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最後の夜明けは最愛のキミと  作者: れる
第三章 戦骸
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58話 彼の地

 朝、目が覚めた。

 碧い双眸が開き、外界の様子を映し出す。幼い頃から、この瞳はキラキラと輝くそれを止めようとはしない。幼い頃から、とは言っても、今も十分幼子だ。十歳前後でも、やれることはやれたはず。そう、アブセルトが昨日言ったように、自分は素晴らしいことを成し遂げたのだ。


 数時間前、丁度終戦の印が打たれた。向こうの獣人族の首は、自らは戦おうとはせず、自分の部下達だけに戦わせた挙句、勝機が無いと見たらすかさず敗北を認めるような、そんな女獣人だった。

 アキレス腱を掻っ裂き、太ももにナイフを突き刺した。その感触が今でも手のひらに伝わってくる。ただ、そんな圧倒的な力の差で相手をねじ伏せても、別に罪悪感というものは感じなかった。「殺しをしていない」というのも大きな要因だろうが、それとは別に、何やらそういった感情自体が欠如しているのだろう。


「ラピス、入るぞ」


 まず、状況把握も出来ていない状態だ。ラピスはキョロキョロと辺りを見渡し、そこが先日アブセルトに連れてこられた彼女の部屋であることを確認する。殺風景だからどう可愛く変えてやろうかと考えていたあの部屋である。

 ガチャリと扉が開き、アブセルトがひょっこりと頭を出す。この顔を見るのも一日ぶりだ。考えてみれば、首との対話が終わった後の記憶が微塵もない。アブセルトに運ばれたりしたのだろうか。


「おい、起きてるか?」


「え……はい」


 不意に。と言うよりも、呆けていただけであるが、ラピスは肩を跳ねさせる。

 アブセルトは満面の笑みを浮かべ、ラピスに近寄る。対してラピスは、今まで見たこともないようなその表情に怯え、ベッドの上で後退りをした。


「な、何ですか?」


「何って……ふふっ、やっと認められたんだよ!お前がここにいることを!」


 幼いながらも聡明なラピスは、それについては詮索しなかった。多分、それについてはアブセルトもだいぶ苦戦しただろうし、舌が二枚あっても足りない程の饒舌になったに違いない。顔を赤くして必死に説明するアブセルトの姿が目に見える。


「それは……嬉しいですね」


「だろ?さ、お前の配属祝いだ。買い物に行こう!」


「買い物……ですか」


 あまり乗り気にならないのには訳があった。アブセルトがこんなにも喜んでくれ、財布のボタンが弾け飛ぶのも知らないで奮発してくれようとしているのは重々分かる。だが、幼子も幼子なりに考えることがあるのだ。例えば。


「私は、貴女に付いて行っていいのでしょうか?」


「買い物のことか?一緒に行かねーと、お前金ないだろ?」


 そう。言われた通り、お金はない。かと言って、上司に買わせるのも気が乗らない。だからどうすればいいのかという問題には答えられないが、それなりに。幼子なりに責任感のようなものが芽生えているのは分かる。


 アブセルトは「ほら、いいから」とラピスの手を引き、扉を開けて街へと繰り出した。


 帝都。そこは何もかもが存在する中心街であり、色々な人種が彷徨い歩く場所でもある。昨日終戦したばかりであるからか、亜人族。特にエルフ達はフードで特徴的な耳や素晴らしい造りの顔を隠しながらも買い物を楽しんでいるようだ。

 この状況を作ったのが自分で、しかも命を零さずに成し遂げたと思えば、何やらムズ痒い何かが込み上げてくる。


「今日から私はお前の親代わりだ。何でも買ってやる。欲しいものがあればすぐに言え」


 不器用ながらも、遠回しに「親の代わりをさせろ」と、にまにま顔は言う。それにため息を付いて心にケジメを付けたラピスは、優しく握っていた手をぎゅっと強く握り、アブセルトに連られるままに歩いた。


 街並みにぞろぞろと建ち並ぶ洋服屋に、アブセルトはラピスの手を繋いで入った。どうやら、女性服専門店らしい。世界は衰退して、科学は進歩していないのにこういうのだけは充実している。そんな帝国の在り方に少々疑問を覚えながら、ラピスは再び連られた。


「これなんかいいんじゃね?かっわええ!」


「そ、そんなの恥ずかしいですよ……」


 部屋着に、とアブセルトがハンガーから取り出したのは、胸元の大きく空いた可愛らしい服。部屋着、というのには少々華美が過ぎる服だが、あのアブセルトが選んだのだから着てみようという気にはなる。

