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最後の夜明けは最愛のキミと  作者: れる
第三章 戦骸
63/205

59話 最期の時までずっと

渾身の力作なので、是非さいごまで読んでいってください!

 アブセルトとラピスが出会ってから五年が経とうとしていた。二人の距離は大きく縮まり、ラピスはルェルを超える程までにアブセルトの側近をこなしていた。

 アブセルトは駒のように彼女を使ったが、その扱いはとても丁寧なもので、扱われている本人も嫌な気はしなかった。

 対してラピスは、アブセルトを相変わらず神格化しており、彼女の命令は絶対だという根底は曲げなかった。故に、亜人戦争が終焉を迎えた後のもう一つの大戦も、彼女は仲間と協力して卒なく完遂した。


 ルェルは、ラピスに側近の座を奪われたことを多少気にしてはいたが、気に病む程まで考え込んだりはしなかった。ドルフもまた、アブセルトへの恋心は捨てられず、しかし告白など出来るはずもなく苦悶していた。

 誰もが今まで通りの生活を、ジルギルド軍施設で送っていた。


 何か変わったことがあったとすれば、それはラピスの昇格くらいで、他に何か大きな出来事が起きたわけでもなかった。

 ラグナロクへの昇格という、大いなる結果を残したにも関わらず、何に関してもほぼ無頓着なラピスは何も感じることはなく、しかしアブセルトに褒められると喜んだ。


 そうして時が流れた。


「アブセルト様」


「あぁ、時間だな」


 その言葉だけを交わすと、二人はルェル、ドルフを交えて部屋から去った。あの誇り部屋だ。真ん中に置かれた小さくも大きくもない机に、地図が貼られていた。それは邪精霊仰望師団の潜伏地と思しき場所を記しており、今作戦はそれを撃破する戦いでもあった。

 作戦は大まかに組み立てられた。彼らの潜伏地を順々に周り、しかし四人誰もはぐれることはなく一体一体撃破していくという感じだ。四人がバラバラになれば、相手に返り討ちにされる可能性もある。四人纏まっていた方が、何かと効率が上がるのも確かだ。

 だが、この四人の誰かが離脱すれば、全員揃って離脱するというのがこの作戦の要だ。でなければ、四人纏まって死ぬ可能性も捨てきれない。


「いいか、もう一回確認するからな。誰かが戦闘不能状態になったら、そこで退却だ。最初の拠点は、一番凶悪なやつだ。気を張っておけ」


「上官……」


 確認を取って早足で歩くアブセルトを、不安そうな顔で呼び止めたルェル。脂汗を流して彼女の軍服の裾を掴む。

 アブセルトがそれに気付き、「どうした」と一言尋ねると、彼女は俯きながら小さく呟いた。


「死んだり……しませんよね……?」


「……死なねぇよ。誰も。あくまでの話だ」


 想定出来る範囲での話であり、そういう未来になる可能性だってある。だがそれは希薄で、そうなる危険性はほぼないに等しい。唯一気がかりがあるとすれば──。


「で、でも!……相手はあの仰望師団で……」


 敵が仰望師団であること。「権能」と呼ばれる未知の力を使いこなし、何の罪もない一般人を殺戮して悦に浸るような狂人の集まり。問題点は、彼らと自分達の考え方の相違点であり、それが原因で仰望師団の連中を怒らせてしまうかもしれない、ということだ。軽はずみな行動は出来まい。


「いいかルェル。相手が仰望師団であろうが何であろうが、敵は敵なんだ。忘れるな」


「手加減はしません……でも……」


 ──でも、私は知ってる。貴女が本当は虫も殺せないくらい優しい人だってこと。雪に埋もれて凍え死にそうな孤児を、後先考えずに連れて帰ってくるくらい優しい人ってこと。そんな貴女が、いくら敵とはいえ殺せるなんて思えない。


 ルェルの心中は揺れていた。そんな人物だと知っているからこそ、彼女だけは連れて行ってはならないと思っていた。簡潔に言えば、彼女の気の迷いがこの四人全員を殺してしまうことだってありえる。それを考慮して、ルェルはアブセルトを。自分と共にこの戦いから退けるつもりだった。だが、アブセルトの意思は固く、曲げられそうにはなかった。


