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最後の夜明けは最愛のキミと  作者: れる
第三章 戦骸
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70話 命が

 二人の姿があったのは、広大に広がる桃色の塩湖。それは桃色ながらも、しっかりと空の景色をそっくりそのままひっくり返したように映している。微かに桃色がかった空の景色が、まるで夕焼けのように綺麗だった。


 竜車を飛ばして数時間後、竜車から降りて、歩いて数時間後。彼らが辿り着いたのは塩湖の中でも少し盛り下がった場所で、戦闘用の革のブーツでなければすぐに水に浸かってしまう程の水位だった。


 リリィを竜車に置いてきたのは、何も戦闘に不要だからという理由ではない。微かな希望を込めて――二人が瀕死に陥った時に丁度彼らの元に来てくれれば、リリィに危害は及ぶことなく、二人を治療出来る。それだけに賭けて、二人はリリィを置き去りにした。最も、彼女の元に“unknown”や仰望師団が来れば、彼女は抵抗もすることなく死んでしまうだろう。

 ただそうならないことを願って、祈るしかない。


 二人はこの数時間、何も話すことなく桃色塩湖を歩いていた。話せばお互いの調子が崩れるし、それによって気持ちを緩和させたくなかった。少なくとも戦闘が終わるまでは、この緊張を保っていたかった。


 ――アリスが口を開き、言葉を発したのは突然のことだった。遠くに人影がポツリと見え、それが誰のものか分かった時、彼女は言葉を漏らした。


「――貴方は……」


 呼吸の一つも乱さず、ただ予想通りだという表情で、アリスは呟いた。

 レヴィはそれに驚きを隠せない。顔が強張り、まさかという疑念が心の中を這い回る。まるで畏怖そのものが心にしがみついたように。


「……レヴィ。アリシア」


 低い、空気を響かせるような男の声が耳に入った。それは紛れも無く彼、レヴィの父親で、アリスやリリィを屋敷に招き入れた人物――イヴァン・ルーナだった。


「――なんで……父さん?」


 父親が、死んだはずの父親が少し離れた場所に立っている。数十歩歩けば触れられそうな距離に、ボールを一投すれば彼に当たるくらいの距離に。

 喜びと驚きと畏怖が体を支配する中、アリスは何の驚きも、感動も無いような顔で、


「レヴィ君、これは想定された事態です」


「父さん、生きてたの……?」


 だがアリスの声は届かない。今まで、教育そのものこそはしてくれなかったものの、それなりに親としてどこかへ連れて行ってくれ、時には王の仕事場を見せてくれた。そんな父親が、生きている。その感動、嬉しさに涙ぐまざるを得なかった。


「……」


 問う。だが、彼は答えない。レヴィを支配する恐怖が、真実味を帯びていく。

 イヴァンは、隠し事をしているような表情で、ずっと口を噤んでいる。


「な、なんで? 部屋は血塗れで、父さんはいなくて……」


 あの時、思ったのだ。

 ――父さんは死んだ。

 だが、彼は生きていた。これ以上の幸福があるか、と自問すると共に、一つの謎が浮き上がる。何故、あそこまでの惨状の中、彼は生き残れたのか。研究者にあの血を検査してもらった結果も、それは彼のものだったはずだ。何故、どうして、彼は生きている。それだけが、レヴィの脳内に蔓延った。


「個人で彼を調べた結果、一つ分かったことがありまして。隠す気は無かったんですけど……」


「父さんが……何?」


 アリスが、ここに来て初めての躊躇いを見せる。それは行為にも表れている。手を軽く握りしめ、口を噤む。間違いなく、レヴィに隠し事をしていた仕草だ。


「……話せば長くなります。しかし、一言で言うならば……彼は仰望師団のリーダー、リビル・レレモードです」


 躊躇いなく、言った。

 その言葉の意味が理解出来なかった訳ではなく、だからと言ってアリスの言ったことを丸呑みに出来る程冷静でもなかった。


「り……びる? そんな……そんな訳がないよ! 父さんは父さんで……ねぇ! 父さんは……父さんでしょ……?」


「……」


 問う。心からの叫びを叫んだ。にも関わらず、イヴァンは全く口を開こうとしない。せめて、何か答えてくれたらこの気持ちも幾分かマシになるだろうに。

 もし彼女の言う通り、本当に仰望師団に堕ちてしまったとしても、彼に良心が残っていれば――。


「父さん!」


「レヴィ君、もう彼は貴方のお父様ではありません。強い気持ちを持って、耐えてください」


「父さんッ!」


 アリスの声など最早蠅の羽音同然。どうにかして元の優しく、しかし厳格で、どこか人として尊敬出来るような、そんな父親に戻ってきて欲しい。その気持ちだけで、レヴィは叫んでいた。


