45話 驚愕と解呪と愛の接触
黒髪がふわりと揺れ、扉が勢い良く、しかし音を立てずに閉められる。
黒髪の少女は、憤りを隠せない表情のまま、席につき、カーマイン達に向き合った。
魔女のその表情。魔女相手ならば、恐れて話を切り出せないのが普通だ。しかし、この状況をどうにか打破しようとしたカーマインは、口を開く。
それは何の脈絡無しに、呪いとは全く関係のない話を話し出した。
「呪いよりも先に......何でアリシアさんは不死身なんですか......っていう質問、してもいいですか?」
アリシアの表情を伺いながら、カーマインは言った。そんな、状況を更に悪化しかねない言葉に肩を震わせながら、プリルはカーマインを見つめた。そしてアリシアに向き合い、彼女の言葉を待った。
「それについては、答えられません。というか、知らないんです。私は自分について疎いので......」
案外、彼女の気は立っていない──自分達に八つ当たりする程イライラはしていないということなのか。そのようだった。
それに安心感を得たカーマインは続ける。
「そうですか。それなら、自分が何者なのかも?」
「昔の私については知りません。でも、今の私は魔女です」
先程の扉の外の物音と、声からして、何か行き違いが起こったのは間違いないようだった。そこでも聞いた言葉、「魔女」。もう彼女は、一人の少女としてではなく、魔女として生きることを決めていたらしい。
その証拠に、今こうやって言い張った。
「......ですよね。それで、それがいいです」
「で、早速レヴィ君の容態について尋ねても?」
ベッドに横たわるレヴィの姿。リリィは既に、アリシアが他室へ移動させた。
蒼白を極めた顔色と、サラサラと風に靡く黒髪。華奢なようで、最近鍛えたからか少し肉付きの良くなった体躯は、力無く横たわっている。
それだけを見れば、もう死んでいると言われても真偽が分からない。だが、リイラによると、「まだ生きている」らしい。
「......レヴィ様は今、言ってみれば大変な状態になっています。あってるよね?プリル?」
突然自分の言葉に責任を持つのが怖くなったのか、プリルを頼るカーマイン。
赤子が親を見上げるように、彼女が彼氏を見るように、上目遣いで見つめる。
「私に聞かないでも貴女が言えば確定なんだから自信持ちなさいよ。まぁ、そうですね。大変危険です」
プリルはそんなあざとい仕草を手で退けて払い、アリシアにそう言ってのける。
「危険?」
「まず、睡呪については何も問題はありません。すぐに解いてみせます。しかしその他が......」
「他?他に呪いが!?」
他の呪いがあると聞くや否や、激しく立ち上がり、座っていた椅子がガタンと凄い音を立てて倒れる。椅子の後ろに立ててあった本棚がそれに共鳴して揺れ、更に揺れた本棚の上に置いてあった花瓶が振動に耐えきれず、落ちた。
飛び散る花瓶の破片は、カーマイン達の足すれすれのところで止まり、彼女らは怪我一つしなかった。彼女らは気付いていないが、アリシアの足元を避けるように破片は並んでいて──。
「お、落ち着いてください!まぁ、その通りなんですけど......」
プリルが、大型動物を宥めるように手を伸ばしてアリシアを落ち着かせようとする。が、アリシアは立ったまま彼女らに尋ねる。
「それは......解呪出来るんですか?」
固唾を呑んで、カーマインの言葉の行方を伺う。それは、永遠のレヴィとの別れなのか。それともアリシアも同じ呪いにかかっていて、永遠にあの世でも一緒なのか。
それはどちらの結果に至るとしても、解呪するに越したことはない。
「残念ながら......出来ません」
「え......」
絶望に泥を塗って、更に火炙りにされた気分。大袈裟と言われるかもしれないが、今の気分の浮き沈みはマイナスまで行ってしまっている。
そんな絶望に打ちひしがれた表情のアリシアに、一呼吸置いてある話をし始めるカーマイン。
「でも、望みはあります。生の呪いがかかってるので」
「生......ユリ畑ですか?」
ユリ畑──。二年前に行った場所だ。
生の呪い、所謂生呪にかかっているその場所。そこに足を踏み入れると、踏み入れたものの一度の死を取り消すことが出来る。とは言っても、一度は死ぬのを体験しないといけない。最後に、その生呪にかかれるのは人生で一度だけ。一度生呪を使い切ってしまえば、その後は死ぬのを取り消すことは出来ない。
故に、
「恐らく。それでアリシアさんの不死身が解決されると思ったんですけど、三回ともなれば......それはもう加護か何かかと」