「いい加減覚悟決めろ。うじうじしてると愛想が尽きるぞ」


 流し目でルェルを見た後、彼女はすたすたと廊下を歩いていく。もう、とっくに愛想なんて尽きているのかもしれない。彼女がそれを表に出さないだけで。

 フラフラと、支えるもののなくなった赤ん坊のように蹌踉めきながら歩くルェルを、片手で強く引っ張り静止させるラピス。彼女はルェルを叱咤するように言った。


「ルェルさん、頑張りましょう」


 ──こんな子供でも……少女と言うべきかな。こんな女の子でも頑張るんだ。私も……上官の言うように覚悟を決めないと……。


 ルェルは気の迷いを押さえつけながら、しかしどこか自信なさげな声色で、小さく言った。


「う、うん……頑張る……よ」


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


 歩くこと四時間。遠い道のりを淘汰し、へとへとになりながらもようやく到達した地点。ルェルとドルフは息を切らして今にも死にそうな勢いだが、アブセルトとラピスは流石だ。呼吸は整っており、汗など滲んですらいない。

 彼らが到着したのは、俗に言う洞穴だ。薄暗く、中もあまり見えない状態で、彼らは中へと足を踏み込む。


 中にいたのは、背丈が昔のラピス程の少女。見たところ、凶器のようなものは持ち合わせていない様子だ。だが、どこに何を隠し持っているかは計り知れない。丸腰でないことは確かだ。


「お前が……」


 アブセルトが、小さく呟く。

 フードを深く被った銀髪の少女は、のそりと動くと、震え声で言った。


「何の……用ですか……そっと……しておいて欲しいんですが……」


「そっとしとくだぁ?お前自分の立場分かってねぇのか?お前仰望師団の一人だろ?それで見過ごせってのはちょっとばかし冗談の度が過ぎるぜ」


 ドルフがいつも以上に饒舌になり、銀髪の少女に向かってべらべらと言葉を並べまくる。

 少女は肩を竦めると、一歩後退りをし、辺りを見回して何かを呟いた。だが、彼女の声は洞窟に反響したドルフの声に掻き消され、誰の耳にも届かなかった。


「ドルフ、黙れ」


「はぁ!?何の為にここまで来たと思って……」


 アブセルトが、ドルフの口に手を当てるが、それを赤面しながら押しのけるドルフ。心が乱れるが、そんなのは考えてられない。少女の身柄を拘束、もしくは殺害することが今作戦の要であるからだ。それを一度でも逃せば、次はもうない。というのが、アブセルト本人の言い分だった。

 アブセルト本人がそれを制止するというのは、何か策があってのことだろうか。


「見たら分かるだろ、相手は子供だ。いくら仰望師団といえども分からないことだらけなのは確かだろ」


「そうだけどよ……」


 ドルフが千載一遇のチャンスを逃したと言わんばかりに肩を落とし、アブセルトが言葉で宥める。

 正直、ドルフの心境は過去に類を見ないほどに乱れていた。アブセルトを守らなければいけないという使命感と共に、彼女にいい所を見せる。そういったかっこつけたさも相まって、ぐちゃぐちゃになってしまった。

 それを抑える方法は一つしかない。作戦に集中することだ。


 不意に少女がその艶やかな唇を開き、聞こえるか聞こえないか微妙な程小さな声で言った。


「貴女は……ぉ……リイラ・ラファティーですね」


 リイラ・ラファティー。ここにいる、本人以外は誰も聞いたことのない名前だった。そもそも、本人はその事情を誰にも話していなかったし、故に知っているのは本人と親、そしてスティラだけだった。


「……リイラ?何言ってんだこいつ。こいつはアブセルトっつーんだよ。残念だけどリイラとかいうのはここにはいねぇよ」


「……ドルフ」


 アブセルトが忠告をする。もうこれ以上言うな、と。

 だが、気持ちの昂りを抑えようと必死な彼には、そんな言葉が届いたりすることはなかった。続けて言葉を並べまくる。


「つーかまじ早くやってやろうぜ。これが一番凶悪だぁ?ざけんじゃねぇよ。こんなガキのどこが凶悪だよ。さっさとやっちまおうぜ」


「ドルフ」


 凶悪、と言えば凶悪なのかもしれない。年端もいかない少女が、ニカニカと可愛らしい笑顔で近付いてきて、いきなりナイフを首に翳せば、被害者は間違いなく命を落とすだろう。ドルフはそんなことを考えてはいなかったが、ルェルやアブセルトはそれも踏まえて気を張っていた。