 レヴィの叫びがイヴァンの心に届いたのか、イヴァンは二人を馬鹿にしたように鼻で笑い、


「……仰望師団? 馬鹿を言うな。私はお前の父親だ。父さんだ。ルーナ帝国の王、イヴァン・ル――ッ!」


 突如、爆炎を纏った氷漬けのレーベンが、イヴァンの喉元を掠めた。それは彼の短い髭をも刈り取り、その破片をチリチリと燃やした。


 目にも留まらぬ速業で彼の命を刈り取ろうとしたアリスだが、イヴァンの反応速度はそれを遥かに超越していた。瞬時に上半身だけをイナバウアーのように反らし、アリスの渾身の一撃を避けた。その間、レヴィはただ見ていることだけしか出来ず、ただ情けない気持ちに苛まれるだけだった。


「それ以上レヴィ君を誑かすな」


「……主人に刃を向けるとは、そんな使用人に育てた覚えは無いぞ?」


 イヴァンがチリチリと焼ける髭を擦り、言った。

 彼はまるで退屈だと言わんばかりに欠伸をし、しかし目線は外さずにアリスを見つめた。そして腰に付けた剣の柄を手で撫で、アリスの次の言葉を待った。


「誰が貴様みたいなクソ親父の使用人になるものですか。私の主人はただ一人、レヴィ君だけです」


「アリシア、お前は少し勘違いをしているようだな。何故私が仰望師団などに落ちぶれると思う?」


「証拠は話すと長い。貴様に話す義理すらない」


 証拠、そんなものは単なる予想でしかなく、今回の敵がイヴァン――リビルであることも、単に予想が的中しただけでしかない。


「そうか、じゃあ我が息子から殺ってしまうとするか? それとも、お前か? アリシア」


「残念ながら、どちらも死にませんよ。レヴィ君、逃げてください」


 死に急ぎは、向こう側に立っているリビルだけでいい。レヴィだけは死なせない。それだけを心に決め、彼女はそう言った。


「嘘……だろ……?」


 だが、まだレヴィは現実を受け入れられていなかった。まさか自分の父親が仰望師団だなんて想像もしないだろうし、それもリーダー格であるなんて、信じられる訳がない。けれども、彼は今逃げなくてはならない。そうしなければ、彼は間違いなく命を落とすから。


「レヴィ君、私を信じてください。それとも、私のことは信じられませんか?」


「……父さん……」


 信じる。そう言われたって、その末に待つのはアリスの死だけ。いくら再生能力があるからといって、それがいつまでも続くとは思いにくい。

 だが、アリスは「私だけを信じて」と目で訴える。


「彼はリビル。イヴァン様ではありません。さぁ、さっさと逃げちゃってください」


「逃げてどうなるんだよ……君と共闘すれば……僕らは必ず勝つ。なのに、どうして……」


 共闘すれば、簡単に言えば二対一だし、帝都の魔女が二人分となれば、いくら仰望師団のトップとはいえ、楽勝出来るかと言われれば否だろう。


 アリスは目を伏せ、「恐らく」と言葉を並べた。


「今のレヴィ君では、元父親に刃を向けることは出来ない。出来たとしても、防戦一方でしょう。だから、逃げて。そして、もし出会したのなら、黒鴉を討ってください」


 ここでうじうじと項垂れていても何も始まらない。そう、アリスに言われた通り、前向きに生きていかなくてはならない。そう、生きていかなくては。


「……分かったよ。絶対に、生きて帰る」


 レヴィが走り出し、それを横目で見送ったアリスは視線をリビルに向ける。彼は鞘から剣を抜き出した。

 いつか、王の執務室に入った時に彼が見せてくれたものだ。あの時は飾っていたが――思い返してみれば、彼がいなくなった日からあの剣は無くなっていた気がする。


 朝日が剣を照らし、互いの剣が虎視眈々と互いを見つめている。炎が燃える音と、氷が溶ける音。そしてまたそれが魔法によって生成される音。それらが共鳴し合い、歪な旋律を奏でている。


