15話 リリィ・アレイン
「僕は、好きだよ。だから、結婚しよう」
背中の後ろから、今にも泣き出しそうな声が聞こえる。彼の言った言葉もそう、自分が放った言葉もそう。とても脆く、儚いもの。「好き」とはそういうことだ。
「あの子...レヴィ様とはもう会えませんよ」
そう言う母、ニーナ・アレインの目は憂いに溢れている。彼女自身、甥の様に関わってきたレヴィと離れるのは心が痛むのだ。
彼女は手を引く。見えもしない、佇むレヴィが遠ざかる。
...あぁ、こんなにも好きなのにな。
「母様」
「何?リリィちゃん?」
覗き込むニーナは、リリィの背に手を当てた。彼女の心臓の鼓動だろうか、泣いているから肩が震えているだけだろうか、何かの振動が伝わる。
リリィは溢れに溢れる涙を袖で拭い、言う。
「な...なんで、レヴィ様と...もう会えないんですか?」
「......」
リリィは泣きじゃくりながらも、必死に涙を、叫びたくなる声を堪えようとしている。
遠く離れてしまったレヴィのいる方角からも、同じように泣きじゃくる声が聞こえる。
子供の涙程、可哀想に憂いの感情を乗せられるものはない。
故に、ニーナも釣られて涙し、彼女に言った。
「私が...無能なばかりに......イヴァン様に解雇、私...私のせいで、貴女達は...」
遂には膝をがっくりと着き、とめどなく溢れる涙をリリィと共有するニーナの姿が、レヴィにははっきりと見て取れた。それはイヴァンも同じで、
「お前達には辛いことをさせた...と思っている。でも仕方ないんだ。仕方のなかったことなんだ。あの人は...あの子も、私達のところにいてはいけない」
彼の言葉が棘のようにレヴィの心に刺さる。流れる鮮血は、零れる気持ちと同じように、体内から出ると冷たくなってしまう。だからといって、棘を抜くわけにもいかない。返しのついた棘を抜けば、誰もがその結末を知っている。
彼はリリィを諦め、これ以上自分が傷付かない選択をした。それなのに、
「父さん...僕はっ!僕はっ!」
堪えていたはずの涙は、いとも容易く流れ落ち、頭から下ろしたシロツメグサの冠に。
イヴァンも、簡単に彼女を使用人から解雇したのではない。断腸の思いで、彼女らのことを思って、
「いいか、よく聞けレヴィ。彼女らは※※の※※なんだ」
たった一言。それだけで、レヴィの涙は止まる。はずもなく、そして意味を理解することもなく、父であるイヴァンに反抗的な態度を取った。
「だからって!なんで※※の※※だからって僕達が別れなきゃいけないの!?僕達は、あの子は、リリィは何も悪くないっ!」
「レヴィ...」
物凄い剣幕でまくし立てるレヴィに、流石の王、イヴァンも腰を引く。彼の言葉には、それ程説得力があり、子供だからこその力強さがある。だから、彼は折れかけた。
なのに彼はそれを認めようとせず、
「僕らが...なんで関係あるの?何も、何も...まだ二年しか──」
言葉を途中で遮ったのは。否、彼の口を止めたのは、彼の頬をぶったイヴァンの手だった。初めて、自分の子をぶった。
鋭い眼光を宿し、脅すようにレヴィを睨めつける彼は、即座に自分がしてはいけないことをしたのだと理解する。
「す、済まない。でも、言うことは聞いてくれ。彼女らはここにいちゃダメなんだ。でないと、彼女らが死んでしまう」
「リリィ達が...死ぬ...?」
予想だにしなかった切り返し。
元々イヴァンも言うつもりはなかったが、彼を説得するにはもってこいの事実だ。
彼の言葉と剣幕と、鬼気に迫られ、流石のレヴィも反抗を止める。
「そうだ。私の屋敷には、※※に執拗な程敵意を剥き出しにしている使用人達が大勢いる。このままニーナがあそこで働けば、彼女は、リリィちゃんも同じくして死んでしまう。いや、殺されてしまう。だから、分かるだろ?レヴィ。あの子達を守る為だ。その為に...今回のことはもう忘れよう」
早口でまくし立てる彼の言葉を、レヴィの耳は全て記憶していた。「※※の※※」「死んでしまう」「彼女らを守る為」その言葉らがレヴィの心を蝕む。
棘の刺さった心に、毒を塗られたような気分の中、レヴィは涙を止めた。
「......分かった」
彼らが草原を、花畑を去る時、未だ彼女らは美しい花畑の中に座り込んでいて。その風景が、未だにレヴィの脳裏から離れない。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「母様、どこに引っ越すの?」
