20話 剥奪と白捺
「え.........?」
あまりに感情の入りが薄い言葉に、レヴィは声を漏らす。否、感情の入りはとても感じられる。ただ、レヴィにとって薄情過ぎる答えだったため、彼にとってはそう感じただけである。
“彼”は、申し訳なさそうにレヴィから目を逸らした。
「すまない。俺は行けない。後はお前だけで...」
「ちょ、ちょっと待ってよ!ぼ、僕一人で?無理だよ!また前みたいに...死ぬかもしれないのに...」
色々な感情が鬩ぎ合い、彼の中でそれは自己愛に決断された。アリスの命の心配ではなく、自身の命の心配の方を選択したのだ。
そんな選択に、“彼”は怒ることはなかった。意外にも、“彼”は再び謝罪を述べた。
「すまない」
「......なんで?」
“彼”に戦えない理由。外界に意識を持っていけない理由を聞く。
だが、彼は手をひらひらと振り、レヴィに背を向けた。
「ちょっと!」
「煩いなぁ!黙って出て行けよ!」
そう言われてもと項垂れるレヴィを他所に、彼は歩いて遠くへ行く。白い、真っ白の部屋を歩き、歩き、辿り着いた先。そこには白いベンチがあった。
「仰望師団のいる時は俺は外に出れない。それはアリシアの命がかかっていても、だ」
「なんで...?」
あくまで質問を続けるレヴィ。
嘆息混じりに「はぁ...」と言う“彼”に、レヴィは自身の失言を自覚する。口を噤み、拳に力を入れる。
“彼”の力なしで、仰望師団の抹殺は、撃退すら叶わないだろう。即ち、“彼”が言いたいことはただ一つ。
「なんでもいいだろ...とにかく、逃げろ。どんな手段を使ってでも」
どんな手段を使ってでも。
真っ先に思い浮かぶのは、傭兵達が到着するまで時間を稼ぎ、彼らが戦っているうちにアリスを逃がすこと。だがこれは不可能に近い。何しろ蟷螂はもうアリスの目の前だ。咄嗟にとった行動で何とか出来るかも、という無駄な希望は持たない方が吉。
ならば、次点で自身が囮になる方法。これならば、アリスが犠牲になることなく──
「そうか...」
あろうことか、予想上であれば可能な手段は、邪精霊仰望師団によって支えられている。
「僕が囮になれば...」
「何をぶつぶつと...」
そう、レンに。レン・フォーサイスによって支えられているその手段は、最高で最適な手段だ。
ただ、デメリットとして自分の勇気を試さなければいけないという点がある。だがこんなもの、
「アリスの為と思えば...いける」
「何か突破口が見つかったみたいだな」
そう言う“彼”の顔は笑顔だ。
今まで見たことない程。アリスと同等に美しく、感銘を受ける笑顔だ。
見慣れた、「自分」と自信を持って言える顔が、だんだん崩れていく。否、ぐにゃぐにゃと歪み、もの凄く整った、銀髪の男の顔が浮かぶ。
「──ヴェリュルス...」
「やっと思い出したか。クソ野郎」
そう言いながら、“彼”。元いヴェリュルスは微笑んだ。
思い出した。あの時叫んだのも彼の名前だった。もう、名前は忘れない。
「僕は...君に──」
「先に行けよ」
手を伸ばし、かつての盟友に触れようとするレヴィ。だが、ヴェリュルスは恥ずかしそうに手を振り、言った。
それが、レヴィの見た、最後の彼の姿だった。
ベンチから立ち上がったレヴィは倒れた。
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「アリス!」
目が覚めたのは、アリスが蟷螂に襲われる直前だった。何とか彼女は魔法で応戦していたらしく、止まっている竜車のあちこちにボロが見える。
アリスがレヴィの声に反応し、振り向く。
「レヴィ君!」
「アリス!退け!」
そう言ってアリスを押し退ける。アリスを突いた手が、蟷螂の伸ばした鎌に引っかかる。勿論蟷螂はその鎌を折り曲げ、彼の腕の骨を軋ませる。
「ぐぁあ...ッ!」
「し、死神よ!鎮まってくださいマシ!」
