21話 最強の権能
竜車に乗り込み、約三時間が経過した。レヴィの頭の中をぐるぐると、延々回り続けているのは他でもない、“彼”のことだった。
腕に絡みつくレンの腕を眺めながら、レヴィは考える。
「“彼”の名前は何だったっけ?」
「レヴィ様?」
「...あ、ん?」
“彼”に心を囚われすぎて、今の目の前の状況に着いていけない。
この竜車は、レンの目視出来ない網によって拘束された、蟷螂型の“unknown”を引きずりながら傭兵達に合流しようと引き返している途中なのだ。
「顔が暗いですよ?」
「あ、うん。ごめん」
「気安くレヴィ君に触るな」
本気でレヴィを心配して放った言葉は、アリスの心を逆撫でたようで、アリスはいきなり後ろを振り向き、叫んだ。
それには元仰望師団のレンでさえ驚いたのか、大きく仰け反った。かと思えば、余計にレヴィにくっつき、アリスを煽った。
「貴様、まだ私はまだ許してませんよ」
「貴様って言ってる割には敬語は外さないんだね。キミがどれ程レヴィ様を好いているか、この方に依存しているかは分かったつもりだよ。あと、ボクがキミやレヴィ様に何かしたかな?危害は加えてないはずだけど」
饒舌が目立つ彼女の目は、死んだ魚のようにアリスを眺めている。彼女も彼女なりにアリスに敵対心を持っているのだろう。全く、女というものは分かりづらく、恐ろしい。否、悍ましい。
「そ、そうですけど!私にとっては...レヴィ君は...」
「...何ですか?もしかして婚約でもしてるんですか?あ、そこまでいかなくても...恋人同士とか?笑えますね。レヴィ様もあんな人選ぶなんて、目が腐ってますよ」
あくまで好いている男、それも次期王になんて言い草だろうか。レヴィは初めてに近い感情を覚え、それを鎮めた。
自分が蔑まれたことよりも、アリスが蔑まれたことに主に感情は動いた。
「恋人じゃない...けど......好き、だよ」
「え.........?」
初めてのレヴィの本心を耳にし、唖然と声を漏らすアリス。その口と目は塞がらない。今にも泣き出しそうな程目尻に涙を溜め、笑顔になるアリス。
「アリス......」
その表情に、再び告白の意を評そうとしたレヴィは、口を開いた。
「す、好きだよ!僕、アリスのことが好きだ」
「え...?」
「?」
さっき漏らした声とは違うトーン。それに、レヴィも頭上にハテナを浮かべる。
意味に齟齬が生じたのだろうか。ならばもう一回言ってやる。彼女に愛の告白を──。
「レヴィ様、そのあたりでいいんじゃないですか?」
「...は?何言って...」
レンの言っていることが分からない。何がいいのか。何がそのあたりなのか。
聡明なレヴィは、今のこの状況。会話が噛み合っていない状況の元凶がレンにあると睨んだ。だが、それは悟られてはいけないこと。
「レヴィ君...そんなふうに...」
アリスは、絶望に打ちひしがれた様な顔をレヴィから背け、紫龍と同じ方向を向いた。その後ろ姿はどう見てもレヴィがしてしまった失態の結果。否、レンが何かしてしまった結果なのだと、無理にでも分からせる力があった。
「れ、レン!何した!」
「初めに僕を疑うとは...思ってよりも思考が一般人寄りですね...まぁ、そんな所も魅力的ではありますが。さっきのは...ついつい、やってしまったので...後でまた告白でも何でもしたらいいと思いますよ。まぁ、私が彼女の座を奪取しますが」
饒舌だ。よく喋る口を縫い付けてやりたいと思う程、レヴィの心は今荒んでいる。レンの提案を、発言を鵜呑みにすることすら難しい状態だ。
だが、温厚な彼は暴力に走ったりはしない。暴力を奮ったところで、彼女に叶うはずもないが。
「......そんなのはどうでもいい。...とにかく、君が僕に付き添いたいなら、君の全てを教えて欲しい」
「全て...ですか」
上目遣いでそう言うレンに、レヴィはこくりと頷く。勿論、彼女の権能と呼ぶべき邪精霊の能力のことも。勿論、彼女の出生のことも、出身地も、何から何まで。
「ボクは...まず何から話しましょう」
「じゃあ権能からだ。君の邪精霊はなんだ」
問い詰めるように彼女に言ってしまったが、それはレヴィの心に余裕があまりないからである。「ごめん」と一言だけ付属させ、彼女の言葉を待つ。
