6話 イアル街奪還作戦
超重量の荷車を悠々と引きながら走る紫龍。その凛々しい瞳は、疲れと言うものを知らず、ただ淡々と走るだけという人間への忠誠心が垣間見える。
「...遠いな」
そう呟くレヴィの後ろで待機する、アリスとミーナ。
彼らの顔は、イヴァンの演説によって不安を吹き飛ばされた様な顔をしている。父の言葉が吹っ切れる原因になったのなら、息子としてもなかなか悪い気持ちにはならない。
「そりゃあそうですよ。何しろ帝国の真ん中から一番端っこのイアル街まで行くんですから」
そう、国の周り一周を海で囲まれたこの帝国の端。
北の方角、最北端に近い場所に、今向かっているのだ。
「いくらなんでも長すぎだろ。士気がまた下がってくるぞ」
「その時はこの魔女が皆の士気を高めて差し上げましょう」
レヴィの言うことにも一理あり、アリスの言うことも嘘ではない。
魔女という大きな味方がいれば、彼らの下がりかけの士気もリバウンドするだろう。
「ははっ、頼もしいね」
「私の気持ちを和ませてくれたことが嬉しかったので、皆にもその気持ちを分け与えようと」
ハグのことを言っているのだろうか。
具体的な和ませ方を提示しないことに静かに感謝する。
「まさかあの堅物のレヴィ君がハ──」
「やめろぉ!」
言葉を遮る大きな声。
いつもの冷やかしメイド達は今日は同行していないが、流石に征伐戦という場面でそんな事実をばらまかれては緊張がほぐれすぎてしまう。
それに、王たる者がそんな簡単に従者に手を出してはいけないものだと自負している。
「えぇ...なんでですかぁ!聞いてもらったらいいじゃないですか!」
「流石に僕のメンタルがもたないよ」
「正直、知りたいです」
そう言って三角座りで、上目遣いをしながら見つめるミーナ。
彼女になら、教えてもいいだろうか。
冷や汗が額から頬に伝う。
「だめだ」
「えぇ〜」
よっぽど自分がハグされたことが嬉しかったのか、何故そこまで拒否されて尚、言いふらそうとするのか。
答えは簡単、彼女もまた“あのメイド”の一人だからだ。
「ぶぅ〜。...あ、見えてきましたよ!」
そう言って指さしたのは、見えてきたと言うよりかは輪郭がはっきりしてきた建物だ。
白を基調とした、十数メートルの教会。それだけなら何も問題はない。レヴィ達がここに向かう理由もない。
「酷い有様だな」
「ええ、“unknown”は人間を殺すだけじゃ...」
元は白一色だったはずのその教会は、血で彩られ、さながら狂気の搭となりつつある。
さらにその半分は何かで叩き壊されたように壊滅しており、また地面も血で彩られている。
「向こうの村まで...」
そう、被害は教会だけに留まらず、その周りの家々にも広がっていた。
教会と同じような惨状が広がるイアル街。
ここにレヴィ達は投入される。
「やっべ、今更ながら怖くなってきた」
「...」
レヴィ一人が声を発する中、息を呑んで何も言えずにいる傭兵達。
もう教会の間近。猛スピードで走行する紫龍に「あそこで止まって」と命令すると、アリスが口を開いた。
「着いたので、交戦準備をしましょう。レヴィ君はこ──」
謎の浮遊感に襲われ、レヴィ達一行は竜車の外に投げ出された。
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「............っ...て...」
どうやら今まで気を失っていた場所は地面の上だったようで、しかしレヴィはまだそれを把握しきれていない。
「頭...痛てぇ...」
全身を強く打っただけでなく、頭も打ったのだろうか。血こそ出てはいないようだが、ズキズキという脳内の痛みは鳴り止まない。
「こ...こは?」
辺りを見渡すが、暗くて何も見えない。
どうやら気を失っている間に日没したらしい。
辛うじて目が頻りに追っているのは、何やら黒い丸。
それはそこら中の地面に這いつくばっていて、
「な...んだこれ?」
そう言ってその黒い丸に触れる。
ザラザラともサラサラともどちらとも取れる感覚。
レヴィは目を見開いた。
