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最後の夜明けは最愛のキミと  作者: れる
第三章 戦骸
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47話 悲劇

 フレイが剣を抜く。片手でレヴィの首を掴み、持ち上げて、もう片方の手で剣を持つ。青白く光る地面のその光に反射して、剣の刀身が同じように光る。それすらも、殺気を帯びた光のように見える。

 下目にそれを見たレヴィは、液体という液体で汚れた顔を強ばらせる。もう、意識が遠のき始めている。


「それは......どういうつもりで?」


 その様子を冷静に眺めるアリシアは、逆さ吊りになったままレヴィにその冷徹な視線を送る。だが、そんなアリシアの視線はレヴィの背後だ。彼に見えるはずもなく、彼自身、そんな目で見られていることも想像出来ない。


 剣を抜き、レヴィを睨むフレイにアリシアは問う。


「簡単さ。目の前でこいつを殺せば、お前は泣き喚くはずだ」


「......そんな雑魚が一人死んだくらいで私が嘆くとでも?貴方も私のことを見下すんですか?」


 アリシアも彼を睨んだ。その視線に、血でか、黒く薄汚れた唇がニタァと薄く伸び、目も三日月型に湾曲する。

 何が面白いのか、そんな野暮を問う必要はない。アリシアの怒りを再燃させているのは彼なのだから、彼に天誅するのみだ。


「見下してなんかない。お前は魔女だ。そもそも、まともに戦って勝てる相手なんかじゃない。でも......そういうことか」


「何がですか?」


 フレイは何か分かったような顔をして、アリシアを一瞥し、レヴィの顔を見上げる。彼は苦しそうを通り越し、もう意識の狭間にいる。

 そして再びフレイは唇を薄く伸ばし、アリシアに問うた。


「もうこいつには飽きたんだな?」


「少々齟齬がありますね。少し彼と話し合っただけです」


 とは言っても、アリシアの心にも、レヴィの心にも、大きな爪痕を残したのは確かだ。アリシアの方は、傷というよりかは痛み。レヴィにとってはその両方が残っている。

 どちらにせよ、「話し合った」というだけで済まされる「話し合い」ではなかった。言うなれば喧嘩、というものだろうか。


「......ルーナ、本当なのか?って、話せないか」


 フレイは何の予備動作もなしにレヴィを離した。

 彼はドシャっという音を立てながら、地下水に塗れた地面に倒れ伏した。彼は一瞬意識を失ったが、それでもなかなかタフだったようで、呻き、蠢きながらもゆっくりと頭をアリシアの方に上げ、言った。


「っ......けほっ!......アリス......逃げろ......」


「だからアリスって呼ばないでって......」


 必死のアリシアへの呼びかけにも、彼女は真面目に応えようとはしない。むしろ、自分の呼び名についてまだうじうじ言っているのだから、ふざけてる。舐めてると言っても過言ではない。

 そんな無愛想なアリシアの態度だが、レヴィは諦めない。


「いいから逃げ──」


 フレイが、叫んでいる途中のレヴィの口を掴む。首ではないだけ、まだ息が出来るからマシなのかもしれないが、体重で伸びる首によって狭まる食道の所為で、呼吸自体は苦しい。

 それに先程まで少しは呼吸出来ていたのだから、そのギャップで更に苦しい。


「あんま喋るなよ。もう終わりだ」


 全く、本当に人を持ち上げるのが好きな人男だ。背はそれ程高くないのに、何故か普通に背の高いレヴィを持ち上げられる程に筋肉が付いているらしい。もしくは強化魔法か。


 そんなフレイとレヴィの様子には何の感情も湧かないアリシアは、彼らに悪態をつく。


「......帰っていいですか?パンツ丸見えなんですけど」


 逆さに吊られたアリシアのスカートは、確かにめくれて中身が丸見えになっている。内訳は、黒いレースのものだ。黒いながらも純潔そのもののパンツだが、フレイは勿論レヴィでさえ興奮などせず、ただ冷たい視線を送っている。


「ダメに決まってるだろ。目の前でこいつを殺す、それまで待て。あと、それくらい我慢しろ。俺だってそんなので興奮する程大人じゃない」


 パンツを見たくせに、そのお礼も詫びも言わないとはどんな教育を受けてきたのだろうか。いっそのこと胸まで見せてやろうか。なんて野暮はしない。

 あくまでアリシアの心を壊す、というのが動かぬ目的らしく、フレイは冷静だった。


「......流石にまだ主従の関係は解消されていないので、あまりそういうことはして欲しくないですね」


「なに?愛想尽かしてたんじゃなかったの?」


 愛想は尽かしているものの、主人として守らねばいけない存在なのは変わらない。──決して、レヴィが大切だからとか、好きだからなんて理由じゃない。むしろ今は嫌いだ。心の底では好きだと思っていた、なんてオチも有り得ない程に。


