17話 悪夢
竜車に乗る。そんな単純な行動の合間に頭の中をぐるぐると回り出す、レンの言葉。
「王になった暁には──」
「雑用でも側近にでも...か」
まだ出発して間もないのに、数時間考え込んだ気がする。実際、彼と別れてからは小一時間程経過はしているが。
いつも閃きが彼の思考を助ける為、ここまで考え込むことはなかった、だが今はどうだ。考え込みすぎて、犯罪集団の一員を屋敷に手招こうとしている。アリスの言う通り、馬鹿馬鹿しい考えだ。
「まだあれのことを考えてるんですか?」
そう言ってアリスは紫龍から伸びている轡を引く。彼女の目はこちらを向いてはいない。それは、彼の考えに対して呆れているという意味の合図。暗黙の了解というやつである。
「いや、もう考えは纏まった」
「へぇ、どうなったんですか?」
まだ彼女はこちらを向かない。彼の最終的に出した答えが信用出来ないからだ。
決して彼自身を信用していないというわけではない。ただ、考えが信用出来ないだけであって。
レヴィは三角座りを解き、胡座をかく。手を後ろに置き、体を支える。そこに体を預けて言った。
「アリスの言う通りだ。彼に手を出してはいけない」
彼女は振り向く。轡を握っているのにそんな危ないことをしていいのかと心配にはなるが、心配はいらなかったようだ。紫龍はただ前だけを見て、真っ直ぐ前に進み続けている。
「そうですよ。仰望師団なんかに手を差し伸べては、逆に王の尊厳が失われてしまいます」
そう言う彼女の目は、自身の意見が尊重されたことへの嬉しさでいっぱいだ。
だが、レヴィの放った言葉には違う解釈。違う意図が含まれていた。
「まぁ、それもそうなんだけど、手を出しちゃいけないんだ」
「それと差し伸べるのは何が違うんですか?」
阿呆丸出しでそう聞くアリス。実際彼女は阿呆でも馬鹿でもない。少しばかり頭脳はレヴィに劣るが、総体的に見ればなかなかの天才である。
そんな彼女がレヴィの言葉を聞き誤った理由。それは自身への自惚れが原因だった。
「手を出すっていうのは、相手に剣や魔法。敵対心を持ってもいけないって意味だよ」
そう、彼は平和を望む。王として、一人の人間として。
特に相手は、主にユアルレプスの人々を中心とした人間。彼らが“邪精霊”に侵された姿なのだ。何も彼ら自身に罪はない。だから、彼らと戦うのは極力避けたい。
「根絶してもまた邪精霊が他の人間に乗り移ったら、元宿主が死ぬ理由は薄れる」
「つまり...宿主が死ぬ理由がちゃんとあれば、仰望師団の根絶は可能なんですね」
彼女は早とちりだ。何も、根絶しなくても。彼らの悪事はよく耳にするが、目を瞑っていられないほど劣悪なものでもないと思える。
何故、彼女はそこまで彼らに嫌悪感を抱くのか。何故、レヴィはそこまで仰望師団に好意的なのか。
「違うよ...はっきりしてないからこそ、殺さなくてもいいんじゃって...」
「理解しかねます」
そう頑なにレヴィの話を聞こうとしない。何か、理由があるのだろうか。彼らに何かをされたのだろうか。
主として、耳にしておく必要性があると判断した。
「何か...彼らに嫌悪感を抱く理由でもあるのか?」
彼女は轡をぎゅっと握り、俯いた。その反応で、彼女が彼らに傷付けられたことが簡単に見て取れる。
アリスはゆっくりと口を開いた。つむんでいたくて仕方ないその口を。
「沼地が出身だっていうのは前に話しましたよね?その沼地で、私は長い間生きてきました。沼地という劣悪な状況下で、私はとても幸せに過ごしました」
そう語る彼女の目は明るい。だが、言葉が途切れた瞬間、その明るさは瞳孔の闇に呑まれていった。
幸せが──途切れた。
「でも、ある日沼地を、仰望師団が襲撃したんです。それで......」
...言いたくない、言いたくなくても教えてくれ。
話の結末はおおよそ想像出来る範囲だ。だがレヴィは彼女の口から、真実を知りたかった。その真実の内容によっては、彼らを全員敵に回す覚悟もあったから。
「それで?」
「私以外の全員が命を落としました」
当たって欲しくなかった予想が的中し、レヴィもまた目を伏せる。
「なんて悪辣な」そんな言葉も出ない程、彼らの行動には意味のあるものとは思えなかった。
「彼らは、無為に人を殺して楽しむ狂気の集団です。貴方はそれに手を差し伸べたんです!少しは!...少しは......危機感を持ってください...」
涙こそ流さないが、溢れ出す感情をどうにも出来ずに叫びで表すアリス。
取り乱しました、すみません。といった表情で、再び前を向いて轡を握る。その顔は、とてもこれから“unknown”を捕獲しに行くような顔ではない。
「あ、あぁ。悪かった。けど、あの子はハンカチを返しに来ただけだ。それだけだから、あんまり責めてやらないで──」
「貴方にこの痛みが理解出来るんですか」
そう言って自身の胸に手を当てるアリス。いかにも悲痛な叫び。感受性豊かなレヴィは少しばかり狼狽える。何を、言っていいのか。何を、言ってはいけないのか。それさえ分かれば。
「ごめん。分かった。気を付ける」
そう言った矢先、レヴィ。否、ここに乗っている二人の意識は途切れた。
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歩く。歩く。歩き、歩き疲れ、また歩く。走る。走る。走り、走り疲れ、また走る。