その丸の感触が、毎朝、いや、毎日触っていた感覚と似ていたからだ。
「────」
頭、そう、頭だ。
胴体から切り離された頭蓋。
それがわかった瞬間、レヴィはその頭からゆっくりと手を離した。
何も言わずに。否、何も言えずに。
「レヴィ君!」
雪の声がレヴィに届いたのと、爆音と爆風、閃光が感じられたのはほぼ同時だった。
アリスの最も得意とする魔法。火の魔法。
爆発がレヴィの背中の方で起こり、振り返った彼の頬を焼く。
「あ......アリス!」
最愛の人が生きていてくれた安心感、それに包まれながら、レヴィは叫んだ。
「動かないでください!征伐隊は全滅です!私が食い止めるので早く逃げてください!」
「...だめだ!一人で立ち向かうなんて!」
そう、彼女と約束したのだ。
“僕が守るから”その言葉を裏切ることはできない。
「いいから!早く逃げてください!貴方と私だけで相手になる敵じゃありません!」
轟音と爆発の芸術のような踊りが、姿の見えない“unknown”に向かって飛んでいく。
アリスがいれば、何とかなると思っていた。だが、それは浅はかな考えだったようで、“unknown”の脅威はそれ以上だったようで、
「悔しいですけど、ここは引くしかありません。貴方が逃げた後に、続いて逃げるので、先に逃げてください!」
彼女が言い終わるより先に、レヴィの体は反射的に動いていた。
何故か動いていた足、何故か動いていた手。その一つ一つがアリスの為だと信じて。
「ーッ!」
瞬発力で踏み込んだはいいが、相手の姿を見ていなかったことに気付く。それと同時に、今対峙しようとしている“unknown”の姿が目に入る。
大きな大蛇のような姿。体高はレヴィの3倍程あるだろうか。吠えるその口からは三十センチはあるであろう鋭利な牙が覗き、その目は青く爛々と輝いている。
全身は黒い鱗に覆われていて、その一つ一つが光沢を宿し、鉄壁の防御を語る。
極め付きは尻尾だ。細かく震えている尾は、揺れる度に爆風を起こしており、尾に近づくことさえ適わないと見て取れる。
「なんっ...だあれ...」
「はぁ...今回だけは心中を認めます」
「死んだら一度っきりだけどね?」
最も、心中する気などない。
生きて、死んだ人達のことも弔う。
それが自分の使命だ。
「魔法は効きません。あの鱗が魔法を弾くか、尻尾が起こす強風が炎の威力を弱めています」
アリスの魔法さえ通じない相手に、斬撃が通じるか。一昨日まで素人だったレヴィの剣が通じるのか。
答えは否に傾いた。だが、レヴィは諦めない。
「まだ、負けたと決まったわけじゃないから」
「なんとも馬鹿らしい発言ですね。...私が魔法であれの気を引くので、レヴィ君は──」
レヴィは、彼女の言葉を最後まで聞かなかった。
心で感じ取っていたから、彼女が何を言いたかったのかは。
「頼むぞ!アリス!」
そう言って、レヴィは“unknown”に向かって走っていく。
その背中を見つめながら、
「...バカ」
アリスが爆炎の花を咲かせた。
それは、アリスが使う魔法の中で最上級の魔法だ。
体内魔力の約半分を消費して使用するその魔法は、アリスの完全自作。
これに当たった者は、身を焼かれ、骨の芯まで炭にしてしまうと言う。
「なっ!?これも!」
体内魔力を大量に消費して発動させた爆炎も、大蛇の黒い鱗に弾かれてダメージを削減されている。
「アリス!今のままでいい!僕がいく!」
特攻隊のように突っ込んで行ったレヴィが、蛇の腹目掛けてクロウを振りかぶる。
今回は対人戦闘ではない。つまり、避けられる可能性を削除したのだ。
「いける────」
その時、大蛇の体の最後尾で微振動を起こしていた尾が急に大きく振れ、その尾が起こす鎌鼬がレヴィの腹部を貫いた。
「レヴィ君!」
魔法の噴出を止め、レヴィに駆け寄るアリス。だがそれは間違った反応で、
「レ────」
倒れ伏したレヴィの目に辛うじて映ったのは、同じように腹部を鎌鼬に貫かれ、倒れゆくアリスの姿だった。
「ア...リス...」
その言葉を最後に、レヴィの意識は途切れた。
