65話 裁きを。
白い部屋で、レヴィは呆然と立ち尽くしていた。痛みが無い。腕も付いていて、片腹も抉れていない。全てが元通りになった体でレヴィが見たのは、所々赤く染まった部屋で乱舞するヴェリュルスの姿だった。
「……? ヴェリュルス?」
「おお、来たか。掃除中だから退いとけ」
彼が「掃除」だと言い、行っているのは単なる虐殺だ。彼に走り、向かう白髪の子供を一刀両断にする。彼の手に握られているのは、いつか見た全属性が束ねられた剣。
それで子供達の首を刎ね、目をくり抜き、足を切断した。
「掃除?」
「あぁ、お前の多重人格癖を無くすための掃除だ」
中には成人した者もいたり、女性のような振る舞いでヴェリュルスに向かう者もいた。その全てを、ヴェリュルスは容赦なく切った。
その刹那刹那、彼は全く躊躇いを見せない。レヴィの心を侵食しようとしているからと、ヴェリュルスは無表情で「掃除」を繰り返す。
「な、何やってんだよ……おい、やめろって」
流石に善意の方が勝つ。当たり前だ。
ヴェリュルスの肩を掴み、制止しようとするも彼は片手だけで少年や少女達を切り刻み、遂には最後の一人を切り刻んだ。
「っし、最後〜。で、今度は黒鴉が御出座とな」
殺戮を繰り返していたとは思えない程清々しい顔で、レヴィに振り向きヴェリュルスは言った。
彼の顔には大量の返り血が付着していた。もう彼が誰なのか分からない程に。
この状況で彼にやっていいことややってはいけないことを説いても無駄だ。ただ一言で論破され、自身が間違っていたと思い込まされる。
だから、レヴィは敢えて冷静に繕って言ってやった。
「確か……黒鴉に対抗する為の神が君なんだったっけ? ……だから白鴉か」
ヴェリュルスの異名と呼べるだろうか、「白鴉」は、今で言う亜喰や陽喰と同じくらいの価値があったらしい。亜喰や陽喰と違うところは、その力の及ぶ範囲の差異と言えるだろう。
亜喰や陽喰と呼ばれる勲章を授かったものは、大袈裟に言っても天候を左右する程のもの。
それと違い、単純に言うと白鴉は国一つを滅ぼせる程の力を有する。それを可能にするか不可能にするかは、本人の力に大きく依存するのも白鴉の特徴だ。
「単純に言うとな。本当はもっと細かい設定……話があるんだ。そんなんはどうでもいい。それよりお前、また負けたのか?」
片腹を抉られ、右腕が吹っ飛んでいった瞬間を回想する。やっと思い出せた。
あの瞬間、レヴィは黒鴉の突拍子も無い攻撃を見切れず、片腕を失った。それに苦悶している最中、黒鴉に吹き飛ばされて仰向けになった所、片腹を抉られた。それだけにかかった時間、およそ五秒程。その間にどうにかして避けろと言う方が頭がおかしい。
「独りではよくやった方だと思うけどね」
「よく言うよ。片腹と右腕が吹っ飛んでるのに」
それにしても、だ。
最初の“第一次unknown征伐戦”と比べればだいぶ成長したものだ、と自負できる。剣の振り方も様になってきたし、体のこなし方もそれなりに形になっている。
「あれは……何がどうなったのか分からなかったんだ。多分、君が意識を乗っ取っていたら見えたんだと思うんだけど」
あまりに速すぎる攻撃を見きれなかった故に負けた。ならば、それを見切れるであろうヴェリュルスがちゃんと乗り移っていれば――なんて希薄な可能性を考えてみるが、それは全て終わった話だ。今頃ぐちぐち言ったって、飛んだ腕は戻ってこないし腹は抉れたままだ。
「乗っ取るって人聞き悪いな。まぁ、見えんことは無いだろうな」
ならばヴェリュルスがレヴィの体に「ちゃんと」乗り移っていれば、勝つことは出来なくても撃退くらいは出来たんじゃないのか。なんて文を思いついたが、彼は彼で、この世界でやらなければいけないことがあるのだ。そんな野暮は言えまい。
「仰望師団は無理なのに、“unknown”とは戦えるんだね」
「突然何だよ? まぁ、仰望師団には殺されたんだ。そりゃあトラウマにもなるだろ」
生憎、そこまでは思い出せていない。
