54話 白薔薇
「……」
「アリス。眉間にシワが寄ってますよ」
銀髪の少女、リリィがアリスの異変に気付く。リリィは優しく彼女に声かけをした。
しかし、アリスの気持ちは今ここにあらず。であり、目は呆然と遠くのどこかを見つめており、その無気力な眼光とは相反して、眉間にはシワが寄り、拳にはこれでもかと言うほど力がこもっていた。
「……」
「アリス?」
声かけに反応しないアリスに、リリィは再び声を投げかける。先程よりももっと、優しく柔和な声で。
アリスは肩をピクリと震わせ、まるで機械のようにゆっくりとリリィの方へ顔を向けた。
「ん、あ……あぁ、何です?」
「気持ちは分かりますけど……あまり思い詰めすぎると体に害ですよ」
何を考えればいいのか、何をすればいいのか。手向けか、それとも仇を取ればいいのか。どちらでもない。
何にせよ、向けようがない怒り、憤りの矛先がどこに向いてもおかしくない状況のアリス──。
「分かって……ます。分かって……たんですけどね……」
時は数時間前に遡る。
空間転移で王宮まで飛ばされたアリス一行は、すぐさま自分らのした過ち、過失を思い出した。
レイラを残したこと。彼女だけがレヴィと対峙し、他の皆を、自分らを逃がしたということ。それには感謝どころか怒りさえも感じる。そこでもし、彼女が命を落とせば──。恋敵だったとはいえ、死んで欲しかったわけではない。むしろ、そうやって張り合って恋が発展していくのが楽しみでもあった。が──。
時は容赦なく彼女らの心を破壊しようとした。勿論、その時間という神にも等しい力の持ち主にどう考えても抗えるはずなどなく、アリス一行はただ綺麗に遺されたレイラ、そしてその姉であるリイラの死体を目に映すことしか出来なかった。
リリィは目に涙を浮かべ、更にアリスの手を掴んで離さない。優しく握っていたはずのアリスの手に、力がこもる。
「予想なんて出来ないし、したくないです」
「貴女は……悲しくないんですか?それともあの子なんてどうでもいいと?」
「なんでそんなこと……」
そんなこと、誰も言ってない。リリィでさえ、恋敵であったレイラが悲しんで苦しい。心の中では苦悶に葛藤を塗りたくり、どうにも出来ない怒りを必死に堪えている最中なのだ。
アリスは顔に手を当て、膝から崩れ落ちた。
「悲しくないなら……なら、別に……何でも……」
「アリス……?」
「アー様」
ブツブツと言葉を並べるアリス。
その全てを聞き取って尚、リリィは意味が分からない。アリスは涙をぽつぽつと零しながら、自分の世界に引きこもる。
思い出される、数々の思い出。
初めてレヴィに会った日。
初めてレヴィと食事をした日。
初めてレヴィと誓いを交わした日。
初めてレヴィを罵倒した日。
初めてレヴィのお風呂に乱入した日。
大量の「初めて」が、アリスの脳内を埋め尽くしていく。中には、彼に怒られる日もあった。アリスにとってはそれもご褒美で、彼はそう思ってなかったのかもしれないが、それでも彼女は幸せを感じていた何故ならそれが彼から与えられるものだったし、彼から享受されるものは何もかもが宝物で私も何かあげなければと思っても何も出来なくて──。何も出来なくて。何も、何も出来なくて。出来たのは彼を、彼を傷付けることだけ。私は何も、彼に救いの手を差し伸べていない。何故なら私は愚図で魔女で何もかもが「破壊」から生まれるものだからで、その「破壊」が彼の心を蝕んで、
「何が……何で私じゃないんですか……」
「アー様」
