63話 大好き
「草むしり……本当にこんなのでいいのか?」
草をむしり、空を見上げる。空にぷかぷかと浮かぶのは、秋空には珍しくもないポツリと単独の雲。その雲も小さく、周りの青に掻き消されそうだ。まるで、殺人という罪を負った、この屋敷内でのレヴィの立場を表現しているようにも見える。
不意にザッという、草を踏みしめる音が鳴る。しかしその音は男にしては軽く、その音を鳴らした人が女性であることを示していた。レヴィの背後に、笑顔で立つ少女。リリィだ。
「レヴィ様、こんな所に。何をしてらっしゃるのですか?」
「草むしりだよ?」
見て分かる通り、彼は草むしりをしている。見方によっては、虫を楽にしているようにも見えたかもしれない。だが、根本的にレヴィはそういったことを簡単にしてみせるような人間ではない。故に、先程のリリィの言葉は単なる確認でしかなかったのかもしれない。
「何故草むしりを?」
「皆への贖罪だよ。はは……迷惑、かけたからね」
アリスに言われたことを忘れまいと心に根を生やしているその罪悪感は、レヴィの心を侵食はしないがそれなりに絡め取っていた。
リリィは口角をくっと上げ、レヴィに言った。
「それで草むしりを……偉いですね」
「草むしりなんかで贖罪になるのか分からないけど、やれって言われたならやるのが普通だからね」
自分で言っておいて何だが、草むしりで贖罪になる程度の罪といえば、アリスが言ったように「皆に迷惑をかけたことに対して」くらいしかない。殺人のことについてはリリィには知れていない為、余計な一言を付け足さないように注意が必要だ。
だが、それは不意に訪れた。レヴィが自分で言うこともなく、リリィに知れていたのか。それとも、ショックに耐えきれなくなったアリスがリリィに漏らしたのか。
どちらにしても、リリィは冷たい表情でレヴィに言った。それには変わりなかった。
「そんな偉いのに、どうして帰ってきたんですか?」
「……え?」
言っていることの意味が分からない。否、分からないのではなく、分かろうとしないのだ。実際は、リリィの言いたいことは分かっている。これから彼女が放つであろう言葉も。だが、信じられないのは自分がそう言われることではなく、リリィがその言葉を発したことに対してだった。
「汚らわしいですよ、正直。人殺し」
「り……リリィ……?」
おかしい。何かが、おかしい。どこで崩れたのかは分からない。が、どこかで何かが崩れたことには気付いた。だが、現実と幻覚の違いが分からない。もしかしたら現実なのかもしれない、という疑念が巻き起こる。
リリィがそういった言葉を放つというのはつまり、何かしら事実が捩れている。
「人を殺しておいて草むしりだけで贖罪になると?ばっかみたいですね」
「リリィ……どうしたの?」
それにしても、だ。
リリィの豹変ぶりに、つい手が震えてしまう。ここにいつも通りの誰かが来れば、それはそれで目の前のリリィが本物じゃないと証明出来るのに。
「どうしたもこうしたも、普通ですけど?」
「……確かに、そうだよね……人殺し。そう言われても、何も言い返せないよ」
だが、今のレヴィは冷静な判断が出来ないでいる。まともに正面からそういったことを言われると、何も言い返せずに黙りこくってしまう。だって、まさに言われた通りだし、さっきアリスに対して思ったように、人を取り戻したからといって罪がなくなるわけではないからだ。
「じゃあさっさと出てけよ愚図が」
色々な言葉が、体中を。心中を駆け巡る。
──なぁヴェリュルス。どう思う。僕には守らなければいけない存在が多すぎる。彼女らを守るには……出て行けないよね。
──それは全部、お前が決めることだ。俺は関係ねぇ。
灰髪になったヴェリュルスが、心中でレヴィにそう答えを出す。レヴィもそれには異存はなく、リリィに正当な答えを提示する。
「……それは出来ないよ。リリィ」
「は?」
怒り気味な口調で、リリィが聞き返す。その表情はもう彼女本人ではなく、仰望師団の誰かさんのような顔で。
だが、そんな気迫溢れる表情にもレヴィは気後れすることなく、捲し立てる。
「人は殺した。罪も犯した。けど……けどって言うのもおかしな話だけど、アリスや君、あの五姉妹やスティラさん、守らないといけない人が多過ぎる。だから、出て行けない」