そう言うカルヴィンの態度は必死だ。手を大慌てで振り回し、目を見開き、必死の形相で“unknown”を説き伏せようとしている。最も、その行動自体が狂気に満ちていて、流石に普通の人間とは考えられない。
「ふっ......僕が盾になれば流石のお前でも...」
蟷螂の鎌の強さは緩むことない。従えているカルヴィンの言葉も、それには届かないようだ。
カルヴィンは「どうしましょうどうしましょう」とグルグルその場で回り、その美しい顔に自分で殴りかかる。
「さっさとこれを解けよ。さもないと自分からこの蟷螂の口に頭突っ込むぞ」
「それは!それだけは!やめてくださいぃっ!」
彼にも恐怖心というものはやはりあったらしい。彼女に、レンに叱られる恐怖。でも、とレヴィは考える。死の恐怖にも怯えない狂人が、彼女の叱り程度でここまで恐れるものなのか、と。
それはつまり、レンの“邪精霊の能力”というものが死よりも恐ろしいものだという証明だった。
「そこまで...怖いのか。あのレンって子は」
「恐ろしい?...恐怖という一言では表せませんネ。ただ一つ...言えることは...恐いより悍ましい...ですかね」
そう話す間にも、蟷螂の鎌の力は緩まない。寧ろ強くなっている気がする。
軋む腕を引っ張りながら、彼の話に耳を傾ける。
「あの人とだけは戦いたくないですね...」
「何してるの?」
体の動きも、声色も、表情も、全てが冷静沈着に戻ったカルヴィンは紳士そのものだ。その態度の変換ぶりに寒気が背中を駆け上がった時、更なる寒気がレヴィ、アリス、更にはカルヴィンまでも襲いかかる。
冷静、と言うよりかは冷たい。冷たいと言うよりかは悍ましい声だ。
レン。彼女が来た。
「れ、レン...!」
「何を、しているの?」
先程までと同じように、純白のドレスには砂埃一つ付いていない。だが、彼女の激昂ぶりが手に取るように分かるそのオーラは、見えてこそいなくても彼らを震え上がらせる。
「......死神にはやめてくださいと言ったんです!し、しかし!」
「死神、やめなさい」
死神にへりくだった喋り方をするカルヴィンとは大違いで、レンは死神を従えているような喋り方だ。
「なっ!?」
カルヴィンの訴えすら聞かなかった死神が、レンの声を聞いて震えだす。そして、締め付けていた鎌を少しずつ、緩め始めた。
レンの声は、蟷螂に絶えず投げかけられる。
「...離せと言っている」
「......」
完璧に腕から鎌を外し、何事もなかったかの様に佇む蟷螂。その目には、死神がすべき目の色は映っていない。恐怖に怯え、全身がぷるぷると震えている。
それはカルヴィンも同じだ。しかし、その震えの理由にはもう一つの意味があった。
「...何故、レン。君のような、師団では劣る邪精霊使いが...死神を操れる...?」
先程までの威勢の良さは何処へ。と聞きたくなる程豹変してしまった彼は、静かに彼女に質問を投げかける。
しかし彼女はそれに答えようとはしない。寧ろ意識して無視しているような滑り出しで話を切り出す。
「レヴィ様。お怪我はありませんか?」
「え、あぁ、大丈夫だ。これくらいはすぐに治る......ッ!?」
そう言って少々。否、多量に流れた血痕を隠しながら後ろを向くレヴィ。だが、レンはその血痕を見逃さなかった。
すぐさま。本当に一瞬のうちにレヴィの目の前に回り込み、手を傷口に当てる。
「加護を...」
「.........」
傷口の奥深くからとめどなく溢れる血が止まり、傷口同士が塞がろうと必死に皮を伸ばしている感覚を覚える。視界に映るのは、優しい微笑みで治癒魔法をかけるレンの姿だ。
「わた...しでもそんなの...出来る...!貴様のような愚劣な──」
「ちょっとだけ黙ってください」
出会した時とは正反対とも呼べるその態度。流石は仰望師団といったところだろうか。
実際彼女は感情を持っている為、仰望師団だからという理由は通じないのかもしれない。もしかしたら、彼女自身の感情でこうしているだけなのかもしれない。
