32話 正解か過ちか
意識の共有中は、時の流れは一瞬のはずだった。だから、目を開いたレヴィは今驚愕している。
「...朝」
目が覚めたのは朝。朝日がレヴィの体を優しく包み、夢という荒波から意識を覚醒させる。
あまりの驚愕に声が出ないこの状況に終止符を打ったのは、扉を開いた少女だ。
美しい銀髪に、一筋の黒髪。華奢な体に並の大きさの胸。黒いニーソックスを履いた足は、それを履いていなくても魅力的だ。
色々と遠回しに、舐め回すように少女を眺めたが、それをされた本人は嫌な顔はしていない。軽く高潮した頬は、彼に対しての感情を示している。
「リリィ...」
「レヴィ様...」
ベッドに寝ているレヴィに歩み寄りながら、彼女は一瞥した。その後、再び申し訳なさそうに顔を伏せた。
順調な回復を見せたリリィの容態に驚きながらも安心し、良い意味で溜め息をついた。
「申し訳ありませんでした」
「え?」
突然の謝罪に、体が硬直する。
メイドなりに気を使ったのか、彼女はいつもメイドがするように手を前に交差させる礼はしなかった。
ベッドの傍らに正座し、そのまま上体を伏せた。手は添えてはおらず、自分への憤怒の為に震えていた。額を擦り付け、「ごめんなさいごめんなさい」と繰り返すリリィに、レヴィは声をかける。
「な、何誤ってるんだよ?」
「リリィの...リリィの所為で貴方は...貴方は!」
何とも難儀な性格だ。全てを自分の責任だと思い込み、それを一人で背負い込もうとする。こういう人は、少しは他人に頼ってもいいとレヴィは思う。そうでもしなければ、人の心がもたない。
「リリィの所為なんかじゃないよ!僕が...勝手に...」
「ううん」と首を振り、彼女は彼に返す。
「リリィの所為なんです。リリィが捕まったから、貴方はそうやって寝込んでて...」
「違う...よ。違う」
あくまでリリィの責任じゃないと言い張るレヴィに、いつまでも頭を上げようとしないリリィ。彼女が握っている拳には、自分の爪で引っ掻いた跡が残っている。酷い所は血が滲んでいるところもあり、
「それでも......貴方はそうやって寝込んで、お腹に穴を開けられて、記憶を失って......どうしようもないです...り...私は...」
「...記憶は...戻ったよ」
そう、ヴェリュルスに助けてもらった──意識を殺したのは彼自身だから、元通りに治してもらったというのが通りだろう。
それでも、彼は全てを覚えている。リリィのことも、レイラのことも。
ハッと顔を上げ、「本当に!?」と声を荒らげるリリィ。その声に耳を塞ぎながら、「うん」と首肯するレヴィ。そう、彼の意識は彼自身で制御出来ている。問題は何もない。
「じ、じゃあ、あの言葉もお、覚えてますか?」
所々言葉が詰まるが、何とか言い切った。レヴィは何の話だと言わんばかりに首を傾げる。
正座で、上半身を前のめりにさせている体勢から、勢いよく立ち上がってレヴィの傍らに歩み寄る。
「お...ぼえてないんですか?」
「あ、うん。その頃の記憶は...飛んでるかな...」
その返答に言葉を詰まらせるリリィ。彼女の顔は蒼白を極めており、手も、さっきとは違う感情を持ちながら震えている。
そんな顔をされても、とレヴィは思うが、彼女のその「言葉」を覚えていないのは事実だ。それがどれだけ彼女が勇気を振り絞って言った言葉なのか、彼は推し量ることが出来た。
「...リリィは!......私は、貴方を諦めました...でも...でも!無理なんです!私は貴方を諦めきれない!どうしてもレヴィ様のことばっかり考えてしまう!どうしようも!...どうしようもないんです......」
彼女の熱い言葉と態度に押され、気後れするレヴィ。だが彼女はそんなこと全く気にしないといった様子で、追い討ちをかけるように続ける。
「なんで!なんでリリィを選んでくれないの!?元だけど!許嫁じゃない!なんで、なんで、なんで、なんでよ...ぉ...」
レヴィに何の言葉も挟ませないまま捲し立てるその性格は誰かに似ている。そう、レイラだ。彼女の場合は一目惚れ。もしくは恩に惚れているだけだが、リリィの場合は元許嫁だけあってなかなか重い言葉だ。
デジャブに頭を支配されながら、レヴィは悩む。「何故こんなにも嫉妬深い」美少女が多いのか。レヴィの好みは嫉妬深く、自分を愛してくれる人だと思っていたが、今回の告白を受けてそれは変わりそうだった。
「ち、ちょっと落ち着いて。まだアリスと結婚したとかじゃないんだから」
「結婚なんて許しませんよ!結婚なんて......なんで...リリィじゃダメなんですか?」
ひたむきに愛し、レヴィだけを思う。それに感化され、レヴィの心が少し揺らぐ。
完璧に整っていたはずのアリスの姿のピースが一つ、二つと崩れ──。
「リリィがダメなわけじゃ...」
「リリィがダメじゃなかったら何がダメなんですか!」
そう言われると何も口答え出来ない。状況が、世界が悪いわけじゃない。だからと言ってアリスが悪いわけでもない。ただ、こうやって人の言葉に左右されやすい自分の性格だけが悪者だ。
「......僕」
「...じゃあ変えてくださいよ...変わってくださいよ!リリィを!二番目でも三番目でもいいから!.........隣に置いてください...」
それは不可能だ。アリスの姿が霞んだ今でも、彼女が一番なのは変わらない。それを変えるつもりも、変わる未来も有り得ない。だが、一つだけ引っかかることがあった。
“なんで僕はアリスが好きなんだ?”