「不死身の加護?馬鹿げてますね。まぁ、信じる他ありませんが」
不死身の加護。噂話、おとぎ話でよく聞いたものだ。簡単な話、不死身の加護に護られた者は死なない。というだけの話。それに護られているのがアリシア──なかなか信じにくい話だ。何せ、加護どころか魔法も剣も、全てが全て彼女の味方をしているのだから。
「でもまぁ、アリシアさんもレヴィ様も無事なので良かったです」
「......死呪が、かかってるんですね?レヴィ君に」
死呪。これも単純。死ぬだけだ。
「そうですね。生呪で相殺出来ますが」
「でも、一度は死ぬんでしょう?」
先程も説明した通り、生呪は死んだ人の生を取り戻す、良い呪いだ。一度は死ななければ、生呪は発動しない。
「まぁ......そうですね。しかも死呪の種類もタチが悪いです。レヴィ様にかかった死呪は、苦しみながら死ぬ呪いなので......」
苦しみながら死ぬ呪い。苦しまずに死ねる方法など、ほぼ皆無に近い。強いて言えば、打ち首くらいだろうか。
だが、アリシアは違う。
「私と違うんですね......」
彼女だけは、唯一と言っていい「死を苦と感じずに死ねる」人間なのだ。否、もう人間かどうかも定かではない。レベルだけで言えばもう女神だ。
そんな言葉を俯きながら言ったアリシアに、励ましのつもりなのかプリルが失言を犯す。
「そりゃあ、魔法が使えない王に比べて魔女は至高ですから」
「......それは主に対しての侮辱ですか?」
王よりもアリシアの方が秀でているというのを、王がアリシアより劣っているという風に受け取り違いしたらしいアリシア。
確かに、主をそんな風に言われて黙っている従者などいるものか。逆もまた然り。
「い、いえ!すみません!」
「もう怒り疲れました......それより、魔法が使えないのをなんで知ってるんですか?」
先程の、シーエと事を構えたことも相まって、アリシアの怒りゲージはだいぶ下がっていた。もうプリルの失言にいちいち怒っている心の余裕もない。
ここでいきなりレヴィが目覚めたりしない限り、アリシアの心は乱れたままだ。
「魔力の流れが読めるんですよ。呪いは魔力の流れが塞き止められて初めて発生するので」
呪いというものはそういうものだ。
魔力の流れ。それがそのまま、滑るように流れているのなら、何ら問題はない。だが、それが塞き止められた時、言ってみれば塞栓のようなものが出来上がるのだ。そこで膨れ上がった魔力線。そこに溜まった膨大な魔力が、ある現象を生み出す。それが呪い。
魔力の流れが読めるということは、呪いが、塞栓がどこに発生しているか分かるということ。つまり、解呪がスムーズに行えるということだ。
「じゃあ私の魔力量も測れると?」
レヴィの身を案じるばかりで、少し気が動転しているアリシア。頭が急に回らなくなり、突然違う話にフェードアウトしてしまった。
しかし、そんなアリシアの質問にきちんと答える気概のカーマインは、きちんとアリシアの目を見て話を始める。
「......残念ながら、多すぎて分かりません。もう体全体が魔力のような魔力量です。ね、プリル?」
「え?そ、そうね......」
また私かという表情をカーマインに向け、カーマインもまたプリルを眺める。
彼女らの瞳には、魔力の流れが赤く見える。アリシアが、赤く染まっていた。
「?」
「まぁ、さっさと解呪しちゃいましょうか」
頭にハテナを浮かべるアリシアにはにかみながら、カーマインは言う。
解呪。それを解呪の達人がやるのだから、心配などご無用だろうと思ったのもつかの間、レイラに言われたあの言葉が思い出される。
「お願いします......レヴィ君にキスはしませんよね?」
「......しちゃダメなんですか?」
悪い予想、元い最初から危惧していたものが予想外にも当たってしまい、アリシアは頭を抱える。せめて口じゃない場所、例えば手の甲とかにお願いしたいところだが、そんなもので生き返っているおとぎ話は見たことがない。
「な......骨折り損......」
「え、もしかしてアリシアさんってレヴィ様のこと......?」
折角その手の極め人に頼みの綱を渡したのに、案外その綱は脆いよう。ぶちぶちと、いとも容易く千切れ、希望という名の光は闇に飲まれた。
メイド、従者とその主が恋に落ちる物語は数知れずある。実際にそういった経験をしたものも多く、特にこの代、レヴィ・ルーナがその代表的な一人だ。