「...終わりました」
「あ、あぁ、ありがとう」
「ボク、決めました。貴方のおかげで目を覚ましました。ボク、仰望師団を...邪精霊仰望師団を脱退します」
笑顔で簡単に言ってみせたレン。だがその内容は、仰望師団、否、元仰望師団に所属していた彼女にとっては酷な選択だったのだろう。
彼女の目には涙が浮かんでいる。
「何を...レン、君は本当に。本気で言っているのかナ?」
「本気じゃないならこんなこと言わないよ。仰望師団の人達にも色々お世話になったし、キミにも世話になった。でもボクには感情があるんだ。愛を、恋を、知っている。キミ達とは違う存在なんだよ。こっち側の、人間側の人間なんだよ」
アリスが何か言いたげに前のめりになるが、仰望師団を抜けると言った時点で、彼女に敵対する理由は消えた。沼地の襲撃に彼女が関わっていれば、その理由の消失は帳消しとなり、アリスが激昂するのにも頷けるだろう。だから、
「レン、君は沼地襲撃の際にあの人...カルヴィンと共に行動していたか?」
レヴィが問うと、彼女はいえいえと手を振り、言った。
「誰があんなクソ汚いとこ行くんですか。殺すのは構いませんけど、行くのは勘弁です。だから、そこの女がボクに敵対する理由はない。仲良くしましょうよ」
「生憎、その“女”って言い方が気に食わないです。あと、レヴィ君を狙っているなら容赦はしない」
同盟条約のようなものを結ぼうと手を伸ばすレン。が、アリスはその手を取らない。あくまで敵。恋敵として見ていることが見て取れる。
「頑なな女は嫌われますよ。レヴィ様もそう思ってらっしゃいますよ。だいたい、キミのような下級魔法使い如きがレヴィ様の従者だなんて...現王の威厳も地に落ちたもので──」
「もぉう茶番は結構っ!君はぁ!今っ!このっ!師団をっ!脱退するとっ!言明したっ!...死神、やってくださいマシ」
アリスにぐちぐちと文句を言い続けるレンの言葉を遮ったのは、文句を言われているアリス本人ではなかった。
地に片手をつき、体を拗らせて言うのはカルヴィン。そんなことをするのは彼しかいないが。
彼の言葉に後押しされ、震えていた蟷螂がゆっくりと動き出す。
「...レヴィ様、今回の“unknown”は捕獲なんですよね?」
「そうだけど...?」
レヴィが言い終わるより先に、彼の言葉を感じ取ったのか、彼女は行動を起こしていた。
すぐさま手を蟷螂の前に突き出し、手から放たれたのは。
「何ィ!?し、死神様!しっかりしてくださいマシ!」
声を裏返して言うカルヴィンの目の先には、見えない何かに押し潰され、絡まれ、身動きが取れなくなっている蟷螂の姿だった。自分の崇める存在の醜態に、狂人は叫喚する。
「うがぁぁががぁあがぁっ!きぃさぁまぁぁぁあ!」
「四散させてやろうか?それともこの前みたいなのがいい?」
彼女がそう言うや否や、彼の動きはぴたっと止まった。姿勢を立て直し、背筋を伸ばす。そして、彼女にお辞儀をし、言う。
「そ、それだけは......やめて...ください...」
よっぽど彼女のことが恐ろしいのか、失禁しながらお辞儀を続ける彼。トラウマ並の何かが彼の中に蠢いているのだろう。
その光景を竜車の中から見ていたレヴィでさえ、彼女の威圧感に押されて失禁間近だ。
「じゃあさっさと帰れ。ボクはレヴィ様に着いていく。これでお別れだ。最後に何か言いたいことはあるかい?」
「...僕が...必ず君を後悔させてやる」
小便を垂れ流しにしたカルヴィンが一瞬で消え去る。薄らと消えていったのではなく、一瞬で。どこかに瞬間移動したかのような身のこなしに、レヴィは感嘆する。
「さぁさ、レヴィ様。行きましょ」
そう言うレンを無視し、アリスはそろそろ到着するであろう傭兵達を待つ。
一方レヴィは、側で腕を組んでいるレンにはにかみながら、“彼”のことを考えていた。




