79話 魔術は遠く
屋敷を出てから6時間が経過した。
魔術師に辿り着くまでの道中、沼がある為に竜は使えなかった。
もし沼がなく、竜を使っていたとするならば、3時間前には魔術師に辿り着いている。
例え、空を飛ぶ竜がいたとしても、魔術師の住んでいる場所は沼――マングローブの中故に、空からでは目的地が分からなくなってしまう。かといって、地上から捜索しても迷子になるのはほぼ確定事項だ。
たった3人でマングローブに入ることは、自殺行為にも等しい。
まぁ、満潮でなければただの木の覆い茂ったぬかるんだ場所、というだけなのだが。
生憎、今は満潮だ。
3人は腰ほどまで水に浸かり、ゆったりとした歩みで進んでいた。
「本当に……こんなマングローブの中に魔術師がいるんですか……?」
「文献によればですが、彼女はここから約10キロ先の、マングローブを抜けた先の聖域に住んでいるらしいです」
「?」
質問をしたカオルの頭上にはてなマークが浮かぶ。
カオルがその反応を示したのは、『彼女』という単語だ。
カオルの中で、勝手に確立されていた『魔術師の容姿』は男性だった。細身で彫りが深く、いかにも魔術師といった雰囲気の男性――。
「どうも、綺麗な銀髪の女の子みたいですよ」
「へぇ〜、仲良くなれるといいですね!」
先頭を進むリリィに、陽気な面持ちでそう話すカオル。
リリィは振り返り、優しげな笑みをカオルに向けると。
「気丈に振る舞わなくて大丈夫なんですよ? 余計なお世話かもしれないですけど、大事な人が近くにいない気持ちはよく分かりますから……」
「ぁ……い、いえ。お兄ちゃんは絶対に帰ってきますから! ……だから、信じて待つんです」
こうして、待つことが出来るのは信頼の証。そう教えてくれたのは、綺麗で整った顔立ちをした、立派な母だった。
物心ついたときから、母はカオルとトオルに言い続けていた。
『大事な人がいなくなった時は、その人を信じて待つの。自分から動いてみてもいいけど、健気に待つ。それが最善よ。そしたら自然と大事な人は吸い寄せられて、自分のところに戻ってくるの』
毎回同じセリフを言うには少し長い気もしたが、母はこれを座右の銘のように語っていた。
彼女がそう信じられる理由に、離婚した父と再び復縁したことが関わっているのかもしれない。
「お兄ちゃんは、私が待っていれば必ず帰ってくるんです。そう、信じなきゃ」
そう呟くカオルの目には、希望だけが映っている。
思春期なんかは、自己嫌悪だったりトオルのことが嫌になったりした。
それを、どうにかしてプラスに捉えようとした結果、このように良い性格になった。――否、なってしまったのか。
「そうですね。……リリさん、大丈夫でしょうか?」
マングローブに入る手前、カオルたちとは別行動を取ったリリ。
理由は単純。リリの身長なら、溺れてしまうから――だからといって、荷物を大量に背負ったリリィやカオルにおんぶさせるわけにもいかず、苦渋の決断でリリだけを遠回りさせることに決めた。
「まぁ遠回りといっても、距離的な話ですからね。こうやって、沼の中を進むのならリリちゃんの方が先かも」
小柄で、大量の枝に引っかかることも少ないであろうリリは、今頃到着しているだろうか。
奥底の見えない沼にはまりながら、カオルはそんなことを考える。
「――やっぱり、リリちゃんひとりで行かせるのは危なかったんじゃ……」
「――」
「大丈夫ですよ。あぁ見えても、今のところ屋敷で一番の魔法適性を持ってます。リリィよりも腕が立ちますよ」
ならばと、どこか納得してしまう自分がいた。
それは納得してはいけない。してはいけないはずなのだ。
いくら魔法が使えるからといって、奇襲を受けた翌々日に、身動きの取りにくいマングローブの奥地で幼女がひとりで歩くなど――仰望師団がまだ、自分たちを追っているかもしれない。よもや、あのリルムとかいう超越者も追ってきているのかもしれない。
そう考えると、この短期間でこれだけの行動を起こすことは大変に危険なことだ。
「カオルさん?」
「あ、いえ……」
黙りこくったカオルに、不思議を具現化したような表情のリリィが問いかける。
「ひとつ、お願いがあるんですけど……」
「? なんですか?」
リリィはこちらを振り向かない。
何かの気配を感じたのか、辺りに魔法で作り出した小結晶をばらまいて、障壁を張る。
このタイミングで話すことではない。
どうでもよくて、もういっそ帰ってからでもいい話。
「――私のことは、カオル……呼び捨てでお願いします。あと、敬語なんて使わなくていいで……いいよ」
「……わかった。少し気持ちが楽になりそう」
純粋で、綺麗な目を細めると、リリィは言った。
正味、この際呼び方だったりタメ口だったりっていうのはどうだっていい。
だが、レヴィを失ったリリィがいつも敬語で他人と接するのは少し気が落ち着かないと思ったのだ。
自分の前だけでも、軽口を言えるほど、気を抜いてほしい。その思いの表れが、先の言葉だった。
「あ……干潮ね」
リリィのその声と共に、マングローブに満ちていた水が、だんだんと引いていく。
腰あたりまで浸かっていた水面が、みるみるうちに下がっていき、今ではもう膝あたりだ。