最近、自分に乗り移ったフレイを除けば仰望師団の連中は見なくなった。故に、別にヴェリュルスが出られない状況はほぼないのだが――。
「お前が負けた理由。思いつく限り言ってみろ」
唐突に、ヴェリュルスがレヴィに尋ねる。
言われてみると何か引っかかるものがある――訳が無い。
「突然何? まぁ……多分相手が悪いのと、僕の動体視力がまだ追いついてないこと……かな?」
思い付くのはそれくらいだ。
動体視力、というのは少し齟齬があるかもしれない。言うなれば、それに伴う体の反射神経や伸曲運動の未熟さなのかもしれない。
まぁ、そんなものを身に付けたところでどうこうなる程度の速さでは無い。恐らく、ヴェリュルスが外に出ても互角に戦えるくらいでしかない。圧倒的な力の差を埋めるには、今の所ヴェリュルスの力を借りることくらいしかない。
「それが大きな要因だろうな。それと、お前がまだ力を使いこなせてないからってのもあるな」
「仰望師団の、邪精霊の力を?」
邪精霊の力がまだ残っている。という事実自体に若干驚きを隠せないレヴィ。
完璧に“彼”から解放された訳ではないらしい。それならば、この世界のどこかにフレイの欠片でも残っているのだろうか。もしそうならば、ヴェリュルスが「掃除」するだろうからその心配は無いのかもしれない。
「そう。俺もまだ使いこなせてる訳じゃないけど、それなりに動かせるのは動かせる。けど、お前のは完璧に憑依だ。記憶が無いんだろ?」
「うん……」
憑依。その言葉はヴェリュルスがレヴィに乗り移って戦う時とほぼ変わらない。もしかしたらその憑依こそがレヴィの特質――。そんな都合の良いことがある訳が無い。
思い返せば、レヴィは自分自身の力で戦ったことがほぼない。そろそろ自立するべき時なのか――。
「なら、憑依か、それに限りなく近い戦い方をしてる。その時に発生する自問自答が、こうやって死体を重ねてるんだ」
転がって山になった死体を指差しながら、ヴェリュルスは言う。死体の彼らに命というものがあるなら、それは止めるべき行為だろう。だが、もし彼らがただの形だけのレヴィなのだとしたら、それは単にヴェリュルスに負担をかける要因だけでしかない。
ならば懸念すべきは、自分に危険が及ぶ可能性があるかどうか――。
「危険、かな?」
「危険だ。さっさと邪精霊に打ち勝たないと、知らん間に死ぬぞ」
ヴェリュルスが懸念したのは、意識が無い内に知らない間に命を落とすことらしい。他にも挙げればキリがないだろうが、一番の危険性はそのことだ。
人間が意識や痛覚を持っているのは、命に危険が及んだ時に何とかしてそれを回避出来るようにする為だ。憑依は、意識、痛覚、どちらも取り除いて、レヴィら人間をまるで瀕死の虫のような状態にしているのだ。
「死ぬ、か。もう死人だって言うのにね。ふふっ」
「何笑ってんだよ……」
過去の欠片の記憶を手繰り寄せ、レヴィは笑う。その気味の悪い薄笑いにヴェリュルスはレヴィの底知れぬ気持ち悪さを覚え、目を逸らす。
「あぁ、君に謝らなきゃいけないことがあって……」
「ん? 何か問題起こしたか?」
「あの時、人を殺しちゃったから……一般人」
問題と呼べる規模の大きさなのかどうかは分からない。だが、反省すべき点ではあるし、どうにも出来なかった点でもある。どちらにせよ、罪は償わなければならない。
鬱病患者が犯罪を犯して罪が軽くなる。そのシステムを利用して自分も罪を軽くしてもらおうなんてクズみたいな考え方は、死んでもしたくない。だから、せめて、ヴェリュルスに裁いて貰えれば、気が晴れるかもしれない。
「それくらい気にすんなよ。力を持つやつは足元なんか見ることはほぼない。だから虫を潰すことくらい、屁とも思わない。それが強者だ」
レヴィの期待は大きく外れ、ヴェリュルスもまた、彼を裁こうとはしなかった。世界の何もかもが自分を甘やかしている。なんて言葉も思い付いたが、それは多少――否、大きな間違いだった。世界が彼を甘やかしているのなら、腕は千切れないし、大切な仲間を失うこともない。