彼はその所為で戻ってこなくなって、それは私の所為で。何もかもが私の所為。悲劇のヒロインになりたいわけじゃない。むしろなりたくなんかない。おとぎ話のように何もかもがハッピーエンドで終わる物語ならそれでよかったのになんで私はそうじゃないの?何か前世で、前世で何かしたの?それとも前世なんかなくて私が記憶を失くす前に何か悪いことをしたのかもしれない。何にせよ、悪いのは全部。全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部私の、所為。
レイラさんが死んだ。リイラさんも死んだ。ミーナさんも、誰も彼も死んでいく。どうせ命なんて、ただの肉体に入っている魂という気持ちの塊に過ぎない。その魂が入っていない私なら。私だったら──。
「私なら……死ななかった……私ならっ!」
「アリス様!」
子供らしい、しかし誰かを征しよう。なんて気持ちは微塵もこもっていない、怒りの声。その声を荒らげたのは、ララ。五姉妹の長女であり、短絡的に名付けられた最初の犠牲者である。
アリスを彼女の世界から取り戻そうと荒らげたその声は、しっかりと彼女の心に届いており、彼女を引き戻すことに成功した。
「…………何……ですか」
まだ、自責の念は払いきれない。払いきっては、いけないことだとも思える。だが、きっとこの子が言いたいのはそれをしてみせろということ。たぶん、恐らくそうであろう。曲げない。私の心はもう一つに決まっている。
「自分を責めないでください。悲しいのは皆一緒です。でも、それでもララ達は平静を保ってる。それなのに年上であるアー様の方が取り乱すのですか?」
「……だって……どうしたら……何に当たれば……」
少し、心が揺らいだかもしれない。決意を新たにした直後にこれだ。全くもって、自分という存在はどれほどちっぽけでカスカスなのか。自分で自分に呆れてしまう。
「……レヴィ様は奇跡を起こしました。記憶が戻らなくなった時です。丁度、ララ達がここに配属になった日です。次の日、あの人は戻ってきました。人格が変わって、変な雰囲気の彼から戻ってきたんです。戻れるはずが、なかった。のに、アー様の元へ戻ってきたんです」
「……」
言われてみると、確かにその通りなのだ。彼の執念など、考えたこともなかったのだが、それなりに自分に対しての好意が奏功したのだろう。それをレイラに置き換えれば──多少の望みは抱けるはずだ。
「レー様に比べれば、レイラ様の執念はもっと強いです。……恐らくは。だから、あの人が戻ってこないわけがありません。絶対どうにかして戻ってきます。戻らせます。そうでしょう?」
「……はい……」
レイラの執念。アリスには及ぶとも思えないが、それなりにそれは強いはずだ。
レイラを連れ戻す。そしてレイラ自身も戻ってこようと奮闘しているはず。その言葉をきっかけに、アリスの心は少し前向きになり始めた。一歩前身と言ったところだろうか。
「ララ達、五姉妹の力と、アー……アリス様とリリィ様の力。全部合体させれば、きっと彼女を取り戻せるはずです。だから、そう──」
「わ、分かりましたから……」
──正直、しつこい。折角アリスがその気になったのに、彼女の心中には靄がかかり始めた。ララ、そしてその四人の妹達の目が痛いくらいにアリスに刺さる。
何故、どうして、何の為にそんな目をするのか。理由は全部、アリス本人にあったのに。
「顔が分かってない顔です」
「レレもロロもそう思うわ」
いつもは語尾を伸ばしてだらしなく返事をするルルでさえしっかりとした語尾の締めくくりでアリスにそう言い、相変わらずレレとロロはハモりながらそう言う。
何か、音がしたような気がした。パチッのような、プチッのような。それと、ゴーッという何かがとめどなく溢れ流れる音がした。アリスは瞬時に確信した。「魔力が溢れる」。
