24話 天使の末裔
「地下...どこだ」
飛び出したはいいが、肝心の地下の在り処がさっぱりなのに気付く。アリスに振り向き、彼女に質問してみても知らないといった様子だった。
「...レヴィ君」
「何だ?」
明らかに今回の騒動とは関係のない話をしようとしているのがバレバレだ。目がレヴィの方を向いておらず、それもずっと泳いでいる。
「......まだリリィさんのこと、好きなんですか?」
唐突な恋心の模索。
嫉妬心と独占欲の強い彼女にとって、リリィやレイラの存在はとてつもなく彼女の心にダメージを与えているのだろう。だってほら、もう泣きそうだ。
「何で?」
「だって......」
口を濁らせ、はっきりとした言葉を話さない。その意図は、恥ずかしがっているとかそういう問題じゃないらしく、もっと深い、根底の問題なのだと想像出来る。
「貴方は...いえ、私は貴方の物なんです。」
彼女は自分がレヴィに依存していることを知らない。理解していない。故に、こういったことを淡々と話すことが出来る。
そんな彼女に惚れたのも事実。元許嫁のリリィも、仰望師団から抜けてまで自分を愛してくれたレイラも、皆が皆、大切で好きだ。勿論、ハーレムを作ろうだとか、一夫多妻制を導入しようだとか、そういう話ではない。だから、誰かを切り捨てなければならない。たとえそれが、どれだけ大切な人だとしても。
「何でそう思うの?」
「貴方は私のことが好きで、私は貴方のことがもっとずっと好きだから...です」
地下を探し、行き詰まりに直面したところで彼女は言う。
彼女の「愛」とやらを信じていいのだろうか。それの為に、リリィやレイラを切り捨てて構わないのだろうか。今は到底判断出来ない。だから、
「うん......そうだね。でも...ちょっとだけ待って欲しい」
「待つ...ですか?」
「うん、まだ...一番大事な人っていうのが決められないんだ。まだ...もう少しだけ待ってて」
本心を露にする。その心境を聞いたアリスの顔はどうなるのか。想像するだけで心が痛む。
が、上げた顔の先には笑顔で佇むアリスの姿があった。
「もう...しょうがない人なんですから...少しだけ。ですよ?」
可愛らしく腰を曲げて上目遣い。
...あぁ、やっぱり可愛い。
もう何も言うことはない。これだけ可愛らしくて、自分を好いてくれる従者がいるなら。
「うん.........ところで、地下は本当にどこだ...」
気持ちを切り替えたらしいアリスは、背筋をぴしっと伸ばし、顎に手をやる。
考える素振りを見せた後、彼女は突き当たりとは反対の方向を指差し、言った。
「確証はありませんが、恐らく......レヴィ君の部屋かと」
「......は?」
レヴィの部屋、と言ったのか。
根拠は、理由は、なぜだ。その言葉ばかりが頭の中をぐるぐると回っている。
「何でそう...なるんだよ」
「たまに、本棚と本棚の隙間が軽く開いている時があるんです。もしかしたら、過去に何度か...仰望師団が偵察に来ていたのかも...」
これ以上に恐ろしい事態があって堪るだろうか。起きたら毒虫になっていた、なんてカフカの小説並に最悪の事態だ。
国の国家機密が流出するかもしれない。
「...でも仰望師団はそんなことしないか...」
そう。彼らの目的は単なる殺戮の繰り返し。なら何故今回、リリィを殺さずに生かしているのかと問われれば、それも頭を悩ませる質問だ。
「レヴィ君、行きますか。レイラさんを待たずに」
「あぁ。リリィを見つけ出すのが最優先だ」
そう言って、走りに走った。
レイラはシリルと話をつけているが、そんな時間──その間に彼女が殺されることもありえるのだ。
「...血だ」
今までの道のりで、リリィの部屋以外に見つからなかった血痕が、アリスの部屋の前から急に濃くなっている。
更に、引きずられてレヴィの部屋までそれは伸びていた。
「アリス、正解だ」
「はい」
「入るぞ」
そう言って開けた扉の先。
血溜まりが、出来ていた。
その上に佇む影もなし。ただの、血溜まりだった。
「レヴィ君、これ...」
「なん...っで......」
そう、レヴィ達が目を見張ったのはただの血溜まり。ただ、彼らが驚いたのはその量だ。どう考えても、人ひとりの流す血の量じゃない。
そして、その血痕が伸びている場所。引きずられた後があるのは、微かに開いた本棚。
