116話 死王
「あ……」
瞬き、瞬き。その刹那、垣間見えるのは死へと続く、暗く短い道だけ。
彼女らの目を見れば、命などすぐに果ててしまう。そんなことを思えるほどに、レヴィの心は恐怖に震えていた。
だが、見ずにはいられない。この先、下界で安寧を願うなら、この試練など優に超えなければならない。更に言えば、アリスとニヒェスの関連性を掴む糸口にもなり得る。
頬を掴まれ、相手と目が合うように押し向けられたわけでもないのに、彼の目は自ずと少女らの瞳を凝視してしまう。
「見なくてもいいんだよ」
「……それでも見るよ、僕は」
瞳を見つめ、その奥に宿る不気味かつ無垢な感情と対峙する。すると、体から毒気が抜けたように気持ちが楽になる。
何故か。答えは簡単だ。彼女らに、心が蝕まれているから。
「真の死神の世界にようこそ、だね」
眩い光が脳内を右往左往する中で、少女が呟いた。
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いつの間にか、レヴィは花畑で佇んでいた。
目の前には、首の飛んだニヒェスの、四肢の捥げた胴体。
「……」
特に、思うことはなかった。
特別な感情は何も。だが、その皆無に近い感情の中に見え隠れしている感情が唯一あるとするなら、「軽蔑」。
初めて殺意を自覚した時から思ってはいたが、やはり自分の感情の赴くままに動いた結果というものはなかなかに凄惨なものだ。
涙が出るわけでもなく、膝から崩れ落ちるわけでもなく。
ただ、冷ややかな顔で死体を見下ろすと、レヴィは翻る。
背後からおぞましいものが迫っている気配がしたが、それをどうにか振り払い、歩き出す。
これが間違っているとも、正しいとも思えない。ただ、背後にあるはずの死体への蔑みは何故か拭えない。
――歩き出した。過去の過ちを全てひっくるめたような罪悪感の中、レヴィは一歩を踏み出す。じりっと、草花を踏みつける音が、足裏を通して脳に響く。その度に、頭の中での暴動は激しさを増した。
「くっ……」
何とも表せない感情が体の中で這い蹲る。
這い回り、のたうち、どうしようもなくなって吐く。
「くがあっ!」
食欲、性欲、睡眠欲、殺欲、生欲、独占欲、逃避欲、闘争欲、達成欲、顕示欲、優越欲、反発欲、支配欲、対立欲、親和欲、殺欲、殺欲、殺欲、殺欲、殺欲、殺欲、殺欲、殺欲、殺欲。
欲の塊が支配する視界の中で、レヴィは見た。
小さな少女らの姿を。それも、彼女らそれぞれがそれぞれ違った殺意を、欲を持っている。その人数、六人。
「君……たちは……?」
「ボクらは死神。君らの知らない、真のね……って、なんで顔を見ないの?」
そりゃあ気付くに決まっている。
彼女らの瞳は、外の世界でのニヒェスと同じだし、仮に彼女らが本当に「死神」なのなら、目を直視するような馬鹿な真似はしない。
この場合の対策法としては、彼女らの気配に気を配りながら後退りし、彼女らから逃げること。だが、これも下策中の下策。死神なら、そんな怯えて目も見れない獲物を逃すことなど、そうそうないだろう。
ならば得策は、彼女らとの対話。気を少しでも紛らわせられれば、そのうち何か策が思い浮かぶだろう。
「君らは僕を殺すだろ? まじまじと見つめる馬鹿がどこにいるの」
「殺さないよ! ボクらはそんなに野蛮じゃないよ!?」
信用など、誰ができるものか。自らを死神と名乗るのならば、信用されないことを見越しての言動のはずだ。
――が、彼女らは顔以外を見たところ、どう見ても少女だ。その年齢、若干十歳前後。ミカと同じくらいの身長だし、それに加えて声色が若々しい。
そんな年端もいかない少女に「言動の理由がどうこう」と説いても無意味だ。
レヴィは自分の言葉に慎みがなかったと反省し、頭をポリポリとかく。
「子どもだもんね」
「むぅ? 子ども扱いした―!」
「子どもじゃないの? あぁ……ミカと同じパターンか」
人は見かけによらないとはよく言ったもので、ミカの言葉がなければ、彼女もまた、十歳前後にしか見えない。
顔を見ることは出来ないが、その小振りな体つきを見るところ、その判断は間違ってはいないはずだ。
「ミカ? ミカエルのこと?」
「え……ミカを知ってるの?」