その詳細は民衆まで伝わっていないものの、メイド達、従者達の間では「レヴィ様は天然タラシだ」という噂まで蔓延っている。まぁ、間違いではないのだが。
「逆にそうじゃないと思ったんですか?」
「......まじか......プリル、どうする?」
まさかアリシアがその一人だとは思っていなかったようで、カーマインはプリルに助け舟を求める。
難解な問題を急に振られたプリルは顔をぐにゃぐにゃさせながら、ある提案を思い付く。
「ど、どうするって......じゃあ、アリシアさんがやったら......」
「えっ──」
レイラよりも先に、リリィよりも先に、一番乗りでレヴィにキス出来る。それが、今心の中に充満していた喜びだった。
沢山従者がいる中での一番、それに他人から推薦されたという事実が彼女の心を高揚させた。
そうやって気持ちが昂ったアリシアの心を、更に乱す出来事が今この瞬間に起きた。
カーマイン、プリルの二人が寝ているはずのレヴィの方を向き、瞠目している。それに釣られてレヴィの方を見たアリシアもまた、同じように目を見開いた。
「え?」
現実かどうか、分からなかったから。
レヴィが体を起こし、アリシアの方を見る。
「レヴィ......君?何で?」
呪いは解呪されていないはず。なのに動いている彼はマリオネットか何かか。それとも、リイラと戦う以前に出会したあの得体の知れないレヴィか。
否、どちらも違った。アリシアは感じた。本物のレヴィを。
「アリ......ス?」
五月に、雪が降った。
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目を覚ますと、立っていた。何も感じないまま、視界にも何も映らないまま、耳に何の音も入らないまま、しかし足が地面を踏みしめているという感覚だけはあった。
次第に目の前が映るようになり、次第に耳も、少しだが雑音を聞き取れるようになった。体の輪郭がはっきり見えるようになり、それを手でぺたぺたと触る。自分の体なんだと、理解できるその華奢な体は、アリスに罵倒に罵倒されまくった愛すべき体だ。
そうやって自分の体を触っていると、どこからともなく、突然足音が聞こえてくる。砂を踏むような、コンクリートを踏むような、その中間のような音が、彼の訪れを知らせる。
「ま〜た来たのかよ?俺のこと大好きか?」
「いや、そういうわけではないんだけど」
もう彼の口調にも、態度にも慣れた。だからもう、冷静に受け流すことも出来る。
そうやって流したというのに、ヴェリュルスは相変わらずふっかけを止めようとしない。むしろ、レヴィのことを怒らせたいとまで見える。
「じゃあなんだよ。お前が貧弱過ぎんのか?」
「それが正解だね」
そう、貧弱だからこそこうして意識の狭間に来てしまっている。まぁ、レヴィの考えによれば、「レヴィ」が貧弱なのではなく、「ヴェリュルス」の後始末が適当だったというのが正しい。
「......嫌に冷静じゃねえか。自分の状態分かってんのか?」
「リリィと......いや、何でもない。自分の状態......?僕は──」
心の底から、自分に対して心配だと思っているのは「アリスに怒られないか」だ。リリィとキスを交わし、それでも尚、冷静に努め、しかもこれまでと同じように接してくれるかが心配なのだ。
だが、そんなことを彼にうっかりでも漏らしてしまえば、再び意識を殺されるハメに成りかねない。だから、敢えて本当に自分の今の状況を心配しているようなフリをしようとした。
だが、それは失敗に終わる。彼が口を挟んだ。
「リリィとキス、だろ?」
「──......うん」
何で知っているんだという疑問よりも先に、正直なレヴィは間違えて肯定してしまった。うっかり過ぎる失言に、慌てて口に手を当てるレヴィだが、ヴェリュルスはそれを笑って見過ごした。
「別に怒りゃしねぇよ。今のお前の番だ。お前の好きなようにしたらいいんだよ」
「そう......?っていうか、別に好きでしたわけでは......」
「お前の番」という意味が、レヴィには理解出来るような、出来ないような気がした。
好きなようにしたらいい、という言葉に甘えかけたその時、邪な考えが頭に蔓延った。いっそのこと三人全員を、言われた通りに妻に娶ればいいのでは、と。そんな邪推が挟んだところで、彼が口を挟む。
「二回目」
「え?」
二回目──その意味は。
「二回目はお前からだろ?」
「............そう見えた?」