 しかし、アブセルトの中に燻る気持ちはもう一つあった。それは、怒りでもなく、憎しみでもなく、かと言って正義感などでもなかった。


「おい、命令はまだか。早く寄越せよ」


「ドルフっ!」


「っ!…………何だよ」


 アブセルトが大声を出し、ドルフを止めようとした。思惑通り、ドルフは声を潜めた。

 アブセルトが一歩前に出、少女と対面する。少女の目は潤み、まるで子猫のような艶やかさを醸し出している。アブセルトの目は鋭く、しかしどこかで気の迷いが。家族を見るような目で彼女を見ていた。


「私に……喋らせろ」


「はぁ?何言って……」


 ずんずんと前に出ていくアブセルトを、止めようとドルフの手が伸びるが、届かない。


 アブセルトは、自分のことを「リイラ」と呼んだ少女に向かって歩いていた。小さな声で彼女の名を呼んだ。


「おい……レイラだろ……」


「……」


 レイラと呼ばれた少女は返事をしない。涙を堪えるように肩を竦め──否、泣いていた。袖で涙を拭い、すすり泣く音が鳴り響く。アブセルトは一定距離から近付かない。未だ、警戒は解いていない。


「れ、レイラ!返事……して……くれよ」


「あ、アブセルト様?」


「上官……」


 今まで見たことのないアブセルトの容態に、驚きを隠せない二人。

 アブセルトは震える体で、ゆっくりと少女に近付いていく。それと同時に、少女はタジタジと後退りをし、遂に後ろの何かにぶつかった。


「レイ……ラ?……私、そんなのじゃ……ない……」


 首を横に振り、自分はレイラじゃないと言い張る。だが、リイラは直感で感じていた。自分との血の繋がりを感じる何かを。そして、自分の妹ならないはずがない徹底的な証拠が、目に入った。

 鎖骨辺りに垣間見える痣だ。


「う……そつけ!お前……だってその痣……生まれた時にあったじゃねぇか!」


「私……レイラじゃ……ない」


 これでもかという程に否定を続け、アブセルトは少女の前に立ち竦んだ。彼女の言葉に、ある悪い予想が過る。

 これが仰望師団の罠であり、この妹の姿をした少女は幻覚、もしくは誰かが変装した姿で、自分の命を今か今かと狙っているのではないか、と。そう思えば、自然と少女の口元がニヤついているようにも見えてくる。

 だが、我に返るとそうではなかった。少女は涙を流し、アブセルトに拒否を示しているようにしか見えなかった。


「え……」


「お……」


 言葉が過る。


「……れ……」


「お……ね……」


 この言葉の次に来る言葉はもう分かりきっている。やはり、少女は。


「……お前……」


「お姉ちゃんっ!」


 心の何かが決壊したような気分だった。それは清々しく、しかし何か澱みが混じって。妹に「お姉ちゃん」、そう呼ばれたのは初めてだった。初めてなのに、どこか懐かしい感じがして、初めてなのに、何か他にも感じるものがあって。

 目の前で泣き叫ぶ少女の正体は、紛れもなくアブセルト──リイラの妹、レイラ・ラファティーだった。


 だが、何かがおかしい。実妹なら、泣いて喜ぶ展開のはず。先程から、アブセルトのことを拒否しているようにしか見えない。何かが、おかしい。


「っ…………やっぱりお前……レイ──」


「がっ……!」


 アブセルトがそう言って抱き締めようとした時、突如レイラの背後で闇が動いた。それはレイラのフードを掴み、引っ張った。首が締まったレイラは嗚咽し、目線で「離れて」と訴える。


「おや……こちらの作戦も大成功のようですね」


「ッ!……何やってんだてめぇっ!」


 男の行動に、体が反応する。相手が仰望師団なら、相手の出方を伺うのが先手だろう。だが、アブセルトの手は流麗に流れ、腰から抜かれた剣が空を掻いた。

 ひゅんという空を掻く音と、それを受け止める鈍い音が洞窟内に響く。


「おっと……」


「ひっ……」


 男は腕で剣を受け止めると、レイラの首元を強く引っ張り、自分の元へと引きずり込んだ。そして、アブセルトの渾身の一撃だった剣を弾き返すと、腰から抜き出したナイフをレイラの首元にあてがい、脅迫まがいなことをしでかした。