その自問に答えられないまま、レヴィは目を見開き、言葉を詰まらせた。
“そうだ、なんでアリスが好きなんだ。何が理由で、何が交錯して、何の結果を以て彼女を愛するに至った?”
相変わらずリリィの言葉に応えないまま、自問にも答えないまま時間のみが刻一刻と過ぎていく。
それに見飽きたリリィは、彼女からレヴィに提案を差し出す。
「リリィ、聞きました。たぶん、レヴィ様の部屋を訪れた後にリリィの部屋に来たんです。その頃にはリリィは起きてて...それで聞いたんです......イヴァン様が失踪なさった...もしくは...殺害された、と」
見開かれた瞼が、更に大きく開かれる。これでもかという程開かれた目でリリィを見つめ、彼は問う。
「殺...害?」
「え...?聞いてなかったんですか...?......あ、記憶が...そうです。その可能性もあるんじゃないかと...」
「...いつだ?」
ヴェリュルスから聞かされた情報は、イヴァンが失踪したかもしれないというものだけだった。彼は百戦錬磨の凄腕魔法剣士の一人であり、そう容易く殺害出来る相手ではない。
過去に彼の命を狙った賊ですら、返り討ちどころか酷い始末を受けてしまったそうだ。そのイヴァンが殺害──不可能だ。
「確か...昨日の朝...って...」
「無理だ...ろ?」
不可能。その一言が彼の脳内を埋め尽くした。いくら初老に入りかけのイヴァンとて、その腕前はなかなか落ちるものではない。だから、そうでないことを祈った。
「何話逸らそうとしてるんですか」
「──え?」
冷たくなったリリィの表情と声を聞くなり、レヴィは身体中が疼く程冷や汗を流した。
話を逸らす。そのつもりはなかった。だが、彼女はそう捉えたようで、
「話の本題はリリィが貴方のものだということです......なんで...そこまで!リリィが嫌いなんですか!」
ヒステリックな考え方が炸裂し、彼女は叫び倒す。
“そうじゃない。嫌いじゃない。むしろ好きだ。でも、僕にはアリスが──”
「そんなにアリシアさんが好きなら!二番目でもいいって言ってるじゃないですか!それも!それすらダメなんですか!?」
レヴィの心中を読み取ったように、それに沿った受け答えをするリリィ。彼女は眉間にシワを寄せ、美しいその顔を台無しにしている。
それ程、取り乱してしまう程にレヴィのことが好きで好きで堪らない。銀髪を振り乱し、それを精一杯アピールするリリィ。もう彼女の感情を制御することは出来ない。
「だから!帝国じゃ妻として娶ることが出来るのは一人だけだっ──」
「今はイヴァン様がいない!だから!貴方が次期帝王!貴方が!法を変えればいい!」
正気かと言いたくなる。止められないと悟ったのは間違いじゃなかったようだ。
自分が次期国王、否、帝王となるのだから、法などレヴィが変えられるだろうという考え方。それは非常に危うい。何故なら──。
「正気か...?そんなこと、僕だけの為にしたら、どこでどんな暴動が起きてもおかしくないぞ...?」
「それでも...リリィは貴方のものになる...なります」
ようやく感情の波は落ち着いたようで、真っ赤っかに染まっていた顔が元の白さを取り戻している。
彼女が掴んだベッドのシーツがシワを何重にも重ねている。その震える手に手を重ね、レヴィはゆっくりと話を始める。
「......リリィの気持ちは分かった。でも、そんなの今すぐ決めるわけにはいかない。だから...また今度...」
「そうやって、また今度、今度って言ってる間にリリィ達は離れて行っちゃうんですよ...?今、決めてください。別に、二番目でもいい。貴方の傍にいられるなら...」
彼女は正論を言っていた。勿論、一夫多妻制が正論というわけではなく、レヴィの性格が矯正すべきものであることがだ。
彼は嫌なことから逃げ、大事な決断を迫られるといつも後回しにしていた。だから、レヴィとリリィは離れ離れになり、その間にアリスという運命の人を見つけ、こうしてリリィが取り乱している。
そう、彼女が言ってることは全て。
「今...か?」
「今、です」
ここまで迫られて尚、逃げるという選択を捨てきれないでいるレヴィにリリィが詰め寄る。レヴィが首を突き出せばキスしてしまいそうになる距離。
その時放たれた彼女の言葉が、彼の決断力を復活させる。
「リリィを...一人にしないで...」
「──ッ!」
感触、柔らかい感触。味、甘い味。吐息、女の子という感じのする吐息。全てが感情を落ち着けるものだった。
ドキドキするものだと勝手に思っていた。だが、いざ本番になると案外心の波は平静を保っていた。
「............僕は...」
「分かってますよ。アリシアさんが好き。なら、リリィは二番目でもいい。三番目でもいい。でも一つだけ...」
唇が離れ、止めていた呼吸が再び始動する。止めていたのはレヴィの方だけだったが。
リリィは落ち着いた呼吸でそれをやってのけた上に、レヴィの全てを分かっているといった様子でゆっくりと、落ち着いて彼の言葉を代弁する。そして一つ、彼に伝えたいことがあった。
「貴方のファーストキスはリリィのものです」
「.........怒られそうだ」
ここまでしても、アリスへの気持ちが変わらないのは呪いか何か。アリスへの気持ちは捨てきれないまま、だがしかし目の前の元許嫁への感情も捨てきれず。
彼らは再びキスを交わした。罪悪感、もういいか、という諦め。その二つが、レヴィの脳内に蔓延った。