──言われてみれば、二回目以降はレヴィからガツガツいったような気がしないでもない。あまりの愛の多さに、受け止めきれなかったとでも言えば少しはマシに思われるだろうか。
否、結局のところ、レヴィも愛を欲し、彼女を貪っていたのだからそんな弁明は無駄だ。結局、二人ともがお互いを求めていたという結論に至る。
「別に隠す必要もないと思うけどな。キス如きで俺は怒らん。別に告白でもな。俺が怒るのは、アリシア以外の女と誓いを交わすことだ。......アイラとの約束だからな」
「......理解した。でも一つ」
確かに彼らは身勝手な行動をした。だが、思いがけずヴェリュルスは怒らなかった。本当に笑顔のまま、もうこのままでいてくれたらいいのにっていうくらい優しい笑顔で。
だが、言葉の最後の方になると、彼は顔色を変えて言った。
その言葉が分からないわけではない。少しずつ、彼との、あの子との記憶が戻ってきているから、それは分かっていた。だが一つ、どうしても思い出せない部分が──。
「......?」
「アイラって、誰?」
「────」
レヴィの言葉に、喉をつっかえさせるヴェリュルス。何も言えない、言い返せないようで、彼の額、頬には軽く汗が二、三滴流れている。
「アイラって、誰だっけ......?ご、ごめん。まだ記憶が全部戻ってないみたい」
ヴェリュルスのあまりの顔色の変わりように、レヴィもまた動揺して吃る。
彼は本当に、記憶の一片を探してもまだ「アイラ」という存在を見つけられないでいた。それが誰なのか、どういった人物で、どのような出生なのか。後半は分からないで当然でもいいのだが、せめて顔くらい覚えておけていたら、と、拠り所のない後悔を覚えた。
「......あ、あぁ......別に大丈夫......だ」
「そう?その割には動揺してるけど」
別に嫌がらせのつもりでそう言ったのではない。彼から吹き出した汗がとめどなく流れるのを見て、レヴィが彼を心配しただけ。
心配して言った一言が、ヴェリュルスの顔色をもっと変化させた。青白く、血の気が失せたヴェリュルスは伸びをしながら、どこからともなく現れたベンチに座り、背中を逸らして骨を鳴らした。
「まぁ、思い出すまで待つわ。しっかり、全部、鮮明に思い出せよ?じゃねえと俺がぶっ殺す」
「だから殺したら君が困るだろ?僕だって、それくらいは覚えてる」
殺せばヴェリュルスも死ぬ、そのくらい、この記憶を共有した人なら誰もが理解出来る。ただ、気がかりなのはその記憶が断片的なこと。
「最後のことも、か?」
「最後?」
「最後」というのは、恐らく「最期」に置き換えられる。聡明なレヴィは、頭の中でそれらを組み替えてちゃんと答えを出したが、それで記憶が戻ってくるはずがない。
ヴェリュルスは頭を抱え、言った。
「あぁ......ダメだこりゃ。まだまだだな。まだ40%ってとこか」
「記憶が?」
「そう。別に思い出したくなかったら思い出さなくてもいいんだけどよ。......まぁ、鮮烈過ぎて蓋してんのかな?」
戦列──と言う程までに、激しい最期だったのか。別に、そこだけが思い出せないでいるわけではないが、そこがどうしても引っかかる。
何か、心に埋められた何かがあるのだろうか。さもなければ、こうして最期に執着してそこに勝手に蓋が成されることもないはずだ。
「蓋......記憶にか?」
「それ以外にあんのかよ。......まぁ、なかなか痛かったからな。甚振りに甚振られたから......っと。俺も気分悪くなってくるわ。ここらで止めとこう」
やはり、余程強烈な死に方をしたようだ。あの時は──レヴィがヴェリュルスだったはずだ。名前こそ違えど、存在は一緒。しかし口調は違う。しかししていることは一緒──わけが分からない。
「僕は何も言ってないよ」
「......いちいちうるせぇよ。黙ってろ」
何も言っていないのに言葉を淡々と並べ、勝手に気を害しているヴェリュルス。そんな彼の隣に腰を下ろしながら、言葉を交わす。
すぐさま話題を変える必要はないが、何か気晴らしに話を。
「そう言えば、最初は何であんなに怒ってたの?」
「今回は長くなりそうだな。だってお前、ちょっと諦めかけただろ?」
話し込み具合からして、前回やその前回の倍は話している。これ程までにヴェリュルスと話したのは久しぶりだからか、何か懐かしい気持ちが溢れてくる。
とは言っても、話題は自分を痛めつけた理由について。何とも言えない話題だ。
「......あの時は巻き込んだからとか、傷付けたのが許せなかったからとか言ってたのに」
