109話 オチルオト
顕現したクロウが、かつて邪精霊に苛まれた時のように右腕にへばり付く。
剣と一体化した右腕を人間の前で振り下ろせば、そこからは言うまでもない。人間の開きの出来上がりだ。
今朝と逆のパターン。
レヴィがアリスの肩を齧り取り、千切った肉を飲み込むと、体は自然と熱く、軽くなり、殺意の衝動に駆られる。
勿論、心の奥底では殺意を必死に止めようとしているレヴィがいる。が、そんなものは歩く人間にとっての蟻以下でしかない。
踏み潰すように一蹴され、レヴィの抗いは虚しく終わる。
アリスは、自動的に発動した治癒魔法でじゅくじゅくと治っていく肩を掴みながら、レヴィのことを血涙が出そうなほど睨む。
――肩から飛び散った血が目元に付着して、まるで本当に血涙を流しているかのようにも見える。
ギリギリと噛み締める歯が、音を立てた威嚇のようにも感じられる。
実際それは威嚇であるが、正気を失っているレヴィにはそんなものは効かない。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すっ!」
「アイラ……俺も……」
もう、どちらが体を動かしているのかすら分からない。レヴィなのか、ヴェリュルスなのか、それとも新しい人格が体を操っているのか。
だが、ひとつ言えることはあった。
レヴィも、ヴェリュルスも、二人ともが殺意に呑まれている――。
「れ、レヴィ? どうしちまったんだよ……」
「レヴィ様!! なんで……アリスに剣を向けて……」
状況を読めないのは、周りに佇むリリィたちも同じだ。
リリィは状況が一変したことに驚き、アブセルトは様子の変わってしまったレヴィに近寄ろうとする。そしてレイラは。
「姉さん、触っちゃダメだよ」
「え? 何言ってんだよ。変だから早く連れ戻さねぇと」
あくまで「体調がおかしいだけ」「精神がおかしいだけ」で片付けようとするが、心の奥に沈んでいる懸念は拭えない。
――仰望師団で何度か耳にしたことはあったのだ。
「姉さんも知ってるでしょ? 戦骸。その影響かもよ」
「戦骸……って、こんな感じなのか……?」
戦骸――全容こそは誰も知り得ないものの、強大な力であることだけは仰望師団のほとんどには知られている。
そして、それがアリスという魔女だけに留まらないことも。
「さぁね。分からないけど、とにかく関わらない方がいいかも。……二人が怪我しない限りはね」
「怪我なんてさせません……」
徐に立ち上がり、リリィは呟く。
その宣言は高らかではなかったが、それなりの覚悟が垣間見える。
――今まで、ずっと足を引っ張ってきた。見殺し状態のことも多々あったのだ。これ以上、役に立てないのはダメだと思うのが、普通の思考だ。
「じゃあ、二人を興奮させないように立ち回りつつ、互いの攻撃を相殺――だな」
「そういうことだね」
陽喰の授与者と、元仰望師団の新進気鋭。それに加え、まだ本気を見せていない魔法の使い手――といえば聞こえはいいか。
実際のところ、三人のうちのレイラとアブセルトは生き返って間もないし、リリィは本気を出していないとはいえ、本気がそもそも高いレベルにあるというわけではない。
要するにこの状況を、全員のステータスを知っている者が見れば、一言で言うだろう。
――絶望的、だと。
「……リリィは決めたんです。もう足は引っ張らない。これからは二人のために生きるって」
そう、決めた。
その決意は、誰になんと言われようと揺るがない。
――だって、二人の幸せな顔が見たいから。
「おお? 決めゼリフいいね。ボクもなんか……思いつかないや。死ぬ恐怖が勝ってる」
「死なねぇよ。だって後ろにいんだろ。ちびっ子らが」
そう言って後ろを顎で示す。
そこには、今の今まで黙りこくり、状況を冷静に飲み込んできた少女らが立つ。
ミーナとリリ。
ミーナの魔法適正や、彼女の正義感がどうなっているかは分からないが、それなりに期待しても良い人物だ。
それにリリも、五姉妹の中ではかなりの高レベルに位置する魔法使いの一人。剣こそ振れなくても、援護魔法や追撃に関してはピカイチのはずだ。
「……リリたちに、任せるんですか。後ろを」
相も変わらず表情に出ない内心は、悲しんでいるのか泣いているのか。それとも嬉しいのか。
そんな彼女の横で、強張った笑顔を見せるのは、邪精霊に宿主にされているミーナ。まぁ、本質は邪精霊なのだが。
「まぁ、ミーナらに任せなぁよぉ〜。負けないようには戦ったげるよ」
「たげる、ねぇ」
語尾に少し違和感を覚えるも、そんなものは死の恐怖と、レヴィたちの狂気によって掻き消される。
「アイラアイラ、アイ、ら。アイラアイラアイラアイラアイラアイラアイラアイラアイラお前を! 殺して! 俺は!」
「ヴェル、落ち着いて。私たちは殺しあぅうううの」
「……仰望師団でもここまでの奴はいないよ。カルヴィンを上回ってる」
互いに口調が穏やかでないことは、誰もが理解出来る。それはつまり、そう遠くない未来にこの一帯が焼け野原になることを示す。
そして、その焼けた地にリリィたちが残っている可能性は、高くない。