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「なにアリシア巻き込んでんだよ」
ふと、聞き覚えのある声が耳に入った。
毎日、毎時間、毎分は聞いているだろうか。
慣れ親しんだ、“自分の声”。
「き...みは?」
「.........」
うつ伏せに倒れ込んでいるレヴィが、両手で体をゆっくりと起こしながら尋ねる。
だが、その質問に“彼”は答えない。
「ッ!」
返答の代わりに飛び込んできた蹴りをまともに顎に食らうレヴィ。
振り上げられた足と共に放物線を描いて着弾するレヴィの体。
その衝撃で意識が──揺らがない。
「そうだ、ここは意識の中だ」
「い...しきの中?」
痛みはある。
声も聞こえる。
眠っている感覚でもない。
今まで感じたことのない感覚に、レヴィの体が震える。
「ど、どういうこと?」
今度は仰向けになった状態から、立ち上がる。
あ無意味に蹴られた、その事実はあるのに、何故か怒りという感情が湧いてこないのは何故か。
「お前に答える義理はない」
「ちょっ──。」
またしても蹴り。それを避けようとし、崩れた体勢のレヴィに殴り込みを食らわせる“彼”。
そして、レヴィに空いた風穴を眺めて言う。
「弱いのな」
「何も言い返せないよ」
そう、気が付けばこの風穴も全く痛みを感じない。
“彼”の言っていることは本当なのだろう。
ここは意識の中。感覚を共有する相手との邂逅。
「つまらない」
そう言って地に伏したレヴィの顔面を蹴り続ける“彼”。
頭皮が捲れ、大量に跳ねる血飛沫を顔中に浴び、“彼”は愉悦の表情を浮かべる。
「なん...でこんなことするの?」
「分からねぇよ。アリシアを傷付けたのが許せないのかな」
そう言っている合間もずっと踏襲を止めない。
だんだんと、視界が曇ってきた。くも膜下なんちゃらというやつだろうか。
「僕は...傷付けていない」
「でも守ってもなかったじゃねぇか」
言われた通り。
レヴィはアリスを傷付けていない。が、守ってもいなかった。
寧ろ、自分が心配をかけた所為で怪我を、大事に至る程の怪我をさせたのだ。
「そう...だね。僕が...もっと強ければ...」
そう言ったレヴィを哀れんだのか、“彼”は言う。
「まぁ、今のお前じゃああいつに勝てない。俺が出て行ってやるよ」
レヴィには、“彼”の発言の意味がよく分からなかった。
「出て行く」その言葉の意味が。
「どう...いう?」
「黙って見てろ」
そう言うと、“彼”はレヴィの視界からスッと、消えた。
本当に“彼”に任せて大丈夫なのか。
自分が把握できない彼女の容態に、体の震えが止まらなくなる。
寒い。寒い。
「なんだこれ...」
今まで体験したことのない類の恐怖。
大事な人を失うかもしれないという恐怖。
自分がちゃんと彼女のことを見られない恐怖。
「まっ...て」
自分が。と言うより先に、レヴィの伸ばした手は落ちた。
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「俺のアリシアに手ェ出すなよ」
そう言って立ち上がったレヴィ。
否、意識は既に“彼”の制御下にあるが。
「レヴィ...君?」
辛うじて息のあるアリスが声を上げる。
ふと、レヴィが彼女を振り向くと、
「...怪我治ってんのか」
「え?」
いつの間にか塞がったのだろうか。
風穴は何処にも見当たらない。
破れた彼女の腹部の服から覗くのは、血に塗れた赤い腹ではなく、いつもの純白の肌だった。
「まぁいい。俺のアリシアに手ェ出した罪は重いぞ」
彼の声に共鳴したかのように蛇が唸る。
それとほぼ同時、瞬間的に放たれた鎌鼬。
「んなもん当たるかよ」
半身でそれを躱したレヴィは、ゆっくりと歩きながら。しかし剣は、クロウはしっかりと握りしめたまま。
「レヴィ君!ダメです!逃げてください!」
涙を流しながらそう訴えるアリス。
その涙は主人に対しての愛の涙か。それとも、
「大丈夫だよアリシア。俺はこいつを──」
剣を構える。
「殺す」