 それよりも、男らしいあのアブセルトがこんな可愛らしい服に興味がある。見る目があるというのには、冷静なラピスでも流石に驚きだ。


「これ、大きくなったら着ろよな。ぜってぇ似合うから!」


「こんなに胸はおっきくなりませんよぉ〜」


 大人服と見えるその服を、どれこれ構わず腕に掛けていくアブセルト。そんなに買ってお金が持つのかと心配になるが、ここは厚意に甘えるのが部下の役目というものであろう。


「このスカート似合うじゃんっ!あ、でもこれも……」


 もう既に、ラピスが楽しむ、休息するというよりもアブセルト本人が楽しんでいる気がする。本物の家族、親も、こんな風に自分の服を選ぶ度に喜んでくれたのだろうか。

 未だに自分の名前は忘れたままだが、前親が貧乏で服など変える裕福さなど無かったのは覚えている。


「あ……」


「どうした?」


 ふと、買い物を終えて店の外に出た時、何かが目に飛び込んできた。それは大きなハット──ではなく、所謂昔の魔女達が被ると言われているエナンというものだった。

 黒い下地に、華美ではない装飾。どんな服でも似合いそうなそれは、何故か死を連想させた。何故かは分からない。けれども、死を、思わせた。


「これ……」


「欲しいのか?」


 手を伸ばし、その触り心地を確認する。何も特別なエナンではない。ただ黒いだけのそれは、まるで恋に落ちたように、ラピスの心を引き込んでならない。


 ──そういえば、今日買った服にも似合うものがあるかもしれない。殆どアブセルト様が選んだものだけど……。


「これはね、特注品なんだよ。しかも非売品でね……あ、非売品っていうのは、売れないもののことでね」


 唐突にラピス達に話しかけたのは、寂れた店の奥から出てきた店主だ。歳も歳であり、もう定年であろう彼は、幼いラピスにも分かるように説明を始めた。だが、そんな心配、ラピスには無用だ。


「分かりますよ。それくらい」


「なぁ店主さん」


 アブセルトが店主の胸ぐらをいきなり掴みにかかり、彼をぐっと引き寄せる。辺りは、喧嘩が始まったのかと詮索する者達、野次馬達が彼女らをぐるりと囲み、その行く末を見守った。

 それに怖気付きもしないアブセルトは、店主の耳にそっと唇を近付けて、誰にも聞こえない声で囁いた。


「いくらだ」


「え……」


 相変わらずにまにま顔は直らず、笑顔のままで店主の服の襟を掴む手のひらに力を込める。

 店主はそれに怖気付いたのか、「ひぃっ!」と後退りした。それにアブセルトが手を離したのも重なり、彼は尻餅を着いて店の奥に逃げていった。

 それもそうだ。相手は帝国の矛の一番星であり、その貫禄というか威厳というか何かは、見る者全てを怯えさせる。


 バンッ!と机に札束を勢い良く置き、辺りの野次馬達を睨み付ける。すると彼らもまた、蛇に睨まれた蛙のように竦み、散り散りになって自分達の買い物を再開させた。

 そして、アブセルトは店の奥まで聞こえるくらい大きな声で言った。


「ここに五十万ルナ置いとくから取っとけよっ!取られても知んねぇからなっ!」


「アブセルト様……そこまでしなくても……」


 幼子には少し刺激が強すぎたようだ。一日前に血塗れになって帰ってきたラピスでなければ、の話だが。

 暴挙を奮ったアブセルトに、ラピスは子供なりに説得しようと試みた。だが、アブセルトは悲しそうに顔を歪めた為、そんな野暮はしないことにした。


「まぁ……いいじゃねぇか。ほら、被っとけ」


 そう言って、細い指でエナンを掴んでラピスの頭にぎゅっと被せるアブセルト。彼女の目は、無邪気に笑っていた。


「はい……」


「んでさ、次はどこ行く?あ、先に今買ったやつに着替えるか?どれがいい?」


「え〜まだ行くんですか?」


 わざと嫌そうに言って見せたが、彼女の心もまた楽しさに満ち溢れていて、瞳はきらきらと輝いていた。

 無理矢理、買った服に着替えさせられ、まるでコスプレでもしているような気分だ。周りの人の目が痛く感じる。だが、傍から見るとそういう目では見ていなかった。ただ、可愛らしい服装だからと誰もが振り向いた、ただそれだけで。


 しばらく歩くと、公園のような、自然のような芝生が目に入る。そこにはベンチが幾つか並んでおり、誰でもここで休息できるようになっていた。アブセルトはそこに座ろうと提案し、ラピスはそれに満面の笑みで賛成した。


「んはぁ〜!つっかれたなぁっ!」


「アブセルト様がはしゃぎすぎなだけですよ」


 ベンチに腰掛け伸びをするアブセルトに、辛辣な言葉を投げかけるラピス。それにアブセルトは、「それもそうか、ははっ」と笑った。


「……私、妹が……いるはずなんだ」


「……?」


 急に黙りこくったかと思えば、今度は悲壮な顔をしてそう語り始めた。目は伏せ目になり、長いまつ毛が風にそよぐ。アブセルトの、華美ではないが地味でもない服も、また風にそよいでいた。