業火に焼かれ、剣戟に刻まれるのは見据えた未来だ。
「……何が何だか分からないからねぇ〜。ミーナにはどうしようもないねぇ〜」
「ちびっ子が知ってたら私らもびっくりするって。てかお前も実際よくわか――」
「なら教えてあげようか?」
のんびりとした口調から、急に声色が変わって低い声になるミーナ。
彼女の据えた目線から読み取れるのは、冷厳な感情と、その態度。
今まで沢山の人との関わりを持ってきたアブセルトだが、今回ばかりは勝手が違う。
ミーナという少女の視線に、恐れを抱いて心が少し縮こまったのは、ここだけの話。
「お、教えるって……何をだよ」
「――今、レヴィクンがなんであーいうふうになってるのかぁ〜。それを、教えてあげようか〜って」
おふざけの延長線上に、こういった言葉遊び元い人を誑かすような発言をしているのか。それとも、本当に真実を知っているのか。
「……教えてくれんのか」
「まぁ、これが終わったらねぇ〜」
どちらが先だろうか。
ミーナが真実を語れば、その対処法も見つかるかもしれない。
だがミーナは、ひとまずこの状況をどうにかしないといけないと言い張る。
彼女の言い分にも、自分の考えにも一理ある。だが、こうして悩んでいては問題は増え続けるばかり。
「――アブセルトさん、やりましょう。ここでレヴィ様たちを止めるんです」
「…………やるか」
各々が剣を抜き、対峙したアリスとレヴィへと剣先を向ける。
アブセルトが前髪をかき上げる。
――止められると、信じてる。
レイラが剣を胸の前に当て、小さく呟く。
――必ず取り戻す。
リリがレヴィとアリスを見つめ、その動向を探る。
――負傷者など出させないと誓って。
ミーナがケヘッと笑う。
――心の中に蠢く、本物のミーナと力を合わせて。
リリィが自身と約束する。
――二人の未来を築き上げて見せると。
「伏せろ――ッ!!」
突如波動となってこちらへと押し寄せた熱風と、剣戟の嵐がごちゃまぜになって。芸術的な色を混ぜてこちらへと飛び込む。
「か、はっ――!!」
炎、氷、風、土、陰、陽――全ての属性を束ねた魔法が、暴発したように押し寄せる。
飛び退かないと避けられない間合い。
辛うじて避けられたアブセルトとレイラを除き、残りの三人は――。
「……障壁が間に合って良かったです」
リリが作り上げた五重の障壁と、ミーナが紡いだ糸が合わさり、強固な壁を作り上げる。
だが、それもほんの僅かの時間。
五重に重ねられたその障壁も、気付けばもうあと一枚。ミーナが紡いだ糸も、炎に焼け焦がされ、灰になって散っていく。
「かっ……ぺっ……」
障壁を通じてやってくる熱波と、魔力を一気に使い過ぎた故に起こる魔力の枯渇が、ジリジリとリリの体力を奪う。
ミーナはそれに臆することはない。
が、背中と額に滲む脂汗の量は半端ではない。
あくまで冷静を保っているミーナだが、心中では自分がこの場で対抗手段のひとつにもなり得ないことへの恐怖に怯えている。
「……糸が、焼かれるか……」
「はぁ、はぁ……ミーナ、リリ。バックアップ頼むぞ」
それだけ残すと、再び剣と魔法を交えようとした二人にの間に身を投じるアブセルト。
「ちょ、姉さん!?」
アリスの一番得意な炎の魔法と、レヴィが精霊で作り出した多数の剣がぶつかり合う――前に、アブセルトがそれらを全て相殺する。
後方から飛び込む炎を、左手を後ろに翳して魔法の噴出力で相殺し、前方からこちらへと押し寄せる剣の群れは全て剣で弾き返す。
すると、炎は勢いを緩め、レヴィが作り出した剣もまた、散り散りに飛散する。
「す……ごいです。あんなこと、出来る人が……」
「へへ、これでも陽喰だからな。まぁ元だけど……これで二人もちょっとは懲りてくれれば……」
そう言って、攻撃を無力化された二人の方を振り向くと。
「――だぁれだぁ? 僕の邪魔をするやづは……」
「私、凄く腹が立ってるの。立腹よぉ。だわよかしらかもねぐぁぁぁぁおぁぁあ!!!」
「こりゃあ一撃加えないと無理パターンだね」
冷静に分析し、告げるレイラだが。
彼女もまた、ミーナと同じように汗が滲んでいる。
だって次は――。
「レヴィ、戻ってこいよ。頼む……これで何回目だ? お前はほんとに迷惑かけてばっかで……人の気持ちも考えろよ」
「ばぁ」
レヴィのクロウが、空を裂く。
それは誰に向けてのものでもなく、ただ単に空を裂いた。
「……ばぁ」
空を。
「いないいない」
裂く。
「……レヴィ、何して――」
「いないいない」
空を裂く。
その一連の流れに、アブセルトは目を奪われていた。
自分の腕が飛んでいったのもお構い無しに、彼女はただ見惚れていた。
彼の流麗な剣さばき。空を掻いたそれは、スローモーションのようにゆっくりとこちらへと向かって――否、違った。剣がゆっくりなのではなく、時間全てがゆっくりだったのだ。
――逃げ。
ゆっくりだったはずの時間が急に動き出すと、アブセルトの耳に入ってくるのは血液がぐじゅぐじゅと流れ出す音と、ボトボトと地に落ちる音。
そして、先程までついていたはずの右腕、それと同時にもうひとつの「何か」が落ちる音だった。




