90話 真実は必ず裏切る
人知れず、裏庭で交わされた契約。
それが丁度、正式に術式としてレヴィ、リルムのお互いの体に埋め込もうとしていた頃、リリィの姿はひとり、街道を少し外れた所にある軍、ジルギルド軍の本部にあった。
厳かな外見の大きな建物と護衛の顔付きには見合わず、中に集う軍人は柔和な顔付きの者が多い。
敵だとしたら、顔を見合わせただけで少し油断してしまうような――それが作戦のひとつなのかもしれない。
穏やかな雰囲気の軍内部は、思ったよりも風通しが良く、隅々まで掃除されていて、とても清潔感のあるものだった。
サボり魔とはいえ、アリスのいない今、メイド長を務めるリリィから見ても、その清潔ぶりは感嘆が漏れる。
リリィが護衛のひとりに案内され、数分かかってやっと到着した奥の部屋。
他とは違い、その部屋の扉から迫る鬼気が、リリィの拍動を早くする。
柔和な雰囲気が、部屋の前に立つと大きく変わる。その扉に刻まれた『ドルフ』の文字が、より一層圧迫感を醸し出している。
「ドルフ様、お連れしました」
「入っていいぞ」
護衛のノックに反応し、中の人物――ドルフが返事をする。その声色は、レヴィたちをマングローブの中で助けた時とは大層な変わりようだ。
まさに、軍の最高司令官と呼べる貫禄だ。
「失礼します」
「ど、どうも……え?」
扉を開き、リリィが部屋に踏み込むと、ドルフは正座をして床に座っていた。
「申し訳ありませんでした」
「えぇ!?」
予想だにしなかった、ドルフの行動に、リリィはただ驚きに瞠目し、声を上げた。それは横についていた護衛もまた同じだった。
だが、その護衛は詳細を知っていたのか、ドルフのその行動に、護衛はそれほどまでに反応せず、ただドルフの横に膝をつき、彼と同じようにリリィに土下座をするのだった。
「え、えっと……なんで土下座を?」
「話せば長くなります。ただ、ごめんなさい」
全くこうなることに覚えがないリリィは、どうしていいか分からず、ドルフの手を優しく掴み、声をかけた。
「とりあえず……頭を上げてください。リリィはなんであなたたちがこうして土下座しているのか、全く分からないし、そうされるほどのことでも……ないと思うので……」
「い、いや……でも……」
そもそも、いくら帝国の王の許嫁に対してだとはいえ、軍のトップがこうして頭を垂れる理由など、そうそう見つかるものではない。それに加え、その詳細を知っているのであろう横の護衛。
もしかすると、軍ぐるみの何かをしでかしたのかもしれない。
「とりあえず、頭をあげて落ち着いて全てを話してください。リリィには……何が何だか……」
「そ……うですよね、いきなりこんな真似、失礼しました。じゃあ、座ってください」
そう言って、ドルフは予め用意していたのであろう高級そうな椅子を指す。
少し気になる、敬語の違和感。
厳格な軍、そして同じように厳格な内部。そして厳かな顔付きの護衛たち。彼らの中にいるのならば、彼が敬語に慣れていなくても納得がいくというものだ。増してや彼は最高司令官。敬語など、そうそう使う機会はない。
リリィは椅子に座り、ドルフもまた椅子に座る。そしてドルフの座っている椅子の横には、護衛が立つ。
これで漸く話し合いの席が整ったというものだ。
「それで、リリィに話したいこととは……?」
「え……っとですね。あの……順を追って説明します」
そう言って、ドルフは落ち着きを取り戻した様子でリリィに向き直る。
それと同時に、隣に立つ護衛から手渡された書類をリリィに渡した。
いつも、レヴィの元で書類整理する時に触っている紙質とはまた違った感触。
それこそ、表現するなら『厳か』な雰囲気を醸し出す紙質だ。
「これは……?」
「目を通してください」
そう言われて目線を下ろす。
ズラズラと並んだ言葉の羅列の中で、下線も引かれていないのに何故か引き付けられた言葉があった。
「……第三次……“unknown”討伐戦……」
「……その言葉が出た時点でもう分かってるとは思いますけど、俺……我々騎士団及びジルギルド軍兵は……」
怒りは、湧いてこない。
悲しみも、湧いてこない。
ただ、目の前に存する素晴らしい剣術、魔法の達人の顔を見やると――。
「本当に……申し訳ないです……」
「泣かな……」
一生懸命堪えているのが分かるが、それでも止まることを知らない涙。分かってしまう。涙の堪え方から、彼がどれほど思い詰めて来たかを。
それを考えると、かける言葉も見当たらず、こちらも今までの苦しみが込み上げ――。
「――」
とめどない涙が、ふたりの頬を濡らしていく。そして、そのふたりを見つめる護衛は、いつまでも静かに、その場を動かなかった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
ふたりの沈黙が止んだのは、涙を流してから数分後のことだった。
お互いに涙で濡れた頬を拭い、その様子に笑って見せた。
「えっと……ちょっと恥ずかしいところを……」
「いえ、こちらこそ……恥ずかしいです」
それだけ言うと、ドルフはリリィの手に掴まれた紙を指差し、続けて言った。
「本題ですが、言い訳をさせてもらうと……僕たちは最後まで抗っていました。しかし……あなた方が知っているように、応援は送れませんでした」
「別に、気にしてませんよ。レヴィ様も返ってきたことですし――」
とは言いながらも、リリィの心の中にはひとりの少女の。恋敵として、同僚として、ひとりの友達として、一緒に暮らしてきた少女の姿があって――。
「……ただ、欲を言えば、あの頃の全部が……戻ってきて欲しかった……です」
口に出すことは簡単だ。
ただ、それを実行することが難しい。
有言実行が叶わないかもしれないこの世界で、自分はいったいこの先どうしたら良いのか、全く前が見えない状況だ。
「……アリシアさんですか」
「……はい」
――楽しかった。何やかんや言いながらも、喧嘩しながらも、レヴィの腕を引っ張りながらも、自分は笑っていた。笑顔だった。彼女とレヴィ、両方がいてくれないと、意味がないのだ。けれどもそれは、自らの恋心を自ら捨てることに何ら変わりはなくて――。
「それでも……リリィは……」
「え?」
ふと我に返ると、ドルフが豆鉄砲を食らったような間抜けな顔をして、こちらを見ている。
「あぁいえ、独り言です。それで……今日のリリィへの話はこれだけですか?」
「あ、いえ。まだです。時間はまだありますか?」
時計を指差し、リリィに時間確認を取らせる。時刻は午後九時。まだ就寝には早いし、明日もメイド業以外に特別忙しい用事があるわけでもない。
「はい、大丈夫ですけど……」
「そうですか。なら、ゆっくり話せますね」
それだけ言うと、ドルフは椅子から立ち上がり、リリィの前に立つと言った。
「最初に簡潔に言います。アリシア様はもしかすると、またあなたと共に、仕事が出来るかもしれません」