 ラピスが反応に困っていると、アブセルトはため息を付いてからこう言った。


「妹は……多分……生きてればだけど、ラピス、お前くらいの歳なんだ……」


 アブセルトの、誰も憎んだことのないようなその美しい瞳は、悲しみというのか何というのか、例えようのない感情に揺れている。

 腰掛けたベンチの後ろでそよ風に草花がそよそよと音を立てて、一層静寂を静寂に仕立てあげている。


「つまり……何ていうか分からないんだが……」


 ラピスはまるで子供の悩み。我儘を聞いているかのようにしんとし、アブセルトの次の言葉を待った。

 黒髪が風に揺れる。


「さっきお前のこと……いや、私がお前の親代わりって言ったけどさ……」


 アブセルトの細い、美しい指にぐっと力が入る。


「やっぱりお前くらいの歳だと……」


 赤髪が風に揺れた。


「……妹に見えて仕方ねぇんだ」


「……」


 生き別れの妹がいること。それが何を表しているのか、小さな頭では考えられることに限りがあった。心の中で、いつもこんなことを考えて苦悶していたアブセルト。表面上はいつも笑顔で、適当なことを言っているようなイメージ──一日ちょっとしか一緒に過ごしては居ないのだが、そんなイメージが根付いている。


 いつも堪えて堪えて堪えていたのに、それを壊してしまったラピスという存在。恨んだりはしない。

 涙が零れ、しかしこんな幼子の前で涙だけでは示しが着かない。口角を押し上げ、必死に笑顔を作るが、零れる涙に押し負けて笑顔は崩れてしまった。


「つ……辛ぇよ……何で……」


「アブセルト様……」


 袖で溢れる涙を拭い、嗚咽と共に哀しみ、目の前に妹代わりがいるその辛さを噛み締め、泣き、泣き、泣き、泣いた。

 アブセルトはラピスの膝に顔を押し付け、声にならない悲鳴で叫んだ。涙が、今日買ったスカートに染みる感触が手に取るように分かる。


「っ…………うっ……う……ラピス……何で……」


「泣いて……いいんですよ。アブセルト様」


 決壊。その一言だった。とめどなく溢れ出していたはずの涙は、その勢いが止むことなどなく更に勢いを上げて溢れ出す。

 人の前で涙を流すことなど、無いに等しかった。あのルェルの前ですら、そんな弱さを見せたことがなかった。幼子の言葉に甘え、涙を流してしまうなどどれほど自分は情けないのだろう。


「泣いて……いいわけが……」


 ない。泣いていいわけがないのだ。何とか溢れる涙を止めようとするも、そんな制御はとっくの前に出来なくなっている。

 だが、彼女の意識はもう、とうの前にどこかへ行ってしまった。目が霞み、もう何も見えない。

 だめだ。こんな弱いところをこんな幼子に見せては。だめだ。最高司令官ともあろうアブセルトが、こんな醜態を晒しては。

 だめだ。


「ラ……ピス……」


「……」


 膨大な涙を流した。もうこれ以上は枯れ果てて出ないというほどまでに。大の大人が、嗚咽しながら咽び泣いている。何て醜態、羞恥プレイだ。

 だがそんなことも、この柔らかくて薄い膝の上では何もかもが欠落する。まるで天使の膝に乗っかっているような気分だ。そんなごちゃまぜになった心の中で、アブセルトは夢を見た。ほんの些細な、希望の夢を。


 ベンチとその周りの草花に、風が時折強く吹く。その感覚に意識を預け、ラピスもまた目を閉じた。

 長い長い眠りに入ると、もうそこには誰もいない。ただ、二人の呼吸音のみが心地よく鳴っていた。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


 ふと、誰かに呼ばれたような気がし、アブセルトは不意に体を起こした。勿論、ラピスの額と自分のそれがぶつからないようにゆっくりと。まだ寝起きだからなのか、その視界は曇ったままで、自分に声をかけた人の姿さえも霞んで見えない。


「お久しぶり、リイラ」


「……?」


 声色で、何となく察した。だが、確信とまではいかなかった。目を擦り、紺色の髪の女性に目を向ける。


 ──あぁそうだ。前が見えないのは寝癖で前髪が全部下りてる所為でもあった。


 前髪を掻き上げ、声のする方をしっかりと見る。


「覚えてないの?連れないわね」


「……あ……あぁ、スティラか。久しぶり……だな」


 懐かしい二人の再開は、夕日が丁度地平線に差し掛かる頃であった。

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