「愛想は尽かしてますが、主人なのには変わりありません」


 そんな、自分の心をきっぱりと言い切ったアリシアは階下のフレイを見下す。あくまで主人を守るため、自分が従者という立場な為、彼に敵対しているのだ。他に、彼の非はない。


 アリシアの潔い決断に、何やらスイッチを押されたように、レヴィを下ろす。だが、彼の口を塞いでいるその手は力を緩めることなく、むしろ強くなる。


「ぐずぐずうるさいな〜。多少のことだろ?どーせこいつも生呪かかってるんだしさ、一回死んだくらいで音を上げるやつじゃないことくらいは分かるよ。流石の俺でもな」


「──......馬鹿なのは認めるんですね」


 アリシアが余裕でいられたのも、レヴィに愛想を尽かしているから、というだけの理由ではない。「生呪」がかかっている故の余裕だった。


 少し間を空けて、心の落ち着きを取り戻すアリシア。──決して、レヴィを失うのが怖いわけじゃない。逆に、死んでもらった方がせいせいする。


「うるせぇよ。賢さはこいつと同じくらいだよ」


「......で、私を捕らえてレヴィ君を目の前で殺して、それで私の心が壊されると思いますか?」


 絶対に、そんなことで自分はめげない。心は壊れない。そう思い込んだ。

 正直、そう思い込む他なかった。心の奥の奥の奥の方、本当に奥底では、レヴィを失うことが怖くて仕方のない自分がいたから。

 しかし彼が死ねば、そんな自分と決別出来る。もう一生、誰にも依存せず、誰も愛さずに生きていける──。そう思っていた。


「......壊されないならお前を殺すまでだよ。出来るだけ苦しんで死ねるように努力するからさ。まぁ同じことなんだが」


 そう言ってレヴィを放り投げる。彼の意識は既にここにはないらしい。目を閉じ、地に倒れ伏すだけで、彼はピクリとも動かない。

 そんな彼に衝動的な体が動きかけたが、それを食い止めたもう一人の自分。アリシアはそのもう一人の自分をキッと睨みながら、小さな声で呟いた。


「......てる」


「聞こえない」


 フレイが気に入らないといった様子で、舌打ちをしながら彼女に言う。彼の声もなかなかの低さで、結構聞こえにくいのだが。


「馬鹿げてる」


「何が?」


 やっとのことで耳に入ったその声の意味が分からず、フレイは耳に手を当てて彼女に問う。

 対するアリシアは、体をわなわなと震わせながら、怒り爆発寸前といった様子でフレイを睨む。


「今の私を殺す?馬鹿らしい。そんなこと出来るはずがないでしょう?」


 根拠はないが、一度、二度、三度死んだのだから、四回目も十回目も死ぬことはないと考えられる。もしこれが、有限の命ならば、なんて考え方は今のアリシアには難しい。何しろ今の彼女は自分を過信している。


「それはやってみないと分からない。俺だって鍛錬してんだ」


「それは筋トレってことですか?」


 それならレヴィもしている。特に変わったメニューはこなさず、日々同じことを繰り返しているだけ。唯一特殊な筋トレ、否、訓練は剣の練習くらいだろうか。

 剣を振り、アリシアと木刀を交えて一日の訓練は終了となる。


 そんな、誰にでも出来る訓練を仰望師団も同じくしているのだろうか。


「いや、権能を強化してる」


「......貴方の権能は?」


 権能の強化イコール、権能の精度を高める、といった認識でいいのか。権能に精度があるとはレイラからもリイラからも聞いていないが、出来るのは出来るのだろう。でなければ、彼がこうして自信満々に言葉を放つわけがない。


 焦りを感じ取られることを恐れ、彼の持つ権能の種類について尋ねる。別に、それを知ったところでアリシアは死なないのだから、結局のところは聞かなくてもいい。ただ、小耳に挟む程度には知っておいても無駄はないと判断したまでだ。