「権能...驚かないで欲しいんですけど、いいですか?」
「場合によっちゃ驚く。先に言っておく、ごめん」
何もしていないのに謝罪をするのは、王としてあるまじき姿だろうが、仕方がない。彼女自身が驚くと明言しているのに、驚かないでいれるものだろうか。答えは否だった。
流石に傷心のアリスも気になったのか、紫龍の轡をしっかりと握りながら後ろに振り返る。
「ボクの邪精霊の権能は“想像したことを現実にする”力です」
「............ごめん、驚きすぎて何も言えない」
何ということだろうか。あろうことかそんな権能が。
驚きのあまり、レヴィだけでなくアリスでさえも瞠目している。その目は瞬きを知らない。
「つまり、想像したこと。強く念じたことが現実に起こるんです。例えば、さっきレヴィ様をお守りした時、ボクは“瞬間移動するように”念じたんです。同じように、カルヴィンを消したのも、瞬間移動するように念じたから。そして“unknown”を捕獲したのは、見えない何かで身動きが取れないそれを思い浮かべたんです」
なるほど、全ての疑問の種が潰れた。
彼女の言っていることが本当ならば、アリスとの会話に齟齬が生じることもありえる。彼女がアリスに何か嫌なことを、レヴィを通じて伝えたいと念じたから、アリスはそれに惑わされて絶望したのだ。おおよそ、「嫌いだ」とでも聞こえたのだろう。
それを同時に悟ったアリス。轡を強く引き、紫龍をその場にストップさせる。
「じ、じゃあさっきレヴィ君は何を言ってたんですか?私の思い違いならすみませんけど...私は、レヴィ君がそんなことを...“死ねばいいのに”なんて...言うはずが...」
自分の勘違いか、と俯くアリスに、レヴィは咄嗟に声をかけていた。
「僕は、さっき好きって言ったんだ。君が好きだ、アリス」
今回は、レンも権能を発動することなく、スムーズに会話が成立した。それを物語っているのが、彼女の、アリスの表情だ。
明るく、嬉しさに満ち溢れた顔。レヴィもまた、それを見て心が温まる。
その状況とは正反対に暗い表情を見せたレン。「ボクは?」と目を潤ませて言う。
「え、えぇ?本気で言ってるの?」
「本気じゃないわけないじゃないですか!」
ポカポカとレヴィを拳で叩くレンの目尻にはじわりと涙が浮かんでいる。
涙は女の最終兵器と言う程、女の子の涙は男の同情を買いやすい。特に優男のレヴィにとっては最高の兵器である。
「ボクも...ボクも好きだよ大好きなんだよ!なんで?なんでこんなクソ女を選んでボクを捨てちゃうんだ。ボクの権能さえあれば貴方の思考だって変えることくらい容易いんだよ!?なら今のうちにボクを好きになってよ!強制的にボクを好きになんてなって欲しくないんだよ!あの女よりも幸せにするから!何でもするから!命令だったら死ぬことも厭わないから!...ボクを...ボクを選んでよ......この.........レイラ・ラファティーを...」
饒舌に饒舌を重ねたような長ったらしい言葉の並びの中に。否、最後の言葉が聞き捨てならない。レイラ・ラファティー。聞いたことのある名前だったからだ。
「れ、レイラ......?あのレイラか?」
レン元いレイラは頷く。
レヴィが手繰り寄せた記憶の中に、レイラ・ラファティーはいた。故に、彼女の生き様。それを問う必要はなかった。
「はい...貴方に救われた一つの命です...」
まさか、とレヴィは頭を抱える。まさか自分が身を粉にして里親を探し回ったその赤ん坊が、仰望師団に取り込まれてしまっていたとは──。
その日、幼きレヴィは奔走していた。誰でも、本当に誰でもいいからこの子を助けてくれと。
栄養失調と見られるその赤ん坊は、女の子ということしか分からないまま、屋敷の前に捨てられていた。「名前は“レイラ・ラファティー”です」とだけ書かれた箱に、彼女は入れられていた。
街を走り、沼地の近くまで行き、途中で引き返し、走って走って走った先に、希望は見えた。
レイラを抱く、幼いレヴィを眺める二つの双眸。黒目のそれを持つ夫婦は、優しく語りかけた。
「私達が育てるわ」
そしてレヴィはレイラを差し出した。ただ一つ。彼女の名前を呼び、自身を名乗って。