「……レイラを離せ……さもなくば殺す……」


 アブセルトの心はもう、沸騰寸前だ。沸騰しているのかもしれない。

 男はニマニマと笑みを零し、レイラは恐怖に涙をポロポロと落としている。

 再び剣を構えたアブセルトに、忠告の一声が刺さる。


「アブセルト様!ダメです!仰望師団の思う壷です!」


「上官!踏みとどまってください!」


「何が踏みとどまるだよ!妹が殺されかけてんのにじっとしてられるわけがねぇだろうがっ!」


 ラピスとルェルが必死に制御をかけるも、アブセルトの外れたリミッターは言うことを聞かない。そう叫んで、アブセルトは剣を彼方此方に捌きながら、男の命を狙おうとした。

 陽喰をも享受した人間だ。適当に剣を振り回しているわけではなく、全て。一裂き一裂きが、精密に行われている。だが、そんな剣の猛攻にも、男は素手で受け止めるばかりであった。腕で受け止め、それを払い除ける。それの繰り返しで、全く男に消耗は見られない。むしろ、アブセルトの方が体力を消耗している。


「アブセ……」


 剣と腕がぶつかり合う音に、ラピスの声は掻き消される。


「離せ……離せってぇええええっ!」


 相変わらず、アブセルトの猛攻は止まず、男はそれをすました顔で受け流す。段々と、アブセルトの剣捌きが鈍ってきているのは、気の所為ではない。

 一振り一振りがゆっくりになり、命中精度も落ちてきている。


「お姉ちゃんっ!」


 レイラが、言葉では言わないが、「やめろ」と訴えかける。だが、アブセルトは剣を振るった。


「ドルフ!早く止めないと!」


「は、はぁ!?あんなの止めれるわけが……」


「いいから止めるのよ!」


 ルェルはそう言うと、すぐに走ってアブセルトの援護に回ったが、肝心のドルフは足が動かず、立ち往生のままだった。

 そんな足に苛立つも、それだけではそれに打ち勝つことは出来ない。恐怖が愛、正義感に完敗しているのだ。


「離せぇぇえええっ!」


「……じゃあ交換条件にしませんか?」


 猛攻の最中、男が不意に言葉を投げかけた。アブセルトは一旦剣を止め、休戦に入る。気の緩みは全くない。寧ろ今が最高潮に気が張れる状態だ。

 相変わらずレイラを捕らえたままの男は、ニタニタ顔をやめようとはしない。心底ムカつく顔だが、ここで怒っていては神経がもたない。


「交換……条件?何馬鹿なこと!」


「現実的な話ですよ。貴女がこちらに来ればいい。そうすれば、レイラとは一生一緒に過ごせるし、今よりもっと力が手に入る」


「ち、力なんてどうでもっ……!私には!レイラだけで……」


 力なんて。今の心境は、事実レイラさえいればどうでもいいのだ。必死に自分を慕ってくれたルェルも、何かしらの感情を奥に隠しているのであろうドルフも、一から育て上げたような気分でいたラピスも、レイラと比べてはもう、ただの過去の産物でしかない。


「ならこちらを拒む理由なんて……ないですよね?」


「っ!……でも……レイラはそっちの人間じゃない!」


 声を荒げ、再び剣を構えて踏み込むアブセルトに、男は全く動じない。動じないどころか、瞬き一つもせずに小さな声で呟き。


「ふむ」


「ぐぁっ!」


 動いて、いなかった。

 見えない何かがアブセルトを急襲し、彼女は地面に叩き付けられる。頭が割れたような感覚が身体中を襲い、それと共に流れ出してくる寒気。もう死が間近にいる。


「アブセルト様!貴様ァっ!」


 叩き付けられたアブセルトを見て、ラピスが激怒し、魔法を連発した。氷、炎、風、色々な魔法を組み合わせて練り合わせ、強力な魔法陣を作る。その魔法陣から射出される魔法はいかにも恐ろしく、神々しい光を放っていた。が、当たらない。男に命中しているはずのそれは、見えない何かによって遮られているのだ。

 男を囲んだ球のようなその見えない何かは、放射状にラピスの魔法を分散させる。


「ふふふ、そんな密度の低い魔法が当たるとでも?」


 男の口角が上がり、寒気を覚える。這い上がってくるのは、自分が死ぬ怖さではない。大事な人を失う怖さ。五年間、自分を育て、支えてくれていた人がいなくなるなんて苦しみ、想像もつかない。

 だから。


「ラピス!留まれ!」


「嫌です!アブセルト様がッ!」


「ラピスちゃんっ!」


「嫌ですッ!」


 アブセルトとルェルがラピスを何とか止めようと声を荒らげるも、アブセルトと同じく一度リミッターが外れるとそれに打ち勝つ強さを持たないラピスは、魔法陣を五、六個展開し、それに伴った威力の魔法を射出する。