「リビルのん以外全部手に入れたよ。だから、お前をすぐにバラバラにすることも容易い」


 リビルの権能、そしてその他の仰望師団の連中の権能は知り得ない。レイラとリイラはほぼ同じ権能だから、同類と考えていいだろうが、他は──シリルとカルヴィンくらいしか知らない。

 まず、仰望師団の構成人数すら不鮮明なのだから、そんなもの微塵も興味はない。


「残念ながら、私は死んでも生き返りますよ」


 ただ一つ言えること。それは、アリシアが不死身であり、故に帝国の最強戦力、そして魔女であること。魔女である以前に、バケモノとしての素質が垣間見えるのは致し方ないことなのか。

 どちらにせよ、勝機しか感じない。


「......何馬鹿なことを......」


「でなければ私は今ここにはいません」


「だから何馬鹿なこと言ってんだよ!」


 憤りを感じたらしいフレイは、地下水に塗れた床を思い切り踏み、そこら中にその飛沫を飛ばした。

 その様子から見える、彼の心の余裕のなさはアリシアに匹敵するものがあった。


「何回言えば分かるんですか!?私は!死なない!」


「......そう、思い込んでんのか......?まぁ、記憶がないんじゃあな」


 怒号を散らすアリシアと、急に冷静になってアリシアを気にしだすフレイ。彼の目は依然空っぽで、赤く光っている。その鋭い眼光に射られながらも、アリシアは怯むことなく一歩踏み出す。

 その気迫に、フレイも何かを刺激されたように一歩前に踏み出る。


「何...を?」


「覚えてないなら教えてやるよ。あぁそうだよ。俺の邪精霊が全部教えてくれた。何故かは分からんが、結果は分かる」


 何を言っているのか、少し、いや、全く理解できない。だが、何かしらアリシアの素性──アリシア本人でさえ知り得なかった自分の内情を知っているのは確からしい。

 その事実に、アリシアは動かないわけにはいかない。


「何で私のことを?」


「ん?」


 もう限界だ。質が悪すぎる。仰望師団に、ここまでの殺意を覚えたことはない。アリシアは地団駄を踏み、叫んだ。


「......何で私が知らない私を!貴方達が知ってるんですか!何で!何でっ!」


 そこら中の、出っ張った洞窟の突起を、暴走し始めた魔法が粉砕する。一瞬のうちに破片と化したその突起らは、パラパラとフレイ達の元へ降り注ぎ、彼は目を瞑った。

 降粒が止むと、彼はゆっくりと細く目を開けて言った。


「さぁ、あの時から邪精霊が生きてるからだろ?」


「あの......時?」


 あの惨状については、流石のフレイの邪精霊でさえ、記憶が曖昧だ。少なくとも、アリシアがあんな存在だったと知った、ということしか、彼の邪精霊は記憶していない。


 少し心の波が落ち着いたのか、アリシアの魔力、魔法の暴走は少し止み、そこらの砂粒を捌ける程にまで収まった。

 次の言葉を待つアリシアに、フレイがため息をつきながら言う。


「まぁいいや。簡潔に言う。お前はこいつが死んだら死ぬ。それだけだ」


「......」


 つまり、フレイが言っていることを最大限まで要約すると、レヴィとアリシアは一心同体ということだ。まぁ、アリシアが勝手に死ぬことはないし、レヴィが死ぬだけでアリシアが死ぬなら、結構偏った共存だ。


 アリシアは気分を害した。

 あんなボロボロの王の命が、アリシア自身の命と鎖で繋がっていたことなど、気持ち悪いにも程があるではないか。──内心では少し嬉しさがあったものの、今の彼女は情緒不安定状態だ。まともに自分を見ることすら叶わない。