「思い返せば違ったんだよ。お前の意思は全部俺に流れ込んできてる。だから、いつお前がイライラしてるのかも、アリシアにきゅんきゅんしてるのかも、勿論いやらしいことを考えてる時も、全部お見通しだ」
イライラ、多くにイライラした。特に今月は激しかったような気がする。アリスを一度失いかけ、少し気が立っていると言われれば、それで納得してしまう程に気持ちが落ち着かないでいた。
アリスにきゅんきゅんするのは日常茶飯事。彼女に好意を伝えてからというもの、夜な夜なアリスが布団に潜り込んでくるのだから。別に疚しい気などこれっぽっちもないのだが。
「まぁ、思考の中ならそうなるんだろうね。それにしても、いやらしいことはどんなのがあった?」
「そこに興味を持つあたりがいやらしいと、俺は思うんだがな。お前は純粋無垢過ぎて、何も考えてなかったよ。まぁ俺も人のこと言えないが」
純粋無垢。年頃の男子として、それはどう言ったものなのか──一度病院で性欲を調べてもらおうか、なんて変な考えは捨て去ろう。
そして、ヴェリュルスもまた純粋だ。
「......それは覚えてるよ。あの子に何か言われたんだっけ?......あれ?あの子......?」
さっきも思い出そうとした「あの子」。輪郭こそ出て来ているものの、その詳細は五分程経った今でも全く思い出せない。
そんな様子のレヴィに、
「重症。後一年はかかりそうだな」
「あ、そう言えば、あれから何年経った?」
あれからの「あれ」も、細かくは覚えていない。結局のところ、「あれ」は「最期」を表している。
「......大抵の周期は五百年らしいが、今回は十二年だ」
「そう......ってことは」
「だな。十二年越しに、また始まるかもしれん」
最期の詳細が思い出せない限り、それが「また始まる」ことへの危機感というものは感じられない。
ただ、脅威なのは脅威だろうという曖昧な結論だけは目に見えていた。このままでは、また死者が増えるだけなのでは、と。
「......不鮮明なんだけどね」
「そっか、そうだったな。悪ぃ」
「で、君はこんな話がしたいんじゃないだろ?」
ヴェリュルスが軽く謝罪をすると、即座にレヴィは気持ちを切り替える。もうそろそろここから出なくては、色々と問題が起こるのではと心配だからだ。特に今の外の状況はまずいことになっている。アリスが“unknown”とことを構え、仰望師団ともことを交える。そして父イヴァンが失踪しているその状況に、レヴィがいなければやって退けられないことも多いだろう。
「そうだよ、忘れかけてたな」
「......出れない。やっぱり、カルヴィンか」
ここから出られなく、リリィとレヴィを眠りに引き込んだ犯人は恐らくカルヴィンだ。理由は簡単だ。自分達に敵対している人間は彼以外、今のところはいないから。そして、彼に開けられた風穴から何やら異様な雰囲気を醸し出しているのが決定打となった。
「そうだな。まだ睡呪で助かったよ。まぁ、生呪も死呪もかかってる......生呪がかかってるから死呪は相殺出来るんだがな」
「......呪いか?」
「じゅ」という発音に、真っ先に呪いを思い浮かべたレヴィはやはり聡明だ。と思っていたのだが、ヴェリュルスは予想外にも彼の考えを貶した。
「さっきの話で分からないやつは馬鹿。そうだよ、呪いだ」
「......解呪方法は?」
分からないやつは馬鹿。ということは、分かっても普通ということだ。レヴィは、「自分が少し賢いかも」なんて思ったことを軽く後悔する。
そうして頭を抱えてため息を付きながら言うレヴィに、ヴェリュルスが答える。彼もまた落ち着きを取り戻したようで、顔の血色はよくなり、しかし白い肌はそのままだ。
「残念ながら、俺には睡呪しか解けない。死呪と......生呪は解かなくてもいいが、その二つは解けない」
「つまり......?」
「つまり、ここから出してやれるってだけ。死ぬのは仕方ない。そこらは......耐えてくれ」
ヴェリュルスは、イコール死んでくれと言わんばかりに手をヒラヒラと振る。そしてベンチから立ち上がり、数歩前に歩んだ。
ヴェリュルスのその一歩が踏み出された時、ベンチは溶けるようになくなり、レヴィは尻餅をつく。
手で体を起こしながら、レヴィは言った。
「ヴェリュルス、何でそんなに優しく?」
「お前が死んだら俺もまた死ぬからな。もう苦しみたくない」
ここの世界で死んでも、やはり苦しみは、痛みは感じるのだろうか。最初にヴェリュルスに甚振られたときは痛みなど皆無だったが。
「......とか言って、世話焼きなだけだろ?」