風のように走るレヴィの足跡にだんだんと落ちていく鎌鼬。
蛇が尾を振って発生させたあの鎌鼬よりも速く。否、蛇が自分を目視するよりも速く。
「レヴィ君...」
呟くアリスの声も、風のように走るレヴィの耳には届かない。
レヴィが止まり、蛇は止まった相手目掛けて尾をひたすらに振る。
だが、その鎌鼬も、上半身しか狙ってはいない。
昨日のアリスのように、体を半身だけずらす。それだけで、鎌鼬はただの爆風となって地面に突き刺さるのだ。
「そ〜ろそろお前の命日、いや命時だ」
そう言うと、レヴィは剣を振るった。
流星群のように降り注ぐ鎌鼬を、クロウで切る。
片手に収まった剣で鎌鼬を切りながら、ゆっくりと蛇に歩み寄るレヴィ。
蛇もまた、彼にトドメを刺そうとズリズリとこちらへ寄ってくる。
だが、それも数秒のこと。
「白鴉を舐めるな」
レヴィは片手に収まった剣を逆手に持ち替え、槍投げさながらの投法で剣を投げた。
射出された剣は、空を裂き、蛇の喉に刺さった。
「けど、こっからが本番だ。...拡散」
“拡散”それを聞き取ったのか、喉に刺さった剣は、その刃を何枚にも分裂させ、蛇の体を体内から引き裂いた。
ある刃は舌を千切り、ある刃は目を抉った。これが何回も何回も繰り返され、
「ふぅ〜。終わったぁ〜」
やっとのことで血霧が晴れ、ただの肉塊と化した“unknown”が現れる。
「レヴィ君...」
アリスが何を言いたかったのか、“彼”は聞くことなく、その意識を失った。
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「おい、終わったぞ」
目が覚めたのは、モーニングコールが鳴ったから。
聞き慣れた声が、耳の中で反響する。
「終わっ...た?」
「文字通りだよ。アリスを助けて、“unknown”?ってやつを殺した」
「...は、ははっ。凄いね君は。あの“unknown”を...そうか...」
自分の力不足を理解したのか、レヴィは項垂れる。
すると、態度を180度変えた“彼”は言う。
「お前の体使いやすいわ。鍛えたらアリシア以上狙えると思うぞ。まぁ、頑張れよ」
「......アリスを?...そうか......あり...」
アリスを助けてくれて、僕を助けてくれてありがとう。そう言おうとした。が、“彼”はもうそこにはいない。
あるのはただの白い粉。鱗粉のようなそれだけだった。
「君は...一体誰なんだ」
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「ィ君!......レヴィ君!」
開いた目線の先に、アリシアがいた。
地面に寝転がっていたせいか、口の中に砂が大量に入っている。
ペッと砂を吐き出し、心を落ち着かせる。
「やっぱり...心底安心するな...」
そう言って、ゆっくり体を起こす。
「アリシア、お腹の怪我は...」
さっきまであったはずの風穴が塞がっている。思ってみれば、自分に開いていた風穴も塞がっていて、白い肌が露出している。
「アリスが...?」
「.........はい」
暗い顔で首肯するアリス。
その表情の意味が理解出来ず、レヴィはとりあえず笑みを浮かべる。
明るくなって開けた荒野が見渡せる。
そこには生の気は一滴もなく、血の色に染まった水溜りが十数個新たに出来ていた。その傍らにたくさんの屍と思われる肉塊が山積みに置かれていた。
「......全滅か...」
「.........」
惨状を目の当たりにし、突然目眩が起こる。
グラグラと揺れる目の表面に涙が滴る。
「............ミーナも...死んだのか?...」
立ち上がってすぐ近くにある死体の山の前に立ちすくむ。
見つけた。桃髪の綺麗な髪の毛を持った女の子の頭。
レヴィはヘナヘナと座り込み、泣きに泣いた。
王たる者としての自覚が足りなかったと、ごめんなさいと、何度も何度も謝った。
ふと手に触れた手の感触。一瞬だったがミーナのものに感じられたそれはレヴィが目視する前に消え、何処かへ散っていった。