「だから、こいつを目の前で甚振ってからお前の腹をぶった斬る......それがお前らの末路だ」


「じゃあレヴィ君を返してくださいよ」


 もう、自分でも何を言っているのか分からない。言っていることがごちゃごちゃだ。ああいえばそういい、といった具合にまでスクランブル。

 段々と脳内の整理がつかなくなってくる。これは何かの前兆か何かなのか。


「もういらないんだろ?」


「いらないですよ!いらないけど、その人に私の命がかかってるなら!」


 もう、自我が飛びそうなまでに、脳のキャパシティオーバーだ。まず言っていることと考えていることが分離している時点でなかなか頭がイカレている。

 それに今のアリシアは、


「じ、こ、ちゅ〜」


「............」


 その通りだ。彼は何も間違っていない。間違っているのは自分の方なのに、それが上手く言葉に出せない。態度に出せない。

 もしかしたら、今頃ツンデレ属性とやらに目覚めたのかもしれない。今頃、本当に今頃。

 違う、それも全部違った。


「お前みたいなクズが!俺らをここまで貶めたんだよ!責任取れやクソボケ!」


「何憤ってるんですか」


 違う、憤っているのは、間違っているのは自分だ。


「るせぇよ!従者だ主従だ何だかんだ言って!結局は自分の思い通りに行かないから駄々こねてるだけだろっつってんだよ!」


「......そ......んなこと......」


 その通り、アリシアは間違いを正すのが怖かっただけ。だから、その間違いを提示させられるのが怖くて駄々をこねてきた。それで何もかもが上手くいってきたから、アリシアもまたそれに縋った。


“......最低だな、私”


「なぁ......そうだろ?ルーナ、お前もそう思うだろ?」


 倒れ伏したレヴィの顔の半分は水に浸かっている。そんな中でフレイに髪を掴まれ、顔を引き上げられるが、彼は意識を取り戻さない。

 すると、フレイがいきなり立ち上がって背中を思い切り踏みつけた。


「ん──っ!」


「ほらよ、言ってるぜ?」


 その呻きは、痛さに対してのもの。別に口を塞いでいるわけでもないから、話そうと思えば話せるのだ。それなのに、彼は今それが出来ない。骨が折れた痛みに苦悶しているから。


 その呻きは、確かに痛さに対してのものだったが、気が動転しているアリシアにとっては、自分を責める悪い毒にしかならかった。それ故、彼女は叫んだ。暴走した魔法を飛び散らせながら、叫んだ。


「知らないっ!私は!私が決めたの!全部全部全部全部!」


「それを決めた理由はそれだろ?」


 背中が盛り上がり、目が侵食を始める。


 フレイの言う通り。何故、彼はここまで人の真意を突くのが得意なのだろうか。もっと、いい方向にそれを使えばいいのに、なんて思っている矢先、脳内に言葉が浮かばなくなる。


「うるさい!......私が......」


「お前が恨んでるのは、思い通りにいかないこの世界に対してだ。イコール、お前は世界を恨んでる。イコール、お前は世界の敵。お分かり?」


 更に背中が盛り上がり、目が半分程まで白く染まる。


 間違っているのは、世界ではなくアリシア。それを突き付けられるも、今のアリシアはそれを受け入れられない。受け入れたくなかった。


「てき......?」


「そう、敵。気持ち的にもそうだし、結果的にも敵になる」


 もう、意識はほぼない。そんな状態のアリシアを目覚めさせたのは、あの時の記憶。沼地で暮らした十数年の出来事。


『気持ち悪い!バケモノ!』


 なんて叫ばれていたのを思い出す。


「バケ......モノだから......?」


「そう、お前はバケモノ。......知った時は驚いたよ。そんなお前に、こいつは出来すぎだ」


 彼は何を知って、あそこまで苦しそうにしているのだろうか。自分は速やかに消えた方が世界の為なのか。

 否、自分が何者なのかも知らないまま死ぬことは出来ない。それに、レヴィを残してはいけない。


 そこまで思われているとは知る由もないレヴィは、背中に走る激痛と奮闘中だ。その途中経過、見たところによると防戦一方らしいが。


「......」


「そんな相手を持ちながらも、そうやってまだ駄々こねてるだけじゃあ......そりゃ全部上手くいかないよ」


 再びアリシアを煽り始めたフレイの目は三日月型に、いやらしく湾曲している。

 再び、アリシアの目が侵食を始め、背中か盛り上がり始める。


“これだからこの体は......”


 そう思ってしまったアリシアは、自分で考えたその言葉を何度も脳内再生し、意味が分からないまま削除した。


「......レヴィ君が思い通りにいかないことに、少し腹を立たせてた?......で、でも!それも全部周りが私を認めないから!私ばっかりなのよ!いつも苦しむのも!選ばれないのも!何で私を選ばないのよっ!皆皆皆!私を除け者にする!」


 遂に怒り爆発といった様子で魔法を飛び散らせながら叫ぶアリシアの姿は、バケモノそのものだ。もう、体の形も異形の存在になりつつある。もう、人間ではいられないのか。

 フレイはそんな暴走状態のアリシアを一瞥しながら、今度はレヴィに目をやる。相変わらず彼は痛みに体を埋めている。


「駄々こねてるじゃねえか。お前らの主従関係は傑作だな」


「............私のものだもん......私が!選んだ人なんだから!私のを!返してよ!」


 選んだ、そう、選んでいた。知らないうちに、彼から──。彼からではなく、アリシア自身が望んでいた。そう、あって欲しいと。


「さっきまでいらないとか言ってたのは全部虚勢張ってただけか?」


「......違う......」


“違うことない。フレイ君の言う通り”


「認めねえと解体するぞ」


「......違うっ......」


“だからフレイ君は正しい!私が間違ってるの!”