そう言って荷造りを手伝う少女。
その笑顔には気持ちの切り替えが見られ、レヴィとのことをさっぱり忘れ去った様子だった。
「取り敢えず...どこかで宿でも借りましょうか」
そう言う彼女は、荷造りではなく、ゴミを。要らなくなったものを処分する為の分別をしている。
あれも要らない、これも要らない。ヤケになってあちらこちらのものを放り捨てる姿は、娘のリリィとは違った吹っ切れが見られた。
だが、ここはまだ屋敷。二人とも、吹っ切れてはいるものの、どうしてもレヴィ達のことが気になってままならない。
その内彼女らは、ニーナだけは、彼らのことを視界から消し去った。そうでもしないと、また涙が溢れてしまうから。悲しみの波に呑まれてしまうから。
「死ぬ...母様、本当にここにいるだけでリリィ達は死んでしまうの?」
「どうなんでしょう...」
十数年、※※の※※と呼ばれてはきたものの、未だにその実感は湧かないし、それだけの力が自分達にあるとは思えなかった。
あるのは弱さのみ。誇れもしない弱さだけ。それだけが、彼女らの持つ特異でもない力だった。
「でも、イヴァン様は...私達の為を思って...」
そう、考え方を変えようとするが、どうしても彼の最後の、冷たい言葉が胸に刺さって抜けない。「貴女の為を思って解雇しました」
本当に自分達の為を思ってこの屋敷から追放──解雇したのだろうか。疑念ばかりが頭の中をぐるぐると回り出す。
「母様?」
「...え?あ、いえ、なんでもありません」
ゴミを移動、分別する手が止まり、それを娘に注意される。
その愛娘の目は、動揺に揺れていた。
「ニーナ...」
我が従者の一人を失い、意気消沈した面構えでその元従者の前に現れた元主人イヴァン。彼はその声にも、目にも憂いを乗せ、彼女への思いを表現しようと努める。
が、その思いは彼女には通じず、彼女は無視を決め込む。
「......すまなかった」
そう言って、王でもあろうイヴァンは腰を折り、頭を下げる。いくらなんでもその状況には彼女でさえ、目を見張るものがあり、元主人にそんなことをさせているのは自分の所為だと自覚した。
慌てふためき、彼女は彼に言葉を投げかける。
「す、すみません。いくらなんでも少し態度が悪かったです!顔を上げてください!」
そう言う彼女の心は本物だ。
すると、許されたと思ったのか。彼は即座に顔を上げ、笑顔に返り咲いた。
「い、いくらなんでも...その態度はないんじゃないですか...?」
「あ、あぁ、すまない。ここを去って、安心して過ごせるようになるんだなと思うとついつい...」
彼女を心配するような言葉。だがそれは本物なのか。そう疑わせる程、彼の笑顔は軽かった。
重ければ良いというわけでもないが、少しは。はにかむというのも手ではないのか。
「......貴方は最後の最後まで分かりませんでした。貴方は...何者なんですか」
「...王だとも。それは依然変わらない。が、君の知りたがっている本当の私。それはいずれ世界中に知れ渡るだろう。それも、我が愛息子、レヴィによって」
真意は問わない。子供のリリィにも分からない。
今聞いたところで彼が真面目に答えないのは承知の事実だからだ。無為に怒ったり、泣いたり、感情的になっては負けだ。そう、ニーナに判断させた。
「...わけが分かりませんが、確かにあのレヴィ様ならやってくださるでしょう」
「私の息子ですから」
手を伸ばすイヴァン。しわに、古傷に、ペンだこが浮かぶその歴戦とも呼べるゴツゴツとした手は、同じように伸ばされたニーナの白く細々とした手を握った。
そして、落ち着いた声で、
「どうか、ご無事で」
それを最後に、イヴァンは体を翻した。向かう先は屋敷の扉。そこに立つレヴィは、もう涙を流してはいない。
最後の別れとも思えた花畑での別れが、最後ではなかったのだと。今が最後なのだと知った。だから、彼女にもう一度、もう一度だけ別れを──。
「レヴィ。入るぞ」
その思いは潰えた。
「.........リリィ。行きますよ」
それだけ言うと、娘の脇に手を挟み、持ち上げて竜車に乗せる。リリィの黄金色の瞳は、レヴィが本当に見えなくなるまで彼を捉えていた。
「レヴィ...様...」
彼女の声は誰にも届かず、紫龍はニーナの命令を鵜呑みに走り出した。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