「ば、ばっか野郎!俺はそんな......まぁ、アイラとアリシアの次にお前のこと、ある意味好きだからな」
「ある意味を抜くと変態に」
そんな軽口を言いながらも、レヴィはちゃんとヴェリュルスの言葉を聞き逃さなかった。彼の言い分によると、「アリス」と「アイラ」は別人。彼が約束を交わした相手は、アリスではなかったようだ。
「っさい。とにかく、出てやれ。そろそろ俺も同化の練習してぇんだし」
「同化?」
「いいからそっち向けって!解いてやっから」
その瞬間、レヴィは見逃さなかった。彼の顔が、悲痛に歪んでいるのを。口を変な形に曲げ、頭に手を当て、苦しそうを体現したかのようなその表情を。
「......ヴェリュルス?」
「何でもねぇよ。さっさと行け」
声をかけるも、彼は無愛想な返事をよこしただけ。彼なりに、何か辛いことを思い出したのだろう、と軽く流し、彼に背を向けた。だが、それが後悔の根っこだったのを、まだレヴィは知らない。
「そうか......じゃあまたね」
「おう、またな」
打って変わって少しの笑顔でレヴィを見送ったヴェリュルス。レヴィの姿が見えなくなると、彼は先程ベンチがあった場所に向かう。そこには高く聳え立つ、何やらの建物。その影から顔をひょこんと出したその少年。白髪の、あどけない顔の少年だ。
「............で、そこのおチビちゃんは誰だ?」
「ぼ、僕?」
ヴェリュルスはその少年をキッと睨み、たった一つ、呟いた。
「............めんどくせぇ」
ヴェリュルスは少年に向き合い、彼に向かって歩いて行った。
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解呪も何もしていないのに、いきなりムクリと起き上がったレヴィに驚きを隠せない三人は、依然瞠目したまま彼を見つめている。
その中で唯一、言葉を発せるまでに至ったのはアリスがいた。
「れ、レヴィ君!?な、何で?」
「......まぁ、色々あった......かな?」
「い、色々......?」
詳細を省き、取り敢えずと言って布団を少し体から退けるレヴィ。
対してアリスは、色々の意味が分からず、何故睡呪から解き放たれたのか分からないまま口を開いている。
「うん、色々。アリス、こっち来て」
「な、何です?」
またしても言葉の意図の読めないアリスは、レヴィとは違って冷静に努めることが出来ない。手には汗がぎっしり握られ、頬には冷や汗が伝う。
しかし依然サラサラな黒髪は、窓から流れ込む風に曝されてふわりと揺れていた。
「いいから」
レヴィを気味悪がっているのか、なかなか彼に近付こうとしないアリスを、彼は抱き寄せた。そして、これでもかという程強く、優しく、そして包み込むように抱き締めた。
「──っ......?」
今日はいきなりが多過ぎるようだ。まだアリスはレヴィに驚かされてしかいない。もう少し、安堵というものが欲しいのだ。
しかし、こうやって抱き締められている状況は「安堵」そのものとも呼べる。
アリスは、ぶらぶらと垂らしていた手をレヴィの背中に回した。
「僕の為にこうやって......やってくれたんだね」
「そ、そりゃあしますよ!だって......ご主人様ですし......な、何よりす、す、好きなんですから」
正直、ご主人様だからという理由は二割、他の八割が好きという感情に埋め尽くされている。こうやってカーマイン達を呼んだのも、あの五人姉妹やリリィを助ける為ではなく、レヴィを助ける為、というのが本心だった。
「うん、ありがとう」
「レヴィ君......」
少し体に距離が生まれ、アリスはレヴィの胸に手を当てる。華奢なようで、しかし少しずつ筋肉の付いてきたその胸は、アリスの心を踊らせた。
離れたとは言え、二人の顔の距離は、触れそうな程に近い。どちらかが衝動で前に傾けば、キスしてしまう程に。
「僕、リリィと............キス、しちゃった......」
「..................え?」
何に関しても馬鹿正直なレヴィは、遂にアリスの心をぶった斬るほど強烈な事実を言い放つ。予想通り、執着心嫉妬心依存心全てがバケモノレベルのアリスは顔を青くし、体をわなわなと震わせた。
彼女の心中は揺れに揺れまくり、実際体も少し揺れていた。だが、レヴィのある行動によって、それは抑えられる。
「だから」
「──ッ!?」
そう、キスだ。