「ふっ、はははははっ!」
レヴィが本心を全て言い終えると、リリィはタガが外れたかのように大声で笑い出した。本当に、顎が外れるんじゃないかと言う程までに口を大きく開け、大笑い。レヴィは流石にそれには驚き、小声で尋ねる。
「どう……したの?」
「クソアマが。自分が守れると勘違いしてるからそうやっていつも踏み外すんだ。いいか、先に言っといてやる。ミーナ、リイラ、そしてレイラ。彼女らは返ってこない。お前が無力な所為で」
無力。無力。無力、無力、無力無力無力。そうやって言われ続けた。その最果て、レヴィが辿り着いたのは歪な景色が心境にマッチする世界。ヴェリュルスがいて、闇に塗れたフレイがいて、レヴィを巧みに右往左往させる。そんな世界。モノクロのような、極彩のような、変な世界だ。
リリィにも、遂に。というより、分かりきっていたことだ。彼女にもそれを言われるとなると、この世界もどうやら末らしい。
「そんなの……どうか──」
突如、窓硝子の割れる音と、爆発音が鳴り響いた。硝子が飛び散り、星屑のように空に煌めく。爆発が起きたのは、屋敷の三階だ。不幸中の幸いとして、建物自体が崩れるような災害は免れたが、それなりに大きな事故だ。それなのにも関わらず、叫び声の一つも上がらないという、何ともおかしい状態。
「ッ!?」
「ほ〜ら。お前の無力さが原因で、皆が死ぬ」
「何して……!?」
リリィがレヴィを煽るも、彼は彼女を払い除け、「ここにいて」と一言告げると燃え盛る屋敷の中に突っ込んでいった。
火の渦巻く屋敷の中に、レヴィは手探りのみで立ち入る。毎回、手に当たるのは焼けた木や鉄屑。それが手に当たる度に手を引っ込め、しかし手を伸ばさなければ先が見えない為、再び手を伸ばす。それの繰り返しで、彼は二階まで辿り着いた。
「くそ……熱い……」
二階は火に加えて煙が充満しており、たまたま持ち合わせたハンカチを口に当て、彼は進んだ。進んでも進んでも、立ちはだかる煙の所為で前に進んでいる感覚が掴めない。それどころか、押し返されているような感覚にもなる。
二階は一階と比べて降り注ぐ木や鉄屑が少ない為、幾分か通り易かったが、問題は三階だった。
「アリスッ!ララ!」
「いつもお前はそうやって一人で」
レヴィが屋敷の中に取り残されているであろう女の子達の名前を呼ぶも、それに反応したのはまたリリィだった。
彼女は外に置いてきたはず。ここにいること自体が、おかしかった。だが、パニック状態のレヴィは、事を冷静に判断する術を持ち合わせていなかった。
「リリィ!?」
「何かを助けようとする」
リリィは、まるで煙など、火事などないようにレヴィの前に立ち竦み、彼を翻弄しようとする。レヴィは立ち止まり、彼女の安否以前に彼女が何故ここにいるのかを考えた。勿論、考えても出てくる答えは皆無。冷静に判断すればいいものの、それは出来ない。
「何でここに……」
「独りではどうしても無力だということに気付かない」
図星を突かれ、思わず吐き気を催すレヴィ。だが、こうしてはいられない。恐らく今頃アリス達は──。返事をしないということは、煙を吸って気を失っている可能性だってあるわけだ。
「何言って!さっさと逃げろよ!」
大事な存在を守る為に行動したレヴィに脅しのような煽りを吹っかけるリリィに、叫び走り出した。
ハンカチを口に抑えたまま、煙で痛くなった目を擦り、頭が朦朧とする中で、アリスの部屋を探した。
「くそっ!アリスの部屋……アリスの部屋!」
──この部屋のもう一個向こう。そこにアリスがいるはずなんだ。
ようやく辿り着いたアリスの部屋を、ノックもせずに押し開ける。
「アリスッ!」
扉が勢い良く開き、扉の破損を食い止めるゴムにバウンドする。扉の外は煙だらけの地獄。ここから逃げるのなら、どうにかアリスを起こして魔法で降りるしか。否、何か紐のような物があればそれで降りればいい。
そう思いながら、扉の奥に足を踏み入れた瞬間、世界が反転した。転がったのではなく、がらりと扉の向こうの景色が変わってしまったのだ。
「わっ!……レヴィ様?」
扉の奥に、しかも優雅に椅子に座って紅茶を飲みながら本を読んで寛いでいた女性は、部屋の持ち主ではなく、リリィだった。
リリィはレヴィが扉を勢い良く開けたことに驚き、紅茶を零しながら声を上げた。
