115話 「僕が殺した人」
お久しぶりですが短いですごめんなさい
そよそよと心地よい風が吹く中、レヴィは一人、目の前に対峙する凶暴なまでの美に立ち竦んでいた。
それは天使。或いは悪魔。
それは天国。或いは地獄。
それは純粋。或いは穢れ。
それは人間。或いは化物。
動かなかった女が動くと、レヴィの心臓は鎖で繋がれたように拍動を止める。
そうは言っても、ここは現実世界ではない。恐らく、死んでいるというわけでもないのだろう。
ふと、女――ニヒェスが足を動かすと、レヴィの拍動は先程とは打って変わり、急激に速くなる。
鷲掴みにされた心臓が、撫でられ、舐め尽くされるような悪寒を覚えると、肉体はそれを反映し、脂汗を滲ませる。
「あ――がっ、」
「怖がらなくて、いい」
そっと手を伸ばすニヒェスには、恐怖以外の何物も感じない。伸ばした細く白い手が、レヴィの頬に触れると。
「……ぁ」
「ん」
触れた手に、擦り寄るレヴィ。
その手は、思った以上に温かく、冷たいそれを想像していたレヴィからすれば、いい意味で裏切られたような気分でもある。
それに加え、謎の包容感。ニヒェスの顔には、母親が息子娘に向けるような温かな笑みが滲んでいて、レヴィはそれに瞠目することしか出来ない。
「かあ、さん……母さん……」
「かあ、さんじゃ、ない」
そんなこと、言われずとも。
だが、彼女の温もりはどうしても自分の母、アルストロメリアのものに感じられてしまった。
ふと顔を上げれば、ニヒェスの無垢な表情。
その瞳に澱みはなく、レヴィの心情を投影するように煌めいている。
「……」
会話らしい会話はしていなかったが、こうして黙りこくってしまうと分が悪い。それほど彼女について知っていることも少ないレヴィには、今はただ黙って彼女を見つめることしか出来ない。
――よくよく見ると、記憶の隅にあった「アイラ」の顔と、多少似通ったところがあることに気付いた。
小高い鼻。灰がかった銀髪と、コロコロと変わる表情。――見れば見るほど、アリスが言っていた「私がニヒェス」という一説に信ぴょう性が出てきてしまう。
「君はアリス……アイラなの?」
「アイラ? しら、ない」
記憶を失っているのか、それとも本当に知らないのか。
判断材料がない今、彼女にとやかく聞き出すのは野暮だろう。
不意に、伸びていた手がレヴィから離れると、ニヒェスは後ろに振り返った。
彼女が振り向いた先には、沢山の花々が咲き乱れている。
「きれ、い。思う?」
「え? ……あ、うん」
問うニヒェスに、静かに首肯する。
すると、ニヒェスは徐に花々の咲く草原へと走り出した。途中、足が縺れて転びそうになっても、彼女は驚異的な身体能力でそれを回避した。
走り、座り込む。
彼女が座ったそこには、他の場所とは違い、少しの白い花が咲いていた。シロツメグサだ。
「……シロツメグサ」
「かわ、いい」
微笑むニヒェスは、それを優しく摘み取ると、茎同士を編み出す。簡単な編み方では解れてしまうのか、入念に。特に最後の一輪は特別綺麗に。
「――冠?」
「うん」
こちらへ走り寄り、そっとレヴィの頭に花冠を乗せる。その仕草が何故か愛らしく、胸がぎゅっと締め付けられた。
こんなことを、ほぼ見ず知らずの彼女に言っていいものなのかは分からない。だけど、ちゃんと感情は表に出すべきだ。そして、人間として、王として誠実であるために。
「……ありがとう」
「にひひ」
初めて、ニヒェスの感情が顕になった気がした。今までひた隠しにしていた裏の感情。そんなものは最初から全くなく、ただ純粋な気持ちがあるだけ。それだけなのだ。
――可愛らしく笑顔を作るニヒェスの手を掴み、レヴィは引く。
最初は何事かとびくびくしていたニヒェスも、まんざらではないようで、レヴィに引かれるまま、歩きだした。
「花畑、君は好きなの?」
「うん、お花は綺麗。花言葉とかもあって、凄く心が綺麗になる」
純粋を具現化したような彼女の心が、そもそも汚れることなどあるものなのか。
そんな小さな疑問は頭の隅へ。ただ、行く宛もなく花畑を手を引いて歩く。
「僕もお花は好きだよ。ちょっと臭いけどね」
「いい匂いするのに……」
「あれがいい匂い? んー、僕の鼻がおかしいのかな」
鼻をごしごしと擦り、嗅覚にそう訴えかけるが、生憎鼻は喋れない。喋れたとしても、鼻がおかしいと思ったことは今までそうそうあることではない。
ニヒェスはいつの間にか流暢に話せるようになった言葉で、レヴィに問う。
「ヴェル? レヴィ? どっちで呼んだらいいの?」
「……レヴィ、かな。ヴェリュルスも出る時は出るし。今はレヴィだしね」
「そっかー。じゃあ、改めてよろしくね。レヴィ!」
ニヒェスが可愛らしく微笑むと、それに反応するようにレヴィの胸が締め付けられる。何の呪いか。それとも恋か。恐らく前者に近いものなのだろう。
アイラが、前世でヴェリュルスとレヴィにかけた呪いのような何か。それがどうにかこうにか作用しあって、今こうして。
目の前のニヒェスに殺意が向いているのだろう。