もう、レヴィの心もほぼアリス一択。アリスの心も、十割レヴィだ。そんな二人のキスが、単なる粘膜接触で収まるはずはなく、まるで互いが互いを喰っているような、物語の終盤で迎えるような熱いキスを交わした。
「............」
レヴィの目は冷たかった。これから、どんな風に彼女を失ってしまうのか、そう思うと、激しくせざるを得なかった。
「ちょっと濃厚過ぎない?プリル?」
「だ、だ、黙ってるのよ!」
野次馬と呼ぶべきか、それともギャラリーと呼ぶべきか、彼女らはまるで映画のワンシーンを見るように、食い入って彼女らの愛を見た。
そんな羞恥の目にも、レヴィ達は臆することなくそれを続けた。
「............」
「......っは!.........か、掻き消せると!そ、そう思ってるんですか!?」
やっとのことで離してくれた、と言わんばかりの熱い表情を浮かべ、息を切らしたアリスが叫ぶ。余程レヴィの失態に怒っているのだろう。
勿論、こんなキス如きで全てが許されるなど、レヴィも到底考えてはいない。しかし、こうせざるを得ない程、彼は今愛に飢えている。
その理由が何故なのか、どうしても分からないまま。
「謝ることは出来ない。でも、今は」
「ちょ、ま、まだ、心が!ちょ──」
アリスの言葉を遮って、彼女が胸に当てた手を握って、レヴィは再び彼女を喰らう。
もうアリスも諦めたのか、握られた手の先、指を彼のものと絡め、彼女から襲いかかった。
「............」
「ぷはっ............れ......レヴィく......」
もう、溶けてしまいそうな程の快楽だ。リリィよりも柔らかい唇に、高潮して余計に白く見える肌。胸に軽く当たるアリスの胸も、彼の心的興奮を促した。
官能小説と呼べる程濃厚なキスの後、レヴィは黙りこくった。この後、どう話を切り出せばいいのか分からなかったから。
「............」
「あ、謝ってくださいよ!」
「......それで満足?」
これも嫌がらせで言ったのではない。本心で、彼女に聞きたかっただけだ。
「ち、違いますけど......違いますけど!な、なら!」
「......?」
アリスが何かを思い付いたように、俯く。彼に懺悔を求める方法を思い付いたのだろうか。数秒俯いて、何やら決心をした後、レヴィに対して上目遣いで言った。
「わ......たしが、一番......?」
「うん」
静かに、アリスを抱き締める。もうキスはいらない。もう十分すぎる程に、レヴィは愛された。
「私......だけ?」
「それはまだ分からない」
まだ二人、残っている。その中で、誰が一番かと言われれば、先程の返答が答えになる。
でもまぁ、一夫多妻制にするのは悪い事じゃないようにも思えてきた。ヴェリュルスのあの言葉で。
「私のこと、好き......ですか?」
「うん、愛してる」
恥ずかしい言葉だとは、自分でも分かっている。だが、自分のアリスへの気持ちを表すには、それしか思い付かないのだ。──思ってみれば、愛してるって言ったのはこれが初めてだ。
「恥ずかしいことをさらっと言うのが王子様なのかな?」
二人の愛の誓いとも呼べるその時間に、口を挟んでその空気をぶち壊しにしたのはカーマイン。
レヴィが起きてからというもの、ずっと黙っていたが、仕事場にいる時とは違って、外では結構なお喋りなようだ。
「ち、ちょっと!カーマイン!今いい所でしょう!?」
そうやって空気を第二段階目までぶち壊したのはプリル。カーマインと同じような企てこそなかったものの、結果的に壊したのには相違ない。
「だってさ、愛してるなんて......そうそう言えないよ?」
「こういうのは黙って見るのが吉なのよ!黙ってなさい!」
確かに、「愛してる」なんて映画でしか聞いたことがないのが庶民だ。逆に庶民がこの状況を見ると、王様はそういうことを簡単に言える人なんだ、と勘違いしてしまうのも無理はない。
「私......こんな風にされるなんて......思ってもみなかったから......ち、み、見ないで......ください」
雰囲気をぶち壊しにしたカーマイン達を咎めることはなく、それに雰囲気を壊されたことにも気付かずに再開させるアリス。
キスなど、先程シーエと交戦した時は思い付きもしなかったのだから、こうしていきなり唇を奪われては声が出ないのだ。
「何で?」
「は、恥ずかしいからですよぅ!」
とは言っても、本当に恥ずかしがっているのか、彼女は目しか手でも覆っていない。他は丸見えだ。だから、いつもより少し鼻が開いていたり、頬が赤く染まっているのも丸分かりだ。