 アリスが炎を纏ったレーベンの剣先を、リビルに向ける。敵を目の当たりにしたレーベンの炎は、目の敵を前にしたように更に轟々と音を立てている。


 イヴァンが一歩前に出た。剣を一振りし、空を掻く感覚を窘めた後、彼は手を空に上げた。それに釣られてアリスが上を見上げた時、それは視界に入った。


「さぁて。そろそろ私も本気を出そうか」


「それは……レヴィ君と同じ……」


 アリスが見上げた先にあったもの。それは既視感を呼び、更に彼の権能を知ることにも繋がった。だが、彼がこれを持ち合わせているということは――。


「さぁ、ショータイムの始まりだ」


 終わりの、始まりだった。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


 水飛沫を上げ、大股で。今までにないくらいの速度で走る。だが、どれだけ走っても走っても、“それ”は見えてこない。

 これ程走れば見えてくるものと思われたが、“それ”は一向に表れない。


「その選択は間違ってなかったと、言いきれるか?」


 不意に、頭の中で自分の声が響く。それは他でもない意識を分け合った仲間、ヴェリュルスだ。仲間以上に、盟友と呼べるかもしれない。大袈裟に言うと、運命共同体。男同士で運命共同体なんて、ゾッとする話だ。


 ヴェリュルスが問う。その質問は、今のレヴィにとってとても簡単な質問だ。アリスを置いてきた。それだけで負の選択だ。況してや、その前から選択は間違いだらけだ。


「間違ってなかった? いや、大間違いだよ。アリスを一人置いていくなんて。それに、これまでも間違いだらけ。救いようがないよ」


「……その通りだ。でも、お前のその表情から見るに後悔はしてなさそうだな。それに、アイラに本気で期待をしている……正気か?」


 ヴェリュルスはさらりとレヴィの自責――反省と呼ぶべきそれを受け止めた。


 期待をするのと、信じるのとはまた違う。だが、どちらも似通った言葉だ。人に何かを期待し、彼女自身の行動すべてを信じる。それこそが――。


「本気で彼女に期待をしてこそ、本気で愛してるって言えるんじゃないかな?」


「……口も達者になりやがって」


 いつの間にか、隣から声がする。姿こそ見えなくても、そこにいるのは事実と変わりない。


「アリスを信頼してるのは君も同じ。そう思うんだけどね」


「ははっ、見抜かれたか。まぁ、その通りだ。実際、この戦いに負け目は無い……はずだ。入念な作戦も、高密度の戦略も必要ない。ただ、剣が導くままに。俺達がそうするだけで勝てる戦いだ」


 正直、レヴィも同感だ。

 だが、一つ気がかりだったのが、リリィが見せたあの表情だ。自分に、あたかも最後の別れになるような言い方をして、そして彼女は今竜車で眠っている。彼女からすれば、もしレヴィ達に何かあったらたまったものじゃないだろうが、それでも彼はその道を選んだ。今度こそ、その選択が正しいものだと信じて。そう、アリスが言ったように信じるのだ。


「はずって言葉にちょっと引っかかるけど、まぁそうなんだろうね。命の心配をしてるのは僕もアリスも同じだけど、それは不必要ってこと?」


「まぁそうだな。この戦い、負ける気がしねぇ」


 内心は悟られない。最初の頃内心読まれまくりで、プライバシーもへったくれも無かったが、今となってはちゃんとそれは守ってくれるようになった。


「……黒鴉に勝てる?」


「あぁ、あいつの行動パターンは見切った。お前の負け戦でな」


「酷い言われようだね。あの時腕を千切られてお腹も穿たれたのに、そんな軽く言えるのが恐ろしいよ」


 思い浮かべるだけで、あの時の痛覚が蘇るようだ。腕を筆頭に這い上がってくる古傷の痛み。それをふるい落としながら、ヴェリュルスの話に耳を傾けた。


「失敗は成功のもとって言うしな。それよりも、懸念すべきはお前の心の波だ。大丈夫なのか?」


「……父さんのこと?」


 確かに、彼が言う通りレヴィの心は揺れている。未だに父親が仰望師団のリーダーなんて信じられる訳がない。だが、世界で一番信用したアリスが、嘘など冗談でしか言ったことのないあのアリスが真剣な眼差しをこちらに向けたのだから、信じない訳もない。葛藤を繰り返した結果、未だそれは続いているのだ。