母が借りると言った宿というものは、思ったよりも過ごし易く、彼女もまたその場所での生活を好んでいた。
薄暗く差し込む陽の光は、遮熱材をずらせばもっと明るくなる。それでも、勉強する時にやっと文字が見えるくらいの明るさ。その環境での生活を、リリィは十二年してきた。
部屋が暗いのも、友達がいないのも、もう慣れた。
「ただなぁ...」
一つ、いや、二つ慣れないことがあった。
一つ。家事を自分でしなくてはならないということ。いつも母に任せっきりだった家事は、やってみると意外に難しく、慣れるのには。否、極めるには、多量の時間が必要だった。
家事のなかで最も難しいのは料理。
自分も母の血を継いだからだろうか。ご飯屋さんで食べる料理より、母や自分の作った料理の方が美味しい。そう思ったことはなかった。
二つ。母はもういない。帰らぬ人となってしまった。それは自分の所為で──。
「ごめんなさい、母様」
そう言って、自分のしてきたことへの償いを毎日呟くのが日課となっている。
三年前──
その女は、自分の娘をどうにか生きていかせようと必死だった。仕事は安定せず、屋敷の使用人を解雇された時からずっと転職の日々。満足に娘に食べ物も与えられない。
そこで、彼女の思考は少し狂った。
“屋敷のお金を盗めば、少しは。いや、ほぼ永久的に裕福な生活が出来る”
そうして、彼女はその悪事を働いた。
勿論、屋敷の前に立つ人間は面識のない人間で。衛兵は当たり前に彼女に剣を構えた。
「誰だ!ッ!げぁっ!」
隠し持っていた鉄製の鎌で、片腕を切り落とした。彼女の剣術を侮ってはいけない。メイド長として、使用人の長として、日々鍛錬してきた剣術が、まさかこんな場面で。しかも当たり前のことをしようとしている人間に対して使うことになるなんて。
「ごめんなさい。貴方に構っている暇はないわ」
そう言って、片腕を失くした衛兵を置いてけぼりに、彼女は駆け出した。
早くしないと、助けが、応戦部隊が到着してしまう。
彼ら衛兵は、誰かが傷付けばお互いに勝手に連絡が繋がるという魔機を備え付けていた。故に、彼女が討ち倒した衛兵から別の衛兵に連絡が、そこからまた連絡が蜘蛛の巣状に広がり、衛兵全員に侵入者がいるという事実が広まるのだ。
時間は、ない。
「確か...はぁ...はぁ...レヴィ様の部屋の、隠し扉の向こうに...!」
息を切らして全力疾走の彼女は、数分で彼の扉の前に立っていた。強化魔法を足に使った故、その体力と魔力の消費は激しく、暫くは呼吸を整えないと、倒れてしまう。
だが、そうしている時間はない。休憩などしている内に──。
彼女は、中で寝ているであろうレヴィを起こさないように、ゆっくりと、音を立てないように扉を開いた。
「────。」
扉の中にいたのは、元主人のイヴァン。
そこには、レヴィが寝ているはずのベッドも、いつも髪をセットしていた鏡も、可愛らしい服をいっぱい詰めていた箪笥もなかった。
「貴女が予想通りの動きをしてくれるとは...私の勘も朽ちてはいなかったか」
低い声。鋭い眼光がニーナの冷や汗を誘った。
「終わり」そう、感じた。
彼が口を閉じるまでに、いつの間にか衛兵はニーナを取り囲み、
「予想通り...ですか。貴方は何故私がここに来ると?」
衛兵の視線など目にも耳にもくれず、動揺の様子も見せずに問う。
そんな勇気を見せつけられたイヴァンは、瞠目して、そのすぐ後に目を細めた。
彼の溢れ出す鬼気に怖気付いたニーナ。その一瞬の隙が仇となり、彼女は衛兵達に取り押さえられた。
手を後ろで組まれ、床に捩じ伏せられると、彼は先程の質問に答える。
「こうなると......貴女が生活に苦しみ、娘の為に金を取りに来る。そう確信しただけだ」
「そりゃあ...なんとも。全てお見通しだったわけですね。それで...これから私は公衆の面前での斬首刑ですか?絞首刑ですか?窒息刑ですか?」
やたらと自分の死に方に拘りを見せるニーナ。彼女の目には、自分の死への恐怖は見えない。だが、恐怖は見える。──自分無しであの子は生きていけるだろうか。ただ、その恐怖だけで。
「どれがいい?選ばせてやろう」
「どれでも構いませんが、その前に一つだけ。あの子に...リリィに、何か恵みを与えてやってください。そうすれば...私は悔いなく死ねます」
