25話 狂人の末路
少女の声が響く。それは酷く冷酷な声で。
「レ...ン...君は...」
カルヴィンが驚いたのも無理はない。振り向いたレヴィとアリスでさえ、その形相、そして様子に驚愕したからだ。
血に塗れた顔は、笑顔の割に冷たい表情。それに、顔だけでなく、手の先から足の先まで血に彩られていた。
「レイラ!?その...血は?」
「殺しました」
テヘッと可愛く、血塗れの手で頭をこつんと叩くレイラ。彼女が元仰望師団だということを思い出したレヴィは、頭を抱えて座り込む。
なぜ、仰望師団を抜ければその狂気から全てがなくなるはずでは。それとも、主人の為にその手は、顔は、足は血に塗れているのだろうか。
「殺した......って、シリルをか?」
顔を上げ、崩れそうな表情でレイラを見つめる。
その様子に何の心がけもなく、彼女は言い放った。
「はい」
「......なんで...?」
レヴィがそう問うのも当たり前のことだ。今のところ、彼は何も悪いことはしていない。リリィの磔を手助けしたのなら、とは考えられるが、それだけでレイラが行動してしまうのか。
「レン...君は...あのシリルを殺害したのか?」
「うん」
躊躇いもなく放った「うん」。
その言葉に、カルヴィンは頭を掻き毟り、再び地面に倒れ伏した。そして倒れ伏したまま、彼は話し始めた。
「君が本当に師団の仲間を殺すとはね......本当に抜けられたつもりでいるなら、君は──」
「レヴィ様!褒めて褒めて!」
カルヴィンの言葉を遮り、レイラはレヴィに寵愛を求める。その姿は、とてつもなくレヴィを不愉快にさせる。
仰け反ったレヴィに抱き着くレイラ。それには、嫉妬深いアリスでさえ言葉も出ない。
「れ、レイラ?」
「はい、何でしょう!」
カルヴィンはもう話す様子ではなくなっていた。地面に伏せたまま、静かに呼吸だけを繰り返して。
そんなカルヴィンには目もくれず、レヴィの言葉にレイラは敬礼をする。これだけを見れば、無邪気な少女なのに。それなのに、身体中に付着した血痕がそれを台無しにしている。
「僕は......別にシリルは殺さなくていいんじゃないかと思ったよ...」
レイラにとっては思いもよらない言葉に、彼女は首を傾げる。そして、思い付いたように顔を上げ、
「アリシアさんが、仰望師団は皆殺しにするべきだと言ってたじゃないですか」
そう言う彼女の目は、レヴィを睨んでいた。あぁ、やはり彼女は仰望師団から抜けきれていない。否、邪精霊が体から出ていっていない時点で、もう普通の人間ではないのだ。
そんなこと、気付いていたはずなのに。
「やっと気付いたようですね......レンは師団を抜けられない理由が」
倒れ伏した状態から、ゆっくりと起き上がって、カルヴィンが話す。
狂気は消え失せ、再び端正な顔立ちが顕現する。それに嫌悪感を抱きながら、レヴィは
「レイラが仰望師団を抜けられない?そんなこと知ったことあるか。この子はもう俺の従者だ」
「あぁ、なんと...愚劣な考え方でしょうか...やはりリビル様の言う通り...例え次期王候補だとしても、その内訳はただの人間!この!仰望!師団!とは!全く!違う!もの!なのです!」
なんと感情の起伏が大きいのだろうか、それに感心しながら、一つ引っかかったこと。聞いたことのある名前が言葉の中に含まれていたのだ。“リビル”、その名前が。
「お前達なんかと一緒にされたくはないね.........それで、リビルって?」
リビルの正体。彼が様と崇める程なのだから、もうおおよそ予想はついている。彼もまた、仰望師団の一員。それもかなり地位の高い場所なのだろう。