 当たらない。当たらない。当たらない。当たらない。当たらない。当たらない。当たらない。当たらない。

 絶望に嘆きかけたその時、男がふっと動いた。


「全く……こんな年端もいかない少女なのに……こんなにボロボロになるまで戦って……」


「ッ──!?うがッ!」


 男の手が、ラピスの腹を貫いた。ただそれだけなのに、彼女の腹から吹き出す血の量は、手刀の比ではない。傷口は、手を捻ったかのように抉れ、服が肉にこびり付く。

 痛みに悶絶するも、痛すぎて感覚が麻痺する。痛い、なんて言葉でこの苦痛は表せない。未だ尚、今の痛みよりも失いたくない気持ちの方が強く、アブセルト達を守らなければという責任感に追われている。これも捨てれば楽になれるのだろうか。


「ラピス!」


「アブ……セると……さま……」


 そう、大事な人がいる。

 ここに、いる。

 だから、死ねない。


「ドルフ!何ボーッとしてんだ!さっさとラピスの治療を──っあ!」


 叫ぶアブセルトに、再び男が攻撃を加える。首を掴み、男の元へ引き寄せられる。息が苦しい。気道を塞がれ、絶え絶えの息で。虫の息で命を繋いでいる。

 男はアブセルトの首を掴む力を強め、言った。


「人の心配などしている場合ですか?このままでは皆殺し……貴女がこちらに来れば、それは止めておいてあげましょう」


「……んなの……信じられるわけが……」


 信じられるわけがない。現状、彼はラピスの腹を貫いたし、今もこうやって一方的に攻撃され、もう防戦一方だ。先程打ち付けられた頭の傷口から、血が流れだして目に入る。沁みはしないが、視界が悪くなる。重大な問題だ。


「なら……」


「んっ!ぐぁッ!かはッ!」


 これまた手刀だけでアブセルトを凌駕する。横からの肋骨への一撃。直後に頭を掴んで壁に打ち付け、体勢を崩した彼女の足を掴んで引っくり返した。もう、負けは確定している。ここで守らなければいけないのは、自分の命じゃあない。他の四人の命だ。


「アブセルト!糞野郎が……動けよ……動けよ足ッ!」


 アブセルトが一方的にやられる姿に、憤怒の感情を奮い立たせようとするが、彼の足はまるで虎に睨まれたように一ミリも動かない。動いたとしても、逃げるという方向にしか動かない。どうにか、どうにかしてこの状況を打破しないといけない。それにはドルフ単体の力ではあまりにも足りなかった。


「おねえちゃんっ!やめてっ!」


「レ……イラ?」


「私は大丈夫だから……逃げて……」


「に……げれるわけがねぇだろっ!」


 この中で一番大事だと豪語してもいい程、この七年間彼女のことを思い続けてきた。ここで尻尾を巻いて逃げれば、犬死によりも酷いと、アブセルトは考えた。


「いいから逃げてっ!」


「ルェルっ!」


 痛みに苦悶するアブセルトが叫ぶ。ルェルへと目で命令を出し、近接戦に持ち込めと合図する。彼女はそれを承諾し、男へと走っていった。


「はっ!──ッ!?」


「残念」


 だが、男の反応はルェルのそれよりも倍近く速かった。台風のように風を起こし、ルェルの視界、動きを奪った挙句、レイラを脅すのに使っていたナイフでルェルの首を掻っ切った。

 赤黒い血と、白い骨。青い静脈が見え、ルェルは倒れ込む。ルェルが必死に生を保とうとして動けば動く程、ブチブチと彼女の血管は千切れていく。その感覚に顔を悲痛に歪めながら、言葉にならない声でアブセルトに向かって言った。


「ぁ…………しょ……ぁん……」


 その言葉をしっかりと聞き、目を瞑る。嬉しいわけじゃない。悲しくないわけじゃない。だが、込み上げてくる感情は悲しみではない。何と言えば、表せばいいのか分からないが、それでも悲しみとは違う。

 アブセルトは感情を噛み殺し、苦渋の決断を下す。


「分かったよ。そっちに、いく。だから……もうやめてくれ……」


「あ、アブセルト!何言って……」


「久々に……名前で呼んでくれたな」


 ──まずい。冷静な判断が出来ない。冷静とは違う、何らかの落ち着き。平静が心にやって来ている。思えば、アブセルトって呼ばれたのは何年ぶりだったかな……三、四年ぶり……かな。いつも「お前」だったり、「男装女子」だったり……でもまぁ、女の子として見てくれてるならよかった……かな。


