110話 タナトス
短いです。ご了承を……
腕が千切れ、空へと飛んでいく。
それを晴れ晴れとした表情で見つめるレヴィの傍ら、アリスは無表情でアブセルトを見つめていた。
「ぐ、あっあ……」
千切れた腕の根元。肩付近からは、まるで糸のような白い線が沢山伸びていて、それに付着した血液が、あまりにも綺麗に見えた。
――そして、地に落ちたのはもうひとつ。
「姉さん!」
「え――」
バランスを崩す。
足が魔法によって吹き飛んだのか、右太腿の断面は、炎でしっかりと焼かれていた。
迫り来る激痛と、それに伴う脳へのダメージ。半端のないそれは、容赦なくアブセルトを襲い、彼女の思考力を奪った。
もう、妹が自分の名前を叫ぶのも、微かにしか聞こえない。
アブセルトは全てを悟った。――止められない、と。
「アブセルトさんっ! はああああっ!」
「リリィ、無駄だよ」
「そ、そんなこと……!!」
アブセルトの危機に、リリィは高密度での風魔法をぶち込むが、レイラの言う通り魔法は無力化されている。
と言うよりも、レヴィは全く動いていないのだ。操る剣の動きだけで、魔法を相殺していた。
「――嘘……?」
「……」
アリスは未だ全く動いていないが、彼女の背中から吹き出る炎は、ずっと揺らめいている。
「こんなの……どうしたら……」
次第に大きくなる炎は、周りの空気を焼き、リリィたちはじっとりと背中を汗で濡らす。
――勝てるのか、勝てないのか。ではなく、止められるか、止められないのか。なのだが、それすらも難しそうだ。
何せ、敵対しているはずの二人が、互いに互いを守っているから。
「こりゃあ難しそうだねぇ〜」
「ふざけてる場合じゃ……ねえ。……置いていっちまえよ!」
全滅するよりは。
その方が得策のはずなのだ。
止められないと分かったなら、撤退が当たり前。その隊に負傷者がいたなら、彼らは置いていくべき――それが通例で、当たり前で普通だ。
なのに、目の前に立ち、アブセルトを身を呈して守ろうとしている奴らは。
「却下です。あなた一人を置いていけません」
「……」
痛みに顔を歪めながら、アブセルトは口に滲んだ血を噛み締める。
多少鉄の味がした。
多少、苦かった。
死神が二人いる。
どうすればこの状況を打破できるのか。
全く分からないが。
「馬鹿野郎」
「!? ねえさ――」
治癒魔法を即座に足と手にかける。
物凄いスピードで治っていくそれらで、佇むレイラの剣を奪い取ると。
「ふざけるのもいい加減にしろ」
――一振り。これだけで、事足りるはずだ。
どんなに分厚い壁でも、陽喰の力には及ばない。
いくら亜喰とて、防御力はそこまで高くはない。
「はあぁぁぁぁぁぁあ!!!」
その剣は、レヴィの片腹を破り、アリスの四肢を千切った。
大量に飛び散る返り血がアブセルトの服を濡らす。
糸切れ人形のようにゆらゆらと揺らめくレヴィと、達磨状態のアリスは――。
「……んにぃ、誰だァ。僕のアイラを穢す奴はァ?」
「ヴェルぅ〜。たしゅけてぇ」
今度こそ、だ。
終わりと、耳元でそう聞こえた。
ここまでボロボロの状態にしても尚動き回る生き物など、ゴキブリほどしかいない。
否、ただ動き回って害を与えるだけならゴキブリの方が幾分かマシだったかもしれない。目の前に対峙する二人は、明らかにアブセルトに敵意を、殺意を向けている。
これをどこに向けようかと考えるよりも先に思い浮かんでしまうのは、黒焦げになりながらも料理のようにバラバラに切り刻まれた自分の姿。
嫌でも想像出来てしまう。
「……レヴィ、ふざけるな」
「ふざけるぅるぅ?」
瞳に蠢く金色の何やらがなければ、ただ狂ったフリをしていると言われたらそれで済んだ話なのだろう。
だが、アブセルトとレイラはこれを。金色の瞳を何度も見てきている。これは――。
「アウトオブリミット……?」
「多分な……あぅ……もう……疲れたよ」
どしゃっという音とともに崩れ落ちるアブセルトを横目に、レイラは剣の柄をぎゅっと握る。
ここからはどう足掻いても四人で太刀打ちしなければいけない。いけるのか、逃げるべきじゃないのか。それとも先手を打たれる前に殺すべきでは。でも殺してしまったら――。
「レイラさん、落ち着いてください。まだリリィは戦えます」
彼女の戦力が如何程なのかは分からない。それ故か、リリィにかけられた言葉もそれほど心には響かない。
だが、リリィの瞳は確かに訴えている。「信じろ」と。
「……くっせ」
「……え?」
突如レイラの口から放たれた悪口に、呆けて口を開けるリリィ。
――リリィの言葉で少しは心が入れ替わった気がする。負の感情ばかりだった心内はかなり軽くなる。
「楽観的が一番、か」
「……そだよ〜。あとでみんな教えてあげるから頑張ろ〜」
腑抜けたミーナの言葉さえも、応援歌のように心を震わせるひとつになる。不思議なものだ。
――仲間、というものを初めて認識したのかもしれない――。
「じゃあ、行こっか」
肯定の言葉の代わりに、全員の軽い首肯。
それを横目に挟むと、レイラは魔力を手のひらから剣へと注ぐ。
剣が熱い。体全体が。そう、炎の魔法だ。
「――目には目を。歯には歯を……炎魔法には炎魔法」
「……ッ!?」
次の瞬間、といえば少し齟齬がある。
コンマ一秒、炎を纏った件を振り切る。すると、炎の波がアリスとレヴィに向かって押し寄せていく。
瞬時に作り出したアリスの障壁も、防御用に並べた大量の剣たちも、あまりの高熱に溶け消えていく。
「リリィっ! 行って!」
「はい!」
走っていくリリィの後を追うミーナとリリが、彼女に防護魔法と障壁を張る。
――これほど卓越した連携はこれ以上ない。
「はぁぁぁぁぁぁぁあああああ!」
「――……アイ」
斬撃音と、皮膚と肉が破れる気味悪い音が丁度二回。
それを耳にすると、即座にミーナとリリは魔法を撃ち込む。炎と風を混ぜた、爆炎が彼らを包み――。
――ふと、水が彼らの頬に当たる。
「うへぇ……」
「――ぐへぁっ!?」
何らかの衝撃。それがリリィたち一行を襲う。
丸太に背中をぶつけ、肺の中の空気がいっぺんに体から出ていく。そして絞り出した肺は窮屈に縮こまり、次の空気を吸い込ませようとはしない様子だ。
心臓も、不整脈のように不定期な音を鳴らし続け、自身の体の不安定さを物語った。
「……ぁ」
死は感じない。
その代わり、死そのもの(タナトス)の声を聞いた。それは憎悪、愛、悲しみ、笑い、嗤い、恋慕、苦しみ――あらゆる感情を孕んだ声で。
それは、彼女は言った。
「うち、の、モノ」
タナトスが――ニヒェスが君臨した。