「だから分かったって言ってるじゃないっ!」
背中が熱い。胸が凍えるように冷え、腕の先は痺れている。顔は溢れる怒りの為、しかめっ面に変貌し、地面に着いていたはずの膝から足先にかけてが突風でふわりと舞い上がる。
突風に足を取られ、一瞬宙に浮いたアリス。戦闘中かのようにスタっと地面を踏みしめ着地した彼女は、もう制御の効かない魔女、「戦骸」そのものだった。
「ッ!?リー様っララ達の後ろにっ!」
背中から噴出された炎と風が混じり合い、捻れた熱風がララやリリィ達を襲う。瞬時に展開した障壁でララ、リリ、ルルが後方のリリィとレレロロを守るも、障壁はミシミシと音を立てて砕けようと必死だ。
「さ、三重の障壁をっ!?」
「もうっ!近寄らないでっ!私の!私のなの!誰ももう手は出さないで!私が!私が解決するの!だから!もう!……やめてよ!」
苦悶するアリスをどうにか正気に戻そうと、リリィが障壁の外に出た。外は何とも熱く、靴を履いていても熱は足裏にジンジンと伝う。そして突風。突風というよりかは烈風だ。あまりの風速に、掠めた頬からは赤い血が流れる。
それでも尚、リリィはアリスに向かって歩き続ける。足裏はもう火傷もいいところだ。それに、体の中心に烈風が当たっていないだけ良いのであって、こんなものを腹にぶち込まれれば風穴どころではない。上半身と下半身をぶった切られる始末だ。
それなのに一向に体の中心に風や炎を当てないのは、当てないのではなくて当てられないのかもしれない。暴走したレヴィと同じで、正気と狂気の間で苦悶しているのだろう。
「アリ──」
嫌だ嫌だ。もうやめてください。その言葉だけが、リリィに向けて言える最後の言葉。もう、魔力の暴走は抑えきれない。
背中が抉れ、肩甲骨辺りから炎が巻き出ている。熱い。熱い。熱い熱い熱い。何でこんな目に。合うのだろうか。い、やだよ。母さん。父さん。なんで貴方達は死んだの?ミーナさん、レイラさん、リイラさん、なんで私を置いていって死んでいくの?何で……私だけが死ねないの?このままリリィさんも殺しちゃったら。死んじゃったら。
「嫌ぁっ!」
「リリィ様っ!」
リリィが烈風に歯向かい、アリスに抱き着く。アリスは咄嗟に魔法を発動し、リリィを突き放そうとする。二人の間に発生する突風は、何とかして二人を引き離そうと爆発的な力を発揮した。が、リリィは強化魔法で、アリスの首に巻き付けた両腕を離さない。
抱き着いたそのまま、リリィは立て続けに言葉を投げかける。
「ッ!……貴女はまた悲劇を繰り返すんですかっ!?また、貴女の所為で皆が死んでも、それでもいいと思ってるんですか!?」
「な、何を言ってるのか分からないよっ!」
何も、何も分からない。やめてよ。もう近寄らないで。貴女を殺してしまう。
「覚えてないなら思い出してください!今すぐに!」
「何の話なの!何をしようとしてるの!私に触らないでっ!」
ゆっくりとリリィが、アリスの肩に付けていた顔を離し、彼女の顔を見つめた。
その顔は、見慣れたいつものリリィではなく、ぐにゃぐにゃと歪みながら別の顔を生成していき、最後には別人。記憶に古い、非常に美しい顔が目に映った。
「私よ…………思い出して」
「────」
アリスは膝から崩れ落ち、力なく地面に倒れ付した。
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蝶が舞い、白薔薇が辺りに蔓延る。
レヴィがこの情景を見れば、「僕のよりも豪華でいいなぁ」なんて軽口を叩くこともあっただろうが、生憎お互いがお互いの秘密を知らないままで疎遠に、レヴィが堕ちてしまった。