ダメだ。追い付かれる。殺される。その意識ばかりが、棒になった足を動かし続ける。
死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。
追い付かれて、首を掴まれ、それを掻っ切られる。そして死ぬ。それが少女の意図しない運命だ。
「はっ......ぐっ、ぁっ!」
こけた。ダメだ。もうすぐ傍に。
「こ、こないで...」
左右を汚水で挟まれた橋を走る途中、少女はこけた。橋の上には、転がった惨死体。誰がこんなことを。そんな想像、少女に出来る余裕もなく、ただ立ち上がり、走り、こけて、また立ち上がる。それを繰り返すだけ。
「......こな......い?」
少女はこけてスカートに付着した泥を払う。払おうとして擦れば擦るほど泥は滲みを増していく。
薄暗い橋に落ちていく、太陽はもう見えない。見えるのは黒雲に隠されて薄らと光る三日月。それも明かりになるほど光を発しておらず、彼女の足元を照らすのもままならない状況だ。
「............」
いつの間にか黒い影は伸びず、ただ足音が、二人、いや、三人、否、もっと沢山の血を踏む音。ぴちゃぴちゃと響くそれは、唯一彼女が生きていると感じられる最後の葦だった。
この音がないと、もう死んだんだと理解せざるをえない。
三つ橋を渡った向こう。そこに、少女の両親となった人達はいた。否、人自体はいない。彼女が過ごした、世話をしてもらった家が、そこに立っていた。
そこを目指して歩き、こけ、立ち上がり、歩く。
「かぁ...さん。...とう...さん」
ぼこぼこと音を立てて弾ける泥水は、少女の頬に飛び、足に飛び、まるで彼女を沼に引きずり込もうとしているようだ。
だが、彼女は沼の誘いを断った。
「まだ......母さんに...」
思い出される、嫉妬と嫌悪の目のある日々。最も、彼女にとってはそれすら愛おしい。
だって、もうそう蔑む人々はもういないのだから。
『バケモノっ!出ていけ!』
老夫婦の声。名前は誰だっけ。
『気持ち悪いよ...なんで...?』
親友だった人の声。名前が思い出せない。
『貴女は、私達が守る』
唯一、名前を思い出せる、両親──役の人の名前。レイン・ラファティーとアレン。彼らが、そこにいるはず。
ボロボロのウッドハウスがそこにある。
あと橋を二個渡れば──。
「女、何をして...」
語尾が聞き取れない。否、聞こえてはいたが、彼女にはもうそれに反応する心の余裕も、体力も残ってはいない。
ただ、重い頭を持ち上げ、その言葉の持ち主を目で探る。
「だ......れ......?なん、で...村を...」
途切れ途切れに問う彼女の言葉を、頷きながら、趣がある。といった様子で耳に吸収する男。
スラッと伸びた背は、若干180センチは優に超えているだろうか。声も、男らしいが、どこか紳士的な声だ。だが、彼女はそれを好意的に思えない。どう考えても、この惨状を作り上げた張本人なのだから。
「僕の力が...効かない?おかしいな...皆効いて、その間に殺したはずなのに」
その言葉に少女は瞠目する。もう怒りも、殺意も湧いてはこない。唯一湧き上がってくる感情は、死への恐怖のみだ。
かたかたと肩を震わせる少女を哀れんだのか、もしくは面白がったのか、男は膝を付き、少女の顎を掴む。
「この聖気...貴女......もしかしてめ──」
「何してる。行くぞ、カルヴィン」
カルヴィンと呼ばれた男は言葉を繋げず、少女の顎からゆっくりと手を離し、またねと手を振り、橋を後にした。
「......っ!か、母さんっ!」
少女は再び走り出した。
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着いた時には既に事は終わっていて。
「母さん......」
橋を渡り、途中にある落とし穴にはまって沼に足を取られ、棒というよりかは糸の様になった足で向かった先。勿論仮両親の元へ。
橋を渡り終わった角のもう一つ奥の角へ。今までこんな速度で走ったことないというくらい、少女は走りに走った。
角を曲がり、手前から三個目の家。ボロボロだが、どこか安心感を与えるその家は──燃えていて。
「なんで......なんでっ!こんなこと!」
「この村の人間は生きていてはいけないからだ」
先程聞いた男の、カルヴィンと呼ばれた男の声。
もう体力も復活し、精神も安定した。故に湧き出す感情。溢れる、零れる、抔えない。怒りが。
「生きてちゃ...いけない...?何を馬鹿な──」
「貴女、貴女だけは殺せません。僕の権限では貴女は処せない。貴女だけは、イレギュラーだ」
お互いの話に齟齬が生じる。片方はふつふつと湧き立つ怒りを抑えながら。もう片方は冷静沈着に言葉を淡々と並べ。
だがそんなことは少女には関係ない。彼女にとっての彼は“敵”であり、“仇”でもある、憎むべき相手なのには間違いない。
「お前は...名前は...」
少女は問う。彼の名を。そして彼の所属する集団の名を。
彼は胸に手を当て、お辞儀をしながら淡々と言葉を並べる。
「僕は仰望師団...不本意ながら邪精霊を宿してしまった身。邪精霊仰望師団のカルヴィン・ギャレット。次期王を切る剣です」
「王を...?」
「はい。......それではこれで、」
「ま──」
彼女の、アリシアの言葉は最後まで発せられることはなく、意識を失った。