「レヴィ・ルーナです。王家からの命令により、このレイラ・ラファティーを貴方がたに育てるよう、言い渡します」
レイラは別れ際、レヴィをまじまじと眺め、レヴィから離れるとすぐ泣き出してしまった。
それから、レイラが自身を救ってくれた恩人の名前を知るまで、十二年の月日が流れた。丁度今年のことである。
その時彼女は既に、仰望師団の手の内に落ちていた。仰望師団で最強の邪精霊を付き従えると言われ、崇められた彼女は──その座を降りた。
理由など、一つしかない。レヴィに会うためには仰望師団を抜けなければならない。さもないと、衛兵達に反撃されかねないのだから。もしかすれば、レヴィ本人でさえ自分を切りに来るかもしれない。
彼の素性を知ろうと。恩人の本質を知ろうと思えば、まずは偵察だ。本日開かれると言う“unknown”征伐戦質疑応答会に、彼女は民衆に紛れて参加した。
「思った通り...素晴らしいお方だ......誰だ?」
彼女が反応を示したのは、レヴィが自身の元へ呼んだ女の姿が目に入ったからだ。黒髪のショートヘア。肉体の美は、何も言うことがない程出来上がっている。そして話し方。流麗でありながら、高潔に見えるその言葉一つ一つに、彼女は嫉妬した。激怒した。憤怒した。
「あいつを...殺す」
しかし、彼女はすぐに気付いてしまった。彼女と、レヴィの交わす視線の温かさを。
「恋...してるの...?」
レイラは決断した。否、最初から決まっていたことのようにも思える。
彼女からレヴィを奪い取る。必ず奪取すると。
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「貴方に救ってもらった命、貴方の為に、貴方だけの為に...」
「レイラ・ラファティー?あのラファティー家が...仰望師団?」
静かにしようと努めているアリス。が、その声はだんだん大きくなるばかりで、
「え?ラファティー家...って?」
レイラとレヴィが顔を見合わせる。お互いに、何も知らないといった様子で、彼らはアリスに向き直る。
アリスだけは違い、その秘密を知っているようだった。
「ラファティー家。貴族でありながら、沼地で過ごすにまで落ちぶれた一家です。それも...私の元両親の家系です」
沼地、そこの住人。それも元貴族の家系。極めつけにアリスの親。混乱する程大量に出て来た謎に、レヴィは首を傾げる。
「なんでそれで不思議そうにするんだ?」
「貴族でありながら、その地位は常に最低。なのに私を拾ってくれた、あの優しい家族の娘が...貴女なんて...そんなこと、あっていいはずが...」
なるほど。自身を拾い、育ててくれた親が、仰望師団に入るまでになったレイラの実親なんて、信じたくても信じられないだろう。
ずっと慕ってきた相手の、死後の裏切り。それが、怒りとなってアリスから滲み出る。
「私達を...沼地の人達を殺すように命じたのって...」
そう。その命令を下したのは、目の前にいる、レイラではないのか。自分を捨てた実親がそこにいるから。そういう理由で襲撃を企てたのではないのか。そんな疑念が、先程からアリスの頭に絡み付いて取れない。
もしそれが真実ならば、容赦はしない。首を刎ね、残った胴体を甚振っただけでは飽き足らず、その後も痛め続けることも躊躇わない。それほど、彼女の憎悪は深かった。
「違うよ。あの命令を下したのはシミルだ。今の仰望師団の最高責任者とでも言える立場にいる人だよ」
彼女の今までしてきたことの罪の重さは、アリスには計り知れない、元々知らないが、彼女が元仰望師団というだけで。レヴィの心を狙おうとしている時点で、許せない相手だというのには変わりない。
だが、ひとまず沼地の襲撃にレイラが関係していないと知って、胸を撫で下ろしたい気分だ。
「とにかく、ボクはもうラファティーとは関係ない。そうだね...これからはルーナを名乗ろうか。レヴィ様と結婚する身だし、それくらいの権利はあるでしょ?」
そう、アリスに尋ねる。が、彼女はまだ気分を害している最中だ。逆撫でた気持ちのささくれが、抜かれたような気分で、
「貴様...ふざけるな...」
そうしてアリスが激昂に激昂する。
彼らの口論が終焉を迎えるのは援軍元い捕獲対象を帝都まで運搬する傭兵が到着した時だった。