「本当に......開いてる...」
途切れ途切れに話す彼の呼吸は乱れている。自身の部屋にこんな場所があったことと、リリィの安否に対しての呼吸の乱れ。だが、彼はそれを振り払う。
「行こう」
「レヴィ君、ちょっと...」
アリスが肩を擦る。それは、精霊が怯えていることを暗示している。ほぼほぼ暗黙の了解だ。
それを見て、レヴィも決心を固める。この先に待つのは恐らく仰望師団。
「分かった。万全の状態で行こう...って言っても、レイラは待っていられない。とりあえず、呼吸だけでも整えて」
「はい...」
そう言って、自身も呼吸を整える。
深呼吸をし終わったアリスに、レヴィが準備の要否を問う。
「いけるか?」
「はい、行きましょう」
本棚に近付き、虫一匹がやっと通れそうな隙間に指を挟む。引っ張るも、なかなかそれは動じない。
「風でこじ開けます」
「ッ!」
そう言うや否や、彼女はその隙間から奥に風を送り込み、爆風を起こした。その爆風は、隙間から流れ込んだそれの威力でも、レヴィの部屋の物を薙ぐ程の力はあった。故に、レヴィも腰を入れて耐えている。
「開きました」
悠々と言ってみせるアリスに、レヴィは肩をすくめる。
奥に進む。本棚の奥は隠し通路のようになっており、ただただ暗く、湿っぽい。
「暗いな...火の魔法使えるか?」
「光。ですよ」
間違いを訂正し、アリスが人差し指の指先に光を宿す。その光は、何者にも負けない程壮大で、綺麗で、美しかった。
それでもまだ暗いのは暗かった。故に、レヴィが壁に手をつきながら歩こうとするが、
「......また血か」
彼が手をついた場所。だけでなく、通路、階段、全てが血に彩られていた。
その塗り方は非常に満遍なくで。
「あちらこちらに血が...?ちょっと妙ですね」
「......何が?」
アリスの言っていることの意味が理解できないレヴィ。何が妙なのか。血の満遍なさが気になるのは事実だが、それとは関係の無いように感じる。
「分からないんですか?一方的に仰望師団がリリィさんを連れ去ったのなら、そこまで血は流れないはずです」
「確かに...ってことは、リリィは抵抗したのか?」
「恐らくそうかと...抵抗でもしなければ、これ程血は流れません。それに、全部が全部リリィさんのじゃないです」
全てがリリィのではない。それを聞いたレヴィは安堵し、アリスに質問する。
「よかった...けど、何でだ?」
「...はぁ...いつもは冴える頭が今日に限って働かないようですね。リリィさんのこと、心配しすぎです。あの子はそこまで柔な子じゃないですよ」
アリスの言葉に、口を曲げて反論するレヴィ。
「仕方ないじゃないか。そこまでリリィの強さを知ってるわけでもないしさ。それで、血は他の人のも混じっているのか?」
「ええ、その連れ去った仰望師団の血も含まれています。たぶん、この血の飛び散り方からすれば、彼女の得意な風の刃でも使ったんじゃないですかね」
そういうものなのか、と聞き流すレヴィ。
そんなリリィの安否を確認したところで、前方に微かな明るさを感じる。本当に微かな光。光と言うよりかは影。そこが影ならば、今のこの場所は闇だ。
「そろそろ広い場所に出ますよ。出た瞬間の奇襲に気を付けてください」
「つったって、どう気を付ければ...」
魔法が使えるわけでもなく、かといって素晴らしい加護がついているわけでもない。
この状況は、彼にとって最悪の事態だ。従者の一人を連れ去られ、挙句に自身も死に至る。そんな未来が脳裏にちらつく。
「とりあえず、先に私が出ます。まだレイラさんの権能は効き続いてるはずですけど、念のために」
コクリと頷き、アリスが階段から飛び出す。傍から見れば、唐突に飛び出した彼女の身を狙う人影がいることはなかった。
「貴方は...」
そう言った彼女の後ろから、オドオドと出て来たレヴィ。彼の目にも、同じ光景が映っていた。
肩を握り、寒さに怯えるように震える男の姿。更にはその男の前方に見えるのは、磔にされたリリィの姿。
咄嗟に、レヴィは叫んでいた。
「ッ!カルヴィぃぃいいいいンッ!!!」
「?...おや、貴方は...レヴィ様と......」
顎に手を当て、分からないといった素振りをするカルヴィン。
その姿には、三日前に見た覇気は感じられない。むしろ、弱っているように見える。
「アリシアだ」