「これだけすぐに潮が引くんだったら、リリちゃんも連れてきてよかったかもね」
「うん、30分くらいならおんぶ出来るし」
地面が見え、更にはその水捌けの良い土が水をぐいぐいと吸い取っていく。
さっきまで本当に水で満ちていたのかと疑問に思えるほど、今は土が乾ききっている。
なら満潮の時も吸えよと言いたい気分だが、それはそれで構わない。
「……着いたね。あとはあの丘を登るだけ?」
「そう、丁度リリさんも着いたし」
汗ひとつかかず、息切れさえ起こしていないリリは、疲れを全く感じさせない顔だ。
「これが……魔術師の家……?」
小高い丘の上にある、ボロ家は、家としての機能を果たしていないように見える。
雨風を凌ぐはずの天井は剥がれ落ち、扉は外れかけ。園芸をしていたと思われる小さな鉢植えだって、もう枯れ果てて呪いの植物のようになっている。
小高い丘を登ると、外れかけの扉の向こうに光が見えた。
それは天井から差し込む光ではなく、恐らく人工的に作られた――それを魔法陣だと想像するのは難くない。
「入るんですか?」
「入りましょう。じゃないと何も始まりません」
入ると言っても、見た感じは学校の人クラスがやっと入るかというくらいの小さな家だ。
そこに大きな魔法陣を描き、魔術師と合わせて4人が見守り、大量の死者を復活させることが出来るのか。
「――」
半開きの扉を開け、中へと入る。
そこにはやはり、淡い紫色の大きな魔法陣が描かれていた。
それは魔法石で灯りを付けたくらいの明るさを放ち、しかもその魔法陣はぐるぐると、ゆっくり回転している。
魔法陣の模様は、見たことがないくらいに複雑で、ド素人には何が何やら全く分からない。
「誰も……いない?」
部屋はがらんとしていて、フラスコや、三角のそれ。大量の本が本棚に収められている。
「――」
仄暗い部屋の隅に、何やら光るものを見つけた。
「これは……?」
部屋の中へと進み、光るそれを手に取った。その時。
「アタシに何か用?」
――仄暗い中で綺麗に艷めく銀髪の少女が姿を表した。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「アタシに何か用?」
不機嫌そうな表情を更にこじらせたような。例えるなら、不機嫌に不機嫌を塗りたくったような表情の美しい少女だ。
笑えば可愛いのに。なんて、軽口は叩けない。相手は魔術師。しかも不機嫌。このふたつが揃っている時点で、そんな危険を犯すことは出来ない。
銀髪の魔術師は、魔法陣の光を消し、魔法で灯りを付けた。
「あの……」
「言わなくても分かる。どうせ禁呪だろ?」
禁呪――一般的に、手を出してはいけないと言われている魔術。どちらかといえば呪いに近いものだ。
例として、蘇生術、単純な呪い、変化などが挙げられる。
「今日だけは、禁呪が解禁される日なんでしょう?」
「確かにそうだよ。でも、アタシはもう禁呪は辞めたんだ。これでいいだろ、話は終わり。帰って」
淡々と言葉を並べ、禁呪への嫌悪感を露わにする。
禁呪を使うことが解禁されるのは、毎年この時期だけ。クリスマスと呼ばれる、神の誕生日前後一週間。
この時期だけは、禁呪を使うことが許される。その理由や細かい事情は知らないが、とにかくこの時期だけなのだ。
「……帰れません。リ……私たちには、大事な。国にとっても大事な人たちがいます。彼らを死なせたままじゃ帰れません」
「いや、事情なんか知らないし。とにかく、何を言われてもアタシは禁呪はやらない。帰って」
「――スティラさんが、望んだことです」
「――っ!?」
スティラという単語に、魔術師の言葉が詰まる。
前に彼女は言っていた。
この魔術師はスティラの側近だったと。
「スティラさんの大事な人は、あなたにとっても大事な人なんじゃないんですか?」
「……はっ、そんなんでアタシの心が動くとでも? あの人の大事な人がどうした? アタシには関係ない!」
ここにスティラ本人がいればと後悔の念が募るが、彼女は生憎、今は病に倒れている。
どう頑張っても、彼女をここまで連れてくることは出来まい。
何とかして、自ら彼女の意見を曲げないと。
「……それは、本心ですか?」
「……本……心だよ。あんたら、アタシの過去を知らないから適当で無責任なことが言えんだよ。まじで帰ってくれ」
リリィが問い詰めるも、魔術師の意見は思った以上に硬い。
過去に何かを背負っているのか、過去に囚われすぎているのか――。あるいは。
「過去に何があったかは知りません……でも、無責任なことは言ってないです」
「無責任だよ。アタシが禁呪で人を殺しちまったってのに? そんなことも知らずにノコノコ来て、アタシに禁呪をしろだぁ? あんたらも纏めて禁呪で殺してやろうか?」
「別に、私は殺されても構わない。私の命にかけても、レヴィ様を取り戻したい」
禁呪の恐ろしさは、その力が強大過ぎることだけではない。
連結性とでも呼べようか、周りの人間まで巻き込んでしまう力――。
稀に、禁呪を使いこなせていない魔術師が禁呪を使うと、こういった事象が起こってしまう。
「ふーん……いいんだ? じゃあ先に殺すよ」
「――っ!?」
青い閃光が、放たれた。