「は?リリィ!?何やって!早く逃げないと!」
「え……何言ってるんですか?」
扉のこちら側は火事で、しかも誰もが反応しない。鉄屑や燃え盛る何やらが降り頻る屋敷の内部。そんな屋敷の一部屋に、突如静寂がもたらされる。
リリィは紅茶こそ零したものの、それはあくまでレヴィの行動に驚いただけで、火事なんて知らないといった顔つきだった。
「え……?は?……火事で……あれ?」
「ど、どうしたんですか?」
慌てて廊下側を振り返ると、そこにはいつも通りの廊下が広がっており、再び顔を捻り戻し、部屋の所有者の名前をよく見るとそれはリリィの部屋だった。
アリスの部屋だと勘違いし、飛び込んだのはリリィの部屋で、しかも火事などは実際なく、自分の妄想に過ぎなかったという事実。曲げようにも曲げられないこの事実に、レヴィは身震いし、リリィに小声で言った。
「……いや、疲れてただけかもしれない……ごめん、いきなり怒鳴って……」
「いえ……」
リリィからすれば驚きも驚きだろう。本を読みながら紅茶を飲んでいただけなのに、突然主人が扉をバタンと開け、大声で「逃げろ」と怒鳴るのだから。
悪いことをしたな、とは思う。大いに思うが、今彼の頭の中の大半を占めているのは、さっきまでの出来事が現実ではなく幻覚、もしくは妄想なのだとしたら。ということに対しての恐れであり、リリィへの考慮などほぼ皆無だった。
「……ごめんね。じゃあ後でね」
後で。夕食の時にまた会おうという意味を込めてそう言った。
が、情緒不安定なレヴィをリリィが放っておけるはずがなく、
「ち、ちょっと待って!」
「ん?」
初めてリリィの敬語じゃない言葉を聞いた。いつもは流暢で、よく噛まないなという程に礼儀正しい言葉遣いを心がけるリリィだが、今回に限ってはそんなことはなく、まるで友達に。彼氏に何かを呼び止める呼び止めるような、そんな口調だった。
「……いで」
「え、なんて?」
聞き取れずに、聞き返す。
「お、お、おいで……」
リリィは、甘える子供に抱っこをするお母さんのように。イチャイチャモードになった彼氏彼女のように、大きく手を広げた。
レヴィはすぐさま拒否の言葉を発しようとしたが、彼女の自信に溢れた笑顔を見ると、その気も失せる。
だから丁重に、しかし丁寧になり過ぎないように拒否をする。その一択だ。
「い、いや……大丈夫だよ!?」
「大丈夫じゃないですよ!疲れてるんでしょう?お、おいで」
疲れているのは間違いなくその通りだった。それ以前の問題が、リリィとのハグを拒否しようとしている。
まず、思春期故の恥ずかしさと、女の子に甘えていてはいけないという自立心。それらと、全てを委ねてしまいたいという甘えが葛藤し合い、彼の心を惑わせていた。
「でも……子供じゃないんだし──」
「えぇいっ!」
リリィが一歩踏み込むと、レヴィの体全体がふわりと包まれた。沢山ある毛布達の中でも、これほどまでに包容力のあるものはないだろう。
レヴィはリリィの胸に抱かれるままになり、顎を彼女の肩に乗せた。女の子らしい華奢な撫で肩が、無性に愛おしく感じられる。
「何か、言って欲しいことはないですか?」
「い、言って欲しいこと?」
考えるが、何も浮かばない。ここ数日の鬱憤やら鬱やら何やらで、何かしらの感情が溜まりに溜まっているのは事実だ。だが、それを言葉で表すとなると、なかなかに難しいものだ。
「うむ」
「ないよ?」
「そうですっかっ!」
リリィが突然体を大きく揺らし、レヴィごとベッドに飛び込んだ。ふかふかのベッドが、二人を包み込むように支える。
「うわっ!」
「ぎゅーっ!」
仰向けになったレヴィに、リリィは何故か擬音付きで行動を示す。レヴィの胸に這い寄り、背中に手を回して束縛だ。
そういう言い方をすれば、彼女が束縛したがりのような勘違いもされるだろうが、事実その通りで。リリィは元々、独占欲なら人に負けない程の猛者であり、アリスとなかなか性格が似ている。
思い返せば、彼女の心からの叫びはいつもアリスのものと酷似しており、毎回アリスを彷彿とさせる行動を取る。アリス程メンヘラ気質ではないが、それなりに構ってちゃんであり、愛情に飢えている為、隙があればレヴィとイチャつくのが恒例行事だ。