名前を忘れられたアリス。彼女もまた、目には怒りが浮かび上がっている。
一体、この一ヶ月で何度怒りを露わにしなければいけないのか。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!そぉおうでしたね!あ!り!し!あ!さ!ま!おひぃさしぶりでございますっ!」
端正な顔立ちが、一瞬で崩れ落ちる。レイラなど、比ではない程の狂気。
だが、そんな狂気でさえ、今日の彼には少し欠けていた。
「...ボロボロだな。僕の従者にやられたか?」
「あぁ...............この方は貴方の従者様だったのですね、これはご無礼を」
ぺこりと頭を下げる彼は、すぐさま顔を上げ、口が裂けそうな程、にんまりと笑顔を見せた。
「その後......レンはどうですか?」
「もう仰望師団じゃないんだから、お前には関係ないだろ」
睨めつけながら、レヴィは言う。
それに何を感じ取ったのか、カルヴィンは手を天井に掲げ、その後地面に手をついた。
何をしたいのか、謝っているような素振りにも見える。
「...仰望師団を抜けた...?それは──」
「まだ聞きたいことが沢山ある。ちゃんと聞いてくれ。質問にだけ答えろ」
その言葉に不服を感じたのか、カルヴィンは口を尖らせる。まるで本当の嘴のように。
「...わかりましたです」
「じゃあ一つ目だ。あの血はリリィのか?それともカルヴィン、お前のか?」
カルヴィンは首を傾げる。
質問の意図が分からないのかと、もう一度問おうとした時、彼は口を開いた。
「ほとんど僕のものです。彼女は血を流していません。彼女に危害は加えていません。加えて、いないのです」
「...抵抗したからか?」
あの血が、彼女が抵抗したことでカルヴィンに傷を付けた証拠なのなら、レヴィは胸を撫で下ろすことが出来る。
「はい。風の刃で何度か切られました。この傷も、この傷も。これもこれもこれもこれもこれもこれも!.........でも僕は怒らない」
「......」
カルヴィンの、増してきた狂気に半歩後退するレヴィ。
だが、カルヴィンはその間を詰めようと、一歩歩み寄る。
「僕が怒っているのは彼女の身分だけなのですから」
「リリィの...身分?」
何が不満で、嫌で怒っているのだろうか。彼女の身分は、中の下に位置するはず。まぁ、レヴィに仕えてからはその地位も上昇しているのだが、それでも彼の怒りを誘う理由にはならないはずだ。
しかし、彼には少し心当たりがあった。
「それは...前に話していた僕を切らなきゃいけないことと関係あるのか?」
カルヴィンは数秒黙り、口を噤んだ。
だが、それもつかの間。再び裂ける程薄く伸ばした唇が、笑顔とともに開く。
「いいえ、ありませんよ。ただ、彼女は......天使の末裔だとか」
「天使......ヴェールのか?」
ヴェール。神界ヴェールは、空中浮遊都市の別名だ。空中浮遊都市とは言われていても、実際にそこに向かった人間はおらず、到着することも不可能。魔法で飛ぼうにも、到着する以前に空気が薄いし、魔力が尽きる。なら無尽蔵の魔力と魔法適正を持つアリスなら。とレヴィは考えたが、それも不可能だという。
そして天使。おとぎ話でしか耳にすることはないが、神界ヴェールから落ちた人間のことを、天使と呼ぶそうだ。
地に落ちた天使は特に権能も素晴らしい魔法適正も加護も持ち合わせてはいないが、こういう犯罪集団の狙いにされることはしばしばあることだ。
「そうなんですよ。だから、殺さねばなるまいのです。例え貴方が僕の主人だとしても!それは!関係なしに!殺さねば!ならない!」
「......何でだ?」
純粋に質問だ。
なぜ、天から落ちただけの人間を殺害対象にしなければならない。むしろ、有用な情報源なのではないか。
「理由?など!ないの!です!」
「.........」
口が閉まらない程、呆れ果てる。
もう、アリスの言う通りだ。こんな殺人鬼、狂人、生かしておいてはいけない。
「お前は...お前だけはこの場で殺──」
「殺す」
レヴィの声を遮りながら階段から出て来た銀髪の女。青い瞳で、カルヴィンを見つめる。否、睨めつける。
カツカツと響くその靴音に、カルヴィンはタジタジと後退する。
彼女が来た。それだけで、レヴィ達の目的は達成されたようなものだ。レンが、レイラが声を放った。
「ボクの同僚に何をしている。殺すぞ」




