夕食は午後10時を回った頃だった。
「レヴィよぉ、なんでこんなに晩御飯遅かったんだ?」
「メイドさんたち皆寝込んでるからどうしたらいいか分からないし、とりあえず料理作ったらこんな時間だったけど、良かったんですか? レヴィ様」
そういうラファティー姉妹は、レヴィの顔を覗き込んで問いただす。
彼女らの目の色はとても澄んでおり、とてもじゃないが彼女らを守る為の契約を、リルムと交わしていたなんて言えない。
――言っても良いとは思うが、それによって純心な彼女らが、責任を感じてしまうことも考えられる。彼女らには責任を感じて欲しくはない。
「いや、ちょっと長話し過ぎて、ね。リルムさん」
「えぇ、そうね。レヴィくんが魅力的な子だから、ついつい話し込んじゃったわ。うふふ」
リルムの冗談に突っかかり、大きな声を上げながら席を立ったのは、彼に想いを寄せる少女たち。
しかしその中には、元々許嫁であったリリィは含まれていなかった。
「……リリィ、どうしたの?」
「え、あ……いえ」
どうにか誤魔化そうとしているらしいが、迷いが顔に出過ぎだ。もうちょっとポーカーフェイスを学ぶべきではないかと、少々不安になる。
と、不安になるべきはそこではない。神経質な彼女にはよくあることだが、彼女が悩んでいる時は大抵かなり重要な問題を抱えている時だ。また何か、ひとりで抱え込んでいるのではないかと、レヴィは睨んだ。
「何かあった?」
「……あの……いや、何でも」
「何かあるならはっきり言って。これでも私たちは仲間なんだから」
中々煮え切らないリリィの様子に、痺れを切らしたのはリーフェンスだ。普段はあまり素を見せない彼女だが、今日はいつもとは違い、感情を表に出す。
きつい言い方のようにも感じたが、彼女の表情はリリィを心配するそれだ。
鋭い顔立ちの彼女が、こうして柔和な表情を浮かべたのは、レヴィを慰める時と今だけ。中々に珍しい。
「……実は今日、ジルギルドに行ってきたんです」
「ジルギルドに? あの軍の中でもトップクラスっていうあのジルギルドか?」
『ジルギルド』という言葉に、食事をする一同の手が止まる。
理由は簡単。ジルギルドには、関係者以外はそう簡単に入れないから。それだけだ。
もし一般人――王に仕えている以上、公人と呼ぶべきなのかもしれないが、リリィのような凡夫がそのような場所に行けるとなると、それには何か理由がないといけない。
その理由にひとつ心当たりがあるリルムは、ふと口を挟む。
「……例の事ね」
「例の?」
リルムの一言に、一同口を揃えて聞き返す。
「ジルギルドに何かあるの?」
過去にジルギルドへと足を運び、中へとお邪魔させてもらったことのあるレヴィでさえ、話の流れが全く掴めない。増してやジルギルドにすら、ジルギルドの面子にすら面識のない他のメンバーなどは尚更である。
「何かあるっていえば、何かあるんだけど。まぁ、“unknown”だったり、天界の記述に関してはあそこがナンバーワンよ」
「天界……本当にあるの?」
噂程度にしか聞かなかった、まるで都市伝説のような存在、天界ノヴァーテ。それは帝国の丁度真上に存在すると言われている、まさに天空城だ。
“ミーナ”の言葉を借りると、ノヴァーテには善悪共に3000人程度の人が住んでいて、その天界を統べる神と、その妻であるアズリエルがいたとされる。
アズリエルは堕ち、地上の人間となったと言われているが、その詳細までは語られることがなかった――。
「あると思いたいな。オカルトとかファンタジー好きな俺からすればだけど」
「ララもそういうの好きです。おとぎ話好きですから」
こういった天界だったり、海底洞窟だったりを探検するのは、王としても悪くないと思う。が、それに連なる費用がかかってしまうのは否めない。
「そう……で、ジルギルドでは何を?」
「ドルフさんと話をしてきました。重要な話です」
重要な話と聞き、全員が息を呑む。
もしかすると、といった妄想が脳内に蔓延るが、それらはほぼ不可能に近いのだろう。
確証はないが、そうだと思う。