「見せて」
「......ぅ......」
再び、何か疚しい物語の中なのか否かと言える状況に、カーマインが口を挟む。
「ちょっとちょっと、ここでおっ始めるとか止めてよ?私まだリアルでは見たことないんだか──」
「カーマインっ!!!」
鶴の一声。こういうものを言うのだろう。カーマインは肩を跳ね上げ、恐る恐るプリルに振り向く。勿論、プリルの顔は鬼の形相だ。
元々恋愛小説、恋愛映画が大好きなプリルは、こういった雰囲気に憧れを持っている。故に、その雰囲気を壊されるのが腹が立って仕方ないのだ。
「悪かったって。退室しようか?」
「そ、そうね。私だけ......見とく」
「はぁ......」
涎が垂れるんじゃないかという程、ジュルジュルと音を立てて舌舐めずりするプリルに、悪寒を覚えたカーマインは扉の方に振り返ってドアノブに手をかける。
「で、アリス。この人達は解呪の?」
「き、切り替え速すぎないですか!?わ、私......」
ドアノブを握ってみたものの、レヴィの言葉に少し反応してしまったカーマインは、開けかけた扉を閉めざるを得なかった。
そんな風に冷静なカーマインとレヴィを除き、他二人はまだ熱が篭っているようで、はぁはぁと言いながら続きを楽しみに待っている。
レヴィとしては、もう羞恥の目に晒されたくはないのだが、彼の優しさも相まって、彼女に声をかけた。
「......もっとしてたいの?」
「は──」
「先に解呪しちゃいましょ!ぱっぱと終わらせて、さっさとお二人の時間にしましょうか!はい!そうしましょう!」
「はい」と言う直前、カーマインがまたまた口を挟む。タイミングの悪い女だ。これでも今年二十四なのだから、察しの悪いのは天性と見て間違いない。
「カーマインっ!」
「映画見に来てるんじゃないんだからさ、解呪が目的で来たんでしょ?これじゃあアダルトビデオじゃない」
「あ、アダっ!?ち、違うわよ!純愛の──」
プリルが叫び、冷めたレヴィに喰らい付くアリス、下ネタをバンバンと言い流すカーマイン。もう、何が何やらの状況で、やはり冷静に努めたカーマインが先陣を切る。
「はいはい。でも、おチビちゃん達がまだ残ってるんでしょう?」
「おチビちゃん?」
アリスの耳に、やっと入って来た言葉。恐らく、ラリルレロ姉妹のことだ。
彼女らはまだ、睡呪にかかっただけというのを知らない。故に、全員が同じ部屋に篭って泣いている途中だ。そんな彼女達に朗報を伝えてやらねば、そう思ったのは、カーマインだけではない。だが、
「いるんでしょう?」
「............いますけど」
流石に愛の育みの途中で呪いなどの話を切り出されては、もうたまったものではない。アリスの堪忍袋の緒が切れかけた。
だが、レヴィを一目見たアリスは、さっきまでの暗さが嘘のように晴れた顔を見せた。
「すっごい暗い声。怖すぎでしょ」
「さっさと終わらせるのには同意見です。私も......その......ね?」
つまりは、まだレヴィとの二人の時間を過ごしたいというわけだ。まだまだ、欲が無尽蔵なアリスは、彼が乾涸びるまで吸い付くし、喰らい尽くす。そして、カラカラになったレヴィ。それが彼の末路だ。
「ん?何が?」
「鈍感ぅ!」
相変わらず天性の鈍感さは忘れないレヴィ。何故、聡明と鈍感が同時に存在出来るのだろう。天才とまで言われるレヴィならば、その程度の気持ちを読み取ることも容易いはずだ。なのに彼は鈍感なまま。昔の小説の主人公のようだ。
「取り敢えず、先にチビちゃん達の部屋に行きましょう。その後で濃厚な時間でも何でも楽しんでください。どうせ私達なんて一生非リアですよ!......案内よろしくです。魔女様」
「なんで私まで巻き込むのよぉ!」
最後に自分達への誹謗中傷を混ぜ込み、嫌味のような祝福のようなそれを言い放つ。アリスは、他人の不幸を悲しめる素敵な少女だから、それについては何も言い返さない。
「非リアだからじゃん」
「かっ......」
胸を抑え、吐血するように咳を吐いたプリルに、更に追い打ちをかけたのはアリス。──前言撤回だ。彼女は優しくともなんともない。やはりバケモノ、悪女だ。
「じゃあリア充達の円満な姿を見ながら解呪、宜しくお願いしますね」
「か、かはっ......」
再び咳を発するプリル。それを笑う、他の三人。しかしながら涙を流して少し自分から自分へ向けた言葉に悲しみを覚えるカーマイン──。
静かに、レヴィは目を閉じ、この瞬間の。このうるさいような賑やかなような瞬間を心に仕舞った。