「……は?」


「何か……伝えたいことがあったんじゃないのか?」


 ──いつも意味深な顔しやがって……何か押し殺してるのバレバレだってんだよ……あぁ頭痛てぇ……早く……お前の気持ちが知りたいよ……。


「…………ふ、ふざけんなよ!お前がいなかったら……ぉ……ラピスはどうなんだよ!」


「記憶を消してくれ。お前なら出来るはずだ……もう……さっきの衝撃で意識が……朦朧としてるんだ……早く……言って……くれ」


 ──あぁ気分悪ぃよ……何でお前はそうやっていつもいつも他人のことばっかり考えられるんだよ……私には、到底無理な話だった……結局、ラピス……にも、何も恩返しなんか出来ないまま……で……。


「ぉ、俺は……」


「……」


「お前が好きだったよ!」


 ──あぁ……やっぱりか……いつも私を見る目……だけが違ってたの……バレバレなんだよ……この鈍感野郎が……ちなみにド……誰だっけ……?まぁいいや、私も……お前のことは……たまにかっこいいとか……思ってたよ……お前が……何か言ってさえくれれば……OK出したのに……残念だな……。


「……そうか……ありがとな……愛してくれて……」


 ──あぁ、何で私……いつも正直じゃ……ないんだろ……今ここで……言ってやれば……お前の最高の……笑顔と……驚き顔が……拝めたって……いうのにさ……お前……誰……だったっけ……。


「……ぁ、ざけんなよ!早く戻ってこい!俺はどうなったっていいから!早く!」


「む……無理だよ……だって……もうお前の名前も……思い出せない……んだ……」


 ──変な感じ……だな。これまで……お前としてきたことは……覚えてるのに……名前だけが……思い出せねぇんだ。何か……ちっせぇ子供も育てたっけ……アブセルト様、アブセルト様って……慕ってくれて……なぁ、私……アブセルトじゃないんだ……本当の名前は……「リイラ」って……言うんだ……って……聞こえてねぇか……いや、喋って……ねぇのか……もうわけわかんねぇ……よ……。


「ッ!…………ら、ラピスはどうすんだよ!お前がいなかったら……こいつは……」


「ら……ぴす……あぁ、付けた……んだ……ったな……な……まえ……」


 ──そうだったな……らぴす……ラピスか……お前の……本当の名前も……結局分からず……終いだったな……何て名前なんだろうな……メリューとか……エリスとか……アリシアとか……まぁ、当たるわけ……ないか……。


「お、おい!しっかりしろよ!お前がいなかったら俺も!ラピスも!軍の誰も生きてけないんだよっ!」


「そ……れは……悪かった……」


 ──そんなに……皆に……慕われた覚え……ないんだけどな……本当は皆……そう……思ってくれて……たのか……?それなら……嬉しいな……私だって……皆に感謝……してるんだよ……お前にも……あんたにも……あいつにも……ら……ぴす……にも……。


「アブセルト様っ!」


 仰向けで横たわり、目を薄らと開けたアブセルトに、腹を貫かれたラピスが這い寄り、叫ぶ。アブセルトにはもう何も見えていないらしく、どこか遠いところに手を伸ばしている。頭からの流血は更に増し、もう意識の底に眠っているようだ。言葉も途切れ途切れで、彼女の限界を物語っている。


「き……おくを……消し……て……私……からも……この子……からも……」


「で、出来るわけが……ねぇだろっ!」


 ──たのむよ……なぁ……さいごの……おねがいなんだ……さいご……くら……い、いうこと……きいてくれたって……いいじゃ……ないか……わたしの……こと……すきなら……ちょっとくらい……わがまま……させろよ……あぁ……わたし……さいごまで……いやな……おんな……だったな……。


「たのむ……」


 ──そうだよ……さいごの……おねがいなんだ……あぁ、意識が遠のき過ぎて……やっと思い出せてきた。ドルフ、ルェル、そんでラピス……本当に……ごめんな……もう、死にそうなんだ……いや……しんでるのかも……しれない……あ、また……しがちかづいて……きたよ……じゃあ……もうそろそろ……いかなくちゃ……つぎあうとき……なんとか……わた……しが……いき……てれ、ば……ぜった、い……おもい……だすから……まってて──。

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