「もしかして……? あ――」
だがそれでも、希望を抱かずにはいられないのだ。希望というものは、時に原動力となり、時に絶望の理由となる。最後に最高の結果を掴めるのであれば、その両極端な『希望』というものに振り回されることも厭わない。
レヴィが声に出そうとした時、リリィがその言葉を遮る。
「でも、可能性はゼロに近い……そうです。それでも、聞きますか」
「――」
瞠目して言葉に詰まるレヴィと同じように、この場の全員が息を呑み、彼の決断の行方を見守る。
その期待の眼差しの中には、「やめておいた方がいい」だったり、「失敗するのでは」といった雑念も含まれていただろう。だが、そんなものには振り回されない。
レヴィは自分の愛だけを信じ――。
「構わない。絶対に取り戻してみせるから。聞かせて」
彼の決断が、大きく表情に出た。
それは一言で言うと、大きく賭けに出た。というよりかは、必ず信じている。というものだった。
彼が信じるそれが、信じる力が、信じられて期待された彼女が、それに応えるのか。そんなことは知ったことか。
今はとにかく、行動することが大事なのだ。
決意の眼差しを向けるレヴィに、リリィは安心したように息を吐き出し、安堵の表情を浮かべながらも、彼女もまた決意したように言った。
「あなたならそう言うと思っていました。リリィだって、信じているんです。ただ、あなたの気持ちを確かめたかった。それだけです。では、本題に入ります」
「うん、お願い」
彼の声に合わせて、リリィは大きく深呼吸をし、心を落ち着かせるようにして言った。
「まず、向こうでの文献を読ませてもらいました。題名は『天界恋歌』。内容は、簡潔に言うと、天界での神と女神アズリエルの話です」
「アズリエルの……」
レヴィがそう呟くと――。
『そろそろ、記憶が開くか』
脳内に自身の声が響く。
しかしその声は幾分かレヴィより低く、どこか嗄れたような――、どこか年季を感じる声色だ。
『きちんと、聞いておけよ……』
それだけを言うと、ヴェリュルスはレヴィの脳内から離れ、どこかへと消えていった。
その姿が見えている訳でもないのに、彼が遠ざかり、自分の体の中に収まっていく感覚が分かる。彼はレヴィの守護霊なのか、と思うほど、彼とは親密に繋がっている気がする。
「まぁ話半分、とはいきませんが、そこまで間に受けなくてもいい話です」
「いいよ、続けて」
ここまで来ると、ヴェリュルスが言ったように、記憶が解き放たれるのではないかと期待してしまう。逸る気持ちを抑えて、レヴィはリリィにそう言った。
「はい。『天界恋歌』には、アズリエルの生涯、そして彼女の本名。更には夫である神の名前。そして、彼らの上位神兼最高位天使であるミカエル、第二位神、天使であるガブリエル。彼女らに関してが表記されていました」
「……そんなに……」
突然、大量の人物の名が飛び出し、驚きを隠せないレヴィ。そして一同。
これほどまでに重要な文献が、何故この屋敷に無く、軍施設に保管されているのか。それらは知る由もなく、ただレヴィは静かに呼吸を整えていた。
「まぁ……ガブリエルやミカエルについては後々詳しい話をします。リリィが気になったのは、アズリエルの真名と、その夫のことで……」
アズリエルのおとぎ話に匹敵するほど有名なミカエルとガブリエルの話はさておき、下位神であり下位天使であるアズリエルたちの話が優先される――余程、重要な事実が判明明らかになったのだろうか。
「……まず、アズリエルの真名は、『アズリサイア』――」
「――ッ!!」
リリィの口から放たれたその名に、レヴィの顔が曇るが、それに気付かずにリリィは続ける。
「そして、彼女の夫の名は……ヴェリュルス――」
「ぁ――」
名が、発せられた。
今まで、約半年ほど一緒に。同じ体で過ごしてきた彼が、あのアズリエル――否、アズリサイアの夫であるなど、あっていいものなのか――。
「うぅ……」
「え? れ、レヴィ様?」
このような真実が、あっていいものなのか。自身の体を同じく操る精神同士として、彼は存在していいものなのか。