そんな彼女が、二、三日レヴィのいない状況で過ごして正気でいられるわけがなく、恐らく今でさえ、気持ちが爆発しそうな程に沸沸と湧き上がっているはずだ。
「リリィの方が何か溜まってるんじゃないの?」
「そりゃリリィだって心に溜まるものくらいありますよ」
そりゃあ人間ですもの。と付け足すリリィ。そりゃあレヴィだって心に膿は溜まる。だが、何と言うか──アリスやリリィの執着心には異質なものを感じる。
レイラのものは、少女らしいもので、行き過ぎたとしてもただの恩に惚れただけである。
リリィの本心が読めないと、何故か昔から心がムズムズと痒くなる。これは恋なのか、愛なのか。どちらかといえば恋なのだろうが、それには本命のアリスがいる為、浮気は出来ない。折角許嫁を解消したのだから。
リリィは体を起こした。もう愛情注入は十分なようだ。
「じゃあ逆にリリィは何をして欲しいの?」
「レヴィ様に素直になって欲しいです」
「それは……そうか。じゃあ……ごめん」
思いがけないリリィの願いに、ついつい謝罪の言葉が口から零れる。だがそれは間違いでも、失敗でもなく、彼の本心そのものだった。
だがそれを理解出来ないリリィは首を傾げ、
「何で謝るんですか?」
「アリスにも、ララ達にもいっぱい迷惑かけたけど、アリスから聞いた話によればリリィが一番苦労してたかなって。ほら、アリスって情緒不安定だからさ」
すらっと、言ってはいけないことを述べるレヴィ。慌てて口を抑えるも、時は既に遅し。言ってしまったものは。吐いた唾は飲めないというのはこのことだ。だが、幸いにもここには本人アリスがいない。運に救われた思いだ。
「それ、本人に言っちゃダメですよ?」
「だね」
「まぁ、一番だなんて言うつもりはないですけど、それなりに堪えたのは本当です」
正直、彼がいない間に溜まりに溜まった気持ちを発散する方法は、遂に見つからなかった。だから、レヴィがこの部屋に飛び込んで来た時、嬉しさと虚しさで心が破裂しそうだった。彼がこの部屋の空気で呼吸する度に、心の鬱憤が抜けていく感覚もした。抱きついた時なんか、鬱憤などはいつの間にやら全て出て行き、心が満足で満たされもした。
──それなのに、この人はまだ。いや、リリィがどう思っていようとこの人の気持ちが変わるわけじゃないんだけど、それでもまだレヴィ様はアリスのことが好きで──、本当に、人の気持ちも知らないで……。
リリィの心が正と負のバー上で揺れ動いた時、不意にレヴィの状態が起き上がり、リリィの顔と彼の顔がくっつきそうな程の位置になった。吐息がかかる程の距離。男の子にしては甘い吐息の香り。恋の為にそう感じるだけかもしれないが、それらがリリィの心を高揚させる。
「そうか、じゃあこれで許して」
レヴィの顔が近付く。
拒否などしない。むしろ大歓迎だ。
リリィもまた、レヴィの背中にもう一度手を回し、そっと唇を重ねた。
柔らかさと柔らかさがぶつかり合い、互いに心地よい感覚が体中に広がる。
「んっ」
甘い声を漏らし、リリィは唇を離した。その間、およそ二秒程。その二秒間に、リリィはどれだけ救われただろうか。しかし、長い時間、そうしてはいられない。
これ以上長くしていれば、それはもう遊びでは済まされない域に踏み入ってしまうからだ。あくまで彼はアリスのもの。それを心に踏まえた上で、自分から終止符を打った。
「あれ、これってしたらダメなことだよね」
「もう遅いですよ、本当に浮気性なんですから」
今頃気付いたのですか。とデコピンをレヴィの額に食らわせる。レヴィは再び上体をベッドに任せ、まるで起きたくないと言い張る子供のように毛布を被って言った。
「うぅ、認めざるを得ないな」
もう、我慢が出来ない。一層の事大声で叫んでやろうか。嗚呼、それしかない。それしか、彼に本物の愛を伝えるには。それしかないのだ。
我ながら、なんて極論だろうとは思う。が、爆発しそうな程に膨らんだ気持ちの膨張はもう止められない。
「レヴィ様!だーーーーーー一い好きっ!」
毛布に包まったレヴィに抱き着き、リリィは大声を上げた。それは屋敷全体に響きそうな程。耳元で声を上げられたレヴィにとっては難聴になりそうな程に大きな声。
この夕方に何の騒ぎだと慌てて彼女の部屋に押しかけるメイド達も、すぐに来ることだろう。その時間を待ちながら、レヴィはこの「日常」を思い出の一ページに刻んだ。