「リビル様!それは...僕達、私達の行動を指揮しているお方なのです!死神に次いで地位の偉いお方!それこそが!リビル様なのです!」
「...当たってしまうか......アリス。聞いたか」
全く口を開かなかったアリスの方を向く。彼女は弾かれたようにこちらを向き、言った。
「は、はい。リビル・レレモードは仰望師団の...人間。留めておきます」
「レヴィ様ぁ〜、早くカルヴィンも殺っちゃおうよ〜」
可愛い顔で平気で悍ましいことを言ってみせるレイラの唇に、指を押し当てる。静かにしろという意味のその行動は、予想外の結末を迎える。
「うわっ!舐めんなよ!」
「ぐぇへへ」
唇に押し当てたはずが、彼女が口を大きく開いた所為で、彼女の口の中にすっぽり収まってしまった指。
思い返せば、なぜこんなキザなことをしようと思ったのか、自身でも謎だ。
「ぐへへとか言わない!」
「そろそろ茶番はいいですか」
レイラを躾ている最中だというのに、カルヴィンは相変わらず空気を読まずに、狂気に満ちた笑顔でこちらを睨んでいる。
睨んでいるのに笑顔という最高の矛盾の中で渦巻いている感情は一体どんなものなのだろうか。
「茶番はいいけど、とりあえずリリィを返してくれ」
そう言うや否や、カルヴィンは魔法の独唱を始める。
大きな氷の結晶のようなものに磔にされていたリリィの腕、足に取り巻く黒い鎖が弾ける。四散したその鎖は、地面に着地した瞬間に溶けるように消えていった。
「鎖は外しました。が!条件が!ある!のです!」
「条件?」
レヴィが、カルヴィンの言葉に聞き返す。
するとカルヴィンは顔に手を当てる。指の間から見える目は、レヴィを睨んだ。
「貴方が死ぬことです」
「.........悪いが、その条件は飲めない」
俯いて、ゆっくり考えた後、彼は答えを導き出す。ダメだ。正直、自惚れた考えだとは思うが、自身が死ねばリリィが自殺しかねない。実際にそんなことをするかどうかは置いておくにしても、その可能性があるのに悠々とと死んでいられない。
彼女が自殺する可能性がなければ、命を投げ打っても悔いはないのだが。
「......ならば!彼女を殺すだけ!貴方の寵愛はただのお飾りだったということですね!レン!君もいつかこうなる!しっかり見ておくといい!」
「──ッ!」
そういって、顔から手を離す。涎でびちゃびちゃに濡れた指を五本揃え、勢いを付けてリリィの胸を──。
「ぐぇっ!」
カルヴィンの指が、腕が、リリィに触れた瞬間に消え失せる。血も飛び散らない、その平和的な惨状。
よくよく見れば、リリィの体を薄く覆っている膜が見える。否、防護壁に近いだろうか。違いは色だけだ。
「......痛いです。でも、笑顔です。怒らないのです。怒らない怒らない怒らない怒らない怒らない怒らない!...ンゥ!レンッ!君か!」
「ご名答。ちなみにこれが最後の権能だ」
そう、権能はこれで最後。三つの権能を使い終わったレイラは膝を曲げ、地面に手をついた。
「レイラ!大丈夫か!」
「レヴィ様...ええ、大丈夫ですけど...ちょっと反動が大きかったようです」
苦し紛れにそう言って、鼻血を流しながら。遂には両手をつき、苦しそうに喘ぐ。
彼女の背中を擦りながら、レヴィは聞いた。
「権能は...三つ使ったのか?」
「ええ、一つはレヴィ様達の防護壁。これはもう切れてるので注意です。で、シリルを殺す為の権能。最後に今の防護壁...というよりかは消滅壁ですね...敵意のあるものが触れると、その部位を消し去ってしまうんです......」
苦しいのに、何とか言い切った彼女は、更に吐血してしまった。その様子に慌てたレヴィは、
「本当に大丈夫なのか!?今すぐ部屋に──」