娘の心配だけをし、自分の心配などどこぞへ消えたのか。自身でも惚れ惚れする程の娘への愛。流石にそれにはイヴァンも感服した様子で。
「素晴らしい程の我が子愛だな。分からないな。子供の為にそこまでする心理が。私には分からない、理解出来ない。だから、その申し出は受けない。君は娘を放っておいたまま死に、娘も同じような運命を辿る。それが君達※※の※※の末路だ」
「────は?ちょっと待っ──」
彼女の声は届かず、ただ転がるだけの首があった。鮮血がドバドバと溢れ出し、青い絨毯を真っ赤に染める。
この凶行は、レヴィに知らされることなく。故に彼のイヴァンに対しての憎悪など、皆無に近い。これを知った時、イヴァンはどうなるのか。そんなこと、この時の彼は考えもしなかった。
「死体は処分しておけ。絨毯も使用人に悟られないように新しいものに変えておけ。それと、ニーナ・アレインの罪状は“反逆罪”だ」
イヴァン・ルーナ。彼はゆっくりと目を瞑った。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
翌朝、リリィは母のいないベッドで、布団に包まって泣いていた。
母のいない朝は、それはそれは辛く、鮮明な朝日がその気持ちを落ち着かせた。
「母様、ごめんなさい」
日課は始まった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「屋敷で仕事...ですか?」
「うん、僕が屋敷での仕事辞めたから、空きが出来てるんだ。“あの”レヴィ様に会えるぞ」
交わされる、少女と男の声。
少女は、すらっと伸びた足と、整いすぎた顔を持ち、モデルの様な体型をしている。体型だけかと言えばそれは違った。声も美しく、その声で放たれる、母に教えてもらった敬語の使い方も上手だ。
対して相手の男。昨日一昨日まで王家の屋敷の使用人だっただけあり、若いのに純粋そうな匂いが、辺り中に充満している。背はそこまで高くはないが、流石に年端もいかない少女に抜かされるほど低くはない。ヒールを履けば抜かされてしまう程の差ではあったが。
「れ、レヴィ様に!?本当に会えるんですか!?」
「れっヴィっ、様っはっ!」
興奮した声色で男の肩をぐいぐい揺さぶる彼女は白髪を靡かせる。
黒髪の男は、肩を揺さぶられながら必死に彼女に説明しようとする。だがその思いは儚く散る。
「あがっ!」
あまりに彼女が男を揺さぶり過ぎたのだろう。その状態で更に喋るから、舌を噛んだのだ。幸い血こそ出てはいないが、彼は口を抑え、「────ッ!」とヘッドバッキングしている。
「ご、ごめんなさい!」
「ひひしはいへいいへふよ」
「はい?」
その言葉を何回も何回も聞き直し、やっと彼女は理解する。「気にしないでいいですよ」と言っていたのだと。
彼女は滑舌が良いし、更に肩を揺さぶられることなどなかったから、舌を噛んだことなどない。故に、彼の舌の痛さなど、想像も出来ないのだ。出来るのは彼に同情し、反省することだけだった。
「き、気にしないでよ、リリィちゃん!それと、たぶんレヴィ様の話を出したら食いつくと思ったから、もう王様には話つけといたよ!」
「な、あ、ありがとうございます!」
「なぁに、感謝には及ばないよ」という彼の顔は気さくで、軽い。
母を失ってからは、自分もここまで親切な人間になりたい。と慕ってきた彼。だが、彼のようにおおらかな人間になることは叶わない。そう知ったのは、屋敷に入って自室を自分なりに整えていた最中。
「レヴィ君!今日からメイドになる人に浮気しちゃあいけませんよ!?」
「浮気って...まだ...っていうか付き合ってないし。アリス!こけるなよ!」
黒髪をたなびかせ、レヴィの前をぴょこぴょこと跳ねる少女。
「誰だ」そう、それだけを口にしただけなのに。彼女の嫉妬心は爆発した。彼のようになるなんて無理だ。自分は彼のようにおおらかにはなれない。
彼女は舌打ちをし、アリスと呼ばれた少女。アリシア・スパークスを睨めつけた。
だが、彼女は気付いてしまった。
「え?」
彼女と話しているレヴィの表情が、幼い時に自分と話していた表情よりも明るく、少し赤みを帯びていることに。
この瞬間、彼女は敗北を知った。自分が彼に相応しくないものだと知った。
「あの子には敵いっこないのかな」
そう呟き、レヴィを笑顔で見つめた。
今回長くてすみません...