「あぁ、なんか既視感だけど、親父が敵のトップ、しかも仰望師団のお頭だったとはな。あの時は気付かなかった」


「あの時? ラグナロク?」


「思い出したのかよ。あぁ、そうだ。あの時はあいつは姿も表さずに俺を殺した。だから顔も見れてねぇんだ」


 意識を共有しているヴェリュルスの痛覚もまた、身体中から這い上がってくる。


 ――こいつ、録な死に方してないな。


「そうか……アリスは……アイラはどうなったんだっけ?」


「……この戦いが終わったら言うよ」


 一番大事な部分だというのに、レヴィはまだそれを思い出せていない。何か、自分達が死ぬ寸前に大きな騒動が起こったのは覚えているのだが――。


「そうか……ヴェリュルス、一つ頼みがある」


「何なりと」


 ヴェリュルスがやっと姿を現した。否、レヴィが意識の、あの世界に来たのだ。

 前回は血に塗れてはいたが、所々しろが残っていた白世界も、ヴェリュルスの奮闘により真っ赤に染まっている。

 ヴェリュルスはベンチを立ち上がり、レヴィに向き合った。


「もし……僕が死んだら今度は君の番だろ?」


「……さぁな。交代出来るか、まず転生出来るかどうかも唯一神の機嫌による」


 何のことかは分からないが、その“唯一神”とやらの機嫌によっては転生出来ないかもしれないらしい。――なかなか辛辣な返答だ。


「もし、転生出来たら……今度は、アリスを。アイラを幸せにしてやってくれ。のんびりとした、どんな所でもいい。穏やかな所で、一生を終えられるように……頼む」


 ――本当なら、僕がそうしたかった。でも、僕の産まれた環境が。僕の置かれた立場が。僕に触れてしまった所為で。そして何より僕の所為で。僕の選択の所為で、アリスをこんな所まで連れてきてしまった。だから――。


「……そうならない為の戦いだろ? 大丈夫。俺はいつも通り本気でやる。それだけだ。気にせずお前も気、張っとけばいいんだよ」


「……うん」


 何とも曖昧な指示だ。だが、それも心地良い。彼に従っていれば、負けることなど無いのだから。


 レヴィが返答すると、世界はみるみるうちに崩れていき、しかし「また今度ね」と手を振るような無邪気な、殺風景な景色を見せつけて。


 我に返ったレヴィは不意に空を見上げた。そこにはまるで流星のように落ちてくる黒鴉の姿があった。


「来たぞ」


 黒鴉が着地する。その瞬間、水飛沫だけでなく、塩湖の下に薄く伸ばされた砂地が飛沫状になって、まるで波のように押し寄せる。


「……剣を抜け」


 剣を抜き、黒鴉に構える。


 黒鴉はたじろぐことなく、冷淡な瞳をこちらへと向ける。武者震いだ。これから自分が起こす奇跡、そしてそれによる軌跡を見るのが怖くて、体を震わせた。


 冷や汗一粒すら流さず、涼しい顔で黒鴉を見つめる。


「剣を掲げろ」


 剣先を黒鴉に向ける。


 黒鴉が臨戦態勢に入り、大量の触手を体から噴出する。心做しか、それは幾つか。否、数十本増えたように見える。他にも、体から放たれる暴風は体を撫ぜ、塩湖に薄く伸ばされた水を吹き飛ばす。


「この一戦に、命を賭ける」


 レヴィ。そしてヴェリュルス。


「――僕の、勝ち戦を始めよう」


 二人の英雄譚が、幕を上げた。


























 ――あれ。

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