彼を誰も裁こうとしないのは、もしかしたら不幸中に訪れた一つの甘え、幸運なのかもしれない。それならば、レヴィはそれに大袈裟に甘えるべきだ。だが、彼の罪悪感は思った以上に心にこびり付いていて――。
「……それが原因でアリスと距離を取られても?」
「――本当か?」
こうやって、アリスを餌にすればヴェリュルスは必ず自分を叱ることを、レヴィは知っている。彼女が絡めばいつでも彼は怒るし、優しくもなる。まるでそれが最初から設定されていたかのように、彼は豹変するはずだった。
「う、うん……」
「参ったな……あいつのことだから、『え?』とか言ったんだろ?」
「そ……けか……」
――それだけか。
もうどうしようもない。自殺でも、後でしようか。誰もかもが、自分を甘やかしている。確信した。
「え? 何て?」
「いや、その通りだったよ。彼女を傷付けたかと思うと、どうにもならない気分になって……それで飛び出したらこの様だよ。ツイてない」
怪訝な顔でレヴィに再度問うヴェリュルスに、レヴィはすまして言った。
思ったよりもヴェリュルスは優しく、人を裁くことも出来ない。そんな彼に、多少の嫌悪感を抱き、レヴィは目を伏せた。
「ツイてない、か。それだけで済まされたら楽だったんだろうけどな」
「……それは?」
「気にしなくていい。昔の話だ」
――また昔話だよ。分からないって言ってるだろ。
そんな言葉を心の中で反響させる。
ころころと変わりそうになる表情を鋼の意思で止め、再びすました表情で。まるで無邪気な子供のように笑顔で。
「いつになったら思い出せるんだろ? いつまで経っても欠片だけだよ」
「それの繰り返しで思い出していくんだよ。時は金なりってな」
「……ことわざの使い方間違ってるよ」
時は金なり。その言葉の使い方を間違えたのも、恐らく彼の優しさだ。わざと、間違えた。
レヴィの心境を読み取り、不機嫌になりかけた彼の心をボケて晴れさそうとする。さっきはヴェリュルスに嫌悪感を抱いていたのに、それはいつの間にか「もう一人の自分を見ているような気分」に変わっていた。
「え?」
――その表情も、バレバレだよ。
「君は本当に……優しいね」
「……茶化すな、バカが」
再び、白と赤の世界に夜の帳が降りる。次第に暗くなっていくヴェリュルスの顔をじっと見つめながら、そして心の裏側ではもうすぐ終わりを迎えるであろう自分の命、そしてアリスに最後の愛を囁いていた。
――自分を裁くなんて思ってたけど、結局自分が好きなんだな。
瞼を、閉じた。
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目を見開いた。
盲目にも似た状況になっていたレヴィは、外界の光に目を細める。明順応を勝手に起こした瞳孔が、次に彼に見せたものは、黒い鴉から伸びた尻尾のような、鞭のような何かだった。
「――ッ!」
それをレヴィの顔面の前に翳した時、彼は勘付いた。自分が今からその尻尾で何をされるのか。
振りかぶった、先の尖った尻尾がレヴィの太腿を貫く。衝撃波のように体に響き渡る痛覚が、次第に脳の感覚を痺れさせるように広がっていく。
「ああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
ありったけの声を上げた。それをしたところで、何も変わらないとは分かっていても、叫ばずにはいられなかった。
足を攣ったくらいの痛みなら言葉が出ないものだが、これ程の痛みに到達すると、自然と言葉が。嗚咽してしまう。
血涙を流しそうな程に目頭に力を入れたレヴィがその眼光の先に見たのは、壊滅した街と必死な表情でこちらへと走ってくるアリスの姿だった。
「レヴィ君! 今助けます!」
アリスが走りながら剣を抜き、それに氷を纏わり付かせる。一瞬でレーベンを生成させたアリスが、レーベンを持つ手とは反対の手から虹色の炎を放つ。それは黒鴉に一直線に噴射され、勝負は一瞬で着くかと思われた。