わけが分からなくなりそうな、蕩けた頭の中に、ヴェリュルスは顕現しない。
ただ、何か分からない。物凄く大きな力だけが彼の体を支配して――。
「あぁ――ッ!」
「――」
――蕩けた脳内で、誰かが必死に僕の名前を呼んでいる。いつもの……いつも聞いてる声。あぁ、ヴェリュルスか……ついに、話してくれるのかな? 僕の……過去を。
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白い箱。
そこでの対話は、いつも重要なものとなった。今回もそうなのかという、少し逸れた期待感と共に、レヴィは白いベンチに座っていた。
第三次征伐戦、そしてマングローブでの再開、あれらの出来事があってから、この場所も随分と変わってしまった。
白いと言えば白いが、それなりにくすんだ白になった壁と地面。ベンチももうボロボロで、ふたりが腰掛けるのがやっとなほど。天井といっていいのか、果てしなく続く白は、虹のようにどこからか分からず切れ目が走っている。
くすんだ白い箱で、レヴィはひとり思っていた。
『これからは皆をしっかり守る』。思っていた、というよりかは、誓っていた。自分自身への誓約だ。
「上手くいったらいいけど……」
独り言。それが何やら、自分への戒めとなっているような気がして、つくづく自分は自分に厳しい人間だなと思ってしまう。
己に厳しい人間は、いつか自身で自身を滅ぼしてしまう。どこかで聞いた言葉だ。アリスだったか。それとも書庫で読んだ本に書いてあったか。
もう忘れたことではあるが、その言葉だけは忘れたことがない。
「誰に聞いたんだっけか……」
そう呟くと、その声に反応したかのように、遅れてヴェリュルスが登場した。
どこからともなく現れて、どこへか分からず消えていく。それがこの白い箱での始終の全てだ。
「久しぶり、ではないな」
「そうだね。二日、三日前に会ったばかりだよ。でも何だろう……凄く懐かしい感じ」
ただの時間ぼけかもしれないが、心做しかそう思う。前回出会った時ならば、この感覚もあながち間違いではないのだが、今回に限っては何故このような感覚に陥るのか、全く身に覚えがない。
ひとつ挙げるとすれば、お互いにゆっくり話す機会がなかったから。なのかもしれない。
「俺も同じ〜。で、ついにお前はここまで辿り着いたわけだが……」
「? いつかはこうなる予定だったんでしょ?」
「辛口だな。せめて自分くらいは褒めてやれよ。ここまで、やっとのことで、這いつくばりながら来たんだ。心に余裕持たねぇと辛ぇぞ」
ご最もなレヴィの意見に、ヴェリュルスは参ったと言わんばかりに手を上げる。
そう、レヴィの言う通り、いつかはここまでたどり着く予定があった。辿り着かねばならない使命だった。だが、その道中に存在するいくつものキーポイントの中で、ヴェリュルスにとって想定外だったのは、外部からの干渉だ。
「それにしても、リリィから記憶の鍵を渡されるとはな……あいつもなかなかやるな」
そう笑うヴェリュルスの表情は軽快だ。
恐らく、レヴィ以上に死線をくぐり抜け、世界の理に触れたからこその余裕の笑み。
――まぁ、「黒鴉に負けたじゃないか」と言われればそこまでの話だ。
「記憶を……その鍵を使って開けられるの?」
ヴェリュルスの右手に握られた、小さな鍵。それは禍々しさなどは皆無で、むしろどちらかと言えば神々しい、という言葉が当てはまるだろう輝きを放っている。
自分の記憶が開かれる。そのことへの期待と不安。それよりも更に上澄みに浮いてきているのは、「自分の記憶の鍵が輝いていること」への興奮だ。
「あぁ、こんな大層な鍵じゃなくても開けられると思うんだけどな。……まぁ、俺から話すよりも自分で見た方が全部早い」
「そうか……」
ヴェリュルスから鍵を手渡され、いつの間にか顕現していた大きなモノクロの扉の前に立つ。
モノクロと金ピカ。ふたつのコントラストが異常なまでに、レヴィの心を鷲掴みにする。
「じゃあ……見てくる」