「じゃあこいつのことはもういらないな?」


「......いる......」


“だって、こんなにも......”


「何でだ?」


「──大嫌いだから」


“......大好きだから”


「──?」


 階上にいたアリシアが一瞬のうちにレヴィの目の前まで飛び降り、レーベンで強化したその剣を振るおうとする。赤い目と、白い髪、白い何かを、レヴィとフレイは見ていた。

 しかし、その間約一秒。その詳細まで見ることは出来ず、彼女は消えた。彼女の着地した場所から、石の砕けるような音が鳴った。


「......権能、か」


 そう呟くや否や、フレイはアリシアがいた場所に歩み寄り、そこで割れたであろう石を拾い上げながら言った。


「ルーナ......いや、レヴィ、やっと二人っきりだな」


 大きく手を広げ、誰かを抱き締めるような仕草を取るフレイだが、レヴィはアリシアが消えたことへの驚愕と、背中に走る激痛に意識を持っていかれている。故に、フレイの声は何一つ聞こえてはいない。


 すると、フレイは再び大きく手を広げ、何かを呟いた。後々のレヴィの考察からすると、それはリイラの権能、声に出したことを現実にするという権能だったようだ。


「...っぷはっ!はぁ、はぁ......」


 痛みから解き放たれ、ずっと詰まっていた息がやっと体の外に出て行く。その感覚に、体に何も感じないことへの快楽を覚え、少々間を置く。

 そんなレヴィの様子に、フレイも流石に人間の良心というものがあるのか、その間を認めた。


 だがそれもつかの間、レヴィの髪を引き上げ、首を反らす。その状態で、フレイは狂気じみた笑顔、下卑たる笑みで、レヴィに問うた。


「ちょっとお前に聞きたいことがあるんだよ」


「......何で......」


 呼吸がしにくい。喉が再び狭まり、呼気が薄くなり、段々と意識が遠ざかる。もう苦しいという感覚はない。ただ、目の前が真っ暗に染まるだけで。

 だが、彼はタフな精神力で意識が飛ぶのを耐えた。


「その意気だ。......お前記憶戻ってないよな?」


「......フレイ君......」


 かつての名前で、彼を呼ぶ。戻ってこいと。出来るなら、こんなこと、もう止めにしようと。

 フレイは嫌そうな顔をし、ほぼしかめっ面でレヴィを睨んだ。


「............何だよ」


 何やら立腹させてしまったらしく、フレイは再び腰から抜いた剣を天井に掲げ、逆手に持ち替えたその剣を、そのままレヴィの背中に振り下ろした。

 もう貫通なんてものじゃない。内蔵を串刺しにされ、体の中の熱が一気にそこに集まったような感覚だ。もっとも、それは事実なのだが。


「ぐあっ!あっ!あぶっ!」


 逆手に持ったそれで、何度も何度も何度もレヴィの背中を突いた。フレイの顔はにんまりと笑顔で、痛みを堪えて振り向いたレヴィの失禁を誘った。

 金髪だったサラサラの髪が、今は血で染まって黒くなっているその髪に、白い顔に、レヴィの体内から噴出した血飛沫が飛び散る。


「何なんだよ。その名前で呼ぶなよ」


 愉悦の表情を浮かべながらも、口は笑っていない。そんな正反対の感情を浮かべる二面相に、レヴィはまだ正気が残ってるのではないかと睨んだ。

 まだ、あの時のフレイを取り戻せるのではないか、と。


「......はっ......き......みは、フレイ......だろ......」


「今はレッカだ」


 しかしそれは、ただの本の読み過ぎなだけだったよう。こんな場面で、悪役が「正気を戻せ!」なんてセリフでそれを成し遂げてしまう物語は数知れずある。だが、それは空想に過ぎない。ただの人の願望、妄想、虚想。