が、黒鴉はそんなにヤワではなかったようだ。障壁で魔法を防ぎ、挙げ句の果てに尻尾をブンブンと振り回して臨戦態勢を取る。
「リリィさん! 援護お願いします!」
「はい!」
リリィは何かを唱え、アリスに援護魔法をかけるが、実際に戦闘したレヴィから見ればそんなものはただのまやかしだ。“それ”の速さに、今のアリスの動きで着いていけるとは思えない。それなりに速い動きで黒鴉を翻弄するが、黒鴉の目はちゃんと彼女を追っている。
「はあああっ!」
剣戟が黒鴉に降り注ぐ。流星並に素早く、的確に黒鴉に猛襲を吹っかけるアリス。だが、レヴィは見抜いた。
――あれじゃ勝てない。
アリスの動きが鈍っている訳では無い。どちらかと言えば、前回よりも動きが速くなっているのは目に見えて分かる。瞬足を超えて、超越しきったその動きで撹乱しようという魂胆なのだろうが、相手が悪かった。
「あ、アリス! やめろ! 君も同じようになってしまう――!」
言い終わると共に、黒鴉が羽を広げた。それとほぼ同時、羽毛の中から生え出したのは棘。それがあっという間に大きく成長し、幾つものガラスの欠片のようになってアリスの体を貫いていく。
「ぐあっ!」
腿、胸、首、腕、何処も彼処も貫かれ、アリスは盛大に吐血する。もう、息も吸えないのではないかと思う程激しく。
黒鴉はまるで「殺しを楽しんでいる」かのように、アリスが苦悶する姿を無表情で眺めている。
「アリス!」
叫ぶ。叫んだ。
アリスはただ優しくレヴィを一瞥し、体から棘を次々に抜いていき、再び立ち上がった。地に落ちたレーベンを拾い直し、再び黒鴉に向かって構えた。
「ケホッ!ケホッ!」
まだ戦闘態勢に立ち直れていないアリスに黒鴉が走り出した。二本の足でははなく、身体中から沢山生え出した細い昆虫のような腕や足が、あの大きな黒鴉の体を支えて走り出した。
――もう許せない。何もかも、僕の思い通りにさせてやる。
――……どうやってだ?
ヴェリュルスが尋ねる。
――勿論、実力行使だ。
走り寄る黒鴉に狙われたアリスを跳ね除け、腕に生成したクロウで、こちらへと爆走する黒鴉の口目掛けて串刺しに――。
黒鴉の体勢がズレたのか、それともレヴィが体勢を曲げたのか、無い右腕に黒鴉が噛み付き、レヴィの左腕に癒着したクロウが黒鴉の喉を貫いた。
空気の抜ける音がした。
肉を食い千切る音がした。
もう何でもいい。何でもない。
右腕の無い肩肉を抉られながら、クロウを捻り、奥へと更に差し込む。
黒鴉は苦しそうに喘ぎ、レヴィの肩を掴んでいた嘴を開いた。
「レヴィ君! しゃがんでください!」
飛んできた突然の大声に、ヴェリュルスが反応する。咄嗟にレヴィがしゃがむと、彼の頭上を七色の魔法が駆けていった。
熱いような、冷たいような感覚が頭の上を駆け巡り、レヴィが切り開いた傷口に魔法が直撃した。
黒鴉は一歩退き、二歩退き、段々と身体中の尻尾、腕、脚を引っ込め、後退して行った。切り開いた傷口から、どばどばと血が溢れ出し、黒鴉が後退する毎に血痕を残す。
ある程度レヴィやアリスから離れると、黒鴉は大きく羽を広げた。広げた翼には、今まで殺した人々のであろう血が付着しており、見た者全てを震え上がらせた。
黒鴉は飛び立った。
血をパタパタと落としながら、強烈な風圧を伴って黒鴉が羽ばたく。黒鴉は、レヴィ達のことを目の敵にするような目付きで一瞥すると、まるで普通の鴉かのように空の彼方へと飛び去った。
「アリス、大丈夫か」
「レヴィ君こそ! あ お腹が千切れて……腕も……」
遠くに千切れた右腕が落ちている。それを見て、アリスは顔を青くする。
当のレヴィはというと、もう何故か痛みは感じない。傷口が熱く、ぐちゅぐちゅと音を立てている。恐らく血管がどうやらしているのだろう。
「……とりあえず、帰ろう。話はそこからだ」
右肩から下が無くなったレヴィは、まるで怪我などどこにもないかのように冷静にアリスに話しかけた。だが、そうしていられるのも時間の問題で――。