そんなことは気にしないにしても、アリスにはこの状況が全くもって理解が出来ない。ただ呆然に立ち竦み、流麗に舞う蝶々を眺める。
「…………ここ……は……」
「ようやくここまで来たようね」
透き通る声。アリスもなかなかの美声なのだが、それにも負けず劣らずの鈴の音がアリスの胸を打つ。綺麗だから、それだけの理由で、ここまでの拍動は打てまい。もっと、複雑に絡まりあった事象が、記憶の蓋が開かれたことが理由だった。
「……貴女は……?」
「全く、魔力の暴走が抑えきれなくなるなんて貴女らしくないわね」
アリスの質問を無視し、神々しい笑顔でアリスを焼く美少女、否、美女は、見かけによらずかなりの歳を重ねている。見た感じ、年齢は十代半ばといった様子だが、その実年齢御年百五十二歳になる女だ。
ここまで記憶が蘇ればもうアリスは、自分の中で色々な考えを整理する暇もなく思い出すことが出来る。
「もし……かして……」
「ガ……ここまで言えば分かるかしら」
女はその長い銀髪をふわりと風に靡かせながら、アリスにそう、優しく言い放った。
「……神の右腕、ガヴリエル……」
ガヴリエル。第二位天使と呼ばれるその名高い肩書きは、邪な者さえも見るだけで浄化してしまうという逸話を残している。それは下界、帝国でも広きに渡って知れており、況してや上界、ヴェールでは確信された噂として蔓延っている。
その記憶も、ヴェールと帝国を往来したアリスのみが知る。知識量で言えば、記憶が戻ればアリスの方がガヴリエルを上回るかもしれない。
「大正解。どうやらあの子と違ってこっち側では記憶は確からしいわね」
「何を……?痛……」
あの子、というのは誰なのか。考える間もなく、魔力の暴走によって抉れた背中がズキズキと痛み始める。
「まだ痛むの?見せて」
まだ記憶の蓋は全て開いていないのだろうが、大体のことは思い出した。
こうやってガヴリエルがアリスに寄り添うのも、いつかあったことなのかもしれない。
そんなことを考えると、ますます自分が何故今ここにいるのかを問いたくなる。存在意義とは。先程のように、取り乱すほどに自責の念は濃くない。だが、心配、不安の根はまだ根絶しきれていない。
「……大天使様が何の用で?私を始末しに来たんですか?……あぁ、思い出してきました」
そう、自分は存在してはいけない人間──いや、天使だ。
「思い出した?なら話が早いわ。ええそう、始末、とは言わないわ。いえ、言わないし、させない」
魔法も何もしていないはずなのに、背中の辺りがほんのりと温かくなり、傷口が塞がる感覚を覚える。
それよりも、ガヴリエルの言い放った言葉の真意が気になる。アリスを始末しないということは、世界を犠牲にするということ。ともすれば、ガヴリエルはそれに加担するというわけか。それとも、何らかの方法で止める手立てがあるのか──。
「でも……そうしないと皆が犠牲に……」
「戦骸……ヴァルキリーの脅威は強大。そんなの、上の子供でも知ってるわ」
戦骸、読みをヴァルキリーと呼ぶそれは、アリスの最終形態とも呼べるその姿を表した言葉だ。
戦骸が一度顕現すれば、大袈裟かもしれないが世界は滅ぶ。いつか世界を滅ぼしかけた「核」というものに存在は似ている。
実際、その所為でアリスは棄てられた。
「だから……私は討伐されなくちゃ……」
「何を馬鹿なことを言ってるのよ。貴女と私の仲じゃない。何とかしてあげるわよ」
「何とかなんて……ならない。私は……あの時だって、ヴェルから離され、落とされた……どれだけ苦しかったか」
少し論点はズレた。
何とかなんて、言葉通りならない。なるはずもない。あの時だって、彼も、アリスでさえ抗えずに落とされた。
──あの後ヴェルはどうなったの?