「今!あいつを殺らないと!......取り返しのつかないことになります...だから......今...」
主人を守りたい。その一心で放った言葉。その一心で変えた表情。全てがレヴィの心に訴えかける。「大事な人を守る為に、悪を罰すべきだ」と。
その思いが通じたと感じたのか、彼女はゆっくりと目を閉じ、地面に伏した。
「レイラ!」
「レイラさん!」
二人の声が重なるが、彼女には届かない。自分の従者のボロボロの姿に、レヴィは怒りを露わにする。本当に、一体どれ程怒れば、世界はレヴィを許してくれるのだろうか。それとも、一生、命が尽きるまで、憎悪の灯火を絶やしてはならないのか。
どちらにせよ、今は目の前の敵だ。
「......カルヴィン。僕の従者をここまでしてくれたんだ。落とし前はつけないとな」
「それはこっちのセリフだ。もう敬語はいいかな?」
突然敬語を失ったカルヴィンに驚きつつも、黙って首肯する。
レヴィが剣を抜き、アリスと模擬戦をしていた時の様に構える。
対するカルヴィンには、全く動作がない。
「......素手か」
「左手だけで十分だ」
そう言い終わると、彼らは互いに対峙し合う。剣と手刀が互い違いに喰い争い、それに応じた金属音と鈍い音、骨が軋む音が鳴り響く。
アリスは彼らに手を伸ばし、レヴィを応戦しようとカルヴィンを狙っている。その目は、レイラとカルヴィンを交互に見ていた。
「貴方の防護壁はもう切れてる!じゃないですか!その脆そうな剣でどう!僕を!私を!倒そうと言うのです!」
「敬語に戻ってるぞ。それに、脆くない」
攻撃の見極め方は至って簡単だった。
剣を習った場所が一緒とか、そんな単純な原因なのかは分からないが、アリスとパターンが酷似している。
右、左、右上からの薙ぎ払い。下からの顎を狙った一撃。そこから更に派生する横への振りかぶり。
アリスの行動パターンにプラスアルファしたようなそれは、レヴィに見極められない程ではなかった。
「なぜ!そんなに!見極められるの!です!」
「簡単だからだ。もっと複雑に動け」
そう言われても単純な動きを繰り返すカルヴィンに、レヴィは余裕のため息をつきながら、クロウで腹を貫く。
「ッ!ぐばっ!」
剣を抜き、仰向けに倒れたカルヴィンを睨みながら、レヴィが最後の一撃を加えようと、頭上に剣を持ってくる。
剣先を額に当て、思い切りよく押し込む。それだけで、命の液は零れ落ち、火は消える。そんな単純な作業で。
「────」
「死んだか」
言葉一つ発さなくなったカルヴィンから剣を抜き、鞘に仕舞う。
それを見たアリスも、魔法を放つことがなかった手を下ろし、互いに言った。
「レイラを頼む」
「リリィさんのところに行ってあげたらどうです?」
互いに発し、互いに頷く。
レヴィが走ってリリィの元へ駆け寄り、ゆっくりと消滅壁に触れる。少しピリッと、電気が流れるような感覚の後、生暖かい空気が手に触れる。
その先、リリィの柔らかい肌が指先に触れる。
「ぁ......生きてた」
その温かさに、生の気を感じ取って安堵するレヴィ。
そっとリリィの背中に手を回し、抱き寄せる。その時、リリィが大きな呼吸をした。それとともに、目がゆっくりと開く。
「......レヴィ...様...」
リリィの頬に伝う、涙。それを指先で拭いながら、彼は言った。
「生きてた...よかった...」
そう言って、レヴィ自身も、滲み出た涙を袖で拭う。だが、その涙は止むことがなくて。ポロポロと流れる涙を止める方法すら分からなくて。
その時、アリスの声がけたたましく響き渡る。
「レヴィ君っ!」
「ぇ────」
起き上がったカルヴィンに腹を貫かれ、レヴィは地に倒れ伏した。