 フレイは戻ってこなかった──。


「......何で......こんなことを?」


「仰望師団に入ったからな。後ガヴェインにも」


 簡単な話だ。仰望師団に入ったら、否が応でも狂気に染まる。それは誰に関しても例外はないようで、実際、一番血の気が少ないように感じたレイラでさえ、「四散させてやろうか」なんて呟いていたくらいなのだから、こんなか弱い男の子がそれに影響されるのも仕方ない。


「ガヴェ......イン?」


「お前は知らなくていいんだよ。っとだ、お前、精霊隠し持ってるだろ?半分さ」


 そう言って、髪を掴んでいた手を離し、背中の傷をなぞるレッカ元いフレイ。

 その手に、塩が塗られているわけでもないのに、こんなにも沁みるのは何故だろう。


「隠し......?」


 そんな覚えはない。まず、精霊というのは常に人の周りを飛び回っているものなのではないのか。レヴィにはそんな経験、一度もなかった。まず、目にしたことすらないのだ。

 そんな人間に、実は精霊が宿ってましたなんて言われたら当然疑いもするだろう。


「まぁ、確証は得てる。別に聞き出す必要はないか......俺が作り出したこの邪精霊と合体させたらどうなるか、やってみたくない?」


 そう言って、手のひらをレヴィの目の前に差し出す。彼の手の上には、禍々しい紫色をした丸っこい、小さな物体がうにゅうにゅと蠢いている。


「......やめ...てくれ──ぐっ!へあっ!」


 再び立ち上がったレッカは、先程の剣をまたレヴィの背中に刺す。恐らく、レヴィを黙らせる為の作為的なものだったのだろうが、レヴィはそんなものでは黙らない。むしろ叫んでしまう。


 初めてアリシアに怒られ、初めて首を掴まれ、初めて邪精霊本体を見たかと思えば再び切り刻まれる。なんという悲劇だろうか。

 悲劇のヒーローに、多少は憧れていたレヴィは、自分に甘くなっていた。

 屋敷でハーレムでいることも、自分が王という立場なのも、全部が全部悲劇だと偽ってきた。──全ては幸運だったのに。


 ここで、やっとそんなことに気付いてしまった。今まで、悲劇を欲してきた。だから、本当の悲劇がやって来てしまった。拷問よりは軽いかもしれないが、それに匹敵する痛みが、レヴィを襲うのだろう。


「はい、文句言わな〜い。もう面倒臭いから切るな」


「や、やめっ──」


 その後は、一方的な展開なのは言う間もない。首の後ろを軽く切られ、少し落ち着いたかと思えば胸を貫かれる。これで死なないのだから、これも生呪が関わった結果なのだろうか。

 色々な、部位という部位を切られまくった後、遂にその猛攻が止む時が来た。その間、約一分間。


「はぁ......このくらいでいいか」


「やめ......てく......」


 涙を流し、地下水に顔をびちゃびちゃにしたレヴィに、更なる悲劇が舞い降りる。レヴィの待ちに待った至高の時間、とも呼べるのかもしれない。

 しかし、レヴィ本人はここで音を上げている為、もう悲劇など欲したくないと何度も心の中で叫んでいる。


「いいから入れさせろよ。悲劇が欲しいんだろ?ほい、行け」


「あ──」


 レッカの指の先に止まった邪精霊が、レヴィの胸に開いた傷口の中に侵入する。その速度は、体感出来る程にゆっくりで、じわじわと傷口を押し広げて体内に入ってくる感覚がもう、堪らなく気持ち悪かった。


「ん?」


「────」


 暫くして、「嫌だ嫌だ」と叫んでいたレヴィの声がピタッと止む。痙攣一つ起こさずに、静かに横たわったレヴィを見て、レッカはつまらなさそうにため息をつきながら言う。


「何だよ......えぇ?おいおい嘘だろ?」


「────」


 相変わらず返事はない。


「拒絶反応で死んじまったか」


「────」


 そんな息が絶えた様子のレヴィ。今頃はアリシアも死んでいるに違いない。彼女の死に際を思い浮かべながら、レッカはレヴィの死体を後にした。

 くるりと体を翻し、奥に光る洞窟の出口へと──。


「ん?」


 一歩半くらいしか足を踏み出していない。踏み出したのと反対の足を踏み出そうとしても、なかなかそれは動かない。

 レッカは後ろを振り向き、その足を掴んだものを見た。手。手だった。黒く染まった、タトゥーでも入れたかのような手が、レッカの足を掴んでいた。


 死んだと思われたレヴィが、レッカの足から手を離し、ゆっくりと立ち上がった。そして、悲壮そうな顔で言った。


「僕は......」

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