「貴女がいなくなってからは彼もだいぶ豹変したのよ。あんなに優しかったのに……いえ、これ以上は言わないでおくわ」
「ヴェルが?そ……んなことが……?」
優しい。その一言で表せたヴェルの性格が、アリスの消失を期に変貌した。その事実に、彼女の心中は軽いパニックに陥った。
地面に膝から崩れ落ち、絶望を隠すことなく露わにし、涙で滲む目をゴシゴシと擦った。
──また、私の所為で……。
ガヴリエルは、その気持ちを察したかのように柔和で、しかし困ったような表情を浮かべてアリスの心の波が収まるのを待った。
アリスが涙を拭い、再びガヴリエルと目を合わせると、ガヴリエルは話を再開させた。
「いなくなるだけで人の精神疾患を引き起こす。それだけ貴女の力は偉大なのよ。別の意味でね」
「私が……偉大?」
「昔言われたでしょ?それと同じ意味よ。実際、ヴェルだけでなく他の人達も悲しんでたわ」
「……」
確かに、そんなことを言われたような気もする。天界でも、下界でも。
「尊く、謙虚で崇高な存在」だったアリスは、今や自責の念に囚われて本当の目的を忘れているんだと、そんな声が聞こえた気がした。目的、それは単純にヴェル。今のレヴィを救うこと。
「それだけの人の心の支えになってる貴女をあっさり殺すなんて、そんなこと出来ると思う?」
「……じゃあどうしたら……」
だが、問題はあった。取り敢えず、自分を制御するところから始めなくては、「救うはずだったけど逆に殺しちゃった」なんて軽口では済まされない。
自制。その一言を達成するだけにどれ程の時間を要するのか。どのような方法で──。
「方法はあるんだけどね……と、その前に一つ聞いておくわ。アイラ、貴女……最近魔力の暴走がよく起こるでしょう?」
「う、うん……」
思い出される、レッカへの奇襲。そして先程の魔力の暴走。最近は、魔法を使う度にこの暴発のようなものが起きている気がする。
理由は簡単。それは、
「上げて下げるようで悪いけど、それは戦骸の予兆よ。なるだけ抑える、もしくは誰もいないような場所で一時的に魔力を発散する……でも、後者はオススメしないわ」
「何で?」
アリスの考えは二つあった。まず、魔力譲渡が可能な人材に、アリスの溢れ出す魔力を吸い出してもらう方法。そして二つ目は、先程ガヴリエルも言ったように魔力を発散するという方法。その二つだった。が、あの大天使ガヴリエルにそれを否定されては、考えの根拠や行く末がどうであろうと無為に終わるだけである。
「あのね、貴女の体に巡ってる魔力は全部、ヴェル……今のレヴィ君から供給されてるの。そこに、十二年経って成長した魔力線からの魔力が合わさって魔力が膨張し始めてるのよ。まぁ、何にせよ一時的な発散はあくまでも一時的でしかないの。分かる?」
「う、うん……?」
あまりの早口に理解出来ないアリスは、小首を傾げてガヴリエルにもう一度頼むとアイコンタクト。
その呆れた物言いに、ガヴリエルは大きく息を吸って、特大のため息を吐いた。しかし、彼女の表情は全く笑顔から歪むことはなく、アリスから目を逸らさない。
「……栄養が全部胸に行ってるのかしら。昔はなかなかに頭脳明晰だったのにね……まぁ、それも戦骸の警告。今貴女に起こっている不具合は皆が皆戦骸が原因よ」
「……そう……で、それを防ぐ方法は?」
「……それはまた今度言うわ。……今の記憶は今ここだけのもの。起きたらもう忘れてるけど、一応聞いておきたいことはある?」
一番聞きたいところが抜けたままだ。不完全燃焼で終わるのは納得がいかないが、アリスはそれも仕方ないと心中で割り切った。
他に聞きたいこととなれば、皆無に近い。まだ記憶の全部は戻ってきていないのだから。
「……ない」
「分かったわ。じゃあ──」
「ちょっと待って!」
アリスから体を背けようとするガヴリエルだが、アリスの声に咄嗟に反応して、超常な反射神経でアリスに振り返る。そのあまりのスピードに驚くアリスは、一瞬言葉を失った。
「何かあったの?」
こんなにこやかな笑顔を保っているガヴリエルでも、やろうと思えば一瞬で自分を殺れる。その事実に冷や汗を流しながら、アリスは言った。
「ガヴリエル……さんがここにいるってことは……」
「さん付けなんてもういいわよ!小っ恥ずかしい!」
確かに、さん付けなんて──まさに十二年ぶりだ。
そして、その言葉に遂に表情を変えたガヴリエル。赤面し、口をモゴモゴとしてアリスをチラチラと横目で見ている。
天使でもなかなか可愛いところがあるものだ。
「……貴女は死んだの?」
「……さぁ、どうかしらね。想像にお任せするわ。他に何かある?」
適当にあしらわれ、もうあまり長話をする気にはなれない。別に怒っているわけではないが、彼女なりに話時間の限界が来たと感じたのだ。
「……ない」
「そう、じゃあ、ね」
舞っていた蝶は既にいなくなり、白薔薇もいつの間にか枯れ果て、辺りに広がっていた白い世界は段々と縮小されていき、遂にはアリスごとゼロに還元されてしまった。