「あぁ、見てこい。俺の、お前の全てを――」
鍵を差し込み、右へと回す。
その途端、モノクロだった大きな扉は虹色に変色し、鍵穴から漏れ出した虹色の眩い光に、レヴィは飲み込まれた。
その記憶に封印された、全ての事実が今、解き明かされた。
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その日、ヴェリュルスはいつもの一日を過ごす予定だった。
魔法も殆ど使えず、自堕落とまではいかないが、張り合いのない生活を送っていた彼に、彼の父は言った。
『このままなら、お前はこの国を統治する王の座を継ぐことになる。その際、天界のルールで、試練を乗り越えなければならない。もし、今のように自堕落な生活を続けて、精進しようという気がないのなら、ここから、神の座から消えろ。ミカエル様やガブリエル様の邪魔になる』
その言葉を頭の中で反芻するが、どうも納得がいかない。消えろと言われれば消える。その覚悟だが、自分はやれば出来るやつなんだ、と思えば何でも出来てしまうのが彼の特徴だ。
「つってもなぁ……ミカエル様らの出す試練って死人出てるからなぁ……」
そう、大天使ミカエルが天界の王に出す試練は、あまりの難しさ故に負傷者が出るほど。過去には約30人ほどの王族が命を失っている。
いくら自分がよく出来て、それに連なる自信があったとしても、こればかりは合格出来そうにない。
いくら自惚れたって、所詮王族の中では中途半端だ。座学は完璧で、剣術もなかなかの腕だが、魔法がほとんど使えないのが彼の評価を一段階下げている。
結果、試練は受けるべきではないのか――。
「つまんね、寝よ」
考えても無駄だ。
考えるだけ時間の無駄というのは、こういうことを言うのだろう。
「――」
芝生に寝転がり、そこで走り回る子供たちを見守る。いつか、こんな日があったな、と懐かしむばかりだ。
たまにこけて、よく泣いたものだ。その度に誰かがヴェリュルスを慰めてくれていて――。
――誰だっけか……。
思い出せない。思い出せないが、脳裏に浮かんでくるのは見たことのない。しかし見覚えのある白銀の髪を持った少女。
その髪は長く、腰ほどまで下ろしていて。
身長はそれほど高くなく、ヴェリュルスの方ほどだったような気がする。
きめ細やかな肌は、色白を通り越してまるで雪だ。
白い装束を纏った彼女は、夢の中で彼に微笑んだ。
「――……ょ……ね、ま……ね」
夢の中で、彼女はヴェリュルスに言う。
か細い、今にも消えそうな。いや、消えかかった声と吐息が、赤黒い何かと共に消えていく。
「待ってくれ……頼む……俺はお前がいなきゃ――!!」
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目が覚めたのは、綺麗な夕日が地平を照らした頃だった。
寝てる間のことだ。何があったかは全く分からないが、大量の汗が身体中を濡らしていた。
涼しく吹く風に、服をパタパタとさせながら、前へと振り返ると、少女が。
「あなたは……?」
「……お前は……」
ふたりは見つめ合い、息を呑んだ。
この火照る気持ちはお互いに持ち合わせたものではないだろう。無機質な表情を浮かべる少女と正反対で、ヴェリュルスは既に彼女に見蕩れていた。
「あぁ……いや、ごめん」
「なんで……謝るの?」
白い髪が、風に靡く。
それに反応したかのように、彼女はふと口を開いた。
「私、あなたに……感謝してる」
「え、は?」
「私……」
なんとも言えない、切ないような、嬉しいような、生気を感じない話し方に、ヴェリュルスは嫌悪感ではなく、好感を抱くのだった。
「……あ、お、俺の名前、ヴェリュルス。お前は?」
焦るように名前を名乗るヴェリュルスに、ふっと彼女が微笑んだような気がした。
薄紅色の、綺麗で小さな唇が動き、彼女は自らの名を言った。
後に天界ノヴァーテでの英雄となる、その名を。
「アズリサイア。私、アズリサイア」
雪は静かに微笑んで、ゆっくりと溶けた。