ここに関連性があるとは、空想にも思わなかった。
その関係が、劣悪なものでないようにと願うばかりだ。
関係が良くないものであれば、この場で首ちょんぱもあり得なくはない。
失言なのか、失言でなかったのか、それはすぐに明らかになった。
「知ってるも何も、ボクらがあの子を殺したんだよ」
「っ……!?」
迂闊だった。やはり、生死不明の神の名など、持ち出すべきではなかったのだ。
ミカの柔らかい表情の奥に垣間見えた、細かな震え。それはこの死神たちへの恐怖心だったのかもしれない。
そんなことに、今更気付いても仕方のないことだ。
だってもう、死神のうちの一人。声を発していた彼女の足は、すぐ目の前にある。
「……? もしかして、ボクらが進んでミカエルを殺したとか思ってる? 心外だなぁ」
「違うの?」
「ちぃがぁうぅよー!! 何でボクらが好んでミカエルやガブリエルを殺さなきゃいけないのさ?」
途中、他の神の名も入っていた気がするが、一人も二人も同じことだ。
結局、殺したことに変わりはない。如何なる理由があれ、やはり罪は罪。レヴィだって、その贖罪のために今こうやって、奮闘しているのだから。
「……」
「聞いてるの?」
「聞いてるよ。でも、聞く気にはなれないね」
明らかな不機嫌を前面に押し出すレヴィに、見えないが確かに頬を膨らませた様子の死神。
聞く気になれない、ではなく、聞く耳を持ちたくないというべきか。
頬を膨らませる死神に、小さな怒りが湧きつつあった。
「むぅーー! っていうか、ボクらの顔を見てよ。そうじゃないと喋り辛いんだよ」
「……顔を見たら、君らの知ってること全部聞いてもいい?」
全部というのは少し言い過ぎたか、死神が笑みを作る気配がした。
そりゃあそうだ。死神ともなれば、記憶を全て、一分の出来事を一分かけて見せることも可能なのかもしれない。
それは非常に困る事案だ。要らない情報に無駄な時間を使っている暇などないし、まずそこまでして知りたいことでもない。
「――色々考えてるみたいだね。でも、君の危惧してるようなことは起きないよ。ボクらにそこまでの力はないからね」
「なら、口頭で伝えるの?」
「勿論。質問形式でも、クイズ形式でもいいよ?」
多少ふざけている場面はあったが、それこそが一番良い情報の迎え入れ方だ。
口頭で、質問に一回一回答えてくれる方が、レヴィからすれば良い。だが、もう一つ疑問があった。まず彼女らに、レヴィにそこまで教える義理がない。いざとなれば黙秘できるのが、この状況の玉に瑕だった。
何を聞いても答えてくれるーー答えざるを得ない状況をつかみ取らなければ。
そのためには、勝てるはずのない彼女にどうにかして不意打ちか何かを。
「……じゃあ、ボクは約束しよう」
「っ…………」
恐ろしいアイデアを思い付きつつあったレヴィの耳を、死神の声が穿つ。
びくっ、と肩を震わせたレヴィの顔を、見えないように覗き込むと、死神は笑みを含んだ声で続けて言った。
「ボクのこの可愛らしい、美しい顔を五秒間見ることができたら、ボクは君の質問に全て答えるよ。あ、やっぱり目! 目を見て!」
「、目?」
目を見ろ。その単純で、下界では当たり前のようにしていたことが、今では恐ろしい。
死神の目を見ろ。そうすれば、レヴィの疑念、不思議の全てが解決される。
「……見なくてもいいんだよ」
「それでも……分からないことがみんな解決して、この『殺意』が消えるのなら……見るよ」
怖い。怖い。けれども、大好きなアリス――皆を守るために、こんな恐怖は払拭しなければ。さもなければ、我を失ったニヒェスに皆を殺されてしまう。
真実。それは残酷な運命を晒すのか、それとも煌びやかな未来を照らし出すのか。その結末は神のみぞ、否。死神のみぞ知る。
真実に裏切られる心の準備は出来た。なら、あとは死神の目を見るだけなのだ。
「……」
少女を、死神を見た。
地面に垂れるほど長い、金色の髪。
思った通りに小柄な見た目と、幼い顔。
少女は言った。
「真の死神の世界にようこそ、だね。……ボクはアン。よろしくね、死神の王様」
――動揺する僕の瞳をじっと見つめながら、アンはにひっとわらった。僕はその笑顔が怖くて仕方がなかった。




